月別 “ February 2006 ” 列挙

“ February 2006 ” に書き連ねた俺様日記の数々。

- 心にTATOOを!! -

 最近、あまりに書かないので、まだ手書きだった昔むかしのころの日記をここに転載してみようかなぁ~と思ってみたりみなかったり。
 日記ってのは、その日その日のことを書いてくものみたいだけど、ちょっと斬新に、どんどん過去にさかのぼってくみたいな……
 そんな日記があってもいいんじゃないか。
 まあ、極端な話、最初の日が最期の日みたいな感じか。




 でもそういう日記を、もし現実に書こうとしたら、人間の記憶ってのはどこまでもつもんなんだろうか??
 『レインマン』の主人公のようなサヴァン症候群の方とか、人知を超えた記憶力でも持ち合わせていない限り、まず3日ぐらいが限度じゃなかろうか??
 1週間つづけばいいほうかなと思ふ。




 しかしながら人間、“思い出す”ってことでその記憶力が養われていくんだと思うわけだ。
 もともといい人もいるかもしれんし、またなんか別のメカニズムが働いてるのかもしれないけど。
 もう今はずいぶんと大昔、『あるある発掘大辞典』でその“記憶力”ってやつについてやってた。
 “記憶力”ってのは、膨大にある記憶のなかから、そのとき必要な記憶を引っ張りだす力なんだそうな。




 最近じゃ、ほんの5分とか10分、30分前のことって、すぐには思い出せない。
 なんでだ??
 でも、ものすごく小さかったこととか、1日前、2日前、はたまた1ヶ月前とか、ある程度時間の経ったことなら、けっこうすぐ思い出せたりする。
 なんでだ??




 ひょっとすると、年を重ねるにつれ、その“思い出す”っていう行為をしなくなってきてるんじゃないか??




 ある1つのことをやった。
 でも、そのすぐあとにそれを思い出す必要ってのは、特になかったりする。怒られるのは、たいがいちょっと経ってからだ。
 物を失くすときも、おんなじような感じ。
 “すぐあと”ってのがコレ、なかなかどうして難しい。




 日記を書くっていうことは、その日を思い出すっていうことだ。
 たしかに、僕のちょっとした経験からにしても、日記をつけてる人のほうが、つけてない人より、いろんなことを憶えてたりするような気がする。
 まったくつけたことがない人とか、つける気もない人、日記が苦手な人って、たとえそれが長期間であろうと短期間であろうと、その物事を憶えていようという気すらないように思う。




 あと、今じゃもう、パソコンで日記をつけてるっていう人がほとんどだろう。
 手書きとパソコンもまた記憶力に差があるんじゃないかと思うわけ。
 パソコンて、けっこう頭使うようでいて、実際にはたいして使ってない。これってほとんどひらめきに近いんじゃないかと……
 1つの文字や言葉を完成させるのは一瞬だし、それが間違ってる字なのかどうかっていう認識も一瞬。
 まばたきより速い。
 写真を撮るのと一緒だ。
 意味だとか理由だとかっていうよりも、もうほとんど図形の認識に近いと思う。
 夢にも似てる。
 頭振ってても目ぇつぶっててもよそ見してても、よもや本読みながらでも打ててしまうわけだ。
 んでもって、そういう瞬間の積み重ねで、しかもどんどん次に進む。
 というより、今そう打ってみて気づいたけど、この場合はもう“書いて”ないってことよ。




 ところがドッコイ丸の内。
 それが手書きだと、まるでその1つ1つがロジックみたいで、いちいち構築が必要だったりするわけだ。
 これは無意識かもしれないけれど、1つの字を書くにしたって、きっと途中で何度も“書き順て、これで正しかったっけ??”とかいろいろ他のことを考えたりしてると思う。
 しかも、手書き文字だと、そのときの気分だとか環境だとかがモロに出る。
 緊張してれば線が震えるだろうし、イライラしてればバランスが荒れる。
 人間、平常心てやつが一番難しいと言われてるし、そのとおりだと思う。人の心ってやつは、常にいろんな方向、物事、刺激のなかで揺れてるんだと。
 ひょっとするとそれは、“冷静”っていうやつともまた違うような気がしてきた、最近。
 まあいい。
 “丸の内弁当”のなかには鮭が入っているように、そんなディテールにまでいちいち構ってられない。
 そこに固執すると、それはもう“鮭弁当”になってしまうように。




 まあ、手書きで日記を書いてると、不思議にもいろんなことを書いてるうちに、考えやら出来事やら、なにかと気分も落ち着いてくる。
 その日1日の出来事と一緒に、気持ちも整理してるんじゃないかと、そんな作用もあるんじゃないか??
 どうよ、マチャアキさん。




 っていうかコレ、将来さらにヤバいんじゃないのぉ~??
 このパソコンってやつ、もうほとんどゲームに近いじゃん。
 たいしてなんも考えなくたって、いろいろやってくれちゃうわけよ。
 今はなにかと“キレる子供”っていうのが話題になってたり、問題視されてるけども、実際には“キレる大人”のほうが問題だと思うよぉ~??
 ホントかなり多いと思うし。
 きっとあの一世を風靡したファミコンっていう最強のゲーム世代が、今の若手サラリーマンとか中堅サラリーマンぐらいだと思うし。
 実際、最近なら、そういう事件のほうが目立ってるし……




 かるくヤバい??
 いやいや。
 けっこうヤバくない??




 もしかしたら、大人より子供のほうが“かばう”っていうこと知ってるかもね。
 子供のころって、親との絆より、友達どうしとのそれのほうが強く感じてたりするしな。親とのものはもう、それこそ空気みたいにあたり前すぎて。
 いてあたり前、いなくてもあたり前。
 なにをするにもあたり前。
 で、あたり前だとか常識だとか、“しょうがない”っていう言葉でなんでも片付けようとしたりする。
 で、大人どうしのそれって、なにかと“裏”っていうのがあったりするからなぁ~。
 日常的に見え隠れしてるそういうのって、ホント小説とかよりおもしろいって思うぐらい、大人どうしの絆ってうすっぺらいなぁ~って感じることが多い。
 結局は、自分。
 非難や中傷も、幸せなころでもそれをする恋人っているんだろうか??
 結局はそれも、相手が冷たくなったからとか、自分がもう飽きちゃったとかいう理由だったりして。




 ただ、ただ子供のころって、その無邪気さが故なのか、自己犠牲もしなければ、自己中心でもない。
 常に“対等”っていう立場で物事を見てたり感じてたりしたと思う。




 大人になると証拠や証明、説明ってのをいちいち求められたり、自分にとっても必要だったりするけれど、子供のころってむしろ、そういうのは必要ないことのほうが多かった。
 そういうほうが論理的なことを求められたり、事細かに監視されたり、なにもかもがマニュアル化された場所より、子供のほうがもっとずっと複雑な世界に生きてるんだと思う。
 人間、本能が一番残酷で複雑。
 だけどそれが、時にひときわ美しい。




 まま、子供が天使だとか僕らの希望とは言わないけども、未来を歩いていくのは子供なんだな。
 未来は子供のためにだけあるわけじゃないし、約束されてるわけでもない。
 でも、今そのために僕はなにができるか??
 少なくとも総理大臣にはなり得ないたった今生まれたばかりの0歳児よりは、その子が生きていくだろうそこへとつながってる未来を変えられるかもしれない僕に、一体なにができるんだろう??
 総理大臣になって国や世界を変えることはできなくても、もしかしたら歌が、その子を勇気づけられるかもしれない。1冊の本で、その子に夢を与えられるかもしれない。
 たった一篇の詩で、その子がまたさらなる未来へとつながるなにかを見つけてくれるかもしれない。




 ……あ、『Dear』の更新しよ。






















 時間できたらね。
 バイト先からじゃできないのよ、これがまた。




 もう長い日記は書かない!!!!

  • February 22, 2006 7:27 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- Rain -

 オリンピックには“魔物”がいると言うけども、どうやら俺様が捕まったらしい。
 オリンピックおもしれぇ~……
 そう、これは先週の日曜日に書こうと思ってた日記なの。書こう書こうと思ってて、オリンピック観ながら編集作業してたわけだ。その後、結局歌のほうにのめりこんでしまったという始末。




 スピードスケートのショートトラックが特にヤバい。バッコリ熱い。
 いいねぇ~、ああいう駆け引きのあるスポーツ。そういうのお兄さん好きよ。
 でもなんか競技自体を見てると、すっげえ小ざかしいようで、その駆け引きだけでそうとうなエネルギーを消費するんじゃないかと思われる心理戦。
 テレビだと余計に小さな動きしか見れないもんだから、ひさびさに1度は生で見てみたいと思ったことだ。




 しかし残念……
 なんかすっごい囃されてた割には、メダルが全然取れてないとのことらしい。
 ってか、昨日テレビでチラッと見た清水さんの銀メダルが初めてじゃないのか??
 違うのか??
 まあいいさ。
 それまでの努力だとかをムダとは言わないが、どうせ競うんなら、てっぺん取ってナンボでしょう。きっと選手の人たちもそれぐらいの気持ちで挑んでんだろうし。
 テレビとかでよく聞く“メダルは取れなくてもよくやった”とかは、ホント気休めみたいにしか聞こえない。
 まま、テレビで顔出ちゃってるわけだし、なかなかそんなこたぁ~軽々しく言えないんだろうけども。
 いや、というか、みんながみんなそうとも思ってないけどさ、別にスポーツやる人の最終的な目標がオリンピックってことでやってるわけじゃないよな。
 まあ、競技によってはそうなるかもしれんけど、バスケならやっぱ日本人からでもNBA行ってやってみたいだろうし、サッカーもワールドカップとかだろうしな。
 とはいえ、もし僕がプロのスポーツ選手だとしたら、やっぱそれら全部のてっぺん取りたいけどな。メダルもカップもシャンパンも、葉巻も女も地位も名誉も全部ぜんぶ。




 なんだかスケートだと、韓国の選手団がメチャメチャぶっちぎりっぽい印象を受けたのだが、あれってなんか国技とかなのか??
 まあ、国技だからって強いとは言えないけども……関取然り。
 “藍、青より出でて、青より青し”ってやつだな。それでいて美しいわけだ。
 韓国ってスケート大国なのかしら。




 でも日曜から観れてないってのが現状なり。
 ここんとこ1日3時間半の睡眠て……
 芸能人さんで言えば、次長課長さんクラスらしい。昨日の『情報ツウ』のトークツウで言ってた。
 でも、次長課長さんたちより30分ぐらい多いみたい。幸せ。




 にしても、どぉ~してこう音楽ってやつはキリがないのかねぇ~。
 歌も“こうこうこういう枠のなかでやってください”っていう電線みたいのがあれば、とってもラクなのになぁ~……
 ミュージシャンの人たち、よくそんななかで“これだ!!”って感じで出せるなぁ~と、ホントそこに関心する。
 いつもちょっとダメかなってなぐらいがいいのか??
 しかし、それがないからこそ楽しいんだけど。
 誰もができるってのが重要なところなんだろうさ。
 結局限られた人だけってのじゃ、きっとそのうち、それをやってる側さえ虚しさを憶えるんじゃなかろうか??
 目先のことにとらわれる人は別として。




 今きみが、本当にしたいのはなに??
 今きみは、本当にそれでいいの??




 なんかこういうキリのない疑問というやつが好きらしい。
 だからこそ飽きない。そこがいい。
 いつも先を見ているような気になるし、実際そうなんだろうと思う。
 現状維持や今あるそれに満足や幸せを感じるのも大事なんだろうけど、やっぱり自分がそれ以上を求めていなきゃ、手にできない。もしかしたら、それが見えもしないのかもしれない。
 少しでもそこに近づけてるか??
 より良いもの。
 より良く。
 最高の今より、もっと最高の今を。




 こないだ、“歌バカ”と言われた。僕のハートが暑苦しいと。
 なんかちょっと嬉しかった。
 技術や知識、そういうのは教えてもらったりできるし、結局慣れだったりするけれど、そういう“暑苦しいハート”っていうのも1つの才能だとその人は感じたんだそうな。
 冷めてるってのは、たしかに嫌いだ。
 熱くならないというか、熱くなれない人は、どうも好きになれない。
 なんか熱くないってのは、冷えてもないって気がする。
 それだけでもうその人への魅力を感じないと、まるでそれが風化するみたいに感じてしまう。
 これもハートが先行してるってことなんだろうなぁ~と、また思う。
 でも逆に、なにごとにも冷静でいるっていうのも、自分の理想とするところを犠牲にしてまで手抜きができるっていうのもまた、1つの才能なんだろうなとも思う。
 冷静でいることも必要だけど、熱くなることも必要だと思う。かと言って、どちらも絶対とは言えない。
 ただ、それらが心のなかに混在してて、初めて、その中間ぐらいなイメージの“あったかい”っていうぬくもりが生まれるんだと。




 あと、“ハートが先行してるのはもったいない”とも言われた。
 そんなご指摘は、初めてだった。なんとなく衝撃的だった。
 なにかと才能やセンス、ただ好きだっていうだけでもダメだというように、僕には基礎っていうのがないと……まさにだ。
 やっぱわかる人にはわかるんだなと、ちょっとまいった。
 実際、僕の身近なところには、まったくもってそういう人がいなかったりする。
 僕に意見したり、なんというかかんというか、なんか諭すようなことをしたりとかする人がいないわけだ。
 やっぱこれも普段から“俺様”とか言ってるからなのかねぇ~……なんなのかねぇ~。
 まあいいや。
 話が逸れた。こんなこたぁ~公開するようなことでもないしな。また誤解を招きそうだし。
 サビ作りはセンスとのことなので、とりあえず今はひたすらに僕のなかのそれをフル稼働させるのみだ。




 あ、そうだ。
 誤解といえば、前に、“この日記で書いてることって、たまにおれのことだろ。言いたいことあんならちゃんと面と向かって言え”と言われたことがあった。
 んなこたぁ~ない。即“思いあがんな”と返した。
 なんでこうちょっと批判的なことが書いてあって自分にちょっと当てはまると、小さな疑念からすぐ自分のことだと思うのか。
 僕は、そんなことは、ホントよっぽどのことがない限り人に言わない。“おれのために言ってくれ”とでも言われない限りないな。さすがに我慢の限界突破とかじゃないと口にしない。
 それはもうほとんどあきらめに近い。なんというか、言っても聞いてるフリだけで耳を傾けない感があるから。
 なんか話してるとわかっちゃうし、その後のその人の行動見てればわかるからなぁ~、こればっかりは。
 だから最初は、話してると、その人を責めてるというか、けっこう説教口調になると言われるけど、そういう人にはまず言わなくなってく。
 もうなんも期待もしなくなるし、その人に対してなにも伝えることがなくなってく。いつしか伝えるべきことすら見失ってしまうんだよなぁ~。
 やっぱ会話って、そこにある人間関係をはかる上で、重要な要素の1つなんだよなぁ~。




 しかし思う。
 僕にはそんな気はないのに、聞いてる側がそう聞こえるっていうのは、その人のなかでちょっとは耳が痛い部分があるからなんじゃないか?? だから自分が説教されてるように聞こえるんじゃないか??
 まままま、たしかに人の粗探しは得意だし、そういう部分てやっぱり、いいところよりもずっと目につくもんだけどさ。
 いいところって意識して探さないと、そう簡単に見つけられるもんじゃないと思う。自然と見つけられた人のいいところって、けっこう自分と共通する部分だけなんじゃないかなと。
 まあ会話だし、話し方と聞き方にもよるんだろうけど、そう思う。
 僕としては、笑いながら話してるほうがよっぽど怖い。




 あ、そういえば、なにかと手を抜くやつも嫌いだ。いや、大嫌いだ。
 自分がイヤだってだけで、“がんばったんだけど……”とか拭けてない尻をさらしながらそれをごまかそうとしてる感じが許せない。
 うん、嫌いというか、許せない感じだな。
 その時点で、なにも告げずに僕の世界から魔法使いのごとくサッと指パッチンで抹消される。
 そういうやつは、それこそもうなにも言わなくなるな。
 人をまるごと受け入れることはできても、すべてを理解するのは難しい。いや、それは不可能だと、あえて断言してみようか。
 人を受け入れるのに理解なんて必要ない。
 もしその人に対して“この人のことならなんでもわかってる”と感じた瞬間、それこそ、その人のことをなにもわかってないって証。
 その人に対して、なにかについて勝ってるとか、自分のほうが上だと感じた瞬間、それが負けへの第一歩であり、下へ向かう階段の1段目に足を乗せたのと同じこと。
 でもこうやって、人の気持ちってやつを頭でキリなく考えて、あたかも他人事ともとれそうな言葉というやつで表そうとしてることそれ自体、一番冷めてるのかもしれないな。




 人に人のなにがわかろうか。
 人だからこそ人を理解できるというのに。




 人間はみな、未完成だ。
 でも、不完全なものとしてもう完成されてる。
 人間がこれ以上進化しても、退化しても、人間はもう人間じゃなくなるだろうから。




 陰口だとか悪口だとか、普段たまった自分の主観でしかない憂さ晴らしのために、わざわざこういう場を借りたり使ったりなんてしないさ。ましてや公開なんてしない。したくもない。
 むしろ、そういうのを言葉にしちゃったらおしまいだな。
 本音っていうのは、自分以外だれも知らなくていいものだと思ってる。
 素直な気持ちはちゃんと伝えるべきだけど、それを人に話す必要はないし、自分だけがわかってれば充分だと。
 単なる言い方の違いってだけと聞こえるかもしれないけど、その2つの言葉の違いのニュアンスで、僕の伝えたいことはわかってもらえると思う。
 ここはだれかになにかを伝えるために書いてるわけじゃない。僕のそれは『Dear』だけで充分だわよ。
 このTakuya's Diaryは、あくまでその日、あ、いや、ほとんどが前日だったり先日だったりするけども、そのとき思ったことだったり出来事の並列でしかない。
 そういう鬱憤の解消は、バイトの行き帰りで充分間に合ってる。
 難しいやな、人間関係って。
 言葉って。
 気持ちって……
 “知らなかった”じゃ済まされないぐらい、いろんなことが発達して成長して、それがどんどん普及して、それを作った人のほうがそれに追いつけなくなってきてるんじゃないかな。
 まあ、もし読んでいくなかで自分と重なる部分があったなら、いいことはいいこととして、いやなこともいいことに変換していってほしいな。
 読み物ってきっとそういうもんだと思ふ。




 だれが傷つけ合うために笑い合うか。
 だれがその心を踏みにじるために心寄せ合うか。




 ……雨だ。
 ここんとこずっと降ってる。
 景色はもう5月を映してる。




 たまに人の気持ちやその感じ方に触れることができない。どんなに手を伸ばしても届かないときがある。
 たとえば、道端で立ち止まってどこか遠くを見てる人。
 でもそれは、その人と同じ景色を見れないだけ。
 そして、その視線の先に顔を向けて同じ景色を見たときに、決してその人とは同じように感じられないだけなんだ。

  • February 15, 2006 6:48 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 人生、ストリートLIFE -

 さらに2キロ減……
 一体なんなんだろう……
 これじゃあ『痩せゆく男』みたいじゃないか……
 なんか病気にでもなったのだろうか……
 いや、これはまさしく日々の不規則なご飯抜きと睡眠不足、さらにはsweetな恋人とのハートフルかつソウルフルな愛の欠如からくるものに違いない。
 そんなこんなで、ここのところじゃ歯医者さんが唯一の癒しというか、娯楽というか、外出というか、憩いの場というか、そんな感じになってきておる。
 歯医者さんへ行くのが楽しみになってきてる。
 歯医者さんのために目覚ましをかけて、ちゃんと起きて通うなんて、生まれて初めてだ。
 これはもう病気だ。バイトよりマジメだ。




 ってなわけで、今日はついにスーパーモデルさんに名前を聞いた!!
 素晴らしい……なんという進歩だろう。大躍進だよ、おれ。
 さすがは飛躍の年と決めただけのことはある。
 というのも、本日の治療の担当だったのだよ……そうなりゃこれは、なにがあろうと話さないわけにいかない。
 仮に、Sさんとしておこう。
 饒舌と呼べるかは別として、なにかと話しかけてみた。もう何でもいいのだ。
 なにを話したかはもうあんまり憶えてない。いや、しっかり憶えてるけど、そういうことにしておこう。
 とにかくしゃべった。
 歯医者さんであんなにしゃべってる患者も見たことがない。
「あ、でも、一応麻酔しないでやってみてもいいですか?」
「あ、はい。ですね。やってみますか」
「じゃあ、染みたら言ってもらっていいですか?」
「Yep」
「………」
 Sさん、器具を手に持って僕を覗きこみながら、しばし固まっていた。
 あ、聞き取れませんでした?? 意味わかりませんか、やっぱし??
「はい」
「はい。じゃあ始めますねぇ~」
「あ、すいません」
「はい?」
「どっからきますか」
「え? あ、いや、どこからでもいけますが……う~ん……あ、じゃあ、手前から始めますね」
「よしこい」
「じゃあ始めます ──」
「いっちゃって。やっちゃって」
「はぁい。じゃあ、開けてくださぁい」
 Sさんがしゃべりだす前、必ずわずかな笑いが入った。
 いいよぉ~、それいいよぉ~、すごくいいよぉ~。もっと笑ってみてぇ~、もっと笑ってぇ~、君は笑顔の女神様だから……そう!! そう!! それすごく欲しかった!!
 ホントにおかしかったんだとしても、あきれでも愛想でも、とりあえず笑っといただけでも、僕はそれだけでたいへん嬉しゅうございます。
「あ、今どうでした? 染みました?」
 “Good!!”




 果たして僕という人間は、あそこの歯医者さんの歯科衛生士さんの皆々さんには、一体どう映ってるのか……不審な動きをする人とでも言われてそうな予感。
 今日も麻酔を打ってから浸透させるためにしばらく待つそのあいだ、隣に移ったSさんが、とてもこちらを気にしている様子だった。ちょっとそれが嬉しくもある側面、さすがにヤバいのかなぁ~と不安も感じた。
 それにしても、あそこの歯医者さんでもう何本麻酔してもらったことか……わからん。
 麻酔を歯茎の外側と裏側で打つときの違いとか、比較的痛くなくかつ浸透しやすい場所とか、なんかそのへんの知識も教えてもらったぐらいにして。
 麻酔の注射は、歯茎の内側に打つときのほうが痛いんだそうだ。それは口まわりの筋肉と骨格、その役割のせいで仕方ないとのこと。
 でもたいがいの人・場合は、歯茎の外側に打てば事足りるんだそうな。
 それでも恐ろしく効きづらい僕みたいのが1ヶ月に1人か2人はいるらしい。
 歯医者さんの話では、どうやら骨が丈夫なんだとさ。神経とは骨のなかにあるそうで、そこまで麻酔の薬が届きにくいとのことだ。
 なら安心だ。




 んまあ、そげなことはいいのさ。
 たしかにそのとおりだと自分でも思う。今まで行った歯医者さんでは、あんな動きはしたことがない。
 たとえば、診察椅子が倒れた状態で綿を噛んでるとき、両腕を大きく伸ばしてグッパーグッパーなんて誰がしようか。
 “染みますか?”って言われて、腹の上に置いた手で勢いよくビーンと親指をおったてて“Good!!”のジェスチャーをして答える人がどこにいようか。
 悪く言えば、行動がうるさい。かなり良く言えば、子供っぽい。普通に言えば、うざい。
 そんな感じだろうか。
 しかしなんだろう。
 なんだかあそこの歯医者さんは、やけに落ち着く。だから多少の不安ぐらいじゃやめなかったけども。
 リラックスすると、人間おかしな行動に出るもんだ。
 いや、自分ひとりしかいない状況でならってことか……もちろん、あそこの歯医者さんは僕一人だけじゃない。
 とはいえ、まあ個室だ。言うなれば、VIPルームだ。
 きっと誰もが、ふとグッパーグッパーしたくなるはずだ。




 そして帰り際、思い出したように言った。
「あ、そういえば、名前教えてください」
「え? わたしですか?」
「はい、わたしです」
 戸惑いながらも答えてくれた。
「Sさんですか……で??」
「え?」
「それでお名前は??」
「え? 下ですか?」
「はい、下です」
 笑っていた。苦笑とも失笑とも、まさかここの日記を見てるかのように“アハ、ホントに聞いてるよ、この人……”という感じの表情だった。
 しかしながら、教えてもらった。
「ああ、ありがとうございます」
「いえ。ではお大事にぃ~」
「あ、どうもです」
 そして僕は、少し伸びたうしろ髪を引かれる思いでそこをあとにした。




 しかし、惜しい……惜しすぎる。
「Sさん……S……惜しい……惜しなぁ~……」
 以前、とある占いの結果、僕の結婚相手のイニシャルは“I.H”らしいという話を聞いたのだよ。
「……もしかしたらお姉ちゃんとかか?? でもなぁ~……絶対あの人のほうがいいよなぁ~……あんなかわいい人と毎日一緒に朝起きて、一緒にご飯食えるなんざぁ~アータ……マジすっか……あ、ヤベッ……」
 そんなことをブツブツとお経のようにつぶやきながら、廊下を進んでスリッパを使用済みスリッパ箱に入れ、隣のキャビネットから自分の靴を出した。
 いつもきれいなカーペットだ。そこから顔を上げる。
 すると、前から銀色の小汚いアルミケースを携えた作業着のおじさんが現れた。
 ここを通り抜けるようだった。
 でも、すぐに脇の扉の向こうから、受付をやっている人から“あ、ちょっと待ってください。今ちょっとお客さんがいるので、そこの洗面所のところで待っててもらえますか”と注意されていた。
 なにをそんな……業社さんでしょうに。大事なお客さんを迎えるためのお仕事を頼んでるのに、脇にどかせるとは何事だ。
 むしろお客さんより大事だろう。
 “大切さ”に優劣をつけるのはおかしいけども、大事なお客さんを迎えるためのことを頼んでいるということは、そうなる。しかも裏方さんにまわってもらってるのに……
 おじさん、洗面所の光のあたらない薄暗い隙間で鞄を抱えて小さく縮こまっていた。
 ホント申し訳ない気持ちでいっぱいになった。僕は靴を手に持って、靴下のままそこをあけた。
「すみませぇ~ん、どうもぉ~」
「あ、ありがと ── 」
「お疲れさまでぇ~す」
 と受付のお姉さんの声が、おじさんのか細い声に重なった。
 まったくどこまで……振り返ると、しかし、光のあたったおじさんの背中は、どこか凛として見えた。
「にしても惜しい……」
 僕は、曇りなのに光の射す待合室へと出た。




 ってなわけで、次回の目的は、Sさんの年を聞いてみよう!!
 予想では、とても若い。
 予想では、まだ10代。多く見積もっても、20代前半。いや、3はいってない。
 かなり若く見える。
 いや、実際そうだろうさ。
 まず、肌がそうだ。化粧のノリがとっても良さそうだ。
 テレビのCMで肌年齢は若くできるとは言っていたけど、やっぱり素肌の年齢はごまかせないと思われる。
 ごくごく稀にすごい肌のきれいな人もいるけど、たいがい間近で見れば一発だ。歯医者さんなわけで、そんな機会はいくらでもあるし、むしろ、恋仲よりずっと顔を近づけてる時間のほうが長いわけだ。
 恋人どうしがあんな距離で同じぐらいの時間一緒にいたら、ちょっと怖い。なんかどっか病んでるのかと思う。
 にしても今日は、なんと幸福な日だったんでしょう……予定は狂ったけど。
 今日、Sさんに名前を訊いたとき、「なんでですか?」と訊き返されるはずだった。
 まあいい。次があるさ。
 僕の歯医者はまだ終わりそうにないわけだし。
 とりあえず、Sさんの名前が聞けたことは大きな一歩であり、そこから先へさらなる飛躍を見出すことができるということは、とても幸せなことだ。




 最近気になる……
 今まではずっとおでこのところにピンで髪の毛を留めていたのに、突然それをやめた。そして、それからずっとしていない。
 なぜだ……
 それはここんとこ受付にいる人のこと。
 一体なにが潜んでいるんだろうか、そういう女性心理の奥の奥には……




 うわ、なげ。




 まあ、なんにせよ、こうして直接人とのコミュニケーションを求める心理があるってことは、俺様もまだまだ健全な証だな。
 歯医者さんへは歯の治療っていう名目のもと通ってるとはいえ、痛いのもヤだけど、今となっちゃそういう目的っていうのも大きな割合を占めてるなぁ~と自分でも感じる。
 こうしてインターネットが、顔も見えず声も知らずな状態で、コミュニケーション・ツールとしてメイン張れるだけの進歩を遂げていくのは、今後いかがなものかと……
 人間、そうやって直接的な人と人とのコミュニケーションを求めなくなったら、必要としなくなったら、もうおしまいだな。
 それはきっと、合理的とかカッコイイもんじゃない。現代的なものの見方とかとらえ方としてはカッコ悪くてもさ。
 淋しいぜ、人として。

  • February 14, 2006 5:24 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- キテレツ サプライズ -

 うわっ、5キロ減じゃん!!
 いつの間に……

 あまりに驚いたので日記にしてみた。

  • February 7, 2006 11:52 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- ルーシー -

 本日、なんだか新人研修みたいな感じで、たくさんの女性陣に囲まれた。
 なんか変に緊張する。
 そして、そんな状況で、男たるプライドか、痛くても挙手することができず、限界まで我慢に我慢を重ねたが、結局次の治療に入る前に言った。
「あ、痛いです……」


 それはいいのさ。
 今日は、前はいつも受付で見かけていたスーパーモデルさんみたいな人の髪をおろした姿を初めて見た。
 ヤッベ~……超セクシー。
 バビッた。
 あのすこぶる若い肌つやには、なんともにつかわしくない妖艶さが漂っていた。
 で、僕が口をゆすぐとき、チラッとこっちに見たその目は、鋭く突き刺すのではなく、それを気づかせないぐらいしなやかな切れ味の流し目……
 まいりました。
 そして、ずいぶんと前に書いたと思うんだけども、化粧が濃くなくなった。
 いやぁ~、これは絶対なにかある……
 俺様の第六感がそう告げているのだから、間違いない
 とはいえ、まだ名前も知らない有様。
 次回のときにそのタイミングがあれば聞いてみようか。


 しかしなんだか最近は、担当みたいにしてくれる女性と非常に話すようになってきた。
 不思議なもんだ。
 楽しんだよ、これが。
 スーパーモデルさんの人とチラッと話したときも、そりゃ楽しい。当然だ。舞い上がったぐらいだ。
 だがしかし……
 でもって、その担当さんみたいな人がまたかわいいんだ。
 う~ん……まあ、言うなれば、鈴木亜美さんと高島礼子さんと梨花さんっていう感じか。
 これはかなりドンピシャ。
 イメージだけではそうとうイケてない像を結ぶだろうけども、ところがどっこい。
 ショートカットっぽいセミロングで、なんとも言いがたい感じ。
 スーパーモデルさんと比較するのは、さすがにでも、それはちょっとかわいそうだ。
 スーパーモデルさんはといえば、ホントにそんな感じの容姿。
 たしかすんごい年の差で結婚したっていう人がいたはず……その人に限りなく近い。
 というか、その人がその人に限りなく近い。

 よし、次回の目標は、機会があればスーパーモデルさんの名前を聞いてみよう!!


 しかし、自分のある環境ってやつは、そのときとこれからの状況に、やっぱかなり重要らしい。
 親しい笑顔は安心する。

  • February 3, 2006 6:41 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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