さらに2キロ減……
一体なんなんだろう……
これじゃあ『痩せゆく男』みたいじゃないか……
なんか病気にでもなったのだろうか……
いや、これはまさしく日々の不規則なご飯抜きと睡眠不足、さらにはsweetな恋人とのハートフルかつソウルフルな愛の欠如からくるものに違いない。
そんなこんなで、ここのところじゃ歯医者さんが唯一の癒しというか、娯楽というか、外出というか、憩いの場というか、そんな感じになってきておる。
歯医者さんへ行くのが楽しみになってきてる。
歯医者さんのために目覚ましをかけて、ちゃんと起きて通うなんて、生まれて初めてだ。
これはもう病気だ。バイトよりマジメだ。
ってなわけで、今日はついにスーパーモデルさんに名前を聞いた!!
素晴らしい……なんという進歩だろう。大躍進だよ、おれ。
さすがは飛躍の年と決めただけのことはある。
というのも、本日の治療の担当だったのだよ……そうなりゃこれは、なにがあろうと話さないわけにいかない。
仮に、Sさんとしておこう。
饒舌と呼べるかは別として、なにかと話しかけてみた。もう何でもいいのだ。
なにを話したかはもうあんまり憶えてない。いや、しっかり憶えてるけど、そういうことにしておこう。
とにかくしゃべった。
歯医者さんであんなにしゃべってる患者も見たことがない。
「あ、でも、一応麻酔しないでやってみてもいいですか?」
「あ、はい。ですね。やってみますか」
「じゃあ、染みたら言ってもらっていいですか?」
「Yep」
「………」
Sさん、器具を手に持って僕を覗きこみながら、しばし固まっていた。
あ、聞き取れませんでした?? 意味わかりませんか、やっぱし??
「はい」
「はい。じゃあ始めますねぇ~」
「あ、すいません」
「はい?」
「どっからきますか」
「え? あ、いや、どこからでもいけますが……う~ん……あ、じゃあ、手前から始めますね」
「よしこい」
「じゃあ始めます ──」
「いっちゃって。やっちゃって」
「はぁい。じゃあ、開けてくださぁい」
Sさんがしゃべりだす前、必ずわずかな笑いが入った。
いいよぉ~、それいいよぉ~、すごくいいよぉ~。もっと笑ってみてぇ~、もっと笑ってぇ~、君は笑顔の女神様だから……そう!! そう!! それすごく欲しかった!!
ホントにおかしかったんだとしても、あきれでも愛想でも、とりあえず笑っといただけでも、僕はそれだけでたいへん嬉しゅうございます。
「あ、今どうでした? 染みました?」
“Good!!”
果たして僕という人間は、あそこの歯医者さんの歯科衛生士さんの皆々さんには、一体どう映ってるのか……不審な動きをする人とでも言われてそうな予感。
今日も麻酔を打ってから浸透させるためにしばらく待つそのあいだ、隣に移ったSさんが、とてもこちらを気にしている様子だった。ちょっとそれが嬉しくもある側面、さすがにヤバいのかなぁ~と不安も感じた。
それにしても、あそこの歯医者さんでもう何本麻酔してもらったことか……わからん。
麻酔を歯茎の外側と裏側で打つときの違いとか、比較的痛くなくかつ浸透しやすい場所とか、なんかそのへんの知識も教えてもらったぐらいにして。
麻酔の注射は、歯茎の内側に打つときのほうが痛いんだそうだ。それは口まわりの筋肉と骨格、その役割のせいで仕方ないとのこと。
でもたいがいの人・場合は、歯茎の外側に打てば事足りるんだそうな。
それでも恐ろしく効きづらい僕みたいのが1ヶ月に1人か2人はいるらしい。
歯医者さんの話では、どうやら骨が丈夫なんだとさ。神経とは骨のなかにあるそうで、そこまで麻酔の薬が届きにくいとのことだ。
なら安心だ。
んまあ、そげなことはいいのさ。
たしかにそのとおりだと自分でも思う。今まで行った歯医者さんでは、あんな動きはしたことがない。
たとえば、診察椅子が倒れた状態で綿を噛んでるとき、両腕を大きく伸ばしてグッパーグッパーなんて誰がしようか。
“染みますか?”って言われて、腹の上に置いた手で勢いよくビーンと親指をおったてて“Good!!”のジェスチャーをして答える人がどこにいようか。
悪く言えば、行動がうるさい。かなり良く言えば、子供っぽい。普通に言えば、うざい。
そんな感じだろうか。
しかしなんだろう。
なんだかあそこの歯医者さんは、やけに落ち着く。だから多少の不安ぐらいじゃやめなかったけども。
リラックスすると、人間おかしな行動に出るもんだ。
いや、自分ひとりしかいない状況でならってことか……もちろん、あそこの歯医者さんは僕一人だけじゃない。
とはいえ、まあ個室だ。言うなれば、VIPルームだ。
きっと誰もが、ふとグッパーグッパーしたくなるはずだ。
そして帰り際、思い出したように言った。
「あ、そういえば、名前教えてください」
「え? わたしですか?」
「はい、わたしです」
戸惑いながらも答えてくれた。
「Sさんですか……で??」
「え?」
「それでお名前は??」
「え? 下ですか?」
「はい、下です」
笑っていた。苦笑とも失笑とも、まさかここの日記を見てるかのように“アハ、ホントに聞いてるよ、この人……”という感じの表情だった。
しかしながら、教えてもらった。
「ああ、ありがとうございます」
「いえ。ではお大事にぃ~」
「あ、どうもです」
そして僕は、少し伸びたうしろ髪を引かれる思いでそこをあとにした。
しかし、惜しい……惜しすぎる。
「Sさん……S……惜しい……惜しなぁ~……」
以前、とある占いの結果、僕の結婚相手のイニシャルは“I.H”らしいという話を聞いたのだよ。
「……もしかしたらお姉ちゃんとかか?? でもなぁ~……絶対あの人のほうがいいよなぁ~……あんなかわいい人と毎日一緒に朝起きて、一緒にご飯食えるなんざぁ~アータ……マジすっか……あ、ヤベッ……」
そんなことをブツブツとお経のようにつぶやきながら、廊下を進んでスリッパを使用済みスリッパ箱に入れ、隣のキャビネットから自分の靴を出した。
いつもきれいなカーペットだ。そこから顔を上げる。
すると、前から銀色の小汚いアルミケースを携えた作業着のおじさんが現れた。
ここを通り抜けるようだった。
でも、すぐに脇の扉の向こうから、受付をやっている人から“あ、ちょっと待ってください。今ちょっとお客さんがいるので、そこの洗面所のところで待っててもらえますか”と注意されていた。
なにをそんな……業社さんでしょうに。大事なお客さんを迎えるためのお仕事を頼んでるのに、脇にどかせるとは何事だ。
むしろお客さんより大事だろう。
“大切さ”に優劣をつけるのはおかしいけども、大事なお客さんを迎えるためのことを頼んでいるということは、そうなる。しかも裏方さんにまわってもらってるのに……
おじさん、洗面所の光のあたらない薄暗い隙間で鞄を抱えて小さく縮こまっていた。
ホント申し訳ない気持ちでいっぱいになった。僕は靴を手に持って、靴下のままそこをあけた。
「すみませぇ~ん、どうもぉ~」
「あ、ありがと ── 」
「お疲れさまでぇ~す」
と受付のお姉さんの声が、おじさんのか細い声に重なった。
まったくどこまで……振り返ると、しかし、光のあたったおじさんの背中は、どこか凛として見えた。
「にしても惜しい……」
僕は、曇りなのに光の射す待合室へと出た。
ってなわけで、次回の目的は、Sさんの年を聞いてみよう!!
予想では、とても若い。
予想では、まだ10代。多く見積もっても、20代前半。いや、3はいってない。
かなり若く見える。
いや、実際そうだろうさ。
まず、肌がそうだ。化粧のノリがとっても良さそうだ。
テレビのCMで肌年齢は若くできるとは言っていたけど、やっぱり素肌の年齢はごまかせないと思われる。
ごくごく稀にすごい肌のきれいな人もいるけど、たいがい間近で見れば一発だ。歯医者さんなわけで、そんな機会はいくらでもあるし、むしろ、恋仲よりずっと顔を近づけてる時間のほうが長いわけだ。
恋人どうしがあんな距離で同じぐらいの時間一緒にいたら、ちょっと怖い。なんかどっか病んでるのかと思う。
にしても今日は、なんと幸福な日だったんでしょう……予定は狂ったけど。
今日、Sさんに名前を訊いたとき、「なんでですか?」と訊き返されるはずだった。
まあいい。次があるさ。
僕の歯医者はまだ終わりそうにないわけだし。
とりあえず、Sさんの名前が聞けたことは大きな一歩であり、そこから先へさらなる飛躍を見出すことができるということは、とても幸せなことだ。
最近気になる……
今まではずっとおでこのところにピンで髪の毛を留めていたのに、突然それをやめた。そして、それからずっとしていない。
なぜだ……
それはここんとこ受付にいる人のこと。
一体なにが潜んでいるんだろうか、そういう女性心理の奥の奥には……
うわ、なげ。
まあ、なんにせよ、こうして直接人とのコミュニケーションを求める心理があるってことは、俺様もまだまだ健全な証だな。
歯医者さんへは歯の治療っていう名目のもと通ってるとはいえ、痛いのもヤだけど、今となっちゃそういう目的っていうのも大きな割合を占めてるなぁ~と自分でも感じる。
こうしてインターネットが、顔も見えず声も知らずな状態で、コミュニケーション・ツールとしてメイン張れるだけの進歩を遂げていくのは、今後いかがなものかと……
人間、そうやって直接的な人と人とのコミュニケーションを求めなくなったら、必要としなくなったら、もうおしまいだな。
それはきっと、合理的とかカッコイイもんじゃない。現代的なものの見方とかとらえ方としてはカッコ悪くてもさ。
淋しいぜ、人として。
- February 14, 2006 5:24 AM
- [ ゲロ古 ]