ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙

ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。

天才と凡人の持つ違う才能。

 そう、それはなぜなら……


 1人、休んだからだ。


 一人辞め、人手不足で一人休んだ。
 これは前代未聞の状況だった。
 もう長いことやってるけども、そんな状況はいまだかつてなかった。
 平日に2人……未知の領域。


 とはいうものの、案外できるだろうとか楽観的ではいた。
 なんだかんだでできちゃうんだろうと……


 案の定、できた。できてしまった。
 ただ、猛烈な疲れ方をした。
 いや、むしろ疲れってのがわからなくなるぐらいだったかもしらん。
 アドレナリンで全神経が麻痺状態に陥ったか。


 そして、未知との遭遇。
 で、それが二日続いたわけだ。
 あんなに汗かいたのひさびさだ。


 時間の締め切りがなければ、たぶん1人でもできる仕事だ。
 でも時間制限っつーのがある。
 だから人手がいる。不可欠なのだな。
 両足がガクガクして、ナイアガラのような汗を流したのなんて、バスケの最後の試合以来だな。


 そして今日は3人そろった。
 なんだかとっても時間が遅い。


 芸術品でも、本当にいいものも時間をかければできる。
 画だって彫刻だって、模写でいいなら、それが完成するまで時間を費やせばできる。というより、できるまで終わらなければいいだけのことだ。
 画も彫刻も、オリジナルだから価値が出るっていうだけで、それを描いた人、彫った人の名前がブランドになってるっつーだけの話。


 凡人と天才の違いは、きっとそこだ。
 それにおいて、どれだけ時間がかかるか。
 時間は万人に平等に流れるので、一般か非凡かの基準には、それしかない。あとは死とかぐらいしかないので、比較対象とするには、あまりに不規則すぎるし、予測も難しい。男か女かの性別も、今じゃ曖昧すぎる。
 人間の才能ってきっと、それでしかない。


 時間の上に成り立って、そしてそれと同時に、成り下がって垂れ下がってるだけのもんだ。

  • September 14, 2007 9:40 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

無睡。

 そしてこの日は、睡眠抜きだった。

  • September 13, 2007 9:29 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

ご飯抜き。

 この日はご飯抜きだった……

  • September 12, 2007 9:28 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

人生初, May be...

 人生初だ、こんなこと……たぶん。


 無遅刻、無無断欠席。


 今の仕事の状態に成り下がってからというもの、万事無事。
 頭おかしくなりそうだ。
 毎日まいにち懲りずにちゃんと起きてる自分を嫌いになってしまいそうなぐらいイヤ。


 俺様、やることなすこと、だいたい無断だ。
 昔っからそうだった。
 学校も勝手に行って、勝手に休んで……ただ、辞めなかっただけマシかなという程度。
 いや、むしろ辞めるだけの根性があったほうがいいとさえ思う。
 そんな根性も持ち合わせてないので、もうどうしょもない。


 やっと先日、コンポの目覚ましのボリュームの正しい調整のやり方がわかった。
 それまでは、ちゃんと寝る前に設定したはずが、
 そんなわけで、ただいま俺様が起きるときだれもいないのをいいことに、ほぼMAX ─── たとえて言うなら、ものっすごい静かな場所で、ズボンのポケットに直接小銭を入れるオッサンが、突然、全力疾走しだす感じ。
 しかも、枕のまわりをグルグル走りまわられた上に、ベッドの端っこどうしでシャトラン。
 本気で殺意すら沸く。


 でも、ちゃんと毎日寝るようにはなった。
 毎日バイトから帰ると、すぐシャワー浴びるか、あまりに腹ペコなときは先にご飯にいたしますが、それから次のことやって次のことやって、あそこ行って、ここに来て、あれこれやって、12時には眠ろうとベッドのなかで半ケツ出しながら努力してる。


 ……というのは嘘で、こんだけ規則正しい出勤状態にも関わらず、いまだに眠くなったら寝る生活。
 というより、眠い。眠くなる。
 だから寝る。
 なので、ここんとこは、帰ったら寝るだけみたいな遊び人な独身兄さん的生活だ。


 ……というのもまた嘘なので、そろそろバイトに新しい人が入ってくれることを願う。
 いや、祈る。

  • September 11, 2007 12:00 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

俺様、気づいちゃった。

 “愛”と“強さ”は、別もんだって。
 すっげぇ似てるし、お互いあってのものなんだけど、似て非なるものってやつ。


 だれかのために自分の命を捧げるってのは、そりゃ強さじゃねぇ。
 そりゃあくまで愛だ。
 むしろ、愛でしかないと言ってもいい。
 自分の命を投げ打ってでも、その人を助けたいとか守りたいっていうのは、強さじゃない。
 むしろ、弱さだ。


 俺様が見つけた強さってのは、その愛する大切な人の最期を看取るってとこまで言って、それが強さなんだと思う。
 残された者のの辛さは、自分が背負う。
 そして、それを一人じゃない、孤独じゃないと感じれる。その愛する大切な人が愛してくれた自分がいると。
 本当に相手を本気で想うって、きっとそれぐらいの強さなんじゃないかな。


 “Love is Power”


 そんな言葉は不変の流行語大賞だと思う。
 でもあくまで、愛は、力 ─── 強さとは言ってない。


 今までの経験として、愛があって、愛を感じて、自分が強くなったって感じたことはない。
 むしろ弱くなってったと思う。
 不安になり、むしろ孤独を多く感じるようになった。
 好きになったが故に、ただそれだけの理由で嫌いになろうと努力まですることもある。
 でも嫌いになんてなれないから、もっと悲しくなったり虚しくなったりした。


 意味もなく淋しくなって、わけもなく別れを怖がった。
 その理由は、いつも“好きだから”っていう子供じみたものだった。
 それはまわりの人や大人、社会なんてところには全然通用しない。だれも納得なんてさせられない。
 でも、それを味わった人、そして自分自身だけには、それだけで納得できるし、それだけで充分な理由になるんだな。


 愛だけじゃ強くなんてなれやしない。
 それに気づいたときに芽吹く弱さが強さに変わるんだ。


 だから今の今になって感動がよりいっそう深まるのは、『101回目のプロポーズ』の名台詞。


「僕は死にません。あなたが好きだから。僕は死にません」


 その実感のある本人ふたりにとっては、最上級だ。
 それ以上ない理由と、それ以上ない愛。


 愛があって弱くなり、そしてお互いが強くなった。
 そしてそのあとの泣き笑い……


「……怖かった」

  • September 10, 2007 12:42 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

マイナス思考は、可能性。

 基本的に俺様はマイナス思考。


 なんの用意もなしに人を信じると、結局泣きを見るのは自分。


 「人のため、人のため」と自分より人を優先してるようなやつは、信用しない。


 どうしてもマイナスの方向に考えてしまう。
 とりあえずいろんな可能性を列挙してみる。


  • もしこれがダメだったら……

  • もしこれもダメで、あれもダメだったら……

  • もし全部ダメだったら……


 たぶん、異常なまでに不安症候群というやつか、強迫観念症というやつか、対人恐怖症というやつか、潔癖症なのか完璧主義なのか。
 それ以上ダメなときの可能性を、自分なりに自分のなかで可能な限り挙げてみる。


 いわゆる一つの、保身。


 それ以上でもそれ以下でもない。
 響きのいい言い方をすれば、“備えあれば憂いなし”というやつか。


 つまり、あとの二つ挙げたやつも、そこに通じてるっつー話。
 なんの用意もなしに他人のことを鵜呑みにして、それを信じたところで、相手だって人間だもんな。
 いろんなことが変化する。
 一度信じたものを信じ通せたら、その意思の強さというか、執着もアッパレだ。


 でも、やっぱしたいがいはそこまでの強さなんて持ち合わせてない。どうしても責めてしまう。
 失敗したときとか自分がイヤな気持ちになる先のことまで考えてなくて、ところがいざそのときが来てみたら、自分だけじゃ抱えきれない不満が沸いてくる。
 でも考えてなかったから、自分でもどうしたらいいかわからないし、相手を責めるのも見当違いだとはわかりつつも、やり場のないものは身近なところへ矛先が向く。


 そこで出てくるのが、「人のため」ってそれを押しつける人。
 そやって自分の優しさを押し売りしてる。
 かといって、きっと見返りは求めない。
 “自分は優しい”っていう自己暗示的な充足感に浸ってる自分で満足するか、無意識に「恩を売ってる」っていうことの裏付けにしてるか、自分の中身のなさをそばにいる人とか自分が興味を持ってる他人のなかに見出そうとする。
 そばにいる人がステータスの高い人なら、自分もそこにいるような気になって同じように振る舞おうとしてしまうのと一緒だ。


 自分がない人ほど「人のため」と他人を優先するようなことを言う。
 でも、いざ自分についてのことを訊かれると、なにも言えなくなってしまうわけだ。
 人のことなら、いくらでも話せるのに、自分のことはなにも話せない。
 “人に話すほどのことはない”とかカッコよさげな逃げ道を、ここぞとばかりに持ち出してくる。そういうときの準備だけは万全整えてある。


 聞きたがってる人に対して、それを拒否することも、話すようなこともない自分のことなんて聞いても面白くもなんともないからって、その“人のため”を思ってのことなのか?


 俺様思うには、自己中心的とかまわりから言われてる人って、まあ、たしかに配慮に欠ける人って意味かもしれないけど、少なくとも自分ってのがそれなりに確立した人って意味でもあると思うわけ。
 というより、利己的になれるほど自分自身に対する強さって、けっこう自分じゃ持てない強さだと思うわけ。他人に認められたわけでもなく、自分の、自分自身の判断だけでそこを確立するのって、それができるのって、なかなかできることじゃないと思う。


 第一に保身でそれが悪いかと言われれば、それは否。


 意外にも、きっと一人ひとりが保身に務めれば、世界はそれなりによりよくなると思う。
 でもまあ、呪文のように、そしてそれが美徳であるかのように「人のために」っていう美意識心理というか文化だからなんだろうな。
 凶悪犯とか殺人犯とか汚職政治家とか抜きにして ─── そんなの論外。
 って、こういうことをいちいち書かないといけない気にさせるってのが、保身の賜物なのだな。


 自分のためにそれがいいことだと思ってやったことって、案外まわりにもそう働いてる。
 それをまず「人のため」ってせっせと動いたところで、自分のまわりが空っぽになってると、人のほうがその人のその空洞部分を埋めてかないといけない。
 そういう人の口から出てくる「人のため」っていう言葉を、どれだけ信用できるかって話だな。
 マザー・テレサの言う「人のため」と、イエス・キリストの説く「人のため」と、それぐらいの差がある。


 信憑性かな。説得力かな。
 いや、密度かな。


 それ以上に自分の内容がなければ信じることもできるだろうさ。
 でも、まず考える先が自分より他人に重きを置く人の話は、なんとも、“白紙の辞書”を渡されてる感じがする。

  • September 9, 2007 2:09 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

また魔裟斗風。

 髪を切りに行ってきた。
 その前は3ヶ月ぶりだった。
 今回は、あの髪の伸びっぷりから、もっと長いかと思ってたけど、たかが2ヶ月ぶりだったそうだ。


 そして、魔裟斗風。
 俺様の“いつもどおり”は、専属美容師であるマリちゃんが大好きな魔裟斗風味になる。


「今日どうするの? 短くする?」
「ああ、寝グセでもイケるように……いつもどおりで」
「耳とか出しちゃう?」
「ああ……いい感じにお願いします」
「はい」


 マリちゃんに“いい感じ”というのが良くないんだな。
 でもこれはこれでいい感じだし、わりと好評なので良しである。
 写真とか動画でも撮ってUPしようかなとも思ったけど、面倒なので却下。
 今回もまたGOOD JOBです、マリちゃん。


 とはいえ、丸坊主とかじゃない限り、寝グセでいければなんでもいい。
 セットとか滅多にしない男なので、こんぐらいの長さしかないなら短いほうがいい。
 長くてパーマでもかかってれば、髪も切る必要なんてない。
 こう考えると、パーマのときが一番楽だった……


 多少長くてパーマだと、たまぁ~に寝グセのまんまでも、えらいエロい感じになるときがある。
 また伸ばそうか……


 って、あそう。
 そうだそうだ。
 今回、なんだか新しい商品が入ってたみたいで、白髪染めがあった。
 頭洗ったあとブラシで通すだけで、あとはほったらかしで流せば染まるという代物らしい……
 高いんだろうなぁ~と思ってたら、なんと1500円!!
 カラーリングするより安く、もともとはトリートメントらしいので、楽な上に髪にも優しいんだそうだ。
 試しに買ってみた。


 俺様の白髪は、昨日今日始まったわけじゃ~ない。
 もうかれこれ中学んときから白髪が目立ちはじめていた。
 白髪は頭がいいからってんじゃないし、ハゲないってのも迷信だ。
 ただのストレス。


 なもんで、特に気にもしてない。
 いっそ、早く真っ白になってほしいとさえ思ってるぐらいだ。
 しかしながら、バイト先でも、たいして親しいわけでもないのに白髪のことを言われるので、もういい加減面倒くさい。
 “白髪増えたんじゃない?”とか言われても、それにいちいち返事するのがもう面倒。
 なので、染めることにした。
 そしたら今度は“白髪へったんじゃない?”とか言われるのか?
 それはそれでまた面倒だなぁ~……


 まあ、本当にやるかは、また別の話。
 たぶんやらねぇな……


 それよりただいま、アサヒ緑健の青汁か、サントリーのDHA+EPA+セサミンにするか、どっちを試してみるか検討中。
 皇潤も気になるところだけど、今のうちはまだ自分で補う力を促進させておいたほうがいいという結論にいたった。
 金印のわさびスルフィニルも気になるが、あれは高い。

  • September 8, 2007 10:12 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

Premiere Elementsで音声が出ないぞ!?

 やっとこさうちの人とラーメン食べに行ったときの動画編集を開始。


 だが、しかし、音声が出ねぇ……


 うちの人が顔を隠して恥ずかしがってるのも、声がなければただの変人。
 ラーメン食って騒いでも、声がなければ、うまいんだかマズいんだかわかりゃしねぇ表情。


 果たしてどうしたもんか……


 Adobeの“Premiere Elements”では、なかなかどうしてこの現象が頻発する。
 Vistaのせいか??
 いやいや、XPのときからこの現象は起きていた。


 MP4は認識しない?
 いやいや、ここ最近のラーメン屋さん動画ではちゃんとしゃべってたじゃないか。


 これいかに!?


 ただエクスプローラからその動画を再生すると、ちゃんと音声も再生される。
 Premiere Elementsに取り込んで、編集しながらリアルタイム・モニターするときだけ音声が切れる。
 波形を見ても、波として表示されない。かなり穏やかだ。というより、無声の状態。


 一体なぜ!?

  • September 7, 2007 9:52 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

俺様全集。

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