“愛”と“強さ”は、別もんだって。
すっげぇ似てるし、お互いあってのものなんだけど、似て非なるものってやつ。
だれかのために自分の命を捧げるってのは、そりゃ強さじゃねぇ。
そりゃあくまで愛だ。
むしろ、愛でしかないと言ってもいい。
自分の命を投げ打ってでも、その人を助けたいとか守りたいっていうのは、強さじゃない。
むしろ、弱さだ。
俺様が見つけた強さってのは、その愛する大切な人の最期を看取るってとこまで言って、それが強さなんだと思う。
残された者のの辛さは、自分が背負う。
そして、それを一人じゃない、孤独じゃないと感じれる。その愛する大切な人が愛してくれた自分がいると。
本当に相手を本気で想うって、きっとそれぐらいの強さなんじゃないかな。
“Love is Power”
そんな言葉は不変の流行語大賞だと思う。
でもあくまで、愛は、力 ─── 強さとは言ってない。
今までの経験として、愛があって、愛を感じて、自分が強くなったって感じたことはない。
むしろ弱くなってったと思う。
不安になり、むしろ孤独を多く感じるようになった。
好きになったが故に、ただそれだけの理由で嫌いになろうと努力まですることもある。
でも嫌いになんてなれないから、もっと悲しくなったり虚しくなったりした。
意味もなく淋しくなって、わけもなく別れを怖がった。
その理由は、いつも“好きだから”っていう子供じみたものだった。
それはまわりの人や大人、社会なんてところには全然通用しない。だれも納得なんてさせられない。
でも、それを味わった人、そして自分自身だけには、それだけで納得できるし、それだけで充分な理由になるんだな。
愛だけじゃ強くなんてなれやしない。
それに気づいたときに芽吹く弱さが強さに変わるんだ。
だから今の今になって感動がよりいっそう深まるのは、『101回目のプロポーズ』の名台詞。
「僕は死にません。あなたが好きだから。僕は死にません」
その実感のある本人ふたりにとっては、最上級だ。
それ以上ない理由と、それ以上ない愛。
愛があって弱くなり、そしてお互いが強くなった。
そしてそのあとの泣き笑い……
「……怖かった」
- September 10, 2007 12:42 AM
- [ ゲロ古 ]