ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙

ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。

ひさびさの電話で、どっちがひどいか。

 なんか書くことがない。
 もうこうなったらこっちにも詩ィとか書いちゃおうかしら。


 って、あ、そうだ。
 そういえば先日、ひさびさに電話がきた。


 プルップルッピーポー...プルップルッピーポー...


「...はい」
「あ、松田?」
「ああ、そうだけど、誰?」
「あ、おれ。わかる?」
「いや」
「やっぱそっか。そうだよな。ほら……なんだけど、憶えてないかな~?」
「ああ、おまえか」
 高校んときの知り合いだった。
「なによ」
「なによって……ひさびさなのにいきなりひどくない? 相変わらず冷たいな~」
「だからなによ」
「あ、じゃあ ──」
 どうやら携帯電話を持ち替えたらしい。
「── 突然なんだけどさ、なんか、エロい話書いてくれない?」


 どっちがひどいよ。
「てめぇで書け」
「無理だって、だって……」


 とりあえず始まった説得話を聞かされるまんまに聞いてれば、どうやらそいつは、高校を卒業して大学も卒業して、そのあと会社を興してそれなりに儲かってるらしい。
 で、今度はそっち関係のほうに手を伸ばすことになって、思いついたのが俺様だったということなのだな。


 ……アホか。
 それってつまりは、“エロい方向=俺様”っていうことだろうに。
 たしかに高校のときチラチラと小説みたいなシナリオみたいなの書いて読んでもらってたりもしたけど、そっちの方向じゃなかった。
 あ、いや、まあやっぱり多少は人間が盛り上がる本能ということでそういう要素も盛り込んだ。
 でもそれメインではなかった。
 ケツの穴から他人の内部に入ってくとか、なぜか副担任のサイドストーリーを勝手な想像で書いてみたり、犯人はいないけど“ミステリー”と呼んでみたりしてたな。


 想像と創造。
 これ以上に楽しい玩具を私は知らない。


「無理ならやめれ」
 結局それでこの話は終わり、近々そいつとバスケをすることになった。
 だがしかし、そいつはバスケ部でもなんでもない。昼休みも教室で本を読んでるようなやつだった。
 なぜそうなったのか、俺様には知る由もない。

  • June 26, 2007 1:08 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

origin all the people.

 俺様ってけっこうモノマネが得意だ。
 極限にまで誇張した他人様の特徴をとらえるのがうまいらしい。
 ただ、極限まで引き伸ばしてるため、まるで似てないというケースも少なくない。


 それじゃあなぜ、人様のモノマネが得意なのか?


 この答えや結論は、きっとここに尽きるんだと思われる。


 自分自身にオリジナル性がないから。


 人のマネは自分のオリジナリティーを見出そうとする悪あがきの副産物に過ぎない。


 まあねまあね。
 オリジナリティーとか個性ったってさ、結局はむかぁ~し昔のそのまた昔までたどられてしまえば、ただの受け売りと言われてしまいかねない。
 どんなに時代のニーズに合わせた言葉や映像、あるいは音楽でも、そこに掲げたテーマ自体がなんとなく人の印象のなかに埋め込まれていれば、“パクり”みたいに映ってしまうわけだ。
 “あ、それ、なんかどっかで聞いたことある”って言われてしまった時点でアウト。


 ただ。
 ただ、俺様は思うわけだ。


 自分なりの解釈や感情、添え書き程度の一文や、たかだかひと言でも付け加えられた言葉なら、それって意外とオリジナルって呼んでもいいんじゃないかと。
 言葉にすると、わりとこれ、そこに込めた真意っつーのは、その本人にしかわからない部分があるわけだな。
 別の人が同じ言葉を聞いても、二人ともが同じ感情を抱くとは限らないってのと一緒で、その人が書いて吐き出した言葉を聞いた人とて、同じように感じるとは限らないわけだ。


 まあ映像とか音楽だとな、やっぱしビジュアルとしてはっきり残るし、映像として与える印象ってのはやっぱしデカいわけだ。
 それを見る側の印象とかイメージ、あるいは一番要素としてデカいだろう“想像”っていう部分の余地を与えない。
 むしろ見る側より、それを作った側の意欲だとかがモロに出る。
 映像とかって視覚的なものには、やっぱ人間として強烈なインパクツだろうし、そのままを受け入れるところがあるようで意思そのものが支配されたりするわけだ。
 そりゃ自分なりの解釈だとかを付け加えてみたところで、パクりだったらすぐバレちゃうかもしれない。
 音楽はまた微妙なところだわな。
 そういう音ができちゃったんだから。


 メリッサ。
 詩でも小説も、はたまた人が感じたことや思ったことを書き綴ったエッセイや随筆にまで他人からの“評価”っつーのがつけられる。
 さらには、その評価次第でその作品というか文章というか、その言葉に込められた真意や内容まで決められて裁かれたような感じにさえなる。


 まま、ビジネスさ。
 その評価を求めての著作だったり、できることならミリオンセラーになるようなものばかり書けたら最高だろうしな。
 “ジェニのなる木”は、最近だとまさらにそのまんま“紙”って流れできてんな。


 しかしながら、とりえあず成功したけりゃ成功者のマネをするのが一番手っ取り早いとも言うやな。


 おっと、いつものことながら少しずつ話が逸れてってる。
 まあ、自分で言ってりゃ世話ねぇが、わりとこれ世話してる。
 モノマネがうまいなんて自分で言おうもんなら、YouTubeに動画アップして披露してみろなんて言われそうなもんだ。
 って、んなこた~実際どうでもいいんだな。


 たぶんこれ、ブログとかで書いたことで問題になるのって、結局そこで取り上げた題材とかテーマじゃなく、あるそれに対して下したその人の“評価”とか“口調”なんじゃないのかな。
 テーマなんてきっと数限りない。
 でも、そこにつけた張り紙の内容を気に入るかどうかと、それをどう表現したか。
 気に入らないっていう人は反論して、気に入ってる人は擁護してっていうだけのことじゃねぇかなと。


 まま、“評価”なんつーもんは、結局人がつけるもんだから。
 自分でつけた評価なんてもんは、その正否は別としても、良し悪しで言えば、たいがいにおいて“悪し”のほうでとられる。


 評価に正しいもクソねぇってんなら、きっとそこには良し悪しもねぇ。
 自分で下した評価を単なる自己満足なんて言葉で片付けるなら、人がつけた評価はただの“口コミ”。
 だけど作った側にはそれがすべてだったり、そうじゃなかったり……
 
 きっと誰かの下した評価の粗探しなら、いくらでも探せるだろうし、見つけられる。
 で、反論したい人はただそこを突けばいいだけなわけだ。“しらみつぶし”っていう言葉が、なんかイヤな意味で似合う。
 でも養護したい人は、そのどちらもを根拠つけて論理立てして説明しないとなんない。言葉が足りとかいう指摘であればば、必要な分プラス謝罪、そして次くるだろう粗探しのための穴埋め。
 労力が雲泥の差だ。
 あ、タイトルに関しては、いわゆる“モジり”というやつなので、できればユーモアとして受け入れていただきたい。


 あらあら、また話が逸れに逸れまくってる。思いっきり深ジョリだ。
 え~っとなんだ。
 最初に書いたことは……


 俺様はモノマネが得意らしい。


 そうだ。そうだった。
 と同時に、パクりもきっと得意だ。


 って、なんだよ、これ。
 そっからこの展開はなんなんだろうか。


 じゃあ具体的にだれのモノマネが得意なのか、俺様は?


 たぶんうちの人のマネなら、だれにも負けない自信ある。


 とりあえず、カラオケでサザンオールスターズの桑田さんのモノマネからは、もうそろそろ卒業されたし。
 だがしかし、ちょっと思う。
 桑田さんの歌って、モノマネで歌わないとそれらしく聴こえないんじゃないか?


 なので、その昔“ものまね四天王”と呼ばれてたコロッケさんとか清水アキラさん、栗田貫一さん、ビジーフォーさんは、それで一つの時代を築けるほどのオリジナリティーさえ築きあげたとでも言えましょうか。
 ありゃ完全にオリジナルだ。
 たぶんもうだれのモノマネとかいう次元じゃない。
 もし田原さんのモノマネをしてる栗田貫一さんを見てて、「あれ、だれの真似?」って訊かれたら、「あれは田原さんのモノマネをしてる栗田貫一さんのマネ」って言ってもいいんじゃないか?


 いやいや、そんなはずはないさ。
 それじゃ栗田貫一さん本人がいねぇ。

  • June 25, 2007 1:40 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

なまら寝た。

 たぶん時計の針3回転ぐらい。
 なので、暦として昨日という日がなくなったため、日記も書かない。
 というより、書けない。


 いや、昨日見た夢のことなら書けるんじゃないか?
 じゃあ、それでいってみよう。


 ……と、そこでやっぱり気づいた。
 思いなおしたことがある。


 人間、眠くなくて起きるんじゃない!!
 「渇き」で起きてるんだ!!


 なんだか踊る感じでシャウトするのが流行ってるみたいでありますが、実際そう。
 実際20時間とか寝たことある人ならわかると思うけど ─── って、そんな前提敷いたら、かなりマニアックで誰にもわからない未知の領域みたいな感じ漂うかもしれんが、そうでもない。


 なんだか目が覚めた。
 ん?
 ん~、なんかソー・サースティーだなぁ~。
 そこでいったん起きて水分補給して戻ったら、不思議ともっかい寝れんだわ、これが。


 どう?
 ない?


 人を突き動かすもの、それは、「渇き」。

  • June 24, 2007 8:04 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

ウィークエンドの夢物語。

僕は歩く。
とにかくずっと歩きつづける。


道はない。景色もない。
なにもない場所をただずっと歩きつづけた。


向こうから男が一人やって来た。
見知らぬ男だ。中肉中背の背の高い帽子をかぶり、その端からはみ出している髪の毛はボサボサで、縁の太い汚いレンズの眼鏡をかけている。
見るからに汚らしい乞食のようなオッサンだ。


「今何時?」
その男がすれ違いざまに話しかけてきた。顔もこちらに向けてはいない。
僕は思わず立ち止まった。
「は?」
その男も立ち止まった。
「ほら、じゃあこの時計やるよ」
「は?」
「いいから持ってけ」
黄ばんだ乱杭歯をむきだしに笑いながら、男は強引に僕の腕を引っ張ってその腕時計を貼り付けた。
「じゃな」
男は僕のうしろを歩いて行った。


僕は腕時計に視線を落とす。
プラスチックなのか硝子なのか、その時計の時間を見る部分には大きなヒビが入っていた。八時から一時に向かって伸びている。
鼻を近づける。
魚の目玉にカビが生えたようなにおいがした。
頭痛がする。
よく見れば、その腕時計は止まっていた。
だが、不思議とはずそうとは思わなかった。
僕はまた歩き始める。


遠くに海が見えた。
僕の足は間違いなくそちらに向いている。
なんら魅力は感じない。
海はもう見飽きてる。
どこの、どの海に行っても、結局海は海でしかない。
波が立って、潮の香りが充満していて、そこに夕陽が沈めば儲けもんっていうぐらい。砂浜かゴツゴツした石か。それぐらいの違いしかない。


磯の景色が急に開けた。漣が静かに寄せては引いていく。
右手には古びた藁葺きのような小屋があって、左手には枯れた水道がある。井戸もある。
僕は海に向かって歩きだす。


だけど海には着かなかった。
きっとまだ明けてない朝だ。乳白色の靄があたり一面を覆う森のなかに僕は立っている。
足元を見てそこをたどろうとしても、自分の足跡すら見当たらない。
腕時計がおかしかった。
あからさまに時間が戻っている。
それとも自分がその時間に戻っただけなのか?
頭痛がする。こめかみの上、目尻の真横が、ちり紙が燃えていくように痛む。
しばらくのあいだ目を閉じていた。
傷みがすーっと消えていくようだった。それがなんだか心地よかった。


足を踏み出そうとしたそのとき、僕はその足を宙に浮かせたまま止めた。
僕の足と同時に、腕時計も進みだそうとしたからだ。
実際に進んだわけじゃない。見たわけでもない。
でも、なんとなく体のなかのなにかがそう感じた。
また足を元の位置に戻す。
腕時計は止まったままだった。
一歩だけ足を前へ出した。
腕時計の針も一秒だけ進んだ。
もう一歩足を前へ。
また腕時計が一秒進んだ。
逆に。


僕は日照りの強い坂道をゼエゼエ息を切らしながらも、一生懸命昇っている。
僕が足を差し出すたびに、腕時計は逆に一秒戻っている。
この坂道もおかしい。いつまで経っても頂上が見えてこない。
誰かがグルグルとまわしつづけている商店街の福引の機械の上を歩いているようだった。
たいして深くも考えず、僕は地球の円さを呪った。
そういえば煙草を吸っていない。
僕は煙草に火をつける。
ひと吸いだけですぐ捨てた。
息切れがひどくて疲れているときほど煙草を欲しがるもんだけど、そういうときほど煙草のマズさに嫌気が差す。
僕はまだ歩きつづける。


薄暗い。いや、薄明るい。
井戸のなかにいるみたいだ。
わずかに見える隙間では、まるで蝿のように人がすれ違ってる。
ビルの谷間だ。
だからだろう。余計に早い。早送りで見ているようだ。
蒸し暑い。
あまりに窮屈で変な汗もかいてきた。
僕は外へ飛び出した。


人間が普通に歩いている。
こちらに向かってくる。あっちへ向かって行く。
ちゃんと前向きに歩いてる。
でも、僕が進めば時計は戻る。
そうだ。
テレビの見すぎだ。実際に時間が戻ったところで、人間がうしろ向きに歩くわけじゃない。
現実としてそれを目の当たりにした人がそういう映画を作ったわけじゃない。時間が戻るんだから、きっとそうなるんだろうっていう憶測のもとに、映像としてそうしただけに過ぎない。
しょうもない。
僕は素っ裸で雑踏のなかを歩きだした。


暗い。
さっきのビルの谷間よりもっと暗い。
そういえばさっきも暗かった。
僕はあのとき、隙間の隙間にいたんだろうか?
それとも僕自身が隙間だったんだろうか?
突然なにかにぶつかった。
「なにやってんの?」
見上げると、不自然に黒い髪の女がこちらを見下ろしていた。
六四ぐらいで二つに分けた長い髪の片方が、高そうなTシャツの襟からなかに入っている。腰ぐらいまでありそうだ。高そうなピアス。高そうなサングラス。高そうなネックレス。高そうな乳。だけどダッサいキュロット姿。そしてドギツい原色のビーチサンダル。
「別に」
「フルチンでぶつかっといて"別に"はないんじゃない?」
「すまん」
すると女は微笑んだ。
僕に手を差し伸べて起き上がらせてくれた。おまけに尻や背中をかるくはたいてくれた。
「わりぃ」
「いいよそんな。チンポの一本や二本、別にめずらしいもんじゃないし」
「おまえ、おもしれぇな」
女は声を出さずに笑った。
「おまえもな」


そこで夢は終わった。
「ワオ」って言って起きた。
ビビッた。


結局、腕時計はなんの役にも立ってないような気もしないでもない。
もう少し夢の向こう側にいれば、なんかの役に立ったのかもしれん。
俺様はこんな夢をよく見ておる。

  • June 23, 2007 12:28 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

毎日続けるってブログに限らず、やっぱ大変だな。

 いやぁ~、穴埋めんのめんどくせぇ~……
 もう毎日書いてるふうな小手先だけの見せかけもやめにしようかな。
 まあ、んなことはないだろうけども、あとから読み返したところで、絶対毎日なんて書いてねぇって自分でもわかるしな。


 やっぱブログでもなんでもそうだけど、毎日それを続けるってのは、けっこうすごいことだな痛感する。
 それは一度ブログをやってみれば一番わかるんじゃなかろうか?
 体で感じる。


 やっぱどんなに書くのが好き ─── いや、ブログとか日記の場合、“打つ”っていうほうが的確なのか?
 でもその根底には“書くのが好き”っていうのがあるだろうて。
 それでも実際には“書くことがない”って日はあるし、そういう気分じゃないっていうときもある。


 たぶんブログってのは、でも実際、いつの間にか習慣化してくる。
 そのうち“書かなきゃいけない”っていう強迫観念的なポジションに自分のなかでなってくるものなんじゃなかろうか?
 日記もそうだし。
 日記を書かなきゃ一日が終わらないみたいな。


 いいことなのか、そうではないのか、でも読む側としては毎日更新されるほうがいいんだろうなとも思う。
 読み手側も、実際そうなってくるんではなかろうかと。
 で、そうなれば内容がおもしろかろうが、そうでなかろうが、そんなことは二の次で習慣化した手が、とりあえず開いとこう、とりあえず見とこうって勝手にクリックしてるもんじゃないか。


 かといって“お気に入り”に追加してあるサイトを、毎日全部とりあえずでも開いてるなんて人は、まずいないだろうて。
 読んでもらいたいなら習慣化。
 それにはやっぱり毎日更新。
 でもそれは実際難しかったりする。


 なので、不定期ってのが一番ダメなんだろうなぁ~。
 週一でも月一でも、定期更新っていうのをアピールすればいいんだろうか?


 書くことはある。
 でも、それを書いてる時間がない。


 そんなこと書けば、もうなんか毎日まいにち忙しく飛びまわってるようなウォール街のビジネスマンみたいな印象だけど、んなこたぁ~ない。
 そんなカッコイイ日々は送ってない。
 むしろ、家から一歩も出ない日のほうが多いくらいだ。


 実際暇なやつなんだろうなと我ながら思う。
 そんなたかだか日記書くだけの時間もないなんて、丸1日寝てられるような人間が口にできるようなことじゃないよな。


 ってより、なんか“俺様=長文”っていうイメージが自分でもあって、書くなら長文じゃなきゃいけないのかなとか思ってしまう。
 不特定多数の人に見てもらうものであるにも関わらず、そこに持つ自分のイメージのほうが先行してしまってるのだな。


 人のためと思いつつ、それは結局のところ自分のためにしかなってなかったりすることみたいな。
 たとえば誰かを心配して電話したっていうことも、結局は自分がその人の声を聞きたがってただけだったり。
 これってけっこうあることだと思うわけ。


 悲しいかな、独りよがり。
 実際会社っていう組織のなかでもそれは多かったりして。
 ふた言目には「お客様、お客様」って言ってても、実際には自分らの勝手な推測や期待の押しつけでしかなかったり。
 一般的に「これがいい」って言われてることの実践ていうだけで、実際にはそれに対する調査やアンケートすらしたわけじゃない。かといって独自のマニュアルなんてものもない。
 コスト削減、忙しくて時間がない、そんな理由でいろんなものが省かれてる会社にとって、実際の「お客様」ってどんな存在なんだろうと思ってしまう。


 そんなわけで、今日も俺様イメージ先行。


 あ、そういえば、日記ってのは一日の最後に書くってのが一般的かとは思うけども、先日なんかで読んだら、どうやらそれは違うらしい。
 思考や毎日のやりがいというか効率を変えたいんであれば、一日の初めに書くのがいいんだそうだ。


 人間つーのは、ネガティブなものほど記憶に残るらしく、それにともなって日記が一日の最後だと、ネガティブなものばかりを書いてしまうらしい。
 今日はあれ失敗したとか、それで怒られたとか、こいつがムカつくとか……
 ただの愚痴になってしまうことが多々あるらしい。


 それを一日の最初に書くと、「今日はあれをやろう」とか「あそこへ行きたい」とか「これを終わらせよう」とかいう感じで、ポジティブかつ一日の能率を上げる効果が少なからず出てくるんだそうだ。
 日記の文章も活動的で、「~された」とかじゃなく、自然と「~したい」とか「~しておこう」とかの願望的な要素が全面に出てきて、精神衛生面でもいいんだそうだ。


 ……じゃあ、一日の最後に、次の日の日記をそういう感じで書けばいい。


 以上!!

  • June 22, 2007 7:29 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

不二家の生チョコケーキで丸々2つ目完食。

 そして1日経ったこの日、ケーキを丸々1個食った。
 当日は、メシも食わず冷蔵庫には触ってもなかったので気づかなかったが、ケーキが!!
 毎年くれるうちの人……


 不二家の生チョコケーキ!!


 “不二家”って字、これであってんだっけ?
 まいいや。たぶんあってるだろうさ。
 一発変換だし、これで間違ってたらWindowsの辞書が悪いっつーことで。


 やっぱこれだねぇ~、不二家のケーキ。
 なんだかんだで問題はありましたが、食べ物で味に勝るもんはねぇなとつくづく思う。
 そして、これ以上にうまいケーキには、いまだ出会ったことがない。


 今日こそは普通にご飯を食べようと思ってたのに、いったん食べだしたら止まんねぇ~の……
 だがしかし、その後ご飯を食べ、また生チョコケーキをいただいた。
 またもやケーキを丸々1つ……どんだけ食うか。
 二日連続とは、俺様もいい度胸だ。


 デブるのだけはなんとか回避せねば……
 どんだけカロリーとったんだか。
 ケーキ恐るべし。


 というより、肥満より、隠れ肥満というやつになりそうで、そっちのほうが怖いこのごろ。
 肥満は見えないほうがおっかねぇなぁ~。

  • June 21, 2007 6:49 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

本当にありがとう!!

 いやぁ~、もうホント「ありがとう」としか表現のしようがない日だった。
 母親と姉からは手書きの手紙が届いた。
 泣きはしなかったものの、思わずヘラヘラ笑ってしまった。


 みんな、本当にありがとう!!


 誕生日にプレゼントをもらって「あ、すいません」って言っちゃうやつはけしからん!!
 そこは素直に「ありがとう」だ。

  • June 20, 2007 6:32 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

それでも「日記」と呼ぶ。

 ここまでくると、いい加減もう日記とは呼べなくなってきた。
 次の日記を書くまでに時間があきすぎてる。


 しかしながら、そこはいろんなことをまとめて書くために、わざとスペースをあけているんだということで、なんとかポジティブにいこう。


 これでも「日記」と呼ばせてください。

  • June 19, 2007 6:27 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

俺様全集。

ホーム > ゴリカテ “ ゲロ古:ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。 ” の列挙

RSS & Atom Feeds
月刊『俺様』
俺様の輪
ランキング
人気ブログランキング

人気ブログランキング

BlogPeople

BlogPeople「自分/自分のこと」ブログランキング

BlogPeople「人間・哲学/人間考察」ブログランキング

BlogPeople「芸術・文学/小説家予備軍」ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村

ツール
ブログスカウター
track word
Creative Commons License

Creative Commons License

Creative Commons License

松田拓弥.オルガズム
総合入口 & ギャラリーブログ。
Love Life
詩とか詩とか詩とか...
現在なまら進行形
こちら、日記。
おれと映画
俺様が観てきた映画の感想やなんか。

ペントハウス。