俺様ってけっこうモノマネが得意だ。
極限にまで誇張した他人様の特徴をとらえるのがうまいらしい。
ただ、極限まで引き伸ばしてるため、まるで似てないというケースも少なくない。
それじゃあなぜ、人様のモノマネが得意なのか?
この答えや結論は、きっとここに尽きるんだと思われる。
自分自身にオリジナル性がないから。
人のマネは自分のオリジナリティーを見出そうとする悪あがきの副産物に過ぎない。
まあねまあね。
オリジナリティーとか個性ったってさ、結局はむかぁ~し昔のそのまた昔までたどられてしまえば、ただの受け売りと言われてしまいかねない。
どんなに時代のニーズに合わせた言葉や映像、あるいは音楽でも、そこに掲げたテーマ自体がなんとなく人の印象のなかに埋め込まれていれば、“パクり”みたいに映ってしまうわけだ。
“あ、それ、なんかどっかで聞いたことある”って言われてしまった時点でアウト。
ただ。
ただ、俺様は思うわけだ。
自分なりの解釈や感情、添え書き程度の一文や、たかだかひと言でも付け加えられた言葉なら、それって意外とオリジナルって呼んでもいいんじゃないかと。
言葉にすると、わりとこれ、そこに込めた真意っつーのは、その本人にしかわからない部分があるわけだな。
別の人が同じ言葉を聞いても、二人ともが同じ感情を抱くとは限らないってのと一緒で、その人が書いて吐き出した言葉を聞いた人とて、同じように感じるとは限らないわけだ。
まあ映像とか音楽だとな、やっぱしビジュアルとしてはっきり残るし、映像として与える印象ってのはやっぱしデカいわけだ。
それを見る側の印象とかイメージ、あるいは一番要素としてデカいだろう“想像”っていう部分の余地を与えない。
むしろ見る側より、それを作った側の意欲だとかがモロに出る。
映像とかって視覚的なものには、やっぱ人間として強烈なインパクツだろうし、そのままを受け入れるところがあるようで意思そのものが支配されたりするわけだ。
そりゃ自分なりの解釈だとかを付け加えてみたところで、パクりだったらすぐバレちゃうかもしれない。
音楽はまた微妙なところだわな。
そういう音ができちゃったんだから。
メリッサ。
詩でも小説も、はたまた人が感じたことや思ったことを書き綴ったエッセイや随筆にまで他人からの“評価”っつーのがつけられる。
さらには、その評価次第でその作品というか文章というか、その言葉に込められた真意や内容まで決められて裁かれたような感じにさえなる。
まま、ビジネスさ。
その評価を求めての著作だったり、できることならミリオンセラーになるようなものばかり書けたら最高だろうしな。
“ジェニのなる木”は、最近だとまさらにそのまんま“紙”って流れできてんな。
しかしながら、とりえあず成功したけりゃ成功者のマネをするのが一番手っ取り早いとも言うやな。
おっと、いつものことながら少しずつ話が逸れてってる。
まあ、自分で言ってりゃ世話ねぇが、わりとこれ世話してる。
モノマネがうまいなんて自分で言おうもんなら、YouTubeに動画アップして披露してみろなんて言われそうなもんだ。
って、んなこた~実際どうでもいいんだな。
たぶんこれ、ブログとかで書いたことで問題になるのって、結局そこで取り上げた題材とかテーマじゃなく、あるそれに対して下したその人の“評価”とか“口調”なんじゃないのかな。
テーマなんてきっと数限りない。
でも、そこにつけた張り紙の内容を気に入るかどうかと、それをどう表現したか。
気に入らないっていう人は反論して、気に入ってる人は擁護してっていうだけのことじゃねぇかなと。
まま、“評価”なんつーもんは、結局人がつけるもんだから。
自分でつけた評価なんてもんは、その正否は別としても、良し悪しで言えば、たいがいにおいて“悪し”のほうでとられる。
評価に正しいもクソねぇってんなら、きっとそこには良し悪しもねぇ。
自分で下した評価を単なる自己満足なんて言葉で片付けるなら、人がつけた評価はただの“口コミ”。
だけど作った側にはそれがすべてだったり、そうじゃなかったり……
きっと誰かの下した評価の粗探しなら、いくらでも探せるだろうし、見つけられる。
で、反論したい人はただそこを突けばいいだけなわけだ。“しらみつぶし”っていう言葉が、なんかイヤな意味で似合う。
でも養護したい人は、そのどちらもを根拠つけて論理立てして説明しないとなんない。言葉が足りとかいう指摘であればば、必要な分プラス謝罪、そして次くるだろう粗探しのための穴埋め。
労力が雲泥の差だ。
あ、タイトルに関しては、いわゆる“モジり”というやつなので、できればユーモアとして受け入れていただきたい。
あらあら、また話が逸れに逸れまくってる。思いっきり深ジョリだ。
え~っとなんだ。
最初に書いたことは……
俺様はモノマネが得意らしい。
そうだ。そうだった。
と同時に、パクりもきっと得意だ。
って、なんだよ、これ。
そっからこの展開はなんなんだろうか。
じゃあ具体的にだれのモノマネが得意なのか、俺様は?
たぶんうちの人のマネなら、だれにも負けない自信ある。
とりあえず、カラオケでサザンオールスターズの桑田さんのモノマネからは、もうそろそろ卒業されたし。
だがしかし、ちょっと思う。
桑田さんの歌って、モノマネで歌わないとそれらしく聴こえないんじゃないか?
なので、その昔“ものまね四天王”と呼ばれてたコロッケさんとか清水アキラさん、栗田貫一さん、ビジーフォーさんは、それで一つの時代を築けるほどのオリジナリティーさえ築きあげたとでも言えましょうか。
ありゃ完全にオリジナルだ。
たぶんもうだれのモノマネとかいう次元じゃない。
もし田原さんのモノマネをしてる栗田貫一さんを見てて、「あれ、だれの真似?」って訊かれたら、「あれは田原さんのモノマネをしてる栗田貫一さんのマネ」って言ってもいいんじゃないか?
いやいや、そんなはずはないさ。
それじゃ栗田貫一さん本人がいねぇ。
- June 25, 2007 1:40 AM
- [ ゲロ古 ]