ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙

ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。

人間関係を築きたい相手に自分から先手を打つ。

 これ忘れてた。
 前に途中まで書いて別んとこ移したまんま放置になってたらしい。
 今日思い出した……


 人から自分はどう思われてるか?


 じゃない。


 人から自分はどう思われたいか?


 重要なのはこっちだな。


 人間関係っていう土俵上でも、築こうとか築きたい相手に対する自分の欲っつーのはやっぱ重要。
 “先手必勝”なんて言葉があるけど、勝ち負けなんぞはこの際どうでもいい。
 人間関係においては、今流行りの言葉を借りれば“勝ち組”だろうが“負け組”だろうが、要は最終的にそこにできた人間関係ってやつのなかで自分の欲が通ってるかっていうそこに尽きちまう。
 それが叶ってない人間関係は、きっと遅かれ早かれ終わる。いや、終わらせる。
 人間関係においては、きっとそれが負け。勝ちは、自分が意図したとおりに自分てやつが他人から認識してもらえてる状態。
 でもって、たぶんそこが疑問であり、その理由であり、一つの答えなんだろうなと思ふ。


 ヤベ、なんかもう結論出ちゃった気ぃする……
 なんかめずらしくうまいことまとまってる。
 でも負けんな!!


 人間、人の印象っつーのは、たぶん育たないし成長もしない。
 かといって後退もしない。
 つまり、その人に対して自分が“この人はこういう人なんだ”っていう意識を持った瞬間に、すべてが決定されるもんだと思う。
 で、なおかつその印象は、その後そう簡単には揺るがない。他人の言葉ごときじゃ左右されない。
 これまたつまり、自分が意識したその人の印象を覆すには、またもう一度自分がその人に対して新しい認識というか、印象を持たないと変わらないっつーことだ。
 で、これは、実際にはなまらムズいと思う。それはきっと、その印象を抱かせた相手ですら。


 ほぼ主観でしか自分以外を見ないわけで、自分の色眼鏡にかなったものだけを映そうとするわけだ。
 大人になれば聞き流すっていう術を身につけ、興味のない人間はかるくあしらって受け流すという生き方を学ぶ。
 むしろそれができなきゃ大人じゃないとまで言われる始末。
 “じゃあ大人になんかなりたくない”なんて言う人も多いけど、知らず知らずのうちにやってるのも事実。ただそれを自分で認めたくないだけのこと。
 客観的に見れれば、そんなもん自分がされたらイヤに決まってんだよな。
 興味を持った相手にソッポ向かれるわけだ。気分がいいわけもない。


 それでいてさらには、気の合う仲間を見つけようと自分から話しかけるっていうこともしなくなる。
 面倒っていうこともあるだろう。いやいや、それがきっと一番だろう。
 そして過信というやつは、わりかし命取りになったりするわけだから、自信を持つっていうことにも抵抗を感じたりするようにもなる。
 あっても表に出せない自信。それはいつしか自分でも自己満足という言葉で自嘲気味になってみたぐらいにしてな。
 ちょっと小出しにしただけでも自意識過剰というレッテルを貼られたり、自信のあることを伝えるときでさえビクビクして不安に駆られたりする。


 「自分に自信を持つということは大事なことだ」とか励ましというか、時には同情とも取れるような言葉を手渡しでくれる人もいるわけだけど、自分にまったく自信のない人間なんてきっといない。
 よく聞くのは“自信とは、自分を信じると書く”わけなんだけど、そんなことはどうでもいい。
 文字なんて受け取り方次第でどうとでもなるわけで、そのときの状況に合ったものを、自分のなかで“ちょっとうまいかも”なんて褒めてあげられるものを選んでるだけに過ぎない。
 またほかの場面では“自ずと信じることができた”とかも言えるわけだ。
 “人”という字は、人と人とが支え合ったとき、ちょっと上になる左側の人のことだ。で、その左側の人の心に触れたとき、“入る”っていう字になるんだよ。


 それよか自分に興味を持ってくれた人にいい顔してるほうが楽なんだな。悪い気もしない。
 実際、だれかに好きって言われてからその人を好きになってく人がほとんどだ。
 そのほうが楽だし、他人に対して気を揉む必要もないし、惚れたのは向こうだなんてそれなりの優越感もある。
 ちょっと人より高い位置に座ってるほうがなにかと円滑にいくわけだ。
 一度対等になるとほっとけばいい気になるし、下だと卑屈になったり、ただ漠然と気に食わないとか不満が募ったりする。


 人間、他人に対する評価は厳しい。
 最初っから自分には人を見る目がないとか、自分は間違ってるなんて意識で判断したり決断したりする人なんていないだろうて。
 だから、人は“確認作業”ってのを嫌う。他人に対してのそれはけっこう好きなのにな。
 たとえば仕事においては、自分がミスってるなんて思いながら仕事してる人なんていないだろうさ。
 自分のミスチェックを自分でするのは、ほぼ無意味と言えようぞ。確認してるようでしてない。見てるようで見てない。
 自分が見てるのは、むしろ自分の仕事っぷりだ。ミスを探すより、無意識にでもミスのなさを心のなかで褒めてるかもしらん。
 ミスを発見するのは、たいがいいつも他人なんだな。


 だからだ。
 だからもし、そういう自分のなかに芽生えた印象にふさわしくないことをしたり言ったりすると、人は「らしくない」とその人に言う。
 こいつはきっと、自分のなかにある印象からズレたその人を、無意識にでも自分のなかにある印象にまた修正しようっていう働きかけなんだろうと思うわけ。
 ズレは認めない。そんなきみは受け入れられない。
 いくら笑いながら言おうが、冗談めかして言おうが、そんな意識はないと思ってても、たぶんそう言ってるのと同じ。
 笑えないことならなおさらだ。


 じゃあどうするか?


 簡単だ。
 自分がこう見てほしいっていうふうに振る舞えばいいだけのこった。
 たぶん人がだれかに対して、その人の印象を抱くまでには、そんなに長い時間はかからない。
 もしかしたら初めて会った瞬間にもう決定を下されてるなんてこともある。
 だから第一印象は大事というわけだ。
 でもって、人がだれかに対する見方になにかしら変化が生じれば、間違いなくそれは態度や言葉にも変化が出る。
 今までは相手から電話がきてたものが、いつの間にか電話するのは自分になってる。具体的な例だ。


 つまり、それまででいいわけだ。
 ちょっといつもと違うことをしてみて、「らしくない」って言われたあかつきには、もう完璧。
 たぶんそれはもう、よっぽどのことでもない限り、その後ほぼ変わることのない印象となる。むしろ、その印象こそがその人の姿かたち、人間像となるとかまで言ってみてもいいんじゃないか。
 ダメな男ほど見捨てられず、バカな女ほどモテる。
 結局そういうこったろ。


 わりと人間っつーのは、その人の像をきちんと見てるようで、いろんな面を言葉や文字で認識してる部分が多い。
 まあ、ここはあくまで日本なので、自分を構成させるその文字が、きちんとその人のなかで漢字に変換されるまででいいっつーわけ。
 たとえで言えばそんな感じ。
 再変換はほとんど使わない。そんなことするぐらいなら、その文字ごと消して、新しく打つのが人間の心理。


 もしその印象が変化するとか、あわよくば崩壊みたいなときは、前触れとして「らしくない」とか「変だ」とか「おかしい」とかいう優しい助言をくれるはずだ。
 一度固まったものの先につづく印象というのは、まず間違いなくその人に対する“期待”というやつが大半を占めるようになる。


 女性の口からよく聞こえてくる皮肉。
「昔はもっと優しかったのに……」
 男性の愚痴。
「最近じゃ見向きもされない……」


 逆説でもなんでもない。
 それはこういうことを如実に物語るのだよ。


“いつかまた……”


 結局のところ、そういう人間関係を築いている人たちのほうが、その後もなんだかんだ言いながら長くつづいてるわけだ。
 ザックリいけば、未来を見てるようで過去を引きずるわけだ。
 なにげに体裁を繕うと、温故知新。未来への期待 ─── いや、“期待”っていう単語はわりとあまりいい印象を与えないので、未来への希望としておこう。
 過去を知り、よかったときさえ憶えていれば、だいたいはその印象だけでやっていけるもんだ。


 だから過去をたいして知りもしないで悪い面が見えてしまうと、「らしくない」じゃ修正しきれずに、終わらせてしまうわけだ。
 簡単なこった。
 “自分が知ってるその人じゃない”からだ。


 まあ、勘違いと思い込みの賜物だ。
 “自分はその人の本質を知ってる”
 本当は優しい人なんだとか可愛いところもあるんだよなみたいなな。


 人間関係はいつもお互い様っていうのは、たぶん、そういう部分が大半を占めてるからなんじゃないかなと思う。
 自分のなかでいったん固めたものを、もう一度また最初から解きほぐすっていう労力は、あまりに大きい。だったら、形が歪んだ部分を少しずつ修正していくほうが簡単なんだな。
 いらない部分は聞き流す、受け流すっていうことで切り捨てながら、自分が欲しい部分だけを紡ぐ。
 修正すら面倒なら、きっともうそんな人間関係は自分のなかで成立すらしてない意識なんだろうな。
 “友達”と“親友”、“知り合い”と“仕事の同僚”みたいに、いろんな人間関係それぞれの抽斗を用意したがる。
 実際にはたいして区別する意味もないし、できてもないのに。


 自分が認められないことは認めない。
 当然に聞こえる響きだけど、これって案外逆の難しさを示してる。


 その深い浅い、長い短いに関わらず、一度でも人間関係を築いた人間に対して、なんの前触れもなく去っていけるほど、人間てのは強くねぇ。


 かといって、いつまでも甘くいい香りのチョコレートを準備してられるほど、人間てのは弱くもねぇ。
 ……ASKAパクり

  • July 28, 2007 1:32 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

で? なに? tok2.proさんにはMTインストールできねってか!?

 あんだよ……
 とりあえずもうそれなりに形になってるのあるからそれアップロードしても稼動しねぇでやんの。
 どうなってんの?


 PHPもMySQLも使えんじゃーん!?
 あとはなにが足りねんだ?
 なんかの設定間違ったか?
 mt-config.cgiでなんかどこぞやの文章を何行か書き足したりするってやつか?


 オイオイ、tok2さんよ……
 あのブログじゃ使いモンにならんのよ。
 今どきテーブルで構成ってあーた、ぶっちゃけ最初見たとき笑っちまっただよ。


 あ、そういやそうだ。
 Yahoo!Japanのサイトも今だにテーブル構成だったな。
 日本国内じゃ敵なしのYahoo!Japanがだよ。MSNさんとかExciteさんとかはほとんど流行りに乗ってるってのに。
 まいったなぁ~、こりゃ……
 天狗商売か?
 俺様もテーブルで組み立てちゃおっかな。


 とそうそう。
 なんだかんだで迷ってる今なのだな。
 Movable Typeにするか、また初期Dearみたく全ページHTMLで1ページずつじっくり作り上げてくか。


 ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……


 詩だけで200超え。
 エッセイだけでも100近く。
 日記なんざ、たぶん300超え。


 ……だり。やっぱめんどくせ。
 実際ウメくんみたいにflash使ったりするわけじゃないし、基本的にテキストメインだしな。
 正直、ここまでくると更新は楽なほうがいい。
 もう1つ詩ぃ書くごとに3つも4つもページ変更するのは骨が折れすぎる。
 更新が面倒だと、更新しなくなる。これ必然。


 やっぱいろいろイジくって勉強もしたわけだし、せっかくだからMovable Typeにしとくか。
 あ、融合にしとくかな。


 ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……


 こういうことはいっそウメくんに頼んだほうが早く完成する。
 それは間違いない。
 俺様にこういうことをさせるということはどういうことか。
 徹底的に悩めということなのだ。
 眉毛すり切れるまで、胃の粘膜がカラカラになるまで、椅子にケツがひっつくまで、やれっつーことだ。


 やっかこれ!!
 しかしtok2.proさんじゃなくてもっと設定の簡単なとこでも探そうか。


 しばらくはデザインどころじゃねぇな、こりゃ。

  • July 27, 2007 12:52 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

今後は『takuyamt.net』でよろしくお願いしまっつん!!

 ついに自分のドメインを取得!!
 悩みに悩んだ末、たどり着いたドメイン、それは ───


 『takuyamt.net』


 って別に、わざわざ“続き”にして引っ張るもんでもねぇな。タイトルにもう出てるし。
 でもいいじゃない。初のドメインなんだしさ。
 いいさ。何度でも書くさ。
 今のうちからアピールしとくのさ。


 ここまでくると完全に開きなおった感じが色濃くなってきておりまして、もう『oresama.net』とか『jackiechanmania.info』とか『hongkongbaka.net』とかにしようかなとも考えた。
 しかしながら“俺様”関係は、もうすでにいろんなところで取得されてて没。
 で、ジャッキーとか香港映画関係は、どうしても映画関係の話題を中心にしなきゃダメかなぁ~とかって変に自分のなかで意識が生まれちゃいそうだったので、これまた没。
 『takumarugt』は、バイトの人からあっさり「サムい」と冷笑を浴び、没。


 んじゃやっぱ、おれにまつわるエトセトラーゼということだから、なんでもアリな名前でいこうって結論。
 仕事中のうちの人に突撃電話して相談とかしちゃおっかなとか思ったけど、「知らんわ」とか言われそうだったので自分で考えることにした。


 ……悩むこと48分と8秒 ─── 『takuyamt.net』 ─── シュルルぅときた。
 『takuyamtd』までいっちゃうと、なんか“d”の音でテンション下がるというか、そこで落ち着いちゃうような感じがした。そのあとに続く“.net”まですら響きが届かないような感覚。
 それじゃいかん。
 音は、そのすべてで表現となり、そのすべてが表現なのだよ。


 で、なんとなく“takuyamt”で止めてみたわけだ。
 するとどうだろう。


 いいじゃないいいじゃない。


 “T.M.Revolution”さんの“turbo type D”とか、なんか一見無意味でありそうで意味深な感じをかもし出しつつ、意外と無意味なところがいい按配。
 昔懐かしの“with T”チックな感じもしてテンション上がる。
 そのあとにつづく“.net”にもわりとスムーズな感じで響きがつながる。悪くないリズムだ。


 まあ、末尾の“.net”のところは、ほかにもメジャーどころじゃ“.com”とか“.org”とかあったわけですが、別に会社じゃねぇしな。
 “.info”はバイトの人が「あんまりinfoは好きじゃない」ということだったので却下。
 個人的には、“organization(非営利団体・組織)”ともう一つの意味をあわせ持つ“.org”もいいかなと思ったんだけど、これまたバイトの人に「それはやめたほうがいい」と言われ、団長の思いでさよならした。


 ちなみに、もう一つの意味とは ─── まあ俺様のことだしすぐ想像もつくかとは思いますが ─── “orgasm”也。
 オーガズム、オルガスム。激情とか快感とか、陶酔って意味もあるらしい。
 んまあ、単純に綴りの略だな。


 それがいいと思ったとらえ方としては、“含み”とか“表と裏”とかって意味じゃなく、“紙一重”とか“表裏一体”っていう感じ。
 普段から本能とか激情ってやつに素直に応じれない人というか、そういうのを我慢とか忍耐ってので抑えようとする人は、逆に、理性とか冷静さっていう部分も欠けてるんじゃないかな。いざってとき簡単に溺れたり流されてしまってるんじゃないかなと思うわけ。
 理性ってのは、なんとなくイメージしがちな我慢とか忍耐っていうんじゃなくて、きっと“客観”っていう自分のなかの視点じゃないかと思うわけ。んまあ、こいつをカッコよく言えば、たぶん自制ってやつになるのかな。
 我慢とか忍耐ってのは、しょせん主観から生まれる損得勘定に過ぎない。


 丸出しを“いけないアメリカ”とか“変態なフランス”なんて表現する人はまずいない。
 だからってモザイク処理を“理性的な日本”なんて言う人もいないでしょう。
 しょせんは我慢してるだけなんじゃねぇの?
 教育上よくないとか子供たちへの配慮とかって大人の勝手を理由にしてさ。押し入れの布団と布団のあいだに挟めて1本や2本隠し持ってんだろうさ。
 だって好きだろ? どっちかって言ったらやっぱ、無修正見たいんだろ?
 もし倍額でも、レンタルショップに無修正置いてたらそっち手に取っちゃうんじゃないか?
 あ、でもさすがに倍額はちと無理か。とりあえずパッケージだけで我慢するかな。


 なにはともあれ、そういうウニャムニャな部分も“文化の違い”っていう言葉で片付いちゃうんだろうな。
 でも“理性”と“忍耐”ってのは別モンだ。
 だからきっと、最近“いけないお坊さん”が増えてきてるんじゃねぇか? さらには国会議員の買春に、公務員たちの乱交パーティー、警察官の麻薬密売、そして濫用……
 いや、ただそういうのを隠蔽しないで、簡単にゴシップみたいな扱いで露出するようになったってだけかな。


 “カオス理論”てやつかな。先日観た『CHAOS』の影響も少なからず大きい。
 永遠とか不変とか連発しちゃうようなロマンティックが止まらない詩を書きつつも、放送禁止用語な下ネタを連発するような日記を書こうが、それもまた俺様っていう一つから生まれるもんでしかないっつーわけだ。
 見た目と事実が必ずしも同じではあり得ないように、理性と忍耐も自分のイメージどおりでは決してないこともあるっつーこったな。
 雨が好きとか言いつつも、打たれるのはイヤだったり、恋愛はやめられないと言ったところで、うんざりすることもやめたいとかふと思うこともあるわけで、背に腹は変えられないとか冷静にはなってみても、やっぱり夢や希望は捨てきれない。
 好きなものは好きと思いの丈を叫んだところで、そのまますべてまでは受け入られない部分もあるっつーこった。
 まあまあ、そんな小難しいこと並べ立てたって、これ思いついたのも今だ。


 と、んな感じで、最近になって知ったわけだけど、なんかここ【はてな】さんてアダルトというか下ネタというか、むしろお下品でストレートな表現もありなのか?
 って、ピーって鳴るような言葉もありなんだよな。
 さらには、直接ワンクリック詐欺の広告にリンクしてるブログもあった。ってか、そこからトラックバックきてた。
 んじゃ俺様も書いちゃうよ? 人一倍下ネタとか大好きよ?
 さらに長文書けると思うよ?


 とはいえ、そっちが完成すりゃ当然日記もそっちに移行になるわけだから、下ネタ書けるからってなんてことはない。
 坊主が屏風に上手にソープの絵を描いたって構いやしねぇ。


 んまあ、たかがドメイン一つでこんな長文書くこともねぇやな。
 しかしそんなドメイン一つでこんな長文書ける俺様がすごい。
 そんなドメイン一つで一喜一憂してる俺様ってキャワイイ。
 もういいよ。もう黙って。
 結局なにが言いたいかっつーと、これだ。


 『takuyamt.net』をよろしくお願いしまっつん。


 しかし移行がめんどくせぇ……
 詩だけで200超えてるし、日記なんてどんだけぇ~!?

  • July 26, 2007 2:11 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

takumaru-GT

 もういい加減、ドメインつけて、こっちとかあっちとかあそことか全部まとめて一つにまとめたい!!
 いちいちログインがめんどくせったらありゃしねぇ。
 かといって“takuya.info”も“takuya.net”ももう取られちゃってるしなぁ~……


 全然関係ねぇやつでもういっちゃうか?
 Mihimaru GTさんかわいいから、あれパクッて“Takumaru-GT”とかにしちゃおっかなぁ~……
 なんかもう考えるのもめんどくせぇ。


 まあ、なんでもいいっちゃーなんでもいいんだけどなぁ~……
 でもなぁ~……
 ドメインたらもう、自分次第だし、インターネット上とはいえ、夢のマイホームってやつに近いからなぁ~……


 悩むこと28分。


 書くことないからちーとばかし悩んだフリとかしてみたぐらいにして。

  • July 25, 2007 2:39 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

矛先は自分に、刃はまわりに。

 ここんとこ胃袋と腹が同時に痛んでる。
 こいつは前代未聞の痛みなのだ。
 たいがいどっちか一方だけで済んでたのだな。


 だがしかし。
 だからっつって、ここんとこ最近、ただのうのうと生きてる感じが気に食わねぇ。
 たいしてなんも考えず、なんとなくやりたいことだけやって、かといって眠りもせず、それなりにギター弾いたりピアノ触ったり、ダラダラと詩とか話とか綴ってみたりしてるだけ。
 なんか、なんかしてるようでなんもしてないような感覚に苛まれる日々だ。
 なんとなくレゴをイジりだして、なんとなく作ったものを「完成」っつってテーブルの上に、それらしく置いてみてる感じ。


 なんかそんな自分にイライラしてくる。
 たぶん世の中のそれなりにたくさんの人は、“自分は忙しい”と思ってると思う。
 で、その忙しさを理由にいろんなことが“できない”って言う。
 でもきっと、理由なんてなんでもいいんだろうな。
 やりたくないことをやらなくていいって自分を納得させるものが欲しいだけなんだな、たぶん。


 自分は忙しいと思ってても、その忙しさの内容を自分以外の誰かに話したら、そうじゃないって言われてしまうかもしれない。
 だから人には“忙しい”としか言わない。
 で、これ、わりとそれで納得する人も多いんじゃないかなと。
 “がんばれ”っていう言葉と同じぐらい理由として万能だと思う。


 俺様は映画を借りてきた。だから観たい。だから観る。
 でもその映画鑑賞を理由に、友達からの食事の誘いを断れば、たぶん反感を買うに違いない。
「あ、おれ、映画借りてきて今から観ないとダメなんだよねぇ~。忙しいから無理」
「は? 映画? あ、そう……」
 “友達より映画かよ”
 そんなとこだろう。


 “がんばれ”と同じぐらい万能だけど、それと同じだけ人による言葉でもある。
 それまでがんばってきた人に“がんばれ”っていうのは嫌味かもしれないし、言っちゃいけない状態ってのもあるらしい。
 自分以外の人に万能であるが故に、自分以外の人への配慮を忘れちゃいけないんだろうな。
 誰にでも通用することって、逆に、誰にでもそれ以上の気遣いが必要なんだな。
 自分自身に通用することがみんなに通用するとは限らないし、みんなに通用することが自分にも通用するとは限らないわけだ。


 映画を観ていて、突然ふと泣けてきても、隣で俺様を見てた人から「なぜ泣く?」と訊かれるかもしれない。今泣けるとこ?
 笑うこともまた同じ。
 それまでその人が経験してきたことからその人のなかに蓄積されていく思いとか感情の核となる部分は、まず絶対と言っていいほど他人にはわからない。
 それは自分じゃないからだ。
 理解はできる。受け入れることもできる。共感や掘り下げることすらできるかもしれない。
 でも、それそのものまではわからない。


 その経験が、必ずしもその人と同じ重みで自分が感じれるとは限らない。
 そのまわりにある自分の経験とかぶったり、さらに深いところまで自分は経験してたりするかもしれない。
 でも、だからといって自分のほうが傷ついてるとか思うのは間違いだよな。
 自分はブサイクだって認めてるんだから、あなたのこともブサイクって言ったっていいっていうのと感覚が近い。


 むしろ理解とか受け入れることって、そこにある思いや感情、痛みとか想い出とか、経験やなんかを理解しないことなんじゃないかなと思えてきたこのごろ。
 理解しようとすればするほど、たぶん食い違いとか思い込み、先入観とかが邪魔してどんどん違う方向になってくだけなんじゃないか。
 やっぱり他人事なんて意識はなくても、どうしても主観で見ちゃうしな。
 なんか気のない返事が多いらしく「他人事だと思って……」ってよく言われるけど、なに一つ自分が背負えないことまで親身になって考えるって、のちのち苦しめるだけなんじゃないかな。自分も余計に疲れてしまうだろうしな。
 その人の苦しみで自分まで苦しんで倒れちゃったら、もっとその人のこと苦しくさせちゃうだけだろうと思うわけ。いらんことでまたさらに自分を責めるようなことになるかもしらん。


 わりと自分を責めるって美談に聞こえるけど、それって結局、自己憐憫だなってな。
 矛先は自分に向けてるようで、ナイフの刃はまわりに向いてんだよ。


 なんか日記までダラダラだな、こりゃ。
 そうそう、ほらな。
 最初は自分のこと言ってるようでいながら、いつの間にかまわりのこと責めはじめてんだよ。
 なんも考えてねぇ証拠だよ。


『カポーティ』


 メインメニューの画に、洗練された超然を感じた。あまりに美しかった。
 本編を再生するのが惜しいとさえ思った。


 まあ、こりゃホント大人の映画って感じだな。
 おもしろかったとは言えないし、なにがなんだか同じ苦悩と葛藤がないから理解もできないけど、恐ろしく強烈な印象を俺様のなかに残した。
 執着と倒錯と情。
 主観と客観。
 そして、強さと弱さ。
 これは『ティファニーで朝食を』も観ないわけにいかねぇな。


 観終わったあと真っ先に思い浮かんだのは、志村さん。
 これ観て“『カポーティ』はおもしろかったなぁ~”っていう感想を残してた。
 そんなわけで、この映画の感想としては、志村さんてものすごい大人な人なんだなぁ~っていうのがそれ。

  • July 24, 2007 1:45 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

楽譜のない音楽会

 しっかしなんでこぉ~ ─── なんでこうなのかなぁ~……


 B型っつーのはさ!!


 いやマジで。


 まあ、たまには楽譜のない音楽会があってもいいんじゃねぇかなと。

  • July 23, 2007 12:38 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

まあねまあね、たまにはさ。

 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070725/p2


 あんまし俺様自身の解釈とか言葉を付け加えたりしないでっていうのもありかなと……
 めったにこういうことしないんで。

  • July 22, 2007 12:36 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

『ナチョ・リブレ 覆面の神様』 / 『プラダを着た悪魔』 / 『マーダーボール』 / 『Mission Impossible 3(M:i:3)』

 いやぁ~、映画って、本当に、いいもんですね。
 観た観た。
 とりあえずこれだけはってのは観た。


『ナチョ・リブレ 覆面の神様』


 これは俺様が大好きなジャック・ブラックさんの最新作。
 コメディなイカレ役でこの人の右に出る人はいなかろうて。


 ただ、た~だこれ、今回……イマイチ。
 笑った。笑いはした。そりゃジャック・ブラックだもの。
 でももともと俺様、プロレスってやつが大嫌いなのだな。八百長くさいってのと動きが大げさなのと、不必要なアピールに加え、遅い。


 なので、それの相乗効果とでもいいましょうか、楽しめた感は薄い。
 というより、ジャック・ブラックさん人気に便乗した映画としか思えない感じ。
 やっぱ個人的には『スクール・オブ・ロック』が傑作かな。


『プラダを着た悪魔』


 おもしろかった!!
 こぉ~れはおもしろかった!!
 アン・ハサウェイもゲロかわいいじゃない。いいじゃないいいじゃない。『プリティー・プリンセス』で出てたな、アン・ハサウェイさん……あれもいいが、こっちでもいいな。
 メリル・ストリープさんも徹底した意地悪っぷりがかなり素敵だぜ。そんななかでもほろっとさせるシーンもイカす。
 まあ、たいして期待してなかったっていうのも大きいかもしらん。
 とりあえず1位に踊り出たやつは観とく ─── これ、自分を通ぶらせるための掟。


 もともとはなんか原作があるらしいけども、これは映画だなと思った。『ハリー・ポッター』も然り。
 人間の奮闘ぶりは絵とか、やっぱし表情がないと伝わらない部分が多いと思うわけ。
 で、意地悪っぷりも同じ。


 恋も仕事も一生懸命に誠実、そして人生のなかでの大きな選択。
 自分のための決断は、保身のためだけじゃなく、それがまた自分のなかにいる誰かのためになれば、それが最高にハッピーな道になるんだな。
 自分のための決断っつーのは、きっとその先で自分が笑えることにつながるんであれば、自然とまわりも笑顔になるもんだ。


 これはむしろ、女性より男性が見るべきだと思ふ。


『マーダーボール』


 こりゃ映画じゃねぇ。
 長編ドキュメンタリーってやつだな、完全に。構成とか展開も『RIZE』にすごい似てる。
 もっと細かい正式な説明があるのかもしれんけど、観た感じでは“車椅子でやるラグビー”らしい。


 これは、ほかの映画のDVDに入ってた予告編で“オウ!! 観てぇ!!”って思ったやつ。
 個人的には、あくまで“映画”であってほしかった感じ。
 予告編でもそんなふうに見えた。
 まま、ただの勘違いと思い込みと期待っていうだけではあるけども、俺様は“車椅子バスケ”だと思ってたので、少なからずがっかりではある。


 でも噴きだす熱さとかそこにある人間像とかがしっかりと描かれてて、あくまで“ヒューマンドラマ”っていう印象もある。
 むしろ、スポーツ面のことは、あくまでタイトルの拝借をして“広報”みたいな感じすらある。
 最後、解雇された監督さんの近況みたいな字幕で“現在はUSAのヘッドコーチ”っていうのは、さすがに笑った。
 っつーか、ビビッた。むしろ、その勇気に乾杯だ。


『Mission Impossible 3(M:i:3)』


 こりゃおもしれぇわ。
 個人的にはこの『ミッション・インポッシブル』シリーズのなかで一番おもしれぇと思った。というより、初めて“おもしれぇ”と思った。
 なんかもうこの映画のなかじゃトム・クルーズさんが、役柄としてあらゆる面でまわりから“絶対的”とさせてるところがいい感じ。
 「さすがだね」って、あそこ好き。


 でもって、「複雑な話なんだ」っていうシーンが、まさに文字どおりな感じで納得させてくれる。
 それでいてきちんとエンディングを迎えてんだな。
 とはいえ、また『4』をにおわせる終わり方ではある。
 期待したい。


 ただ、いつも気になるトム・クルーズさん。
 なぜ全力疾走な感じで走ってるのに、常に上体は起きてるのか?
 実は運動神経ないのか? それとも運動というか、スポーツというか、とにかく速く走るっていう経験が少なかった?
 しかしながら、これこそがハリウッドスターたる姿勢なのか……


 改めて、映画って、本当にいいもんですね。

  • July 21, 2007 6:15 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

俺様全集。

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