月別 “ April 2007 ” 列挙
“ April 2007 ” に書き連ねた俺様日記の数々。
Windows Vista標準装備のチェスに負ける。
Vistaのチェス強ぇ~!!
途中までは明らかに優勢だったのに……
まあ、ただのミスなんだけどもさ、そのミスを逃さないあたりがコンピュータの目ざとさよの。
その抜け目のなさに乾杯。
前みたく、ソリティアとかマインスイーパーとかだけじゃなくて、ちゃんとゲームって感じのゲームでいい感じだ。しかもチェス好きなんで、Vistaのチェスさんには、今後もお相手願おうと思う。
なんかあと、麻雀のやつもやってみたけど、やっぱグラフィックが違うやな。って言っても、そんだけなんだけども。おもしろさとか難しさにはたいして影響なし。
パネルめくりの『新婚さん、いらっしゃ~い』みたいなのもあったけど、たいしておもしろくないな。ありゃグラフィックとメモリの無駄じゃ。
なんか、チェスだけありゃ~いいって感じ。
個人的には、あとほかに“数独”とか取り入れてくれたらもう、言うことねぇんだけどなぁ~。“英語漬け”みたいなやつとか。
ゲームっていうだけじゃなくて、それなりに役立つものを取り入れてくれると、パソコンはあってもゲームしかしないって人に人気出るかもな、Vista。
んでまあ、あとは、最初っから入ってるメモ帳が、unicodeに対応してた。
“おっ、これでソースの表示するときだけFirefox起動しなくても済むじゃ~ん”と思ってたら、文字コード違いだったらしい。俺様が求めてたのは“EUC”じゃけぇ、結局Firefoxのお世話にならねばならんのだな。
あと、“Windows Defender”とか“Windows カレンダー”とか“Windows Media Center”とか“フォトギャラリー”とか“ムービーメーカー”とか削除できんのかと思いきや、できねぇでやんの。っつーか、やり方わかんねぇでやんの。
せめて、スタートメニューから削除というか、あのなかで“Windows関係”とかってまとめれねぇか? そのへんなんとかなりませんか、Microsoftさん?
そのへんだけでけっこうスペースとるんすよ。邪魔くさくてしょうがないのです。
なんとかスコアとかもコンポーネントの削除とかでできないもんでしょうかね。まったくもって使わねんすよ。
あ、そうそう。
あと、スタートから出てくるプログラムのやつも、あそこのスペース内でのスクロールだけじゃなくて、全部一気に表示させる方法ってないんでしょうか?
あ、いや、でも、気に入ってますよ、Vista?
そういえば、このフォントの表示ムラって、ただ単に俺様のディスプレイの解像度が低いだけ?
またこの『はてな』さんの管理画面でスクリプトエラー発生してる……
アイコン特大にしたら、ゴミ箱なんまらデッカくなっておもしろかった。「ゴミ箱デケェ~」って声出た。
春だって、なごり雪の、延長線かな。
- April 6, 2007 7:36 AM
- [ ゲロ古 ]
爆睡密着25時。
ばっこり寝てたので、特に書くことNothing。
と、書いてみる。
だれか、俺様の睡眠に密着25時してくれないかな。
以前、自分の眠りをビデオで録画したことあったけど、やっぱしそれはたかだか3時間程度でしかないのよ。寝るまでの時間もあるわけだし、それも含めれば、本当に眠りに落ちたあとの姿はごくごくわずかでしかないわけよ。
いっとき、パソコンのWEBカメラで、ハードディスクの許す限り録ってみようかなとも思ったけど、さすがにそれはパソコンへの負担を考えて没にした。たぶん開こうとするだけでフリーズすると思われる。
それに、前に録ったその睡眠動画も、実際見てみたら、そんなにおもしろいもんでもなかった。ただ何分かに1回か2回寝返り打ったりするだけで、おもしろ寝言があったり、いびきが裏返ってたりとかいう、どっきりサプライズもないままテープが切れただけ。当時の恋人も観賞に付き合ってくれたわけですが、感想も、そろって「なんだこれ」だけだった。
当時は8mmだったので、映りもひどいのなんのって。
しかし、今一度、自分の寝姿ってやつを撮りたいのです。
できれば、上からと、横からと、斜め上からと、部屋全体を映すアングルと、そして枕もと、5カメで同時撮影。
“睡眠日記”なるものを作ってみたい。
で、その日の日記と照らし合わせて、“こんな出来事があった日は、寝言を言わない”とか、“いびきをかく日は、脚が4の字になってる日だ”とか、“朝勃ちしない日は、うつ伏せになって枕の下に片手だけ突っ込んでた”とか、そんなしょうもない研究を本気でしてみたい。
最近は睡眠ってやつが見なおされてきてるわけだし、俺様もたいへん興味がある。
ってか、たぶん他人の寝姿だと、特にこれといって長時間眺める気もないので、やっぱ自分の寝姿に限られるだろうな。なにが悲しくて、まったく微動だにしない人様の薄暗い部屋のなかばっかり5時間も6時間も眺めてられっかっつの。
とりあえず1回、また撮ってみよう。
- April 5, 2007 7:37 AM
- [ ゲロ古 ]
8年続いた『Get Backers』もついに完結す。
ついに『GetBackers』も、今月の17日に出るらしい39巻で終わりを迎えてしまうらしい……なんか悲しい。
もうかれこれ8年なんだそうな。
最初に出逢ったのは、そう、実家にいたころ洗濯ができず、自転車でデッカいゴミ袋引っさげて行ったコインランドリーでだった。
コインランドリーって美容室ばりに漫画とかあんのよ。
んで、終わるまで暇だったから、そこでマガジン読んだわけ。
初めて読んだのは途中で、今思えば一番おもしろかったっぽい、ちょうど“IL奪還”のとこだった。それでこりゃ最初から読みてぇわってことになって、単行本を買ったわけだ。
個人的には蛮が好き。
なんかあのメチャメチャ賢いくせにバカそうなオーラ出してる感じといい、人に“間違いなく天才だ”とまで呼ばせしめるその強さといい、すこぶる口は悪いけど、すっげぇ優しさ抱えてるとことか……なんて、憧れも強い。
赤屍さんのだれの手にも負えないイカレた内面を感じせしめる衝動、そして実際にはそうじゃないんじゃないかなって期待させるような言動。その相反する存在そのものってのもたまんねぇ。
まあ何より、どちらも“極めし者”ってあの雰囲気がドカーンとくる。
いやぁ~、やっぱホントもったいねぇよなぁ~。
おもしれぇよ、マジで。なんか大人で理論的な『ドラゴンボール』って感じかな。
あれ読んでると、なんか根拠もなく自分も頭よくなったような気になるから不思議だ。もともとわりと嫌いじゃないジャンルの知識だし。
たぶん、うんちく読んでるだけでも止まらんわ、ありゃ。
しかしねぇ~……
最初のうちはホントいい意味で裏切られてたけど、終盤にきてからは、わりと予想が的中するようになった。翳沼沙羅衣さんの正体とか、、本当の“オウガバトル”とか……
まあ、それはいろんなこと知ってからだからしょうがねぇのかなとも思う。
でも卑弥呼と邪馬人のことにはビビッたな。やられたって感じ。
あの人たちが言う“セカイ”ってやつが、俺様の予想とは逆だったってことにも、これまでの話の展開のうまさに脱帽です。
でも、伏線はりすぎ。
いまだに次巻でホントに終われるのかって思う。
2代目はどこいったのよ。なんもなしってことはないよね?
まあ、これまでの展開的には、天子峰さんなのか、あるいは絃巻くんだったのかってことで終わらせるのかなって気もする。
“聖痕”は記憶も消すってことだし、呪術王と天子峰さんはなんか過去に会ってるみたいだし、波児とデル・カイザーも呪術王に昔ボコられて逃げたらしいから、花月も同じような経験あったみたいだから、そのへんからどっちかが2代目なのかなと予想してみる。
でも、もし絃巻くんなら、時間軸に対して辻褄合わないか?
やっぱ天子峰さんなのかね。たしか来栖さんも“違う時”の上に生きてる人ってのを話してるとき、そのなかに天子峰さんも入ってたし。
しかしそれだったら、来栖さんの話で最後に“も”って言ってたから、花月もその1人かもしれないよな。それにたしか、2代目さんて、3人いなかったか?
よく出てくる蛮と銀次が2代目さんたちに会ってるときの絵、たしかそう。
最初はあの絵から、邪馬人がそのドンだったのかなとも思った。あとからは来栖さんなのかなとも思った。ヘヴンさんとの出会いも無限城で働いてる来栖への仲介だったらしいからな。
でもそれなら、蛮が知ってるはず。卑弥呼と蛮と邪馬人の3人で奪い屋やってたし。
それなら天子峰さんも没か……銀次もあのとき初めて会ったっぽいし。無限城じゃ、天子峰さんに育てられたわけだからな。
ブードゥーキングって聖痕3つでしょ?
ちょうどGet Backersの代と同じじゃん。
ってことで、やっぱブードゥーキングがそれまでの奪還屋をねじ伏せてきてたってことなんじゃねぇの? アーカイバに封印されて“時空を3つ超えた”みたいな?
で、奪還屋が来るたびに、“引き水”としての役割を果たしてきたって感じで。だから最初のステグマは、封印されたときの記憶か、そのときウィッチクイーンになにか見せられたか。あるいは、天子峰さんも言ってた与えられた最後の3つめのステグマか……
“聖痕”って、要は与えられた宿命と、その数ってことか?
夜半は生まれたことがもうすでに呪術的な宿命で、もう1つは花月との宿命だった感じだし。それとも ── その人の人生におけるわだかまりか?
その人のなかに封印とも呼べるアーカイバが隠した記憶か?
ウィッチクィーンとアーカイバ、両方ともステグマつけれんのか? ウィッチクィーン仕様のと、アーカイバ仕様のと……
っつーか、“計画”の中心人物って、実はクソババアだろう。“ブレイントラスト”組織したのも、ドクトルとか思わせておきながら、実は違うだろう。
全部クソババアじゃねぇか?
“ブレイントラスト”もあの“計画”も、すべては人間どものおごりとかヴァーチャルな真実を読者の人間に書き込もうとしてないか?
ここへきて、それは銀次のママだったんじゃないかとか思ったけど、違うんじゃね?
蛮の母親も銀次の母親もバビロンシティにいるって話で、どうやらどちらも別人みたいな言い方してたけど、実は同一人物だったりとかするんじゃない? ゲット・バッカーズって、同じ胎から生まれ出でてきてやしませんか?
しかも“違う時”の上から……
マジで伏線はりすぎ。登場人物さんたち、言わないこと多すぎなんだっつの。
でも個人的には、ひそかに赤屍さんとドクトルが2代目のメンバーなんじゃないかとか推測してたりする。彼らは別の次元に生きてて、“第一の世界”が完成した未来でできたゲットバッカーズだったりとかなんかしちゃったりして……
いや、それが実は“第3の世界”だったりするんじゃないか?
でも赤屍さんは、なんだか卑弥呼の出産に関係してるとかなんか言ってなかったっけか?
なんだオイ、みんな実は未来なのか?
“過去を奪り還せ”って、そういうことなのか?
でもう、なんでもありになっちゃってるよな。
時間軸はメチャクチャだわ、時間は歪むわ、しかも時空も次元も自由自在に操れるようになるわ、光は自由に曲げられるわ、そのくせ自在に光を反射させれるやつはいるわ、ヴァーチャルが現実より現実になってるわ、死んだ人も生きてる人も関係ないわだし。
最終的には菱木さんとかまで登場してくれんじゃねぇか?
時代は結局繰り返すか?
何回も何回も弥勒と戦うか?
だれが“今”を生きてる人なのか、全然わからん。ってか、ホントに生きてるのかも疑問。
だからあの“計画”が必要な世界だっつーのか?
ってことは、まず“ブレイントラスト”が“いつ”なのかってことになるよな……
まあ、そやって自分なりにいろいろああでもないこうでもないって考えるのが楽しかったんだよなぁ~。マジで。
何回、何巻も戻って読み返したかわかんねぇ。
しかしそのたびに、考えすぎて謎は深まるだけだったけど。
で、読み進めてって、“グハッ!?”ってなるのはもう快感に近かった。
あぁ~、ホントもったいねぇ。
もっと読みたい部分あるのにさぁ~。もっと掘り下げて描いてほしいとこ、なまらあるっつの。
蛮と銀次が出会ったとことか、なまら読みてぇ。さらに言えば、初代の波児とデル・カイザーのとこが読みてぇ。
でも今回知ったすべてのストーリーとしては、そこだけ抜粋して描くってのは難しいのか?
なんならホント、『スラムダンク』みたいな感じで、また描いてくれないかなと本気で願う。思う。こりゃ熱望だ。されば求め訴えたり。
今回の38巻、また泣かしていただきました。
いやぁ~“絆”って、ホントにいいもんですね。
予想としては、そして個人的には、最終的な一人は、蛮。
で、絆のセカイを創るんじゃないかな。
“悪魔とは、かつてはもっとも美しい天使だったのである”
っつーか、蛮と銀次って、実はホントの兄弟なんじゃね? デル・カイザーは普通の人間だったって言ってたけど、実は超絶頭いいんでない?
あ、でも、デル・カイザーが“蛮には母親の姓を名乗らせることにした”って言ってたっけな。でも世の中には再婚ってこともあるしねぇ~。それに時空もクソもないしねぇ~。
それで最後の言葉は“おれたち、二人で一人だろ?”みたいな……
それか、蛮もブードゥーチャイルドとか?
またどっちか“隠れステグマ持ち”なんじゃねぇのって。
バネッチも実はすげぇいい人なんでしょ?
バカみたいにすぐ殺すのは、同じぐらい自分が死にたいからじゃ~ないの? あのメスだって、実は全部自分がそれまでに助けられなかった人に使ったものなんじゃないの? 償いの意もこめて忘れないために……
ってか、銀次のお父さんて、赤屍さん? ってより、銀次の息子が赤屍さんだったり?
あんなに銀次につきまとうのって、親子だから? で、さらには銀次なら自分を殺せるだけのチカラを持ってるって確信した?
『超越者』って、なんか“聖痕”よりすごそうな感じじゃん?
で、それに勝てるったらもう、銀次ぐらいしかいないんじゃ? それとも、さらに上ゆく美堂蛮様か?
“母親代わり”とか言いつつも、ホントはマリーアさんが蛮のお母さんだったり?
でもあと『Get Backers』で未登場の肉親関係っつったら、なんだ?
孫と祖母は出てきたし、親子も既出。兄弟姉妹もあり、義理の親子もあり。まだ見ぬ親子も、死別も、生き別れも……ってもう、全部出たか?
じゃ、なんだ?
グランド・サンとかか?
ってもう、やっぱ“友情”っきゃないのかねぇ~。
ひょっとしたらひょっとして、蛮と銀次が親子だったりしちゃうのかい?
嗚呼、完結を前にして、また俺様の思考が無限城だ。
- April 4, 2007 10:38 AM
- [ ゲロ古 ]
ALWAYS DO MY BEST JOB!!
朝の6時半にバイト先の人から電話がきた。
一体WHY??
「……いや、おれもう帰ったからわからんわ」
「え? マジで? もう帰ったの?」
「うん」
俺様は夕方の6時からバイトだ。
なのに翌朝の6時半に電話で「もう帰ったの?」って、一体何時までいれってことなんだよ。何時までいると思ってんだよ、あんたは……
そんなこんなで、今日は、“仕事”ってものについての考察。
厳密にはバイト。いや、バイトも立派な仕事です。んじゃ、広義で仕事、狭義では“時給の人”ってとこかな。
まず、俺様は、遅刻が悪いことと思ってない。
まあ、自分ひとりしかいないとか、人数が少なくてほかの人に迷惑かかるとかってのは、また別の話。
それでも、あくまで仕事をするってことはしょせんお給料のためで、それがすなわち時給ってことだと思ってるため、俺様のなかでは“自分の時間を切り売りしてる”っていう感覚でしかない。
つまり、“仕事場にいない時間は、すべて自分の時間”ってこと。仕事をすることも、仕事のことを考える必要もまったくない。
さらに言えば、その会社に所属してるとも思ってない。職場っつーのは、ただ単に行って働いてお金をくれるっていうだけの場所。職場の外では、たとえ社長に会っても会長に会っても、馴染みの上司さんたちに会っても無視したって構やしない。でもまあ、それだとなにかしらの不具合が生じるかもしれないっていうだけ。
けど、職場へ行くなら、いったん行ったんなら、もうその時間はすべて、なくなるまで仕事のために費やすべし。
それが俺様の時給っていう制度への考え方。
能力もクソもねぇ。その時間内、タイムカードが支配するそのテリトリーでのマネー・トレードってだけのこと。時給だと、“Timecard is money”って感じ。
だから職場では、お金にならないこと、それすなわちムダなこと。お金にならないことは一切しない。
……ってのはまあ、ちと言いすぎだけど、しゃべることも仕事のうちと考える部分が多い。実際そういう感覚ってあると思う。まあ、職場、仕事をする上で必要なことって言ったほうが近いか。
なので、遅刻をして困るのは、結局自分しかいないってことだ。遅刻した分、お給料が減るってだけのこと。会社にすれば仕事はちゃんと終わるし、経費もいくばくかは軽減されるので、特にこれといったデメリットは考えられない。
要は、仕事さえちゃんとしてれば、なんら文句を言われる筋合いはないっつーことだ。
でも、遅刻した分は、必ずほかの人の負担になるって話にもなってくるんだけど、そのへんは時給制度のうまいとこかなと。
時給の人はきっと、だれもがそのへんをよくよく身にしみてわかってる。だから、それがイヤで出勤時間をしっかり守る人ってのも必ずいるわけだ。ましてや遅刻した減給なんてことになれば、なおさらじゃな。
なのできっと、俺様が思う範囲では、時給者のほうが意識は高いんじゃないかと。
固定給なら、どんなに休もうが遅刻しようが、お給料には特に変化はない。ボーナス月なんざ、いつもどおりに働いてるだけなのにお給料+アルファもらえるわけだ。そんなおいしい話あるかい。
遅刻1回いくらとか、なんかチマチマした罰金制とか敷いてる会社は別だろうが、実際にはそれと同じだけ“同伴”とかいう制度もありそうなもんだ。
そう考えると、一番仕事として厳しい社会って、“夜会貴族”の人たちなんだろうな。ホントにそう思ってる人もいるかもしれんが、俺様としてはよく、「水商売なんて」なことを聞くけど、実際には“そんな厳しい世界に身を投じることへの恐怖”が大半なんじゃないか? その言葉の裏には「今の安泰な生活を捨ててまで」っていう不安が無意識の本音なんじゃないか?
まあ、捨てる必要はないけども、やっぱ楽なんだろうと思う。
っつってもまあ、俺様の遅刻は、なんだかんだ言ったところで、時給制からくるほかの人への甘えでしかないんだけどな。
さてさて、ちょっと前に社員のタイムカードについて書いて、そして社員のタイムカード制がなくなった。
するとどうだろう。
社員さんたちの帰りが早いこと早いこと。
前は夜の10時とか、夜中の1時までいた人が、今となってはきっちり18時には鍵までかけて帰ってる。以前は、夜中の2時とか3時に来てた人も、6時とか7時まで来なくなった。管理職の人たちの残業手当てがなくなるとあらば、さっさと19時にはだぁ~れもいなくなるという始末。
なんだ、これ?
やればできるっつーことじゃん。
意識の変化って恐ろしいなと感じた。
それまでは与えられた仕事をその日の時間いっぱいで終えればいいっていう感じだったのが、お金にならないなら、できる限りすべての仕事を早く終わらせて帰ろうってことだ。
まあでも、そりゃそうだわな。
社員さんたちの口から「終わらねぇ~。早く帰りてぇ~」とかよく聞いてたけど、実際には“残りたいんだろ?”ぐらいにしか思ってなかった。
本当に早く帰りたいんなら、いくらでもその方法はあるはずだ。もしほかの会社の人の仕事、たとえば届くデータがあるとかも関係してるんであれば、その人に直接電話でもなんでもして、早くデータ送るように言えばいいだけの話だし。それをしないってのは、単にそれは自分の責任だと思うわけだ。
それが今となってはさっさと帰れるようになってるわけだしな。全部の仕事終わらないうちに帰ってるのかもしれんけど、それはそれでさらにすごいことじゃん。仕事残したままでも帰っていいってことなんだからな。
って、それやって困るのは自分だしってことなんだろうな、きっと。その日に言われたことさえきちんと終わらせておきゃ、あとは自己責任ってやつで片付けられるっつーことか。
たぶん、この縦社会ってのがダメなんだろうなとも思う。
個性とか才能とかじゃなく、ただただ“自発性”ってのをつぶすような気がする。
それまでの経験をもとに自分の判断からなにかしたとしても、それが結果的によくないことであれば、上司から怒られるだけの仕事になってしまったとかあると、人間やっぱやる気も失せるだろうて。
“活きがいいのは最初だけ”とはよく言ったもんだ。
でも上司にはまた上司がいて、さらにその上司には上司がいる。
それで上司は上司で「ただの怒られ役」とか言うくせに、その怒られた分はすべて部下に垂れ流すわけだ。
そんなこんなで“気がついたこと”とか、明らかに“やったほうがいいこと”でも、自発的にはしなくなってしまうんだと思う。で、それを同僚に言ってみても「直接言われてないから」とか「余計なこと」とか言われるようにまでなってしまう。
かといって、そこに気づかない上司が無能だとも言わない。
気づくのはあくまで自分であって、自分の能力なわけで、それは人のせいでも、人のおかげでもない。
「あっちがそう言ったんなら、それでいいんじゃない? あっちのほうが立場的に偉いし」
よくねぇだろう。
立場、立場、立場……いつもそればっかし。
“それでいい”って、明らかに自分でも違うってわかってんだろうに。
現場の人は、なんだかんだで現場が一番重要って思ってるくせに、なんか起きたらやっぱり立場的なもので自分に都合よく“会議室”のせいにするだけ。お客さんから間違ったデータが送られてきたのを上司に確認したら、挙句の果てには、もしなんかおかしくなったらそのデータ送ってきた客のほうが悪いってことにする。
やりたくないとか面倒くさいなら、ホントもう完全に人任せにしたほうがいい。中途半端に関わろうとするから、余計におかしくなるんだな。とりあえず頻繁に顔出しとくみたいな営業とは違うでしょう、管理するって。風邪ひいたら、とりあえず薬飲んどけって言ってるのと同じだ。
なので、俺様はここに提唱します。
“友達型組織”
トップとか代表とかはやっぱ必要だけど、なんか中途半端な係長とか課長とかはもういらない。みんな横一列。
本来、いや、まあ“本来”っていう言葉は好きじゃないけど、一応おカタい感じということで、組織とか集団っつーのはさ、目標というか目的というかは、みんな一応同じはず。
というわけで、みんなで共有するのはそれだけにして、あとは個人任せ。
そんな組織でいいんじゃないか?
ってか、それが一番いいんじゃないか? 理想的なんじゃない?
とんでもない失敗とかはあるかもしれんけど、自発的にみんながその目標達成のためによりよくしていこうっていう意識で成功もあるんじゃないかなと。長い目で見れば、成功のほうが多いんじゃないかと。
まあ、これなら賭けに近いか。
それでも自主的になにかしようっていう姿勢になるだろうし、お互いに協力もするだろうしさ……
……って、そうそう。
職場でなにかとよく聞く言葉がある。
「これはおれの仕事じゃない」
おかしくね?
「じゃあ誰の仕事なのよ?」
そりゃそう聞き返すさ。
最初にそれに触った人の仕事なのかっつー話だ。一番多くそれに触ってる人の仕事なのか。
俺様としては、そやって“その仕事は誰の仕事”とかって係を決めたりする時点で、ダメだと思うわけ。そのほうが効率がいいとか動きやすいっていう場面もあるかもしれんけどさ。
それはなにか起こったときに単なる責任を押しつけるための係みたいにしか思えないのだな。“あれはあの人の仕事だから”とか“わたしは知らない。おれは触ってない”とか“いつもやってるでしょ”とか、単なる責任逃れの口実かなと。
暗黙の了解ってのもまあ、あるってのが現状なんだろうけど、わざわざそういうのを決めようとする時点で終わってんなぁ~って感じてしまう。
そういう係って、小学生のころの掃除当番を思いだして、ホントいくつになっても気が重くなるだけ。
そんな係なんて作るぐらいなら、会社なんてもの自体いらないんじゃないかと思ってしまう。店舗での接客業でもないんなら、家に直通電話の回線引いて、今ならパソコン1台ありゃ事足りそうなもんだ。
仕事ってのは、まあ、これは仕事に限らず、家事でもいろんなことに言えることだけど、そういうのはホント気づいた人、やりたい人がやればいいんだと思う。やりたくないなら、やらなきゃいい。
俺様はもう、“やらない=やりたくない”って思うようになった。人間、ヤなことなんてできやしねぇさ。しょうがなくやったところで、結局逃げ道探してばっかになってんだから。
だから、仕事しない人はもう特に気にならない。というより、そういう人をいちいち気にしてたら、自分が余計に疲れるだけ。自分がやりゃいいだけの話なのだよ。もし自分しかいなくて、自分以外にやる人がいないんなら、どうせやるなら楽しもうよと思うのよ。
あ、これって単なる理想論? “それができりゃ苦労しない”?
だから苦労なんてする必要もねぇんじゃねぇかな。
苦しいと思うことをやろうとするから、それを苦労と感じるんでしょうに。ただそれだけじゃね?
まあ、みんながみんな俺様みたいな考え方じゃないってのもわかっちゃいるけどさ。
さあ、みなさんはどっちが嫌い? どちらがイライラする?
1.仕事はできるけど、あまりやらない人。
2.仕事はすごいできるってわけじゃないけど、常日頃からコンスタンスにがんばる人。
俺様、“2”。
結論から言うと、いざってときになにもできない人のほうがダメ。普段は別にあまりやらなくても、突然すげぇ忙しくなったりしたときですら、いつもどおりにやろうとする人が一緒に仕事してて一番イライラする。
この“いつもどおり”ってのがクセモンなんだな。
いつもどおりにできる仕事なんてありゃしないのさ、きっと。
マイペースってのは、ちょいモテ、カッコイイ言い方ってだけで、ただの自己中だとしか思えない。自分なりの仕事のやり方ってなら、それはそれで素晴らしい。でも、それならそれでうまくやれてんなら、まわりの人にも教えてあげるべきだと思うのよ。みんながそのペースでやれるようになれば、みんながうまくいくと思うんだな。
仕事においては臨機応変さ、ズバッと言ってしまえば、その場限りでもいいんじゃねぇかって思う。その場その場での仕事をきちっとこなしてれば、全体としてもきっとうまくいってる。先のことを考えた仕事ができれば、なおよしってだけなじゃないかな。
フリーで仕事してんならそれでいいと思う。ただ次がなくなるだけだから。
“仕事ができないからやらない” ── ごもっともだ。
それは当然で、本人がそれ以上を求めてないんだろうし、やろうとも思ってないわけだからやらなくていい。むしろ、やらないでほしいとさえ感じる。
それをやりたくないって人にやらせると、絶対と言っていいほど手ぇ抜くし、それが仕事に間違いなく出る。それじゃ意味がねぇ。余計な仕事を増やしてくれるってわけだ。だったら最初っから自分でやったほうが合理的で効率がいい。
で、さらには、途中からヒョコッと顔だして、自分が暇だから“なんか手伝えることないですか?”みたいな感じで中途半端に手伝われるのも邪魔になる。手伝ってもらう仕事の説明を、また一から説明しないといけないから。
そうだ ── その自分が暇だからってウロウロされるのがとっても目障り。
自分が暇で、しかも、でもまわりは仕事してる感じだから、自分だけ休んでるわけにいかないっていう心情なのよ。実際にはたいして手伝う気もないってことよ。
その気がないなら黙って座ってろっつの。音楽聴いてようが漫画読んでようが、構いやしないから。
って、こりゃただの文句だ。
なんだか先日、大泉さんが出てたらしい『派遣の品格』ってドラマ。
「社員がみんな無能だから、総入れ替えしてください」
そのセリフが実際の派遣社員さんたちのあいだで話題を呼んだらしい。自分も言ったことあったとか、そう思うとか。
でもそれってどうなのかと思う。
人を無能と言えるほど自分は有能なのか。
みんながそう言ってるからそう思えるだけなのか。自分もそれなりに“有能じゃない”って認めてるから、人のことも言ったっていいと思ってるのか。
社員が無能ならそれを変えればいいだけのこと。派遣社員て社員の人になにも言えないほど立場弱いのか?
でも、なんかよろしくないことを人に指摘するのって、ある程度は親しくないとできないってのも現状だわな。
まあ、んなこと言ってたらキリねぇか。社員てだけで自分は偉いって思ってる人も実際いるしなぁ~。それだけで自分より下だって思い込んでる人の話に耳貸さないなんてことは日常の最たる茶番でしょ。
というわけで、仕事ってそういうもんじゃねぇと思うのよ。
いない人のことをああだこうだブツブツ文句垂れて責めたところで、そこにある仕事は片付かないじゃん。
ってまた遅刻のことも含まれてるけど、仕事ってさ、結局そのときそこにある人やものでそれぞれにベストを尽くすことだと思うわけ。なにかほかに必要なものが出てきたら、それは自分でそれを補えばいいだけのこと。自分で仕事のペースを上げるとか、手ぇあいた人に手伝ってもらうとか。
自分でそれをやろうと思えば、そのための手段はいくらでも考えだせるってわけ。必要になれば自然と自分で動くじゃん。
まず仕事中に、今一番必要なのはなにかって思ったら、そのときそこにある仕事を終わらせること以外、なにもないんだな。
ないものねだりしたってしょうがないのよ。常に自分のそのときどきのベストをぶつけるのみよ。
人間、どうしても眠い日はあるし、気分が乗らないときだって、急にやる気出てくるときだってあるじゃない。自分よりできる人の足引っ張ったってしょうがないし、自分よりできない人を責めたってなんも変わりゃしない。
肩書きとか立場とか、そんなのにとらわれてたんじゃ、なんもできなくなっちゃうじゃん。
で、それを口実に自分もなにもしなくなっちゃうじゃん。
やるからには、徹底的にやれなきゃ意味がない。そこにいる必要もない。
“それでお金もらってるんだから”って言うのなら、それで同情買うような仕事はいかんよな。
バイトで一緒の人がこんなことを言った。
「社保とか雇用保険とかつけたら、いつまでもいちゃいそうだけどね。そんな気がする」
うまいこと言った!!
まあ、好き放題書いてきたけども、そんな俺様が完全に能力主義な会社に入ったら、ちゃんと通用するのかって言われたらアータ……
そりゃ自信ないよな。
でも、だからがんばるんじゃん。がんばれるんじゃん。
ALWAYS DO MY BEST JOBじゃけぇ!!
ナウな仕事こなしてこうぜ!!
やるなら完璧、やっぱ目指そうじゃない。
- April 3, 2007 8:53 AM
- [ ゲロ古 ]
EDIROL FA-66のドライバがWindows Vistaに対応!!
EDIROLさん、やってくれましたな。
FA-66もついに3月30日付けで、今をときめくWindows Vistaに対応!!
いやぁ~、ナイスです。実にナイス。
もうかれこれVista買ってからどれぐらい経ってたんでしょうか……1ヶ月ぐらいか。
ここまでくるとさ、なんかこう、なんも問題なくすべてが順調に動くXPのほうがいいのかぐらいに思いはじめてた。
買って初日にすぐ、これからVistaにするという方へ少なからず参考になればと動画で撮影しながらアップグレードしてみたけど、FA-66というEDIROLさんのオーディオ・インターフェイスだけが未対応という始末。
ほかのソフトとかWEBカメラとかのドライバぐらいなら、特にそんな使わないし、そのままとりあえずアップグレードしといて対応するまで待てただろうさ。
しかし、オーディオ・インターフェイスは、致命的。それを犠牲にするってことは、切り傷で絆創膏は貼るけど消毒はしないみたいな感じだ。
だがしかし ──
ついに俺様も待望のVista国民と相なれた!!
いいじゃな~い。やっぱカッコイイじゃな~い。
Aeroがいいやな。
なんかVistaと言えば、透明感みたいな感じしてたけど、でも実際見ればやっぱそこがいいのかね。人間って透明感に弱いのかしら。透明感のある人って、何が、どこがってこともないけど、なんとなく限りない魅力を感じるもんなぁ~。
インターフェイスは限りない進化を遂げたと思う。
まあ、Macのパクりって印象だったけど、それもやっぱそう感じるかな。
でも、やっぱ後発だけに、Vistaはその上をいった感があるなぁ~。
とはいえ、やっぱしまだまだVista未対応のものが多い……多すぎる。
さっそく外付けしてたハードディスク1つが使えない。せっかくeSATAのを買ったのに、結局USBで接続してる。Hi-Speedとはいえ、遅ぇ。赤子が居眠りしちまうぐらい遅ぇ。
あとはBluetoothのヘッドセットも使えない。受信用のUSBアダプタが未対応らしい。でもたぶん、これは“未”じゃなくて、“非”なような気がしてならない。かなりまいるぜ。まあ、最近じゃケータイぐらいでしか使わなくなったから、そうデカい落胆ではないけどもさ。
それでも使えない機器が増えるってのは、やっぱなんか悲しいな。ずっと伸ばしてて切った髪を眺めてる感じ。
とはいえ、正式には対応してないったって、とりあえずは動くみたいなのもあるから無問題。
あ、そうそう。
なんかXPのときにパッケージで買ったソフトのCDとかDVDな、ほとんど役に立たなくなったわ。
ほとんどのソフトがサイトからダウンロードしたやつでインストールって感じ。Vistaに対応させるアップロードのダウンロードだけでもけっこう手間かかる。そうとう面倒くせぇ。
『Norton Internet Security 2007』なんざ、買ってきたパッケージのCDからインストールしようとしたら、なんか“互換性に問題がありますよ”みたいなエラー出て拒否られるのよ。インストールもそこでストップするし、それ以降もインストールできないよ?
たしか“問題の解決策”だかってやつで【Symantec】さんのサイトに行けみたいなこと言われるんだわ。
最初、“オイオイ、またやりなおしかよ”って焦ったけど、【Symantec】さんのサイト内、あっちこっち探しまわってたらあった。マジ助かったっす。
そこからダウンロードしたやつでインストールしないといけないので、そこ要注意。
ってか、問いたい。
Windows Vistaが“Norton”関係サポートしてないってどういうことよ、それ?
しかもVistaのヘルプのところにがっつり名指しで出るってどうよ?
話じゃ、世界No.1シェアのウィルス対策ソフトなんだべさ?
そんなに自分らのなんか新しく出した『OneCare』だかっての使ってほしいのか?
でも“Anti-Virus Comparative No.13”っていう調査じゃ、“推奨せず”ってとこにしっかりランクインしてんじゃん。
結局のところは無事インストールできたし、インターフェイスもカッチョよく表示されてるし、しっかり稼動してくれてるから問題ないんだけどさ。
しかし、今ちょっと読んでみて、かなり気になった ── これ。
- G DATA Security:『AntiVirusKit(AVK)』
- 2007年版 最多受賞:世界中のテスト機関・パソコン専門誌で行われた性能テストにおいて、GDATA 製品の2007年バージョンはヨーロッパで25冠。日本で3冠を受賞。これだけの賞を2007年バージョンにおいて受賞している製品は他にはありません。
……たしかに。
そんなに受賞してるソフトなんざ、ほかのどんなジャンルのソフトだってもらってねぇんじゃない?
このソフト、ちょっとスゴすぎなんじゃねぇのって。
今年の『Internet Security』の有効期限切れたら、次のやつ買って試してみようかなぁ~。
なにごとも経験であり、冒険あっての豊かな人生さ。
そだ。
あと、ちょっと疑問。
なんかディスプレイのまん中、掌ちょうど1つ分ぐらいの幅で中央の縦部分だけ、映りにゆがみっていうか、にじみっていうか、ぼやけっていうか、そういうのがある。ムラかな。
DELLのディスプレイは昔っからクソだって言われてたらしいけど、こういうこと? これ?
でも今はもうかなり改善されて、Macのサブディスプレイとして使ってるって人も少ないと聞いたことあるんだけど?
しかしながら、Internet Explorer 7の表示を見てる限りでは、半角のアルファベットにも同じようなにじみが出てる。使ってるフォントの関係もあるんだろうけど、たいがいがぼやけて表示されてる。
厳密に言えば、一番顕著なのはきっと“Tahoma”で、それは普通の日本語フォントと並んでると、ものすごい違いが出てる。“Verdana”もそうだと思われる。半角英数字の部分だけ、ぼや~っとしたように表示されるらしい。
あ、こういうもん?
まあ、欧文フォントと和文フォントだからしょうがないのかもしれんけど、ちょっとムラになりすぎじゃない?
って、もしかしておれだけ?
しかし“Firefox”とか“Opera”だと、特に問題なく表示されてる。“Opera”は危ういけど、“Firefox”では、間違いなくきちんとした表示になってる。
やっぱおかしくね?
この期に及んで、またInternet Explorer独自のなんだかって搭載させてんのか?
やめろよ、もう。
独自のやつ使ってるくせにバグ多すぎだっつの。応用するってのは、まず基本ができてからだろってばよ。まずはちゃんと表示させるようにしてから独自の機能つけてくれ。しかも拡張として。
使い方とか表示のされ方は、特にXPのときと変わってない。インターネット・オプションだって、インターフェイスだけ変わったぐらいじゃん。タブも一緒。項目すらほとんど一緒。
コントロールパネルもちょっと細かくなったぐらいで、あとは大差なし。
Vistaになって、全体的になんかゴチャゴチャ説明とかの部分でちょっと親切すぎるかなぁ~って感はあるけど、初めてのパソコンって人にはわかりやすいような気もしないでもない。すっげぇ細かい。よく言えば、抽斗が増えた。悪く言えば、うぜぇ。
でも、しばらくして必要なくなったものは、コンポーネントの削除とかアンインストールできそうな感じに1つ1つバラバラに作ってくれてそうな感じがいい。あの“ウェルカム・センター”なんて最初だけで充分だ。
あと、なんだかスコアっていう、なにやらWindowsのほうでこちらのパソコンの性能を評価してくれて、それを数字で表してくれる点数だって、いらなくね? ってかそんなん、余計なお世話じゃねぇの?
ほかにももっといろいろイジりだせば、いらねぇゴミばかりのような気がするVista。初めてパソコンに触る人を意識した作りですごい親切なのはわかるけど、たぶんそういう人って、なんかわからなくても、どやってその解決策を調べたらいいかもわからないんじゃないかって気がするけど。そういう人って、自分で調べるよりまず知ってる人に聞くんじゃね?
人はパソコン大好きだろうけど、頼るってことはしないのよ。
ってまあ、なにが一番かかと問われたならば、設定の変更とかソフトとかのインストールのとき、いちいち許可を求めてくるってあれが煩わしいことこの上ない。1つのものに対して、2回も許可しないといけない。“この処理を続行するか”と“許可”と。さらには“安全じゃない”とかまで言ってくることもある。
どうにかして止める方法はないもんか……マウスのバッテリーの減りが早くなるぜよ。
うぁ~っと!! 危ねぇ、忘れるとこだった!!
Windows Vistaへの移行にともなって、きっと道産子たちのあいだで、もっとも悩みの種になっていただろうデメリット── インターネットバンキング。
さらに具体的に言えば、きっとここ。
“北洋ダイレクト”
違う?
できたよ。
明日。
たしか3日。書いてるのは3日だから。
3日後ぉ~の日記ぐらぁ~い大目に見てよ。
これでもう移行しぶる口実として“ネットバンキング”は通用しなくなったぜ?
UFJさんはわりと早くに対応した。北海道銀行は知らん。eBANKはきっともう対応してるはず。あとは知らん。
でもなんか今はまだ“動作確認中”ってことでお知らせんとこに掲載されてたけど、とりあえず動いたからいんじゃない?
しかし、インターネットで銀行の取引できるって、あれはホント便利だからなぁ~。悩むわな。
でもカッコよさとか最先端に触れたいとか、まだXPで充分だって人は、Vistaはオススメはしないかなぁ~。
親切だったり綺麗だったりってのはあるけど、なんかあれで慣れちゃうってのはどうかと思うのよねぇ~。やっぱ、環境によっては、なんだかんだで重いとも思うし。
昔から使ってるパソコンで、ホントに古いとかなら、Vistaは入れないほうがいいでしょう。それならXPが、安定性でもそれなりのカッコよさでも最適なんじゃないかなと思われる。
個人的な実感だと、Vistaは、まだそんなにイジッてないからとはいえ、Windowsの起動ならXPに比べてもかなり速いと思う。操作性もいい感じ。
“なんだ、意外にけっこう快適じゃん”
それが現時点での俺様的Vistaのキャッチコピー。
でも、もしこれが昔のパソコンなら、たとえ1つ前のパソコンだったとしても、ちょっとヤバいかもって一瞬感じた。昔のやつなら、まず動かないんじゃないかって笑いそうになった。
ホント、Microsoftのほうで提唱してる“推奨環境”もダテじゃねぇな。
そのうちアップグレードの際の動画も公開したいなと思っていますが、とその前に今俺様ができること、2回のインストールに学んだ教訓として、できればクリーンインストールできる新規でのVista購入がオススメ。
なんかアップグレードだと、前のOSの情報が“old”っていうファイルの扱いになって残るらしいし、ハードディスクのスキャンのときには、そのXPのファイルも全部スキャンするので、そうとう時間のロスがムダに大きくなるかなと ── 見た感じそのファイル自体、めっちゃデカそうだし。
あ、もしアップグレードするんであれば、いったんハードディスクをフォーマット、以前のOSを再インストールしてきれいにした状態で、Vistaにアップグレードしたほうがよろしいかなと思ふ。
いろいろファイルとかソフトとかが入ったままの状態でやると、入れ替え途中の待ち時間にかなりの差が生じるんじゃないかと思うのです。最初のアップグレードのとき、なまら時間かかったの。
でも今回はそんなにかからず、XPの再インストール分も含めて、OSの入れ替えだけなら、2、3時間じゃないかなと予想されます。非常にあてにならないかと思いますが、ハードディスクに以前のOSのみっていう状態でのアップグレードなら、たいしてかかりませぬ。疑問に思う方は、実際に試してみるとよろしいですよ。きっと途中でやめますから。
あと、説明書にも書いてるけど、インストールするハードディスク、あるいはパーティションがすでに決まってる場合は、“カスタム”で!!
それもけっこう重要なのかなと思うのです。初回はそれをしなかったので。
まあでも、なんだかんだ言っても、Vista、いんじゃね?
恐ろしいほどにいい方向へと様変わりしたなぁ~。代わり映えってやつか。変貌ってやつか、整形美人てやつか。
俺様としては、Vistaけっこうオススメですなぁ~。機能美っていう点の欠如は、個人的には感じるけど、ただ美しいものが好きなだけの俺様は、これでよろし。そのカッコよさにもうメロリンQですわ。
憧れのフリップ 3Dに感動し、Windows Aeroにやられ、タスクバーのサムネールにはまいった。Aeroもサムネイル化も、実際には特に必要ないんだけどさ。
なにはともあれ、Vistaは、グラフィックの処理速度、CPUの処理速度が命みたいな気がする。命が2つに増えてもうた。
俺様のパソコンでは、Vista脳に言わせると、ゲーム・グラフィックだか3Dグラフィックだか、そっち関連に弱いんだそうだ。たしかに動画の編集をはじめると、急に“無理させてごめんな、ハニー”って感じるようになるからな。
でもやっぱ、パソコンの結局はCPUなのかねぇ~。
とはいえ、そんなシステムのことなんざまったく知識のない俺様なんで、今んとこまだ全体としての、パーツとしての美しさぐらいしか、現時点でVistaに移行するメリットは実感できてないけど、これからでしょ。
俺様はXPの初期段階は知らないからなんとも言えないけど、今となっちゃなにかと評価の高いXPもさ、最初はこんな感じだったらしいじゃん?
初期のころなんて“使えねぇ”とまで言われてたらしいじゃん。
でもVistaは最初っからけっこう使えてるよ?
いんじゃね?
Vista。
んじゃまぁ~、とりあえずチェスでも試してみっかな。
- April 2, 2007 1:02 AM
- [ ゲロ古 ]
『SAYURI』-Memoirs of Geisha チャン・ツィイー / ミシェール・ヨー
そして本日、起きたときには、またも寝ぐせがひどかった。正面から見ると雑草で作った皿のようであり、横から見ると、古代ギリシャの偉人たちの頭にある飾りのようだった。あるいは、髪でできた河童の皿。しかも、かるくリーゼント風。
しかしながら、寝起きからTake a pictureするほどの気力はなく、歯を磨いて部屋に戻ったら、また寝た。
あ、そういえば、今日は、DVDの『SAYURI』を観た。原題なのか英題では『Memoirs of Geisha』というらしい。
俺様が愛してやまないチャン・ツィイーが主演。もうこれだけで観たといっても過言じゃない。まあ、そのほかにも、ミシェール・ヨーさんも出てるってことだったんで、これは観ないわけにいかないでしょう。
で、映画を観てみりゃ、その2人の存在感がひときわ。たぶん日本人より着物が似合ってたんじゃね?
もっと着物が似合う日本人はいるんだろうけど、でも、それは言いすぎではないと思う。
着物っつーのは、着る人の品格というか、品の織り成す空気も一重になるのかっつーぐらい美しい。
その前に、山口智子さんの『山笑う』って番組を見てた影響もあるのかねぇ~。
日本文化の美しさを時間いっぱい突きつけられた感じ。なんかいろいろあったけど、俺様が死にかけるほどに感動した“桑指物”の巧み、そしてこの『SAYURI』にも通ずる“江戸小紋”の粋。
それもあってか、映画全体に映えるその美しさにやられたって感じ。もっかい観たら、たぶんまた違った観方になるんだろうなと思う。
でもやっぱし、チャン・ツィイーとミシェール・ヨーさんの美しさは、ホント別格だと思う。
たぶん“品”ってやつなんだろうな。
で、それはきっと、生まれついてのもんなんだろうなぁ~。あとからじゃ、それは身につけられないもんだろうと思う。
優雅さとか美しさとかも超越した空気感っつーのか?
今な感じで平たく言えば“オーラ”ってことになるんだろうけど、俺様のなかでは、それとはちょっと違う。まあ、言い方だけだろって言われればそれまでなんだろうけど、ちーと違和感があるわけだ。
たとえば、オーロラと陽炎の違いっつーのかねぇ~……
それについてはまあいいや。
日本が舞台で、普段は思いっきり日本語しゃべってんのに、主演な感じの人だけが英語っつーのは、どう考えてもおかしいだろう。
敗戦後のことならわかるさ。でもさ、突然日本語が出たあとで、すぐまた英語でしゃべりだすってのは、やっぱし日本人として違和感があるよなぁ~、あれ。芸者さんも英語だし、女中さんも英語だし、将軍だかなんだか知らねぇけど、軍隊の人も英語で話すってどうなのよ。しかも、がっつり日本人家族の出で、生粋の日本人じゃねぇのか?
ってまあ、やっぱそのへんは外国の人が作った日本映画だし、主演格な人がみんな日本人じゃないっぽいから仕方ないのかとも思う。
あとあと、しょっぱなから出てくる回想の声ってあれ、なんとなくだけど、実際にはチャン・ツィイーの声じゃなくね? チャン・ツィイー役の回想なんだよね?
でも、チャン・ツィイーにしては、なんとなく弱冠声が太いような気がするんだが……
最初っから、よくありがちな主演の人と見せかけて、実はその側近とか親友役の人の回顧録なのかなとか思ったぐらいだ。俺様としては、ミシェール・ヨーさんが出てきた時点で、実はミシェール・ヨーさんの語りなのかって思った。
それもまあいいさ。
きっと日本人が作ってたら、チャン・ツィイーもミシェール・ヨーも出てなかっただろうし、ただの映像美映画になってただろうから。
チャン・ツィイーは美しい。別格だ。あの“アジアン・ビューティー”ってのは、ホントうまいこと言ったなと思う。
ミシェール・ヨーも美しい。美しさの格が違う。この人を見ると、どうしても思い出す人がいるんだけども、その人とも美しさは違う。
チャン・ツィイーが絵画的な美しさなら、ミシェール・ヨーは、ホント彫刻的な美しさとでも言いましょうか。いや、逆かもしれんな。
でもまあ、二人とも絵になる美しさってことに変わりはないやな。
美しさに1つも2つもくっつく言葉は、みんな一緒だ。
とはいえ、この『SAYURI』も、そこまで映像美っていうわけじゃなかった。こういう映画ってだいたいが映像美でも引っ張ろうとする感じがあるけど、これはそうじゃない。
なんか日本が舞台だし、芸者さんの話だし、それなりには映像にも期待してただけに、ちょっと落胆。
外国の人が見る日本だから、色彩から配色から、なんでもかんでも強調されるんだろうなと思ってた。桜は桜で、芸者さんは原色的な存在感を放つんだろうとか勝手に想像してた。
でも違った。
景色はまあ、やっぱ多少の誇張は感じた。
でも、現代においての非現実的なリアルさは強烈だった。
なんか映画のなかでも言ってたけど、“これはある女の物語”っていうのを強く感じた。
まあ、映画自体はそんなおもしろいわけじゃないけど、もっかい観ようと思ふ。
──── 明日は我が身 ────
- April 1, 2007 2:01 AM
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