ALWAYS DO MY BEST JOB!!

 朝の6時半にバイト先の人から電話がきた。


 一体WHY??


「……いや、おれもう帰ったからわからんわ」
「え? マジで? もう帰ったの?」
「うん」


 俺様は夕方の6時からバイトだ。
 なのに翌朝の6時半に電話で「もう帰ったの?」って、一体何時までいれってことなんだよ。何時までいると思ってんだよ、あんたは……


 そんなこんなで、今日は、“仕事”ってものについての考察。
 厳密にはバイト。いや、バイトも立派な仕事です。んじゃ、広義で仕事、狭義では“時給の人”ってとこかな。


 まず、俺様は、遅刻が悪いことと思ってない。
 まあ、自分ひとりしかいないとか、人数が少なくてほかの人に迷惑かかるとかってのは、また別の話。
 それでも、あくまで仕事をするってことはしょせんお給料のためで、それがすなわち時給ってことだと思ってるため、俺様のなかでは“自分の時間を切り売りしてる”っていう感覚でしかない。
 つまり、“仕事場にいない時間は、すべて自分の時間”ってこと。仕事をすることも、仕事のことを考える必要もまったくない。
 さらに言えば、その会社に所属してるとも思ってない。職場っつーのは、ただ単に行って働いてお金をくれるっていうだけの場所。職場の外では、たとえ社長に会っても会長に会っても、馴染みの上司さんたちに会っても無視したって構やしない。でもまあ、それだとなにかしらの不具合が生じるかもしれないっていうだけ。
 けど、職場へ行くなら、いったん行ったんなら、もうその時間はすべて、なくなるまで仕事のために費やすべし。
 それが俺様の時給っていう制度への考え方。


 能力もクソもねぇ。その時間内、タイムカードが支配するそのテリトリーでのマネー・トレードってだけのこと。時給だと、“Timecard is money”って感じ。
 だから職場では、お金にならないこと、それすなわちムダなこと。お金にならないことは一切しない。


 ……ってのはまあ、ちと言いすぎだけど、しゃべることも仕事のうちと考える部分が多い。実際そういう感覚ってあると思う。まあ、職場、仕事をする上で必要なことって言ったほうが近いか。
 なので、遅刻をして困るのは、結局自分しかいないってことだ。遅刻した分、お給料が減るってだけのこと。会社にすれば仕事はちゃんと終わるし、経費もいくばくかは軽減されるので、特にこれといったデメリットは考えられない。
 要は、仕事さえちゃんとしてれば、なんら文句を言われる筋合いはないっつーことだ。


 でも、遅刻した分は、必ずほかの人の負担になるって話にもなってくるんだけど、そのへんは時給制度のうまいとこかなと。
 時給の人はきっと、だれもがそのへんをよくよく身にしみてわかってる。だから、それがイヤで出勤時間をしっかり守る人ってのも必ずいるわけだ。ましてや遅刻した減給なんてことになれば、なおさらじゃな。
 なのできっと、俺様が思う範囲では、時給者のほうが意識は高いんじゃないかと。


 固定給なら、どんなに休もうが遅刻しようが、お給料には特に変化はない。ボーナス月なんざ、いつもどおりに働いてるだけなのにお給料+アルファもらえるわけだ。そんなおいしい話あるかい。
 遅刻1回いくらとか、なんかチマチマした罰金制とか敷いてる会社は別だろうが、実際にはそれと同じだけ“同伴”とかいう制度もありそうなもんだ。


 そう考えると、一番仕事として厳しい社会って、“夜会貴族”の人たちなんだろうな。ホントにそう思ってる人もいるかもしれんが、俺様としてはよく、「水商売なんて」なことを聞くけど、実際には“そんな厳しい世界に身を投じることへの恐怖”が大半なんじゃないか? その言葉の裏には「今の安泰な生活を捨ててまで」っていう不安が無意識の本音なんじゃないか?
 まあ、捨てる必要はないけども、やっぱ楽なんだろうと思う。
 っつってもまあ、俺様の遅刻は、なんだかんだ言ったところで、時給制からくるほかの人への甘えでしかないんだけどな。


 さてさて、ちょっと前に社員のタイムカードについて書いて、そして社員のタイムカード制がなくなった。
 するとどうだろう。
 社員さんたちの帰りが早いこと早いこと。
 前は夜の10時とか、夜中の1時までいた人が、今となってはきっちり18時には鍵までかけて帰ってる。以前は、夜中の2時とか3時に来てた人も、6時とか7時まで来なくなった。管理職の人たちの残業手当てがなくなるとあらば、さっさと19時にはだぁ~れもいなくなるという始末。


 なんだ、これ?
 やればできるっつーことじゃん。
 意識の変化って恐ろしいなと感じた。


 それまでは与えられた仕事をその日の時間いっぱいで終えればいいっていう感じだったのが、お金にならないなら、できる限りすべての仕事を早く終わらせて帰ろうってことだ。
 まあでも、そりゃそうだわな。


 社員さんたちの口から「終わらねぇ~。早く帰りてぇ~」とかよく聞いてたけど、実際には“残りたいんだろ?”ぐらいにしか思ってなかった。
 本当に早く帰りたいんなら、いくらでもその方法はあるはずだ。もしほかの会社の人の仕事、たとえば届くデータがあるとかも関係してるんであれば、その人に直接電話でもなんでもして、早くデータ送るように言えばいいだけの話だし。それをしないってのは、単にそれは自分の責任だと思うわけだ。


 それが今となってはさっさと帰れるようになってるわけだしな。全部の仕事終わらないうちに帰ってるのかもしれんけど、それはそれでさらにすごいことじゃん。仕事残したままでも帰っていいってことなんだからな。
 って、それやって困るのは自分だしってことなんだろうな、きっと。その日に言われたことさえきちんと終わらせておきゃ、あとは自己責任ってやつで片付けられるっつーことか。


 たぶん、この縦社会ってのがダメなんだろうなとも思う。
 個性とか才能とかじゃなく、ただただ“自発性”ってのをつぶすような気がする。
 それまでの経験をもとに自分の判断からなにかしたとしても、それが結果的によくないことであれば、上司から怒られるだけの仕事になってしまったとかあると、人間やっぱやる気も失せるだろうて。
 “活きがいいのは最初だけ”とはよく言ったもんだ。


 でも上司にはまた上司がいて、さらにその上司には上司がいる。
 それで上司は上司で「ただの怒られ役」とか言うくせに、その怒られた分はすべて部下に垂れ流すわけだ。
 そんなこんなで“気がついたこと”とか、明らかに“やったほうがいいこと”でも、自発的にはしなくなってしまうんだと思う。で、それを同僚に言ってみても「直接言われてないから」とか「余計なこと」とか言われるようにまでなってしまう。


 かといって、そこに気づかない上司が無能だとも言わない。
 気づくのはあくまで自分であって、自分の能力なわけで、それは人のせいでも、人のおかげでもない。


「あっちがそう言ったんなら、それでいいんじゃない? あっちのほうが立場的に偉いし」
 よくねぇだろう。
 立場、立場、立場……いつもそればっかし。
 “それでいい”って、明らかに自分でも違うってわかってんだろうに。


 現場の人は、なんだかんだで現場が一番重要って思ってるくせに、なんか起きたらやっぱり立場的なもので自分に都合よく“会議室”のせいにするだけ。お客さんから間違ったデータが送られてきたのを上司に確認したら、挙句の果てには、もしなんかおかしくなったらそのデータ送ってきた客のほうが悪いってことにする。
 やりたくないとか面倒くさいなら、ホントもう完全に人任せにしたほうがいい。中途半端に関わろうとするから、余計におかしくなるんだな。とりあえず頻繁に顔出しとくみたいな営業とは違うでしょう、管理するって。風邪ひいたら、とりあえず薬飲んどけって言ってるのと同じだ。


 なので、俺様はここに提唱します。


 “友達型組織”


 トップとか代表とかはやっぱ必要だけど、なんか中途半端な係長とか課長とかはもういらない。みんな横一列。
 本来、いや、まあ“本来”っていう言葉は好きじゃないけど、一応おカタい感じということで、組織とか集団っつーのはさ、目標というか目的というかは、みんな一応同じはず。
 というわけで、みんなで共有するのはそれだけにして、あとは個人任せ。
 そんな組織でいいんじゃないか?


 ってか、それが一番いいんじゃないか? 理想的なんじゃない?


 とんでもない失敗とかはあるかもしれんけど、自発的にみんながその目標達成のためによりよくしていこうっていう意識で成功もあるんじゃないかなと。長い目で見れば、成功のほうが多いんじゃないかと。
 まあ、これなら賭けに近いか。
 それでも自主的になにかしようっていう姿勢になるだろうし、お互いに協力もするだろうしさ……


 ……って、そうそう。
 職場でなにかとよく聞く言葉がある。


「これはおれの仕事じゃない」


 おかしくね?


「じゃあ誰の仕事なのよ?」


 そりゃそう聞き返すさ。
 最初にそれに触った人の仕事なのかっつー話だ。一番多くそれに触ってる人の仕事なのか。


 俺様としては、そやって“その仕事は誰の仕事”とかって係を決めたりする時点で、ダメだと思うわけ。そのほうが効率がいいとか動きやすいっていう場面もあるかもしれんけどさ。
 それはなにか起こったときに単なる責任を押しつけるための係みたいにしか思えないのだな。“あれはあの人の仕事だから”とか“わたしは知らない。おれは触ってない”とか“いつもやってるでしょ”とか、単なる責任逃れの口実かなと。


 暗黙の了解ってのもまあ、あるってのが現状なんだろうけど、わざわざそういうのを決めようとする時点で終わってんなぁ~って感じてしまう。
 そういう係って、小学生のころの掃除当番を思いだして、ホントいくつになっても気が重くなるだけ。
 そんな係なんて作るぐらいなら、会社なんてもの自体いらないんじゃないかと思ってしまう。店舗での接客業でもないんなら、家に直通電話の回線引いて、今ならパソコン1台ありゃ事足りそうなもんだ。


 仕事ってのは、まあ、これは仕事に限らず、家事でもいろんなことに言えることだけど、そういうのはホント気づいた人、やりたい人がやればいいんだと思う。やりたくないなら、やらなきゃいい。
 俺様はもう、“やらない=やりたくない”って思うようになった。人間、ヤなことなんてできやしねぇさ。しょうがなくやったところで、結局逃げ道探してばっかになってんだから。
 だから、仕事しない人はもう特に気にならない。というより、そういう人をいちいち気にしてたら、自分が余計に疲れるだけ。自分がやりゃいいだけの話なのだよ。もし自分しかいなくて、自分以外にやる人がいないんなら、どうせやるなら楽しもうよと思うのよ。


 あ、これって単なる理想論? “それができりゃ苦労しない”?


 だから苦労なんてする必要もねぇんじゃねぇかな。
 苦しいと思うことをやろうとするから、それを苦労と感じるんでしょうに。ただそれだけじゃね?
 まあ、みんながみんな俺様みたいな考え方じゃないってのもわかっちゃいるけどさ。


 さあ、みなさんはどっちが嫌い? どちらがイライラする?


1.仕事はできるけど、あまりやらない人。
2.仕事はすごいできるってわけじゃないけど、常日頃からコンスタンスにがんばる人。


 俺様、“2”。
 結論から言うと、いざってときになにもできない人のほうがダメ。普段は別にあまりやらなくても、突然すげぇ忙しくなったりしたときですら、いつもどおりにやろうとする人が一緒に仕事してて一番イライラする。
 この“いつもどおり”ってのがクセモンなんだな。
 いつもどおりにできる仕事なんてありゃしないのさ、きっと。


 マイペースってのは、ちょいモテ、カッコイイ言い方ってだけで、ただの自己中だとしか思えない。自分なりの仕事のやり方ってなら、それはそれで素晴らしい。でも、それならそれでうまくやれてんなら、まわりの人にも教えてあげるべきだと思うのよ。みんながそのペースでやれるようになれば、みんながうまくいくと思うんだな。
 仕事においては臨機応変さ、ズバッと言ってしまえば、その場限りでもいいんじゃねぇかって思う。その場その場での仕事をきちっとこなしてれば、全体としてもきっとうまくいってる。先のことを考えた仕事ができれば、なおよしってだけなじゃないかな。
 フリーで仕事してんならそれでいいと思う。ただ次がなくなるだけだから。


 “仕事ができないからやらない” ── ごもっともだ。
 それは当然で、本人がそれ以上を求めてないんだろうし、やろうとも思ってないわけだからやらなくていい。むしろ、やらないでほしいとさえ感じる。
 それをやりたくないって人にやらせると、絶対と言っていいほど手ぇ抜くし、それが仕事に間違いなく出る。それじゃ意味がねぇ。余計な仕事を増やしてくれるってわけだ。だったら最初っから自分でやったほうが合理的で効率がいい。
 で、さらには、途中からヒョコッと顔だして、自分が暇だから“なんか手伝えることないですか?”みたいな感じで中途半端に手伝われるのも邪魔になる。手伝ってもらう仕事の説明を、また一から説明しないといけないから。


 そうだ ── その自分が暇だからってウロウロされるのがとっても目障り。
 自分が暇で、しかも、でもまわりは仕事してる感じだから、自分だけ休んでるわけにいかないっていう心情なのよ。実際にはたいして手伝う気もないってことよ。
 その気がないなら黙って座ってろっつの。音楽聴いてようが漫画読んでようが、構いやしないから。
 って、こりゃただの文句だ。


 なんだか先日、大泉さんが出てたらしい『派遣の品格』ってドラマ。


「社員がみんな無能だから、総入れ替えしてください」


 そのセリフが実際の派遣社員さんたちのあいだで話題を呼んだらしい。自分も言ったことあったとか、そう思うとか。
 でもそれってどうなのかと思う。
 人を無能と言えるほど自分は有能なのか。
 みんながそう言ってるからそう思えるだけなのか。自分もそれなりに“有能じゃない”って認めてるから、人のことも言ったっていいと思ってるのか。


 社員が無能ならそれを変えればいいだけのこと。派遣社員て社員の人になにも言えないほど立場弱いのか?
 でも、なんかよろしくないことを人に指摘するのって、ある程度は親しくないとできないってのも現状だわな。
 まあ、んなこと言ってたらキリねぇか。社員てだけで自分は偉いって思ってる人も実際いるしなぁ~。それだけで自分より下だって思い込んでる人の話に耳貸さないなんてことは日常の最たる茶番でしょ。


 というわけで、仕事ってそういうもんじゃねぇと思うのよ。
 いない人のことをああだこうだブツブツ文句垂れて責めたところで、そこにある仕事は片付かないじゃん。


 ってまた遅刻のことも含まれてるけど、仕事ってさ、結局そのときそこにある人やものでそれぞれにベストを尽くすことだと思うわけ。なにかほかに必要なものが出てきたら、それは自分でそれを補えばいいだけのこと。自分で仕事のペースを上げるとか、手ぇあいた人に手伝ってもらうとか。
 自分でそれをやろうと思えば、そのための手段はいくらでも考えだせるってわけ。必要になれば自然と自分で動くじゃん。


 まず仕事中に、今一番必要なのはなにかって思ったら、そのときそこにある仕事を終わらせること以外、なにもないんだな。
 ないものねだりしたってしょうがないのよ。常に自分のそのときどきのベストをぶつけるのみよ。
 人間、どうしても眠い日はあるし、気分が乗らないときだって、急にやる気出てくるときだってあるじゃない。自分よりできる人の足引っ張ったってしょうがないし、自分よりできない人を責めたってなんも変わりゃしない。
 肩書きとか立場とか、そんなのにとらわれてたんじゃ、なんもできなくなっちゃうじゃん。
 で、それを口実に自分もなにもしなくなっちゃうじゃん。


 やるからには、徹底的にやれなきゃ意味がない。そこにいる必要もない。
 “それでお金もらってるんだから”って言うのなら、それで同情買うような仕事はいかんよな。


 バイトで一緒の人がこんなことを言った。
「社保とか雇用保険とかつけたら、いつまでもいちゃいそうだけどね。そんな気がする」
 うまいこと言った!!


 まあ、好き放題書いてきたけども、そんな俺様が完全に能力主義な会社に入ったら、ちゃんと通用するのかって言われたらアータ……


 そりゃ自信ないよな。


 でも、だからがんばるんじゃん。がんばれるんじゃん。


 ALWAYS DO MY BEST JOBじゃけぇ!!
 ナウな仕事こなしてこうぜ!!


 やるなら完璧、やっぱ目指そうじゃない。

  • April 3, 2007 8:53 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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