新聞とは、そこに映ってない部分を自分がくみとって、そして自分なりに考えるっていうことに本当の意味があるんだ

 今さらながら、左側のメニューに出るタイトルが“日記”とか“日記以外”とかしか出てないじゃない!!
 おかしいじゃない。おかしいじゃないのさ、それじゃ。
 自分でなに書いたかわからないじゃない。
 どうすんのさ。どうすんのさ、これ。


 しかしだ。
 前にそれをどうにかならんかとカテゴリー部分を非表示にしてみたんだけど、結局同じで、それはまたカテゴリーわけしようと試みること自体がムダになってしまったわけで、やめたんですが、やっぱり今またそれもやめようかなとも思う。
 左側のメニューにそれしか出ないんじゃ、あれを表示させる意味もねぇ。
 できればムダは、一切なしの日記にしたい。ムダは記事の内容だけで充分じゃけぇ。


 夢は“新聞” ── “読む”ということに特化させた機能美。


 しかしそれには区切り線というのが、ある程度必要なわけだ。新聞もそうだ。
 そういえば、新聞のあの区切りって、一見ものすごい見づらい感じするけど、実際にはそうでもないらしい。もう俺様が生まれる前からあれなわけだから、一応それなりに理にかなったレイアウトなんだろうなと思う。それでいて美しい……のか?
 って、要は、新聞も慣れなんだろうな。


 小学校のときなんざテレビ欄しか見なかったから、ほかの紙面なんてまったく読めなかった。段落ごとに、“あれ? これ次どこに続いてんの?”って、文章の続き探してたもんな。一面とかなんて写真でしか見てなかったし。


 っつーか、あんぐれぇの年のときって、写真さえあれば、だいたいのことはすんなり理解してたような気がする。文字でダラダラ事細かに状況とかを列挙されるより、その現場のイメージをズバコーンと載せてもらってたほうがわかりやすかったんじゃないかと思う。
 しかしながら、俺様も大人になり、文字のほうにも興味を馳せるようになってった。
 それはズバリ、これだと思う。


 その写真に映ってない部分。


 むしろ、“写真としては映せない部分”といったほうがいいか。
 できるだけ多くの情報を含んでいる厳選に厳選を重ねられたその1枚の写真の裏側に渦巻く人の気持ちや、さらに詳細な状況。そして、その事柄に関連する情報。
 要は“うんちく”か ── 自分のなかに取り込んで蓄積させたいっていう欲か。


 大人になると、きっと吸収したものを、さらに人にも伝えたいっていうある意味子供じみた欲が出てくるんじゃなかろうか?
 それは人とのコミュニケーションをはかるための1つの手段としてだったり、あるいは単なる自慢だったりする。そして自己満足。それはだれに伝えるためかって、自分自身。


 だから、最近じゃ新聞の需要も減ってきてるんじゃないかと思うのよ。人や時代、技術が変化してるから。
 単に情報を得るためのものが、新聞だけじゃないんだもの。むしろ新聞なんかより、より多くの情報を手に入れられる資源はいくらでもできた。んで、子供が大好きなテレビ欄すら必要ねぇんだから、もう救いようがねぇ。
 今となっちゃ単に、良くも悪くも“文化や伝統を重んじる人”しかいねぇんじゃね? あるいは、単なる紙好きか。


 しかしねぇ~……
 新聞たくさんとってたり、持ち歩いてる人って、なんか“デキる人”みたいに見えちゃうのよねぇ~……不思議と。


 んまあ、しかしながら、中学2、3年の現国を受け持ってくれてた加藤先生に、これもまた1つの新聞の読み方として教えてもらったことがある。
 それは“社説”。
 なんか新聞のどっかに、たしか煙草1箱ぐらいの幅に、びっしり字ィ詰め込んでる場所のことをそう呼ぶんだそうだ。


 もうあとは卒業式を待つだけみたいな時期に突入したころ、現国のカリキュラムが“新聞”っていう授業に変わった。
 加藤先生曰く、“先生はな、本当はそれが一番の現国の授業だと思うんだ”


 そのときもテレビ欄しか読まなかった俺様は思った ── “おう、たしかに”
 納得だ。うん、実に納得だ。


 そして加藤先生は、さらに言った。


「新聞ていうのはな? 一見、ただの事実や情景しか綴ってないように見えるけど、そこからその裏側に必ずある怒りや悲しみ、わだかまりとか深みとか、そういう人の気持ち、そしてさらにその背景にある歴史やなんかを自分がくみとって、そして自分なりに考えるっていうことに本当の意味があるんだ」


 嗚呼、なんと衝撃的。
 しかしカトちゃん、そのあとの続きがさ……


「たーだおまえ、テレビ欄ばっか見てたって意味ねぇんだぞ? エッチな深夜映画ばっかりチェックしてんなよ? おれも好きだけどな。でもいいか? “ゆけむり”とか“温泉”とかそういう単語に騙されるなよ? それなら“薔薇”とか“百合”とか、ロマンチックな単語のほうが意外にハズレはないからな……あ、今これ、ひっかけ問題でテスト出すぞぉ~。ノートとっとけよぉ~」


 ……素敵!! まったくもってそれこそが“現代”!!
 カトちゃんはホント、若人たちの心をつかむのがうまかった。
 いつも3ピースのスーツをバシッと着こなしてて、ガリガリに痩せたビシーッとオールバック決めたじいちゃん。メガネの奥の目は厳しくも、愛しそうだった。


 そんなわけで、どんなに時間がなくても“社説”さえ読んでおけば、新聞の内容はだいたいわかるってことだった。


 と、そんなこんなで、とにかくタイトルはやっぱ大事っつーことだ。
 どうにかしよう。

  • April 18, 2007 2:34 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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