ここんとこ胃袋と腹が同時に痛んでる。
こいつは前代未聞の痛みなのだ。
たいがいどっちか一方だけで済んでたのだな。
だがしかし。
だからっつって、ここんとこ最近、ただのうのうと生きてる感じが気に食わねぇ。
たいしてなんも考えず、なんとなくやりたいことだけやって、かといって眠りもせず、それなりにギター弾いたりピアノ触ったり、ダラダラと詩とか話とか綴ってみたりしてるだけ。
なんか、なんかしてるようでなんもしてないような感覚に苛まれる日々だ。
なんとなくレゴをイジりだして、なんとなく作ったものを「完成」っつってテーブルの上に、それらしく置いてみてる感じ。
なんかそんな自分にイライラしてくる。
たぶん世の中のそれなりにたくさんの人は、“自分は忙しい”と思ってると思う。
で、その忙しさを理由にいろんなことが“できない”って言う。
でもきっと、理由なんてなんでもいいんだろうな。
やりたくないことをやらなくていいって自分を納得させるものが欲しいだけなんだな、たぶん。
自分は忙しいと思ってても、その忙しさの内容を自分以外の誰かに話したら、そうじゃないって言われてしまうかもしれない。
だから人には“忙しい”としか言わない。
で、これ、わりとそれで納得する人も多いんじゃないかなと。
“がんばれ”っていう言葉と同じぐらい理由として万能だと思う。
俺様は映画を借りてきた。だから観たい。だから観る。
でもその映画鑑賞を理由に、友達からの食事の誘いを断れば、たぶん反感を買うに違いない。
「あ、おれ、映画借りてきて今から観ないとダメなんだよねぇ~。忙しいから無理」
「は? 映画? あ、そう……」
“友達より映画かよ”
そんなとこだろう。
“がんばれ”と同じぐらい万能だけど、それと同じだけ人による言葉でもある。
それまでがんばってきた人に“がんばれ”っていうのは嫌味かもしれないし、言っちゃいけない状態ってのもあるらしい。
自分以外の人に万能であるが故に、自分以外の人への配慮を忘れちゃいけないんだろうな。
誰にでも通用することって、逆に、誰にでもそれ以上の気遣いが必要なんだな。
自分自身に通用することがみんなに通用するとは限らないし、みんなに通用することが自分にも通用するとは限らないわけだ。
映画を観ていて、突然ふと泣けてきても、隣で俺様を見てた人から「なぜ泣く?」と訊かれるかもしれない。今泣けるとこ?
笑うこともまた同じ。
それまでその人が経験してきたことからその人のなかに蓄積されていく思いとか感情の核となる部分は、まず絶対と言っていいほど他人にはわからない。
それは自分じゃないからだ。
理解はできる。受け入れることもできる。共感や掘り下げることすらできるかもしれない。
でも、それそのものまではわからない。
その経験が、必ずしもその人と同じ重みで自分が感じれるとは限らない。
そのまわりにある自分の経験とかぶったり、さらに深いところまで自分は経験してたりするかもしれない。
でも、だからといって自分のほうが傷ついてるとか思うのは間違いだよな。
自分はブサイクだって認めてるんだから、あなたのこともブサイクって言ったっていいっていうのと感覚が近い。
むしろ理解とか受け入れることって、そこにある思いや感情、痛みとか想い出とか、経験やなんかを理解しないことなんじゃないかなと思えてきたこのごろ。
理解しようとすればするほど、たぶん食い違いとか思い込み、先入観とかが邪魔してどんどん違う方向になってくだけなんじゃないか。
やっぱり他人事なんて意識はなくても、どうしても主観で見ちゃうしな。
なんか気のない返事が多いらしく「他人事だと思って……」ってよく言われるけど、なに一つ自分が背負えないことまで親身になって考えるって、のちのち苦しめるだけなんじゃないかな。自分も余計に疲れてしまうだろうしな。
その人の苦しみで自分まで苦しんで倒れちゃったら、もっとその人のこと苦しくさせちゃうだけだろうと思うわけ。いらんことでまたさらに自分を責めるようなことになるかもしらん。
わりと自分を責めるって美談に聞こえるけど、それって結局、自己憐憫だなってな。
矛先は自分に向けてるようで、ナイフの刃はまわりに向いてんだよ。
なんか日記までダラダラだな、こりゃ。
そうそう、ほらな。
最初は自分のこと言ってるようでいながら、いつの間にかまわりのこと責めはじめてんだよ。
なんも考えてねぇ証拠だよ。
『カポーティ』
メインメニューの画に、洗練された超然を感じた。あまりに美しかった。
本編を再生するのが惜しいとさえ思った。
まあ、こりゃホント大人の映画って感じだな。
おもしろかったとは言えないし、なにがなんだか同じ苦悩と葛藤がないから理解もできないけど、恐ろしく強烈な印象を俺様のなかに残した。
執着と倒錯と情。
主観と客観。
そして、強さと弱さ。
これは『ティファニーで朝食を』も観ないわけにいかねぇな。
観終わったあと真っ先に思い浮かんだのは、志村さん。
これ観て“『カポーティ』はおもしろかったなぁ~”っていう感想を残してた。
そんなわけで、この映画の感想としては、志村さんてものすごい大人な人なんだなぁ~っていうのがそれ。
- July 24, 2007 1:45 AM
- [ ゲロ古 ]