ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙

ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。

記憶をふたたび呼び覚ますということの難しさ。

 そりゃ大変だ。


 まず、思い出すということ。
 これがけっこう脳ミソ使う。


 自分のなかの時間軸がしっかりしてなきゃならないってことと、1日の区切りが明確になってないと難しいってこと。
 毎日規則正しい生活をしてれば、わりと簡単にできる作業かもしれん。
 が、こうも不規則だと、どっからどこまでを1日とするかで悩む。
 まあ、俺様は、寝るまでが1日っていう区切り方をしてるわけですが、そうすると、1日に27時間寝るという日もあるので、カレンダーの意味がなくなってしまうわけ。


 でもって、最近気づいたのは、きっと俺様のなかでは、“過去”というものが、きっとすべて1年なんじゃないかってこと。
 何年前とかいう思い出し方がまったくできない。
 前に、高校のときのバスケ部の連中で集まったときのこと。
「そういえばおまえんち、まだあのゴミ溜めみたいなとこなの?」
「は? ゴミ溜め?」
「豚小屋か?」
「豚小屋? それいつよ」
「は? 前、このメンバーで行ったべや。んで写真とか撮ってよぉ~」
「ああ、そうだよ。あそこ」
「少しは片付けたか?」
「ゴミ溜めっておまえ、相変わらず失礼なやつだな。っていうかうち来たのなんてもう、3、4年前の話だし」
「あ、マジで? あれ、去年じゃなかった?」
「は? 違うって」
「あらまあ。おれんなかじゃ、ずっと去年のことだと思ってた」


 誕生日とか式とか、なんかそういう別れがあったとか出逢いがあったとか特別な区切りがくっついてないと、1日とか1年とか時間という区切りで見れないらしい。
 ホント気合い入れて思い出そうとしないと、時間軸の上で物事を思い出すということができないようだ。


 ということで、4日前の出来事は、思い出せません。


 いや、嘘でした。
 今、思い出した。


 新道沿いにある≪今人≫でラーメン食ったんだった。


 というのも、日付のところに“16日”と入力したものの、頭のなかでは“14日”を思い起こそうとしてたらしい。
 日付の感覚がもうメチャクチャです。ここのところの俺様カレンダーは、まるで万華鏡のよう。


 そんなわけで、まあ今回動画は録ってませんが、写真は紹介もかねて撮ってきたので、それ公開。






imagine_tounyuura-men これが食ったラーメン。ピリ辛豆乳ラーメンだったっけか? 豆乳ピリ辛だっけか? 辛いのは苦手だけども、“NEW”って出てたので食ってみた。 しかしながら、もしかしたら、名刺も2006年のままだし、もう食ってたかもしれない…… でも、いずれにせよ、ゲロうまだったので良し。
imagine_takana-sirasudon で、もう1つ食べたのがこれ。 高菜しらす丼。 これは前にも食べたことあったけど、今回のは、なんだか具が多かったのか、多少しょっぱかった。 でも、それはそれで、その日によって味が変わる母親の作ったご飯みたいで悪くないよないい気分。そんな日は、お茶漬けみたいにして食べれたら、なお良しかとも思ってみたり。 なんだかんだ言って、うまいよ、これも。
imagine_card-omote新道沿いに走ってけば、わりと目立つからすぐわかると思われる。
imagine_card-ura 豆乳ラーメンの人気が上がってきてるらしい。 が、もう2007年も3月なのに、2006年の統計はちょっと…… 人気落ちたか?

 ここ≪今人≫さんは、早い時間帯で迷ったらとりあえず「≪今人≫行っか」ってなるぐらい、うちの人とそれなりに足を運ばせてもらってる。
 最初に入ったとき、“やっぱ豆乳ラーメンでしょう”ってことで、その際、両者ともに「あ、思いのほか旨いね。ヒットヒット」という感想を抱いたため。今にして思えば、それはなかなかめずらしい現象らしい。


 そんなわけで16日はそんな感じ。

  • March 16, 2007 12:39 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

時給者からの疑問:正社員の有給休暇は何のためにある?

 今日は、バイト先の〆日だった。


 社員の人は固定給。
 バイトは時給。


 そこで思った。


 “有給休暇”って、一体それになんの意味があるのか?


 固定給なわけよ。
 だから社員の人って、休んだからって給料は減らねぇんだべ?
 風邪で休もうがズル休みだろうが、遅刻しようが早退しようが、時給みたいにその分の給料がしょっぴかれるってことないんでしょ?
 だから固定給なんだよな?


 で、有給休暇を使ったところで、その分給料が増えるってことでもないんでしょうよ。
 その日1日の分を日給みたいにして、残業手当てみたいなことにもならんのだよな。


 んじゃ、一体なんのために有給なんだ?
 どこに給料出てるんだい?
 やっぱ固定給とはいえ、社員の人も時給みたいに休んだら給料って減るの?


 そして、社員の人のタイムカードさ。
 たぶん使ってるとこあるよな。
 一体なんのため?
 あ、残業手当てか?
 あと、遅刻?


 でも遅刻ったって、お給料には直接関係してこないんじゃ?
 出勤したとき、なんかほかの同僚から「なに、寝坊したの? 昨日の夜なにしてたのよぉ~。え? なに? もしかして、ついさっきまでニャンニャンしてたとか?」みたいな冷やかし入るぐらいじゃないのか?


 あのタイムカードに時間押ささる機械って、前にちょっと調べてみたけど、メチャメチャ高いじゃん。
 バビッたね、あれ。
 あんなに高いとは思わなかった。
 あまりに遅刻が多いんで、インテリアとしても、その他の実用性としても最悪ではあるけど、部屋に1つ設置しようかって本気で検討した代物。
 でもあれは高ぇよ。
 やっぱそこは経営者側との談合で、個人で買えるもんじゃ困るってことでの価格設定なのか?
 あんたら、やるな……


 まあ、経理さんとかには簡単至極な疑問かもしれんけど、固定給の人たちの有給休暇って一体なんのためにあるんだい?
 友人たちは「有給なんてフツーにとれないから」とか「有給ほしぃ~」とか「そんな暇な会社じゃないから」とか、暗に自慢げな感じで口をそろえて嘆き喜んでるけど、俺様にとっては“吉原炎上”ばりに謎。


 有給休暇は、お金がもらえるのか?
 それとも、減らないだけなのか?


 謎である。

  • March 15, 2007 12:39 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

理想論より、好きな人。

 知り合いの女友達に訊いてみた。
「なんで俺様、恋人できない?」


 それに対する返事は2つ。


 1つめは、まあ、よくありがちな感じの言葉。
「理想高いんじゃないの?」


 んで、もう1つは、返事というか答えというか、なんというか気休めみたいなお褒めの言葉にあずかった。
「でも、女が喜ぶポイントはちゃんと心得てるから、だいじょうぶじゃない?」


 今日は、それら2つについての考察といこうか。


 まずは、順序は逆になるけども、第2の“女が喜ぶポイント”について。
 それはなぜなら、早く終わりそうだから。
 そして、俺様が考えたいメインじゃないから。
 そのことを思いついたときに、“そういえばこんなことも言ってたっけな”みたいな感じで思いだしたワインのチーズ的な女の言葉だ。


 まあ、なんでしょうか?
 やっぱり男としてまだまだ青い俺様は、当時“女が喜ぶポイント”と言われりゃ、そりゃアータ、“悦びスポット”という経験と記憶と、体験とイメージに直結するわけ。そして結びたくなっちゃうわけよ。
 そりゃ、文章で書かれたわけじゃなく、口頭での言葉ですから、漢字での特定なんざ個人の自由ですから。
 やっぱ男24歳、まっさきに思い描くは、そういうポイントっしょ。


 しかしまあ、俺様も青い時代から、少しずつ紫的な時代に突入してくるにしたがって、その意味がわかり始めてきた。
 「会う」ってなったとき、“今”と“すぐ”を求めること。多少せっついてみせること。
 たとえイヤでも、ずっとではなくても、ここぞというときには、触れるということ。手をつなぐとか、危ないときは自分のほうに引っ張るとか、ふと抱きしめてみるとか、なんかそういうスキンシップっつの?
 あとは、きちんと言葉で気持ちとかを伝えるということ。これはものすごく大切だと思う。


 とはいえ、こういうことってさ?
 女とか男とか関係なく、する側でもされる側でも、お互いに嬉しいことなんじゃないかなと思う。
 それをただ男のほうは、“恥ずかしい”とか“今さら”とか<めんどくさい>とかいうので出し惜しんでるだけだったりするんじゃないか? それは男のほうからするもんじゃないとか思ってないか?
 ホントはしたいくせに、されるの待ってないか?


 あんたはだいじょぶか?


 “あたり前”っていうのとはちょっと違うし語弊があるかもしれんけど、なんての?
 “自然”?
 スキンシップとか言葉とか、お互いの自然な気持ちでさえ不自然に見ようとしてないか?
 いや、それは女の人でも一緒かな。


 とはいうものの、別に心得たり意識的にやったりするもんでもないだろうさ。
 俺様だってこれまでの恋愛から学んだってわけでもなく、そうしたいからしてるわけで、だからまあ、“心得てるからだいじょうぶ”なんて言われるいわれはない。
 自分から訊いといてなんだが、そのへんは余計なお世話だ。


 まあ、それについてはそんな感じ。
 そのへんのことは、また今度改めて書いてみようと思ふ。


 で、2つめの“理想が高い”について。


 今になって思えば、そう感じる。
 たぶん、理想ばかりがどんどん高くなっててたんだと思う。
 この年になると、やっぱそれまでの経験や失敗、傷、そして、それで今までうまくやってきたし、特に問題も不満もなかったっていうことからくる自分なりの自信やプライドも築き上げられた。
 それは“人を見る目”とか“見抜く力”とかじゃなく、対人ってより、対自分って感覚なんだと思う。
 保身もあり、強がりもあり、それなりの強さも身についた今だからこそ、弱さを見せてもいいかなって思える相手なんだろうな。
 自分のそれまでの、これまでの生活のリズムや時間の流れ方、感覚や過去を脅かさない人。
 ゆっくりと時間をかけて、それらすべてが変化していくならいいんだろうけど、突然ズバッと変えられるようなことのない存在。


 プライド。


 年を重ねるたび、それがきっと一番大きくなってくるんだろうと思う。
 親みたいに何回も同じこと言われればイラついてくるし、過去をほじくり返されると、せっかく持てはじめてきた今の自分の気持ちへの自信も失くしてしまいそうになる。
 何度も何度も気持ちの確認をしてしまう。見つめなおそうとしてしまう。
 何度も何度も別れを経験してきたから。
 というより、もうお互いの関係なのか?
 そっちのほうが重要なのか?
 相手の気持ちなんてどうでもいいのか? 自分の気持ちに自信が持てるようにしてほしいのか? そういう期待を満たしてほしいだけなのか?
 あれほどまでに泪を流したこれまでの別れも、すべて肯定的に考えられるほどの安心がほしいか。
 試したりすることはもう煩わしいと感じながら。


 なにを見てるか。


 人のためだとか良かれと思ってしてることも、きっと結局は自分のためだって感じることがある。
 自分がそうしたいからしたまでのことだ。
 で、それは、きっと恋愛において、恋人どうしにおいてのそれが一番多いんだと思う。
 こうすれば喜ぶだろうって思ってしたことも、喜びっていう見返りを期待してた。
 それを言ってはもうなにもかもが自分のためっていうふうになってしまうんだろうが、きっとそうだ。
 それがたまたまお互いにとって“いいこと”になってくれれば本望だ。それ以上でもそれ以下でもないんだろう。
 自分のためにしたことが、お互いのためになれば、それ以上の結果はない。
 自分を犠牲にして相手の人が喜んでくれたとしても、自分のなかでは“犠牲”っていうわだかまりがあるわけだから、それを知ったとき相手の人がどう感じるかだ。
 それでなお嬉しいと思ってくれれば、それはそれで自分にとって“癒し”とか“よかった”とか、その犠牲への救いとなるかもしれんけど、そうすべてをうまくは隠せない。
 きっとどっかで見返りを求めるはず。


 誕生日だ。
 それはプレゼント。
 “誕生日にプレゼントがないなんてあり得ない。たぶんその日はキレて帰ると思う”
 知り合いからその言葉を聞いたとき、なんかすんげぇげんなりした。
 でもまあ、そんなもんかとも思ってしまった。そんな自分に嫌気が差すほど味気ない笑いが飛び出した。


 誕生日プレゼントなんていらねぇ。
 なんか“せっかくの誕生日なんだから”って、ちょっとずつお金を貯めて、ちょっと高いものを買ってくれるのは嬉しい。


 でも、どうか?


 ものすごいきれいごととして鼻で笑われると思うが、心して読め。


 だったら、そのお金で自分が欲しかったちょっと高いものを自分に買って、その想いをたっぷり時間をかけて伝えてほしいなとか思うんだな、これが。
 どうしてもそういうプレゼントってのは、そのお値段で気持ちを計られることが多い。
 マスターカードのCMで、なぜあんなにも心打たれ、心に残るのかって言われれば、あの“プライスレス”って言葉だろう。
 誰もの心のなかに、それがあるからだ。


 俺様が言う「ありがとう」は、やっぱその人に対して伝えたいわけだ。
 それに、やっぱ俺様の誕生日なんだし、俺様が「ありがとう」って言われたいのか?
 まあ、自分が人の誕生日のプレゼントを買いたくないなんて気持ちはまったくもってミジンコほどにもないって言えば、それはきっと結果的に嘘になるかもしれんけど、国会に議題として出せば、間違いなく却下される案だとは嘘偽りなく言える。


 まあ昔、なんか当時流行ってるんだかで、なにやら高そうなTシャツを何枚か誕生日のプレゼントとしてもらったとき、即答で「ガセェからいらね」って言ったら、即答でぶったたかれたっていう過去とは、一切の関係はない。ちんみをあげてもぶったたかれ、実用性重視でちょっといいストッキングを買ってもぶったたかれたが、その考え方にいたる経緯とは、一切関係Nothingだ。
 しまいには、バスケばっかりでバイトもせずお金もない学生のころ、詩を書いて渡したら「キモい」と言われた。それも関係ない。


 プレゼントとは何か。


 「誕生日、なに欲しい?」って訊かれて、「なんもいらない」って言ったのにも関わらず、当日、両手にデッカい袋2つぶら下げて入ってきて、「なに欲しいかわからなかったから、年の分だけ買ってきた」って1本ずつ床に並べられていくカクテルバーを見てて、ものすごい感動した。
 俺様はあまり酒が好きじゃないので、「おれ飲めないんだけど」って言ったら、「いいよ。来る楽しみまた増えたし、あたしが飲みたいから買ってきたんだから」って言葉に、なおさら感動した。
 とはいえ、これもきっと関係ない。せめて、もともとそういう考えだったのが、より強くなったって感じか。
 しかしおまえは、未成年だ。


 ん~、恐ろしく“理想が高い”っていう話と逸れてる気がする……
 が、それもまた理想的だ。


 だったら、ZIPPOのオイルが切れたとき、そそくさとコンビニに入ってって、煙草も吸わないのに「じゃあ、これが今年の誕生日プレゼントね」って100円ライターを買ってきてくれたほうがどんだけ嬉しいか。
 これは妄想。
 でも関係ないとは言い切れない。


 さて、“恋は盲目”とはよく言ったもんだが、そうでもないと俺様は思う。
 盲目的に好きになっても、まわりが見えなくなるんじゃ、意味がねぇ。
 まわりがより見えるようになってこそ、その人のことも見えるようになるってなもんだ。
 盲目的に人のことを好きになってるようじゃ、きっとそれはそんな自分を盲目的に好きになってるだけだ。
 その人自身を見れてない。見えなくなってる。
 相手のことより、きっと“自分がこうしたいから”っていうのが先行して、なにからなにまで“相手もこれを望んでるんだろう”っていう期待がすべてになってしまう。
 不思議なもんで、これ“恋とは期待”だ。
 ありもしないもんが見えてくる。見えもしないもんが感じれるようにもなってくる。
 なので、“恋は開眼”だ。
 恋と愛とを使い分けるなんてことはまだまだできねぇけど、その人の存在すべてを受け入れてこそ。
 見えないものが見えてきて、期待が自信に変わり、不安も力になる。


 まあ、そんなような流れで、きっと理想ばかりがどんどん高くなっていってたんだと思う。
 で、たぶん誰もがここで言いそうなこと“自分のことは棚に上げて”っていうのとは違くて、そこはやっぱり自分のプライドだとか自信だとか、いつの間にか自分のなかで結成されてた自分防衛隊の働きによるんだと思う。
 自分のことは傷つけずに、それでいて居心地のいい相手。
 言い捨ててしまえば、きっと誰もが自分にとって“都合のいい人”ってのを探してるんだと思う。


 だから男でも女でも、不倫に走る人ってのも、そのへんでうなずける。
 自分に都合よく気持ちの上下があって、逢いたいときに逢えて、求め求められ、それでいて多少の苦しみも味わえる。それなりのカッコ良さとカッコ悪さもあるし、自分の気持ちにも“好きっていう気持ちはしょうがない”とかいう理由もつけられて、別れるときも簡単に理由ができる。劣等感と優越感とが同時にあって、自分のコンプレックスもほどよいところで見せたり隠したりできる。
 きっと、自分でそのすべてをコントロールできるような気がするからじゃないかなと思う。衝動と冷静さの刺激が、いろんな経験を積んでからでは、それが心地よくさえあるのかなと。


 まあ、不倫に関しては肯定も非難もしないけど、ってか、どっちでもいいけど、疑問なのは、そのときどれだけその相手自身のこと見れてるのかなってこと。
 いざ不倫っていう関係が始まれば、きっと夫婦としての相手と一緒に過ごすよりは間違いなく活動時間は長いだろうと思う。会話にしろ、触れ合いにしろ、どっか行ったり来たり、気持ち的な面でも、相手のことを見ようとか知ろうっていう意欲も全然違うと思う。
 でも、そんななかで、どれだけ本当に相手のことを見れてたか ── 言い換えれば、どれだけ自分のことを見せられたか。


 もしその後離婚して、その不倫が関係として変化したとして、実際うまくいくのか。
 それなりに不満もなく問題もない結婚生活を壊してまで、そばにいたいと思ったその人は、本当にその人だったのか。価値とはまた違うかもしれんけど、それがあったのか。
 まあ、んなもん実際にそうなってみなきゃわからんだろうけど、もっと実際には、わりとそうでもないと思うわけ。
 たぶん舞い上がってるだろうし、好きとかとはまた違う気持ちも働いてるんじゃないか。刺激というか、テンションというか、意気込みというか、なんというか。
 でもって、きっとものすごい短時間での心の高ぶりだと思うんだな、やっぱ。
 そんな状態で、どやって冷静になれようか。
 きっと、そうしようと思うたびに、どんどんそうじゃなくなってくんじゃないかと思う。
 もう一度冷静になって考えようと思えば思うほど、情熱とか衝動のほうが熱くなってっちゃって、“わかっちゃいるけど”とか“今そうしたい”とか“しょうがない”とか変な前置きで自分に理由つけて、“やっぱり逢いたい”みたいな?
 冷静になんてなれっこねぇだろうし、何度冷静になれば終わるんだろうってな。“何回冷静になれば気がすむんだ?”みたいな?
 冷静になって考えてみたったって、実際にはその本人が目の前にいるわけで、しかもそれは好きな人なわけで、一人で本当に冷静になって考えたことも、本当に言いたいことの10分の1も言えないってのが実のところじゃねぇのかな。
 好きな人を見てしまえば、なんかそやって悩んだこともちっぽけに思えてしまったり、やっぱりそばにいたいって感じてしまうもんじゃねぇか。
 テンションは不倫のテンションのままだし、冷静にその状況とその人、なにが見えていようかね。
 でもって、さらにはその考えてきたことがマイナスのことなら、それを否定して打ち消してほしいっていう期待のほうが大きくなって当然だろうしさ。


 まあ、結婚して不倫してる側の経験あるわけじゃないから、あくまで予想でしかないけど、そんな気がする。
 それに、まあ、状況とかがそうさせるのかもしれんが、人と真剣に向き合えないってことなのかなって気がするし、それもまた一人の人と真剣に向き合ってるからこそなのかなって気もする。


 “嫌われたくない”ってのと“好き”っていうのとは、たぶんまったくの別モンだ。


 でも、なにはともあれ、そういう気持ちとか考えをとうとうと語るのは、なんかカッコわりぃなと思う。
 自由だの人間愛だの青春だの自由恋愛だの博愛主義だの、なんだのかんだのいろいろあって、時にはカッコよく見えたり聞こえたりもするけどさ。
 考えが浅いのか。なんも考えてないのか。純粋なのか。まっすぐなのか。単なる依存がちなだけなのか。
 で、そういう状況があったっていうことが、その人にとってその後どういうふうに気持ちとかの面で作用するのかもわからん。不倫たっていろいろあるだろうしな。
 未来にはなにも期待しなくなるのか。
 そういう過去はもう汚点として切り捨ててしまうのか。
 今でさえ、ただの今としてとらえるだけの今なのか。


 まあいいや。
 おれの知ったこっちゃねぇ。どうでもいい。
 そういうのが好きな人はまたそういうのに走るだけだろうし。
 んまっ、わからんもんはわからん。経験のない自分の考えでは、とうてい及ばないだろうて。
 っつーか、そんなもん経験する気もないし、考えたってつまんねぇ。
 またおれの理想から離れちまっただ。どこいったよ、おれの理想は。


 ただそこにいてくれればいい人。
 それだけでなにか自分にとって大切な気持ちを感じれる存在。
 それが理想を高めてたんじゃねぇかな。
 たぶん“めんどくせぇ”って感じたら、それはもうその時点で終わりなんだろうな。


 ん?
 というか、なんだ?
 なんだこれ? ひらめいたか?
 今、きたか?


 理想が高くなってったんじゃなくて、たぶん、理想ってものが、ある1つのその枠にとらわれてっただけか?
 理想にすら枠ができただけか?


 え?
 こんだけ書いてきたのに、結局たったの2行なの?


 いやいや、待て。
 きっとこうだ。


 理想すら見失った。
 恋するって気持ちが、夢すら見れない超ディープな眠りに落ちちまったんだな、きっと。


 まあ、あれだ。
 なんだ。


 きっと恋ってやつは、“お気に入りの着慣れたTシャツにできてたシミ”みたいなもんかな。
 お気に入りのTシャツ着てて転んで、背中すりむいたときにできてた血液のシミ。


 やっぱいくらお気に入りのTシャツでも、背中だったらたぶん、Tシャツ脱ぐじゃん。
 まず傷見たいじゃん。
「あぁ~、痛ぇ~。うわっ、血ィ出てるやん。血はとれねぇんだぞぉ~。ツイてねぇなぁ~。しかもTシャツとか着たらこすれて痛……あっ、Tシャツ!! うわっ、ついてるし~!! どうすんのよ、これ」
 もう体に馴染んでるしな。それに、たいしてデカくもない。目立たないか? いや、けっこう目立つかなぁ~。まあでも、これも悪くないんじゃない?
「そのうちシミごと馴染むさ」


 そんな感じ。


 理想を失うのは悲しいけど、でもそれってやっぱり、そこに固執しちゃうよりは、そんなの全部取っ払って、ありのままをすべて受け入れられたほうがいいんじゃないかなと思う。
 それに、そっちのほうが、きっと楽だ。
 いや、単に考えすぎか?


 っつーかもう、日記じゃねぇな、これ。
 今日の日記は、一応書いておくと、ただ1つ。
 今日もまたバイトでした。


 まあなんだ。
 考えるより、感じながら生きていこう。
 あれはイヤ、これもイヤより、あれもいい、これもいいって、欲張りなまま生きていこう。
 わがままには、なったモン勝ちだ。


 昔の人は、ホントうまいこと言う。


 論より証拠。


 理想論より、好きな人。

  • March 14, 2007 12:38 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

水の大切さを思い知る。

 引越してからというもの、“水”ってものの違いにほとほと感じ入る。


 まあ、もともと札幌だし、東京とかみたいに“=水が汚い”っていう地域に住んでるわけでもないけども、今の家に引越して浄水器をつけた。


 最初は、ただの訪問販売のお兄さんの素敵な美談に、まんまと騙されたかなぁ~と思ってたけど、実際使い慣れてみると、そうでもない。むしろ素晴らしいぞ、お兄さん!!


 お兄さんは、本来なら親の仕事を継いで、普通に大企業に就職するはずだったけど、既設のレールの上を行くっていうのがイヤだって話。
 で、今は結婚して子供もいて、そのチビッコたちの写真を財布から取り出すお兄さんの幸せそうな顔が、なんとも嬉しかった。
 おれのことでもないのに、なんだか嬉しくなる。
 簡単に感化される。
 チビッコにはめっぽう弱い。そして、そういうがんばってる人。


 もともとは、北海道育ちなこともあってか、“水なんて何使ったって同じでしょ”とかわかったような口をきく人間だった。塩素だのカルキだのニオイだの、そんなもんはクソ食らえ。
 いや、そもそも水をそのまま飲むっていうことをしなかったからっていうのもあろうぞ。


 ただの水って味しねぇじゃん?
 味ねぇじゃん?
 だからあえて“水が飲みたい!!”なんて気合いも入ってこねぇじゃん?


 しかしまあ、違うこと違うこと。


 たかが水も、“おいしい水”ってのはやっぱりあるようですよ?
 1回試してみなきゃわからんですよ、これは。
 んで、続けてみんことには実感できませぬぞよ。


 水。


 水。


 水。


 違いはきっと、その水を口にした瞬間にわかるってもんじゃなくて、またただの水道水を飲もうとしたときにわかるんじゃないかなと思う。


 クセェ!!
 水がクセェ!!
 クセェんだよ、水がさ!!


 初めて東京の地に降り立ったときぐらいの衝撃!!


 クセェ!!


 塩素だか薬だかわからんけど、水道水の入ったグラスを口もとに持ってっただけでそれがわかるのよ。
 “うっ”ってなった。
 で、もうただの水道水が飲めなくなった。ものすごいニオイとかが気になるのだよ。


 今となっては“Evian”とか“Volvic”とか“Aqua clara(アクアクララ)”とか、いろんな水が手軽に売られてるけど、まさか自分が水を“買う”ようになるとはねぇ~……
 想定外です。


 まま、不満を言うとすれば、一人のような二人暮らしなもんで、うちの人が「水ショボくてヤ」とこぼしやがったように、おれもその水量にはイライラする。
 もともとの水量に合わせて出るようになってるとは言ってたけども、さすがにこれは減りすぎじゃね?
 まあ、そこまで勢いのよかったほうじゃなかったけどさ?
 でも、初めて恋人んちにお邪魔して、音立てないようにちょっとずつ我慢しながら座ってションベンしてるみたいな勢いよ?
 しかも、なぁ~んか変に興奮しちゃってるから、上向きなMy Sonばおさえなきゃならんし、なもんだから切れは悪いわ、いろんなところに力入れたり抜いたりしなきゃならんしょ。屁もこけねぇ。


 とはいえ、あの水質になるんならってことで、大変満足。


 で、やや経ったころ、勢い余ってシャワーまで変えた。


 するとどうでしょう!!


 やっぱ違うのよ、これが!!
 全然違うのよ!!


 ちなみにおれが買ったのは、“フリオン”ってシャワーなんだけど、ヘッドだけとはいえ、侮るなかれ?


 洗うたびになんとなくキシキシしてた髪が、なんとなくそれがなくなったのです。
 きっと、カラーリングしたあとの洗髪でそれが一番実感できましょうぞ。


 あと、遠赤外線だかの効果があるらしく、シャワーだけでもあったかい!!
 というより、冷えねぇ!!
 この時期はマジ重宝する。
 でも、夏は地獄……汗が止まらねぇ。


 とまあ、当時“アクアクララ”を知ってれば、きっとその浄水器は買ってなかったと思うけど、買ってよかったと思える浄水器。
 でも、おれとしては“フリオン”のシャワーが大成功だったと思う。
 男ながら、肌の調子が良くなったと自分でも思う。恋人に褒められることもあるぐらいだ。
 男としては「スベスベだねぇ~」って腿とか撫でられるのは、なんとなく複雑ではあれども、悪い気はしない。


 まあ、口から入るものだし、人間の体80%だかも水なんだっけ?
 それをいいものにすれば、自ずとその人間の体も良くなるってなもんじゃない?


 水 ── けっこう大事よ?


 水は大切だなとつくづく実感する今日のこの頃。 

  • March 13, 2007 12:38 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

第1回の俺様日記。

 日記を書く。
 ただ日記を書く。
 飾らず、作らず、ただ日記を書く。
 おれの言葉で、おれ自身の時間の上で。
 そう、真剣に。

  • March 12, 2007 12:37 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

セロリのおいしい食べ方、1つ。

 先日作ったセロリ。
 まあ先日っつっても、もうずいぶん前だな。

 先日の以前、オススメしてもらって、何度か作ってみた。

 最初に作ったときのこと。

<セロリってなんか硬そうだよなぁ~……>
 食べてみて実感をともなった思いじゃなく、あくまで想像。
 セロリってなんか筋あるし、すっげぇ頑丈そうな皮ついてるしさ。
<……じゃあ、とりあえず、炒めてみっか!!>

 それであえなく失敗。
 さらには、本来砂糖と塩を入れるって教えてもらったんだけど、なんとなく“砂糖=カロリー”っていうイメージがあって、塩しか入れなかった。
 さらに失敗。
 でもうまかった。

 そして2度目。

 砂糖も入れて、炒めもせず、そのまんまを活かした作りにしてみた。

 成功。

 で、あまりにうまかったため、ほぼ毎週のように作ってて、一番最近の1枚がこれ。

 ゲロうま!!
 すんげぇ酸っぱいけどね。
 いつもわたしの料理は、写真に残すと、必ず「美味しくなさそう……」という定評が飛び交うため、今回は、ちょっと見た目にもこだわってみた。

全文を、この続きから読ませてください

  • November 17, 2006 1:46 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

セロリのおいしい食べ方、1つ。

 先日作ったセロリ。
 まあ先日っつっても、もうずいぶん前だな。

 先日の以前、オススメしてもらって、何度か作ってみた。

 最初に作ったときのこと。

<セロリってなんか硬そうだよなぁ~……>
 食べてみて実感をともなった思いじゃなく、あくまで想像。
 セロリってなんか筋あるし、すっげぇ頑丈そうな皮ついてるしさ。
<……じゃあ、とりあえず、炒めてみっか!!>

 それであえなく失敗。
 さらには、本来砂糖と塩を入れるって教えてもらったんだけど、なんとなく“砂糖=カロリー”っていうイメージがあって、塩しか入れなかった。
 さらに失敗。
 でもうまかった。

 そして2度目。

 砂糖も入れて、炒めもせず、そのまんまを活かした作りにしてみた。

 成功。

 で、あまりにうまかったため、ほぼ毎週のように作ってて、一番最近の1枚がこれ。

 ゲロうま!!
 すんげぇ酸っぱいけどね。
 いつもわたしの料理は、写真に残すと、必ず「美味しくなさそう……」という定評が飛び交うため、今回は、ちょっと見た目にもこだわってみた。

全文を、この続きから読ませてください

  • November 17, 2006 1:46 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

横断歩道の間

 きっとだれもが自分に都合のいい人を欲しがってるだけ。
 つらいときに支えてくれて、泣けば手を差し伸べてくれる。笑っていれば一緒に笑ってくれて。怒ってるときは一緒に怒ってくれる。
 自分のことを傷つけないまま、すべてを包み込んでくれるような、いつまでも薄れることなく興味を持ってくれる人。
 そんな人を求めてるだけ。
 だからすぐイヤな部分が見えたり離れていってしまったり、淋しさや不安に押し潰されてしまいそうになったときは、カメラのように使い捨てる。

 だけどそれがイヤだから、そうなる前に、苦しんだり泣いたり悪あがきをしたりする。
 傷つくのが怖いんだ。
 弱いんだ。

 自己主張が苦手だから、いつも自分てやつを強く胸を張って言えないまま、その場限りに流される。
 ぶつかり合ってケンカをする勇気もない。
 どうでもいいとごまかしてる。見て見ぬフリをしてしまう。
 背中を向けることで、また自分が振り返ったとき、こちらを向いて待っててくれるんじゃないかと期待しながら。

 置いてきぼりはヤなんだよ。
 前を見ても横を見ても、車がビュンビュン過ぎ去っていく横断歩道の隙間みたいで。
 怖いんだよ。

 笑いながらごまかして、泣きながら強がって。
 心がいつも無表情なら、痛みや不安も消えてしまう。そのときどこを見てるのかも忘れてしまう。
 きっといつも焦点をズラしてるんだ。
 そうすれば誰かと比較されたり否定されても、別の角度で責められる。
 見えているのに、そこは気づいていないフリをする。自分が傷ついたら、それ以上に傷つけて。
 もうどこにも逃げ道がなくなってしまったら"自分は自分"と、なんでもかんでもそれで片付けようとする。それこそ自分がそれ以外と比較してる証なのに。
 それは単なる自尊心の塊でしかない。
 真正面からぶつかってくるものには、いつでも葉っぱのようにひらりとかわせるように。
 知識だけを頼りになんでもわかったふうな口をきいて、苦しまぎれの一般論を並べ立てる。それがまるで自分の言葉であるかのように。
 そやって自分が自分のなかに埋もれてしまって、理想論や夢や希望にすがりつくんだ。
 逃げてるんだ。
 欺いてんだ。
 いつもそんな自分から。
 自分に都合がいいように。

 自分だけはいつまでも、いつでも笑っていられるように。
 もう誰一人、傷つくことがないように。

  • July 2, 2006 2:59 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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