ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙

ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。

- リストラーゼか!? -

 いやはや、リストラーゼとばったり遭遇しそうな気配だ……

 オイオイ、しかもそれをほぼ前日に告知たぁ~、どういうこった!!
 ああ、なんてこったい……
 作詞でもシナリオでも、WEBデザインでも、なんでもいいので仕事ください!!


 しかしまあ、僕はとりあえずの話がきてるから、それを受け入れるか否かっていうだけなんだけども、ほかの人が……
 どうするんじゃろか??

 これからこのまま専務室に行って、Let's 話し合いじゃ!!
 いざ参らん……
 とりあえずいい条件をふっかけてみようか。
 雇用も1つの商談じゃけぇ~。

  • April 1, 2006 7:48 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 骨盤とO脚 -

 最近、O脚。
 普通に立ってても両足の膝のあいだに大なり小なり隙間ができるというやつだ。


 で、それを矯正しようと思ってやってることがある。
 タバコを吸うとき、直立不動&典型的な“姿勢よく”という姿勢で、両足をビシッと閉じる。そして、そのまま両膝を内側の方向に力む。
 で、これをもうムリっていうまで続ける。


 かなりキツい。
 途中、力入れすぎていきなり膝がバコッと内側に砕けるんじゃないかと本気で心配になる。
 そのビシッとした姿勢を保つのも、またつらい。
 知らず知らずのうちに背中が丸まってきたり、骨盤が、尻がうしろに突き出てしまったりするわけだ。
 とにかく、その姿勢のまま両膝を内側へ内側へ、くっつけぇ~くっつけぇ~と念じながら続けるわけだ。


 これは先日、テレビで見た“骨盤体操”というやつにも共通するところがあるんじゃないかと、勝手に思い込んでる。
 やっぱ骨盤のズレってのは、人体にいろんな弊害を巻き起こすらしい。
 女性なら特にあるらしく、なんか目に見える形でも出てくるようなんですよ。


 もう1、2年も前で、ずぅ~っと昔の話なんだけども、そのO脚が気になるということで、両膝を帯とか紐とかでがっちり外側から固定して寝てるという人をテレビで見た。
 たしかモデルさんだったような気がした。あるいは、バレエダンサーの人だったか。
 で、矯正して、晴れ舞台に上がれるようになったようです。


 やっぱりO脚はみったくないらしいのだな。
 まあ、それは僕も思ふ。
 人のそれを見て自分も最近くっついてないってことに気づき、急遽矯正の道へ歩きだしたわけだ。


 しかしながら、これがまた不思議なもんで、とりあえずO脚矯正のはずが、どうにもこうにも、ウエストのシェイプアップにもつながってるらしいのだよ。
 これは間違いない。
 まあ、やりだしてからまだ何日も経ってないし、最近じゃ5キロ減だのさらに減だのあったし、もともとまんじゅうでもない。
 けど、明らかに違う。
 とはいえ、これはきっと、男が夢見るような、そして女性が求めるような、ああいう筋肉隆々でバコッバコッと割れるような腹筋にはならないと思う。どんなにがんばっても。
 つまり、なんというか……
 女性的なウエストになるんじゃないかと……ほら、アレだ。
 いわゆる2つの、くびれってやつか??
 出てもいないし、引っ込みすぎてもいないってやつだな。ゆるやかな曲線美だよ。


 わたしは男です。
 でも、割れた腹筋……どうもあんまし好きじゃないんだよなぁ~。
 まあ、割れてたほうが自慢できたり、“脱いだらすごいの”的な感じではあるんだろうけど、どうもねぇ~……
 筋肉とか体型だけじゃなく、なんでも、ゴツゴツしてるのは好きじゃない。
 そういうので美しいなぁ~と感じるのは、とりあえず“十勝石”とか、なんかそういう石の断面とかぐらいか??
 まあ、極端なこと言ってしまえば、アーノルド・シュワさんとかなら、アンガールズの人のほうが、まだいいってことだな。
 痩せすぎも嫌いだけどさ。


 まま、なにはともあれ、O脚でお悩みの方、これけっこうオススメなエクササイズかも。
 特に女性ね。
 これ、けっこう内腿を鍛えるということなので、大きな声では言えないけども、なにかとあっちこっち“締まり”というやつがよくなるらしい……
 う~ん、ギリギリだな。
 ウエストも締まるわけだし、姿勢もよくなるだろうし、まあそうだろうさ。
 内側の筋肉って、地味な部分で実はダルダルになってる人多いんだよねぇ~……
 だから、過去にでも今でも、スポーツやってる人とやってない人じゃ、全然違うんだなぁ~、これが。やってたっていう経験あるってだけでもかなり違う。


 まあ、これから夏だしな!!
 ビキニとかも履くわけじゃん??


 で、食後の一服ってことでテレビ見るにしたって、座って見るのと立って見るのとでも全然エネルギーの消費量が違うらしい。
 でもこれはホントにそう思ふ。
 食後は立って!!
 食後こそ動こう!!




 あ、そうそう。
 そんで、『Dear』のこと。
 前々から考えてはいたことなんだけども、ひとまず更新作業がやっぱラクってことで、全部ブログ1本にすることに決めました。
 でもまあ、更新作業とかそっちにもある程度の時間を使えるようになったら、きちっとまた1つのサイトとして再構築したいなと……
 消さないけどね。
 まあ、どこでどういうふうに作るかは秘密なんですがね。
 どっかいいブログ作れるとこないかなぁ~……
 余計な機能とかいらんから、とりあえずきちっと表示してくれさえすればいいんだな。


 日記もまた移行すんの面倒だから、ここに全部持ってきちゃおうかなぁ~とも思ったんだけど、それはぁ~……
 いったんすべてから離れてみないとな。
 すべてを捨ててみたときに、初めて本当に必要なものがわかってくるってなもんよ。

  • March 27, 2006 7:48 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 田臥くん -

 田臥勇太と知的フィールド




 いやぁ~、あのオッサン、普通にバスケうめぇ~。笑った。
 別のところにあるプロフィールでダンクは別人ってのはわかるんだけど、ほかは自分でやってそうな感じがする。


 “バスケがうまくてもダメなんだよ ── 私の場合”


 笑ったわ。
 まさにそのとおりだけど、ホント普通にうまいの。
 ジャンプシュートのフォームがきれいだな。絶対、素人じゃない。
 素人は、たいがいシュートのフォームがメチャクチャなんだな。見よう見マネでできちゃうほど、あのジャンプシュートってやつは甘くねぇ~……
 まあ、なかには、ごくごく稀に“そんなん、むしろ打ちづれぇ~だろう”っていうフォームでうまい人もいるんだが……
 僕はその昔、その人を“徹子シューター”と名づけた。




 話が逸れた。
 で、もしあのほかの映像も、別の人が代役をしてたんなら、最近技術に驚愕。
 まあ、それも『Fuji Xerox』の技術ということでのアピールなんだろうか……
 うまいことできてんなぁ~。
 あ、なるほど、特殊メイクね。
 それもまた技術に乾杯。
 僕らはそれに助けられ、支え支えられて、生きていけるのね。
 それを生み出すのは人間だけど、自分が乗っかれるものを創りだしてしまうんだもんな。
 でも、そこにあぐらをかいたままじゃ、“深化”はしないんだろ、カイルさん??




 とりあえず、一時的に眠気も吹っ飛んだから、ここはひとまず良しとしよう。
 よし、寝るとしよう。

  • March 18, 2006 4:18 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- ぴぱぴぽ ぴぽぱ -

 いやぁ~、なぁ~んかおもしろいことやりたいなぁ~……


 なぁ~んかねぇ~かなぁ~……


 なに書こっかなぁ~……


 なぁ~に書いたらおもしろいのかなぁ~……


 “今日の寝グセ”とか言って写真でも載っけてみっかなぁ~……


 いやぁ~、最近“野菜1日これ一本”の小さいパックバージョンが売り切れてる。


 やっぱみんな健康に気ぃ遣ってるのねぇ~……


 やっぱフィクションのほうがいいのかなぁ~……


 そうだよなぁ~、ブルーベリー……


 ちょっと頭の体操として、長文でも書いてみよっかなぁ~……


 ってか、『48』もいつになったらアップするんだろうなぁ~……


 もうできてんだけどなぁ~……


 もうこの際、全部消してまたゼロから始めてみようかなぁ~……


 誰も知らない未開の地で……


 そう、人知れずひっそりと……

  • March 17, 2006 6:08 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 白い花びら、手のひらに -

『ただすごくきれいだから』






 また雪が降ってきた
 まるで空いっぱいに咲いた桜が
 深深と散っているように


 淋しいよ
 切ないよ


 揺れながら
 震えながら


 でも
 どうしてなの
 涙も出ないよ


 かつて僕が求めた永遠よりも
 ふと感じるこの瞬間が
 あまりに長くて


 痛いくらいのこの指でさえ
 それは儚くもろく
 そして弱い


 きっと雪も凍えてるんだね
 だからぬくもりと出逢って重なり合って
 影も消えてしまうほど溶け合おうとするのかな


 でも雪はもしかすると
 触れたらすごく冷たいけれど
 触らなければすごくあったかいのかな


 遠くの葉のない尖った木の先
 それさえ丸く隠してる


 まるで景色を三つ編みにほら
 甘く結っていくように


 隣の雪と触れ合うたびに
 弾けて小さな鈴の音が鳴る


 Reffy-Neeshiew
 Balleim Zroogus


 なんだかわからないけれど
 僕は今この空を見上げてるだけ
 最初に感じたことすらもう
 忘れてしまいそうなほどに


 白い花びら
 僕の手のひら


 そっと乗せて
 ふっと消えて


 すごくきれい

  • March 13, 2006 3:02 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 睡眠不足もはなはだしい -

 いやぁ~、きょうは歯医者だと思って行ってみたら、きょうは木曜じゃない!!

 なぜ??

 あぁ~、ヤバい……

 まるで曜日の感覚が消え失せてるようだ。


 せっかくきのうは寝ないでいたのに……
 歯医者が午前の10時からだから、寝たら起きれないと思って徹夜したのに……
 で、予定ではそのまま美容室に行って髪も切ってもらうはずだったのに……
 まったくもってついてない。


 ってなわけで、きょうはその腹いせに、ちょっと体重を増やそうと思い立ち、2キロだったか??
 デッカい業務用みたいなアイスかってきた……
 前二位tレビで双子関取のお兄ちゃんが行ってた。
「アイスが一番バランスのとれた乳製品なんですよ:

 ホントかよ……
 太るのは健康にいいとは思えないんですが……


 ってなわけで、歯医者はあしただ……
 さっさと寝ようぜ、おれ……
世……
 居間も
もう目ずっと
ぇつぶって売ってる訳だけども、日記なんかかいてないの異で寝ろ
よ、俺……

あぁ~、もうなんもしたくない
   あしたも早いぞ!?
 起きれるのか??
 絶対起きれねぇ=。


 目玉が痛い……


 眼鏡も汚い……
 ちゃんと吹かないと……
 あぁ~、もうこのまま寝そうだ。。。

 寝よ……。
 皆様、おやすみなさい。
 あしたもがんばってね。

  • March 1, 2006 8:47 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- 心にTATOOを!! -

 最近、あまりに書かないので、まだ手書きだった昔むかしのころの日記をここに転載してみようかなぁ~と思ってみたりみなかったり。
 日記ってのは、その日その日のことを書いてくものみたいだけど、ちょっと斬新に、どんどん過去にさかのぼってくみたいな……
 そんな日記があってもいいんじゃないか。
 まあ、極端な話、最初の日が最期の日みたいな感じか。




 でもそういう日記を、もし現実に書こうとしたら、人間の記憶ってのはどこまでもつもんなんだろうか??
 『レインマン』の主人公のようなサヴァン症候群の方とか、人知を超えた記憶力でも持ち合わせていない限り、まず3日ぐらいが限度じゃなかろうか??
 1週間つづけばいいほうかなと思ふ。




 しかしながら人間、“思い出す”ってことでその記憶力が養われていくんだと思うわけだ。
 もともといい人もいるかもしれんし、またなんか別のメカニズムが働いてるのかもしれないけど。
 もう今はずいぶんと大昔、『あるある発掘大辞典』でその“記憶力”ってやつについてやってた。
 “記憶力”ってのは、膨大にある記憶のなかから、そのとき必要な記憶を引っ張りだす力なんだそうな。




 最近じゃ、ほんの5分とか10分、30分前のことって、すぐには思い出せない。
 なんでだ??
 でも、ものすごく小さかったこととか、1日前、2日前、はたまた1ヶ月前とか、ある程度時間の経ったことなら、けっこうすぐ思い出せたりする。
 なんでだ??




 ひょっとすると、年を重ねるにつれ、その“思い出す”っていう行為をしなくなってきてるんじゃないか??




 ある1つのことをやった。
 でも、そのすぐあとにそれを思い出す必要ってのは、特になかったりする。怒られるのは、たいがいちょっと経ってからだ。
 物を失くすときも、おんなじような感じ。
 “すぐあと”ってのがコレ、なかなかどうして難しい。




 日記を書くっていうことは、その日を思い出すっていうことだ。
 たしかに、僕のちょっとした経験からにしても、日記をつけてる人のほうが、つけてない人より、いろんなことを憶えてたりするような気がする。
 まったくつけたことがない人とか、つける気もない人、日記が苦手な人って、たとえそれが長期間であろうと短期間であろうと、その物事を憶えていようという気すらないように思う。




 あと、今じゃもう、パソコンで日記をつけてるっていう人がほとんどだろう。
 手書きとパソコンもまた記憶力に差があるんじゃないかと思うわけ。
 パソコンて、けっこう頭使うようでいて、実際にはたいして使ってない。これってほとんどひらめきに近いんじゃないかと……
 1つの文字や言葉を完成させるのは一瞬だし、それが間違ってる字なのかどうかっていう認識も一瞬。
 まばたきより速い。
 写真を撮るのと一緒だ。
 意味だとか理由だとかっていうよりも、もうほとんど図形の認識に近いと思う。
 夢にも似てる。
 頭振ってても目ぇつぶっててもよそ見してても、よもや本読みながらでも打ててしまうわけだ。
 んでもって、そういう瞬間の積み重ねで、しかもどんどん次に進む。
 というより、今そう打ってみて気づいたけど、この場合はもう“書いて”ないってことよ。




 ところがドッコイ丸の内。
 それが手書きだと、まるでその1つ1つがロジックみたいで、いちいち構築が必要だったりするわけだ。
 これは無意識かもしれないけれど、1つの字を書くにしたって、きっと途中で何度も“書き順て、これで正しかったっけ??”とかいろいろ他のことを考えたりしてると思う。
 しかも、手書き文字だと、そのときの気分だとか環境だとかがモロに出る。
 緊張してれば線が震えるだろうし、イライラしてればバランスが荒れる。
 人間、平常心てやつが一番難しいと言われてるし、そのとおりだと思う。人の心ってやつは、常にいろんな方向、物事、刺激のなかで揺れてるんだと。
 ひょっとするとそれは、“冷静”っていうやつともまた違うような気がしてきた、最近。
 まあいい。
 “丸の内弁当”のなかには鮭が入っているように、そんなディテールにまでいちいち構ってられない。
 そこに固執すると、それはもう“鮭弁当”になってしまうように。




 まあ、手書きで日記を書いてると、不思議にもいろんなことを書いてるうちに、考えやら出来事やら、なにかと気分も落ち着いてくる。
 その日1日の出来事と一緒に、気持ちも整理してるんじゃないかと、そんな作用もあるんじゃないか??
 どうよ、マチャアキさん。




 っていうかコレ、将来さらにヤバいんじゃないのぉ~??
 このパソコンってやつ、もうほとんどゲームに近いじゃん。
 たいしてなんも考えなくたって、いろいろやってくれちゃうわけよ。
 今はなにかと“キレる子供”っていうのが話題になってたり、問題視されてるけども、実際には“キレる大人”のほうが問題だと思うよぉ~??
 ホントかなり多いと思うし。
 きっとあの一世を風靡したファミコンっていう最強のゲーム世代が、今の若手サラリーマンとか中堅サラリーマンぐらいだと思うし。
 実際、最近なら、そういう事件のほうが目立ってるし……




 かるくヤバい??
 いやいや。
 けっこうヤバくない??




 もしかしたら、大人より子供のほうが“かばう”っていうこと知ってるかもね。
 子供のころって、親との絆より、友達どうしとのそれのほうが強く感じてたりするしな。親とのものはもう、それこそ空気みたいにあたり前すぎて。
 いてあたり前、いなくてもあたり前。
 なにをするにもあたり前。
 で、あたり前だとか常識だとか、“しょうがない”っていう言葉でなんでも片付けようとしたりする。
 で、大人どうしのそれって、なにかと“裏”っていうのがあったりするからなぁ~。
 日常的に見え隠れしてるそういうのって、ホント小説とかよりおもしろいって思うぐらい、大人どうしの絆ってうすっぺらいなぁ~って感じることが多い。
 結局は、自分。
 非難や中傷も、幸せなころでもそれをする恋人っているんだろうか??
 結局はそれも、相手が冷たくなったからとか、自分がもう飽きちゃったとかいう理由だったりして。




 ただ、ただ子供のころって、その無邪気さが故なのか、自己犠牲もしなければ、自己中心でもない。
 常に“対等”っていう立場で物事を見てたり感じてたりしたと思う。




 大人になると証拠や証明、説明ってのをいちいち求められたり、自分にとっても必要だったりするけれど、子供のころってむしろ、そういうのは必要ないことのほうが多かった。
 そういうほうが論理的なことを求められたり、事細かに監視されたり、なにもかもがマニュアル化された場所より、子供のほうがもっとずっと複雑な世界に生きてるんだと思う。
 人間、本能が一番残酷で複雑。
 だけどそれが、時にひときわ美しい。




 まま、子供が天使だとか僕らの希望とは言わないけども、未来を歩いていくのは子供なんだな。
 未来は子供のためにだけあるわけじゃないし、約束されてるわけでもない。
 でも、今そのために僕はなにができるか??
 少なくとも総理大臣にはなり得ないたった今生まれたばかりの0歳児よりは、その子が生きていくだろうそこへとつながってる未来を変えられるかもしれない僕に、一体なにができるんだろう??
 総理大臣になって国や世界を変えることはできなくても、もしかしたら歌が、その子を勇気づけられるかもしれない。1冊の本で、その子に夢を与えられるかもしれない。
 たった一篇の詩で、その子がまたさらなる未来へとつながるなにかを見つけてくれるかもしれない。




 ……あ、『Dear』の更新しよ。






















 時間できたらね。
 バイト先からじゃできないのよ、これがまた。




 もう長い日記は書かない!!!!

  • February 22, 2006 7:27 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

- Rain -

 オリンピックには“魔物”がいると言うけども、どうやら俺様が捕まったらしい。
 オリンピックおもしれぇ~……
 そう、これは先週の日曜日に書こうと思ってた日記なの。書こう書こうと思ってて、オリンピック観ながら編集作業してたわけだ。その後、結局歌のほうにのめりこんでしまったという始末。




 スピードスケートのショートトラックが特にヤバい。バッコリ熱い。
 いいねぇ~、ああいう駆け引きのあるスポーツ。そういうのお兄さん好きよ。
 でもなんか競技自体を見てると、すっげえ小ざかしいようで、その駆け引きだけでそうとうなエネルギーを消費するんじゃないかと思われる心理戦。
 テレビだと余計に小さな動きしか見れないもんだから、ひさびさに1度は生で見てみたいと思ったことだ。




 しかし残念……
 なんかすっごい囃されてた割には、メダルが全然取れてないとのことらしい。
 ってか、昨日テレビでチラッと見た清水さんの銀メダルが初めてじゃないのか??
 違うのか??
 まあいいさ。
 それまでの努力だとかをムダとは言わないが、どうせ競うんなら、てっぺん取ってナンボでしょう。きっと選手の人たちもそれぐらいの気持ちで挑んでんだろうし。
 テレビとかでよく聞く“メダルは取れなくてもよくやった”とかは、ホント気休めみたいにしか聞こえない。
 まま、テレビで顔出ちゃってるわけだし、なかなかそんなこたぁ~軽々しく言えないんだろうけども。
 いや、というか、みんながみんなそうとも思ってないけどさ、別にスポーツやる人の最終的な目標がオリンピックってことでやってるわけじゃないよな。
 まあ、競技によってはそうなるかもしれんけど、バスケならやっぱ日本人からでもNBA行ってやってみたいだろうし、サッカーもワールドカップとかだろうしな。
 とはいえ、もし僕がプロのスポーツ選手だとしたら、やっぱそれら全部のてっぺん取りたいけどな。メダルもカップもシャンパンも、葉巻も女も地位も名誉も全部ぜんぶ。




 なんだかスケートだと、韓国の選手団がメチャメチャぶっちぎりっぽい印象を受けたのだが、あれってなんか国技とかなのか??
 まあ、国技だからって強いとは言えないけども……関取然り。
 “藍、青より出でて、青より青し”ってやつだな。それでいて美しいわけだ。
 韓国ってスケート大国なのかしら。




 でも日曜から観れてないってのが現状なり。
 ここんとこ1日3時間半の睡眠て……
 芸能人さんで言えば、次長課長さんクラスらしい。昨日の『情報ツウ』のトークツウで言ってた。
 でも、次長課長さんたちより30分ぐらい多いみたい。幸せ。




 にしても、どぉ~してこう音楽ってやつはキリがないのかねぇ~。
 歌も“こうこうこういう枠のなかでやってください”っていう電線みたいのがあれば、とってもラクなのになぁ~……
 ミュージシャンの人たち、よくそんななかで“これだ!!”って感じで出せるなぁ~と、ホントそこに関心する。
 いつもちょっとダメかなってなぐらいがいいのか??
 しかし、それがないからこそ楽しいんだけど。
 誰もができるってのが重要なところなんだろうさ。
 結局限られた人だけってのじゃ、きっとそのうち、それをやってる側さえ虚しさを憶えるんじゃなかろうか??
 目先のことにとらわれる人は別として。




 今きみが、本当にしたいのはなに??
 今きみは、本当にそれでいいの??




 なんかこういうキリのない疑問というやつが好きらしい。
 だからこそ飽きない。そこがいい。
 いつも先を見ているような気になるし、実際そうなんだろうと思う。
 現状維持や今あるそれに満足や幸せを感じるのも大事なんだろうけど、やっぱり自分がそれ以上を求めていなきゃ、手にできない。もしかしたら、それが見えもしないのかもしれない。
 少しでもそこに近づけてるか??
 より良いもの。
 より良く。
 最高の今より、もっと最高の今を。




 こないだ、“歌バカ”と言われた。僕のハートが暑苦しいと。
 なんかちょっと嬉しかった。
 技術や知識、そういうのは教えてもらったりできるし、結局慣れだったりするけれど、そういう“暑苦しいハート”っていうのも1つの才能だとその人は感じたんだそうな。
 冷めてるってのは、たしかに嫌いだ。
 熱くならないというか、熱くなれない人は、どうも好きになれない。
 なんか熱くないってのは、冷えてもないって気がする。
 それだけでもうその人への魅力を感じないと、まるでそれが風化するみたいに感じてしまう。
 これもハートが先行してるってことなんだろうなぁ~と、また思う。
 でも逆に、なにごとにも冷静でいるっていうのも、自分の理想とするところを犠牲にしてまで手抜きができるっていうのもまた、1つの才能なんだろうなとも思う。
 冷静でいることも必要だけど、熱くなることも必要だと思う。かと言って、どちらも絶対とは言えない。
 ただ、それらが心のなかに混在してて、初めて、その中間ぐらいなイメージの“あったかい”っていうぬくもりが生まれるんだと。




 あと、“ハートが先行してるのはもったいない”とも言われた。
 そんなご指摘は、初めてだった。なんとなく衝撃的だった。
 なにかと才能やセンス、ただ好きだっていうだけでもダメだというように、僕には基礎っていうのがないと……まさにだ。
 やっぱわかる人にはわかるんだなと、ちょっとまいった。
 実際、僕の身近なところには、まったくもってそういう人がいなかったりする。
 僕に意見したり、なんというかかんというか、なんか諭すようなことをしたりとかする人がいないわけだ。
 やっぱこれも普段から“俺様”とか言ってるからなのかねぇ~……なんなのかねぇ~。
 まあいいや。
 話が逸れた。こんなこたぁ~公開するようなことでもないしな。また誤解を招きそうだし。
 サビ作りはセンスとのことなので、とりあえず今はひたすらに僕のなかのそれをフル稼働させるのみだ。




 あ、そうだ。
 誤解といえば、前に、“この日記で書いてることって、たまにおれのことだろ。言いたいことあんならちゃんと面と向かって言え”と言われたことがあった。
 んなこたぁ~ない。即“思いあがんな”と返した。
 なんでこうちょっと批判的なことが書いてあって自分にちょっと当てはまると、小さな疑念からすぐ自分のことだと思うのか。
 僕は、そんなことは、ホントよっぽどのことがない限り人に言わない。“おれのために言ってくれ”とでも言われない限りないな。さすがに我慢の限界突破とかじゃないと口にしない。
 それはもうほとんどあきらめに近い。なんというか、言っても聞いてるフリだけで耳を傾けない感があるから。
 なんか話してるとわかっちゃうし、その後のその人の行動見てればわかるからなぁ~、こればっかりは。
 だから最初は、話してると、その人を責めてるというか、けっこう説教口調になると言われるけど、そういう人にはまず言わなくなってく。
 もうなんも期待もしなくなるし、その人に対してなにも伝えることがなくなってく。いつしか伝えるべきことすら見失ってしまうんだよなぁ~。
 やっぱ会話って、そこにある人間関係をはかる上で、重要な要素の1つなんだよなぁ~。




 しかし思う。
 僕にはそんな気はないのに、聞いてる側がそう聞こえるっていうのは、その人のなかでちょっとは耳が痛い部分があるからなんじゃないか?? だから自分が説教されてるように聞こえるんじゃないか??
 まままま、たしかに人の粗探しは得意だし、そういう部分てやっぱり、いいところよりもずっと目につくもんだけどさ。
 いいところって意識して探さないと、そう簡単に見つけられるもんじゃないと思う。自然と見つけられた人のいいところって、けっこう自分と共通する部分だけなんじゃないかなと。
 まあ会話だし、話し方と聞き方にもよるんだろうけど、そう思う。
 僕としては、笑いながら話してるほうがよっぽど怖い。




 あ、そういえば、なにかと手を抜くやつも嫌いだ。いや、大嫌いだ。
 自分がイヤだってだけで、“がんばったんだけど……”とか拭けてない尻をさらしながらそれをごまかそうとしてる感じが許せない。
 うん、嫌いというか、許せない感じだな。
 その時点で、なにも告げずに僕の世界から魔法使いのごとくサッと指パッチンで抹消される。
 そういうやつは、それこそもうなにも言わなくなるな。
 人をまるごと受け入れることはできても、すべてを理解するのは難しい。いや、それは不可能だと、あえて断言してみようか。
 人を受け入れるのに理解なんて必要ない。
 もしその人に対して“この人のことならなんでもわかってる”と感じた瞬間、それこそ、その人のことをなにもわかってないって証。
 その人に対して、なにかについて勝ってるとか、自分のほうが上だと感じた瞬間、それが負けへの第一歩であり、下へ向かう階段の1段目に足を乗せたのと同じこと。
 でもこうやって、人の気持ちってやつを頭でキリなく考えて、あたかも他人事ともとれそうな言葉というやつで表そうとしてることそれ自体、一番冷めてるのかもしれないな。




 人に人のなにがわかろうか。
 人だからこそ人を理解できるというのに。




 人間はみな、未完成だ。
 でも、不完全なものとしてもう完成されてる。
 人間がこれ以上進化しても、退化しても、人間はもう人間じゃなくなるだろうから。




 陰口だとか悪口だとか、普段たまった自分の主観でしかない憂さ晴らしのために、わざわざこういう場を借りたり使ったりなんてしないさ。ましてや公開なんてしない。したくもない。
 むしろ、そういうのを言葉にしちゃったらおしまいだな。
 本音っていうのは、自分以外だれも知らなくていいものだと思ってる。
 素直な気持ちはちゃんと伝えるべきだけど、それを人に話す必要はないし、自分だけがわかってれば充分だと。
 単なる言い方の違いってだけと聞こえるかもしれないけど、その2つの言葉の違いのニュアンスで、僕の伝えたいことはわかってもらえると思う。
 ここはだれかになにかを伝えるために書いてるわけじゃない。僕のそれは『Dear』だけで充分だわよ。
 このTakuya's Diaryは、あくまでその日、あ、いや、ほとんどが前日だったり先日だったりするけども、そのとき思ったことだったり出来事の並列でしかない。
 そういう鬱憤の解消は、バイトの行き帰りで充分間に合ってる。
 難しいやな、人間関係って。
 言葉って。
 気持ちって……
 “知らなかった”じゃ済まされないぐらい、いろんなことが発達して成長して、それがどんどん普及して、それを作った人のほうがそれに追いつけなくなってきてるんじゃないかな。
 まあ、もし読んでいくなかで自分と重なる部分があったなら、いいことはいいこととして、いやなこともいいことに変換していってほしいな。
 読み物ってきっとそういうもんだと思ふ。




 だれが傷つけ合うために笑い合うか。
 だれがその心を踏みにじるために心寄せ合うか。




 ……雨だ。
 ここんとこずっと降ってる。
 景色はもう5月を映してる。




 たまに人の気持ちやその感じ方に触れることができない。どんなに手を伸ばしても届かないときがある。
 たとえば、道端で立ち止まってどこか遠くを見てる人。
 でもそれは、その人と同じ景色を見れないだけ。
 そして、その視線の先に顔を向けて同じ景色を見たときに、決してその人とは同じように感じられないだけなんだ。

  • February 15, 2006 6:48 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

俺様全集。

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