月別 “ May 2007 ” 列挙

“ May 2007 ” に書き連ねた俺様日記の数々。

すっげぇ無理してまで脚組むやついるだろ?

 それ、俺様の統計では、ほぼ99%の確率で“エエカッコしぃ”だ。
 残りの1%は、まだ出会ったことのない人もいるから、そのための余地やゆとり。


 つまりは、ほぼ100%がエエカッコしぃということになる。


 いないかいないか、そういうやつ?


 すっげぇちっちぇスツールな椅子なのに脚組もうとする人。明らかに尻のほうが膝より低い位置にある。脚組むにはメチャメチャつらくねぇの、それ?
 はたまた、机から出てきた途端、ここぞばかりに脚組む人。むしろ、机から出るのに床を蹴った足が、そのまま鞭のようなしなやかさで膝に巻きついてるのかと思えるぐらい滑らかな、実に滑らかな脚のしなり具合。家で練習してんじゃねぇかと思う。
 さらには、呼ばれたら、脚を組んでからじゃないとそっちを向かないとか、そっちは向くけど、とりあえず脚を組んで、それから口を開く人。


 俺様が“脚を組む”っていうその行為を知ったのは、高校のとき。1人いた。
 腿と腿の隙間を埋めるためにわざわざ手で腿を持って脚を組んでた。たしかにそっちのほうが、よりきれいに脚が組める。
 俺様、そのとき、そいつのそれを見て、初めて自分のなかで“脚を組む”というカッコよさを知ったわけだ。その脚を持つというしぐささえ、カッコいいと感じていたに違いない。
 なんか大人な雰囲気っつーの? ちょっと斜に構えて、机からちょっとはみ出す感じ?
 机の上のノート見るのに、なんか横目で理解するみたいな? おまけに靴の紐結びながら覗きこむみたいな? そして教科書は膝の上?


 でもわざわざそこまでして脚組みたいか?
 まあ、今となっちゃな。


 そいつもエエカッコしぃだった。これは間違いない。100%断言できる。
 無意味に秘密主義。なんか妙に理屈っぽい。
 彼は、学校の水は一切飲まなかった。いっつもコンビニでバイトしてる知り合いの子に“evian”を買ってきてもらってた。
 んまあ、それは正直、猛烈にうらやましかった ─── その子がまたメチャメチャ可愛いんだ、これがまた。


 とはいえ、彼のどこがどういうふうにそれとは挙げられないけども、なんか肌で感じてた。
 つまり、俺様も傍若無人にエエカッコしぃなわけだ。
 いやぁ~、気が合ったのなんのってもうもうもう……俺様が試験のためにちゃんと勉強を始めたのは、そいつと会ってからだ。
 いやはや、お互い病的な負けず嫌いでしたな。


 んまあ、そんな感じで俺様の持論だ。
 俺様統計学、今後もチョロチョロと出してみようと思う。


 普段から何気なく腕を組むやつは、忍耐強く、相手の出方を見てから自分の出方を試す人。

  • May 17, 2007 2:30 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

≪美乃屋≫さんの日記に写真追加。

 タイトルのとおりです。



 これより以前の、空白の何日間かは、また時間ができたら書こうと思われます。
 また今日も昼更かし……Chessのレベル6に勝てたからってイキがってないでさぁ~。
 さっさと寝ろよ……おれ。


 って、Movable Typeって難しいね。
 かなり面倒だ。
 カスタマイズ大好きな俺様としては、まだHTMLで全部手書きしてたほうが楽っぽい……
 しかしまたこれ、そのうち慣れてきたらテンプレートタグとかも全部手打ちすんだろうなぁ~。
 って、全部手動でソフトに登録しちゃおっかなぁ~。


 あ、そうそう。
 cgiな上に、こんだぁ~PHPまで出てきやがった。
 でもPHP化はできたらしい。意外と簡単にできた。“.htaccess”とかいうファイルにかなり悩まされた。知らぬうちに1行目が空白の行になってやがった。
 突然画面が真っ白になったら、そこをチェックしてみるといい。


 あと、イジり倒してやっとできたテンプレート入れたら、いきなり再構築でエラー出しやがって。しかもメインページ ─── でも表示はされるのだよ。
 まあ、ページ自体が消えたわけじゃ~ないからな。



「メインページ」の再構築ができません。
タグでエラー。
でエラー。
<$MTArchiveLink$>でエラー。


 結局バックアップしといたファイルと差し替え。それで解決。
 って、差し替えたあとでエラーを出してた箇所を発見……あぁ~、もう!!


 どうやら“日別アーカイブ”を読み込もうとするモジュールを使ってたらしい。
 デフォルトでは、そこにチェックは入ってない。
 というより、自分でも必要としてないとこで使ってた。
 嗚呼 ─── なんと!!


 でも、そんなエラー頻発も楽しいから、結局俺様 ALL OK!!
 HTMLに飽きてきたという方、Movable Typeはオススメ。
 かなりイライラするけど、今まで知らなかった属性とか要素とか知れていいよ。CSSの勉強も同時進行でできるっつー話。
 RSSとかATOMとかにも勝手に対応してくれるし、サイトマップまで自動生成してくれんですもん。
 でもHTMLのサイトもたまにはイジりたい……
 んまあ、どちらも楽しいので、EVERYTHING IT'S ME!!


 絶対“最強のブログ”作れるようになります。

  • May 16, 2007 2:29 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

ふと昔の恋人に会ったときって、どうする?

 みんなはどうなんだろうか?
 買物してる最中、ぶらぶらしてる最中、公園のベンチに座ってるとき。
 そこへ昔の恋人が ───


 いや、ちょっとニュアンス的に違うな。


 “昔の恋人を見たとき”


 だな。


 けっこう歌で歌詞としても出てくるこのシチュエーション。
 “つい隠れてしまった”とか“他人のフリをした”とか、“気づかぬ素振りですれ違ったあと、ひとり振り返った”とか“その背中を見送った”とか、とにかく細かい部分まで入れれば、同じ対応なんて1つもないんじゃないかってぐらいいろいろ聞く。
 友達から聞いても、同じようなアクションが返ってくる。わりと恋多き友人知人たち。


 そんななか、“普通に話しかけた”っていうのはあまり ─── いや、めったに聞かない。
 と同時に、こんなことも耳にする。


“別れたらなんか急に話すことなくなる”


 感覚的なものなのか、それこそが自分のなかでの気持ちの変化を表す最大の指標なのか。
 高校のときに聞いた言葉だけど、これ、かなりの明言だと思います。
 なんか余計な理由とか説明とかがないあたり、さらにその深みを増してる感じ?


 たしかに。それ、かなりわかる。
 でも、なんでかはわからない。
 気持ちがその人に向いてないからか?
 どうなんだ?


 こっから先はもう、テーマなんてあったもんじゃねぇっす。


 でも、思いきって言ってみよう。


 “好き=知ってほしい+知りたい”


 それが自分のなかから消えたからか?
 それならわかる。質問もないし、答えもない。報告もなければ、疑問もなくなる。
 話の種になるものが一切消えちまってるっつーこった。


 これは友達としての“好き”じゃない。恋愛対象としてのそれ。
 友達なら、別にただの近況報告みたいのでも、答えも求めてなければ相槌すらいらないっていうことで話もできる。話題なんてなんでもいい。
 でも、恋人となると、けっこうこれ気づいてなかったりする。
 必ずどっかで“反応を欲しがってる”という心情。
 くっついてるレッテルが、友達と恋人っていうだけで、こんなにも違うのかと感じる場面だ。


 同じ言葉でも、友達からと恋人からでは、同じ反応じゃいけないらしい。恋人には、恋人という関係を維持させるための“反応”っつーものが必要になる……いや、必要ではないか。“望ましい”って感じか?
 いわゆる“食いつき”ってやつだな。
 友達には「ふ~ん」でいいものも、恋人にもそれじゃ、言葉では言わないまでも、たいがい表情に出る。一瞬気づかれない程度にムッとするか、最近巷でよく見受けられる表現で言えば、そう ─── “しゅんとなる” ─── それだ。
 言葉で言われたら、そりゃもうよっぽどだな。


 とはいえだ。
 きっとその別れ方にもよるんだろうな。
 どっちが別れを切り出したのか ─── それによって受ける印象は、恐ろしく違う。
 “昔、好きだった人”と見るか、“あの人”と見るか。“前の恋人”と見るか。よもや“あいつ”と感じるか。
 歌詞でもけっこうそこが重要視されてるような気がする。
 で、さらには、自分と相手で、その立場が違ってるということもしばしばあるかと……二人して自分はフラレたと思い込んでたりしてな。
 なんかどっかのコントのネタとしてもありそうな気もするけど、当事者としては笑えねぇやな。


 というのはさ?
 そのまんまなのよ。
 昔の恋人に会ったのさ。それも2回ときたもんだ。


 最初は、バイトに行く途中。チャリンコでいつもの≪セブン・イレブン≫に向かう信号待ち。
 ウォークメンでテレサ・テンさんの『つぐない』がかかっててルンルンだったためか、気づけばサクッともうすぐ目の前にいた。
 微笑んでた。
「あら」
 俺様の第一声。なんとも話しやすい娘っ子だ。
「いやぁ~、ホントあちこち大きくなって」
「もう23歳になりました」
「あらぁ~ ─── もう28歳になりました」
「あぁ~、もうけっこうオッサンだね」
 そう覗きこむように上体を前に傾けて、アハハって笑ってた。
「あ、ほいじゃ」
 俺様、発車。
 “オッサン”と言われたことに居たたまれなくなったわけじゃねぇ。別れたときより大人びて可愛くなってたことが悔しいんでもねぇ。もうほかの誰かが待ってるのかなぁ~なんて親心というか、お兄さん風が吹いたわけでもねぇ。
 んなありがちな言い訳はありゃしない。
 そこで信号待ち終了。もうすでに多少遅れてたわけだ。 
 しかし……アハハじゃねぇ。まあねまあね、とっさに“あちこち”ってついちゃうあたりがもうオッサンな発言ではあるけどもさ。
 かるく凹んだ第1回。


 そして第2回。
 そこは≪ダイソー≫ ─── ほぼ、なんでも100円なお店だ。あくまで“ほぼ”だ。最近は200円のものも増えてきて、300円や400円のものもあると思う。
 その日俺様は、なにかと使うゴム手袋を探してた。しかしながらいつものごとく、100円ショップでは、とりあえず全部を見てまわる習性も身についてしまったため、それにならってた。
 ホント一瞬だった。ホントにホントのすれ違い。そんだけだった。
 しかもそのとき、俺様は急に突然おたまが気になって、そっちに曲がろうとしたときだったのだよ。まさにサブリミナル効果ってやつか ─── いや、一体そこになんの効果がありましょうぞ。
 でも人間、これ不思議なもんで、そんな横目でチラッとすら見てもいないホントの一瞬でも、昔の恋人とかって存在に限っては、一切の見間違いってことがないらしい。
<あ………>
 そして、うしろ姿だけで充分だった。わざわざ前にまわって顔を見ないととか、それ以上に確認する必要はないらしい。
 でもきっと、彼女のほうは気づいてないと思われる。
 それはなぜかと問われたならば、なんとなくだ。
 これもまた認識の感覚と一緒で、現在進行中だろうが過去形だろうが、そういう“なんとなく”はけっこう重要だ。
 でまあ、特に話すこともなく、そのまま俺様はノート一冊と手袋を買って帰った。


 恋人どうしにあっては、“昔の恋人に会う”っていうのが、一番のタブーとされてる。というより、相手としてもっともイヤがるもんだと思う。
 けど俺様は思う。
 きっと“昔の恋人”っていう関係こそ、今現在において、一番“恋人”にはなりえない。
 お互いに一度“別れた”っていう事実というか、がっつりとした記憶があるために、楽しいだけじゃない記憶が、またさらにいろんな記憶が甦ってくから、そこでまた“もう一度”っていうことに発展しにくいんじゃないかな。
 まあ、それもまた別れ方とか理由がすっげぇ重要なんだろうけどさ。
 つまり、甦ってくる記憶にいちいち“だった”っていう過去形がくっつくわけだ。それって人間の記憶として感情に影響を及ぼすこととしては、かなり重要だと思うわけ。
 なにもかもが過去形……これを今の現状に戻すのって、わりと難しいと思うのよ。


 恋人でも友達でも、今も昔も関係なく話のなかで、けっこう“ああ、そんなこともあったね”って相手の人が言ったことを、今のことに置き換えるってけっこう苦労する。
 その人にとっては“過去のこと”ってことでもう片付いてるものを、それは今にも関係してると考える人が引っ張りだそうとしても、それはかなり難しい。というより、その時点でもう話し合いは成立しないと思われる。
 整理がついちゃってる人にとってそれが面倒だと感じはじめたら、そのことについては“もう過去のことなんだから関係ない”とか“もういいでしょ”って強行手段に出るだろうと思うから。


 たぶんさ?
 前に恋人になれたんだから、今だってまた ─── ってな展開になるんだと思う。
 でもさ?
 理由はどうあれ、過去を過去として現実から完全に切り離して受け入れられなくなる、または見れなくなってしまうのが、恋人になるってことなんじゃねぇかなと。
 嫉妬はしない。束縛はしない。
 そんなこと頭ではわかってても、なんだかんだでいつも“したくない”って感じだと思うわけ。
 束縛なんざ、しようとしてる人こそが、その人っていう存在に束縛されてるのと同じこったろうよ。


 んまぁ~、それはそれとしてだ。
 やっぱりプライドっつーことだろうな……俺様が話しだすと、なにかと出てくるそれ。
 というのは、フッた人がもう一度フッた相手に付き合ってくれって言うのは、プライドが許さない。
 それだけじゃない。
 フッた側にもプライドがあるように、きっとフラれた側にもフラれた側のプライドがあると思うのよ。
 だから、それぐらい“昔の恋人”っていうのは、その存在自体がデカいだけに、けっこう現実としてまた受け入れるのは難しい。


 でもこんな統計もある。
 結婚へとたどり着くカップルは、いわゆる“元鞘”が一番多い。
 by 俺様統計学


 別れたあとも“いい関係”を続けられるってのは、きれいごととかなんだとか言われるけど、実際やっぱ理想だと思う。
 でもやっぱし、感情っていうものがある以上、いろいろな要素が複雑かつシンプル、ものの見事に絡み合ってそれは難しい。


 そういえば、また最初に掲げたテーマがどっかいった。


 “昔の恋人に会ったとき、さてどうするか?”


 結局それも自分次第なんじぇね?
 “いい関係でいたい”と思ってれば、無理してでも話しかけるだろうし、別にそれっきりでいいとか思ってるなら、それっきりだろうし。
 で、そっからまた恋人に戻りたいとか思ってるなら、それをきっかけにしてまたなんやかんや口実作ろうだろうしさ。


 まあ、さらに掘り下げるのはまた今度にしよう。


 はて、あなたはどうしたか?

  • May 15, 2007 2:28 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

Adobeさんから、ついにPhotoshop CS3が出るらしい!!

 欲しい!!
 こ~れ~は~、欲しい!!
 絶対欲しい!!
 ぜってぇ買う!!


 でも高ぇ!!


 というのも、なんだか今回のCS3から、普通の“Photoshop CS3”と“Adobe Photoshop CS3 Extended”っていう2つのバージョンにわかれるらしい。
 Adobeさんのサイトで公開されてる情報の用途区別としては、“フォトグラファー / グラフィックデザイナー / Webデザイナー ”と“3D、モーションデザイナー / 製造業 / 医療 / 建築家&エンジニア / 科学研究者”らしい。
 まあ、どちらも“プロフェッショナルのニーズに応える高機能”とのことだけど、“Extended”のほうが後者であることは言うまでもないでしょう。


 このたび、Adobeさんから“Photoshop CS3”に関するダイレクトメールが届いた。
 Adobeさんからの手紙は、なんだか、なぜだかいつもドキドキ・ワクワクする。Acrobatもそう。
 なんでだ?
 って、ミステリーなフリしたところでわかりきってるな ─── 魅力的すぎるソフトだから。
 Adobe信奉者の俺様だから仕方のないことだよ。
 Photoshopはねぇ~……とりあえず1回使ってみればわかる。


 で、その手紙をサクッとひととおり読んでみた ─── サクッと読むこと3回。
 なんだか俺様としては宝の持ち腐れになりそうな3D機能が強化されたっぽいのと、俺様もやめられない止まらないすっげぇ誘惑が目白押しじゃ。


 でも、なにより魅力的なのは、やっぱ“スマートフィルタ”……この“非破壊式編集”ってのがかなり気になる。


Photoshop CS3独自のスマートフィルタは、元画像を変更せずに適用でき、いつでも再編集が可能です。そのため、画像を保存し直したり最初から操作をやり直すことなく、様々なフィルタや設定を試すことができます。スマートフィルタのマスク領域を編集して、フィルタが影響する画像領域を精密に調整することができます。またスマートフィルタはスマートオブジェクトのレイヤーごとに適用されるため、画像の拡大縮小、変形、フィルタ処理を効果的かつオリジナル画像を壊さない非破壊編集ワークフローで行なうことができ、デザイン作業が効率化されます。


Adobe Photoshop CS3 - 新機能紹介

 すげぇじゃん。
 やるじゃん、Adobeさん。
 待ってたよ、こういうの。


 んま要はさ。
 “楽チン”ってことでしょ。


 Flashは使わないけど、“Zoomify”とかいう機能も、これまたかなり優れもんじゃないかなぁ~と思われる。
 Adobeさんも言ってるとおり、デジカメの高解像度が日進月歩で向上しまくってる。デジタル一眼レフなんつったら、パソコンのディスプレイじゃ、結局表示しきれないぐらいデカい。ヘタレなパソコンじゃ手に負えないほどの解像度です。
 とはいえ、それをWEBで公開するとなると、結局は解像度を下げないといけないのだな。で、実際にはこの作業がかなり面倒。
 それでいて、なんだかんだと高解像度で撮影したところで、ハードディスクの肥やしになってるだけだったしりしてな。いいカメラで綺麗に綺麗に撮ったところで、事実WEBで公開するぐらいしか使い道がなかったり……
 俺様もデジカメ壊れてそれを思い知った。モロ痛感。


 そこでだ。
 ざっと読んだ感じだと、写真つーのは結局WEBで公開する場合、写真は写真でしかない。細かいこと言えば、デカい画像を小さく表示させるってこともできるけど、だいたいはサムネイルも別ファイルとして作ると思う。
 思いっきり静的な見せ方しかできなかったわけだ。
 しかしながらこの“Zoomify”ってやつは、もともと静的な写真てやつを、動的に見せることができるらしい。
 ズームしても元の写真の解像度を保ったままなんだそうだ ─── そりゃすげぇぞ。
 しかもインターネット接続が遅くても、ばっこりOKらしい。んなもん不可能じゃん。
 不可能だったじゃーん!!
 まあ、なんだかんだでFlashプレイヤーでの表示みたいだけどさ。


 あとまだ、いや、まだまだ気になる機能が盛りだくさんじゃ!!


  • Adobe Bridge


 さらに使い勝手が向上してる感じ。

  • トーンカーブ


 かぁ~なり便利になってるじゃん。ヤベェよ、このトーンカーブ!! メッチャこまい。


 アニメーションはめったに使わないからたいして魅力ない。“ムービーペイント”とかいう動画へのアプローチは、なんだか“Extended”だけみたいだし……これが残念!!



  • クイック選択ツール


 ってこれ、自動選択のやつってことだよね?
 あれも今はやっぱ手作業にはかなわねぇだろうってことでめったに使わないけど、“CS3”にしたらなまら使いそうだ……いや、結局使わないかな。
 Adobeさんのとこで見たやつと、こないだどっかで見た動画が違う。こないだ見たのは、ズバッとやったら、スパッとすぐに自動選択されてたのよ。ホントにあんなスピードと手間なら、絶対重宝するぜよ。



  • 境界線を調整ツール

  • レイヤーの自動整列・合成


 両方ともとりあえず使ってみてぇ。
 “自動整列”ってすげぇな。“合成”はすっげぇ便利そう。


 あとはなに?
 インタフェースもかなり良さげ。


 総体的に見て、こりゃ絶対 ─── “買い”だ。
 しっかし相変わらず高いよなぁ~……さすがAdobeさん。
 “Extended”だったら、アップグレードで48,000円って!?
 あ、でも、昔に比べたら、多少なりとも安くなったのか? 初買いで税込み100,000円ジャストだもんな。
 そう考えると ── ホントやっぱ、みなさん、うちの人みたいな旦那を持って!! まだ見つけてない人は、なんとか探して!!
 絶対、幸せになれっから!!


 で、いつ発売?
 まだAdobeストアーでも予約かぁ~……
 ダウンロードならチョベ~ット安いんじゃん!!
 待つか……
 でもCS3は、ちょっと箱で欲しいかも……


 発売前は妄想と迷いばかり膨らむので、これにて打ち切り!!
 以上。

  • May 14, 2007 2:27 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

至極の指サックを求めて試行錯誤してみる。

 デスクワークだとさ、指サックってかなり重要じゃない?
 あれがなきゃ仕事になんないなんて人も少なくないと思われる。
 俺様とて、1日に何千枚っつー伝票を扱うわけだ。あれがなきゃ指の皮のほうがめくれちまうっつー話。


 だがしかーし!!
 市販されてる指サックは、なにかと不便な点が多いのだよ。いや、一長一短というべきか、いいとこあれば、いただけないところも一緒にあるみたいな。
 列挙してみよう。順不同チックに不満度No.1から順番。


  • 蒸れる。

  • ガサい。

  • フィットしない。

  • フィットしすぎて締まりが強い。

  • なんでか知らんが、指サックを装着すると、なんとなくがんばってるような雰囲気が出てしまう。

  • 蒸れて汗がにじんでくると、抜けなくなる。

  • すぐ伸びる。

  • オシャレなやつだと、グリップ力に欠ける。


 そんなわけで、イマイチ求めてたもの“これだ!!”ってものが見当たらない。
 これすなわち、究極は己で作るしかない!!


 そんなわけで、俺様の考える至極の指サックの機能性を列挙してみる。


  • 蒸れない。

  • イカす。

  • 程よい締まり具合。

  • がんばってる感よりオシャレ感が出る。

  • 必要なときに必要なだけグリップがかかる。


 どうだろう?
 市販されてるので、オシャレなのも出てるようだ。小さくて穴があいてるタイプをよく見かける。
 でもこれ、男がしようとすると、親指が入らねぇのだよ。血ィ止まるし、親指の爪のところだけギッチギチに跡がつく。ターゲットは製造段階から女性とみた。
 指先に貼っつけるタイプのもあるようだ。
 最初はこれがいいかなとも思ったけど、それじゃやっぱ使い捨てみたいになって、長いスパンで見るとコストがかかる。
 何度か使えるっていう粘着力を持ったものもあるらしいけど、やっぱなんだかんだで人間の油は侮れねぇ。
 それか、かえってフィットしすぎなために、そのまま帰ってしまいかねない。晩ご飯のとき箸を持ったら、あまりにグリップが効きすぎて、味噌汁のわかめとたまねぎがバシャッとなって顔にペトッてなってアチチチってなるかもしらん。それは困る。


 そしてあと、これけっこう俺様としては重要だと思うんだが、汚れ防止。
 指サックってめくることに便利と思いきや、実は指先が汚れるのもけっこう防いでくれてるわけだ。特に伝票の裏のカーボンな。
 あれ、まったくもって忌々しい ── 指サックをしていれば、あのクソ忌々しい部分に直接触れなくて済むのだよ。


 俺様、真っ黒になった指が大嫌い。
 とにもかくにも、手が汚れるっつー現象が、なまらイヤ。
 なので、家にいるときでも、なにかと手袋をする。パソコンの裏をイジるときも、食器を洗うときもゴム手袋をはめる。時には、パソコンで作業してる最中、お菓子を食べようとしたらつけるときもある。
 まあ、そんなしょうもない個人的な情報はいいのだ。


 かといって、すぐさまそれが完成するわけでもない。
 イメージ的には、こういうのが今んとこベストかなと思ふ。問題点がどう改善されるかと比較しながら書き出してみよう。


  • 全体的な素材はメッシュ。これ、蒸れ対策。

  • めくる部分と部分的な強化素材としては、ウレタン。あのウェットスーツみたいなやつ。これでグリップ力とフィット感を強化。

  • 着脱としては、巻くタイプ。これでダサいイメージを払拭し、オシャレなものにする。締まり具合も自分で調節できる。


 ざっとこんな感じ。
 モチーフとしては、できれば、指に巻く時計みたいなのがあれば良かった。おもちゃでも、リング・ウォッチなんてのどっかで作っててくれないか?
 もし良かったら、スキューバなダイバーさんとかつけてたりしないかなぁ~、そういうの。


 巻きつけを止めるのは、マジックテープ。けっこう自由度が上がるかと思われる。時計みたいな装置は、着脱が面倒になるので却下。


 と、ここで考えてしまうのは、全部をウレタンにすると、やっぱしどうして蒸れるだろうということ。
 ウレタンて、あれけっこう暑そう。
 いやいや。
 もともと保温性が高いから、ウェットスーツとかの素材に使われてるんだよな。
 そこで、ウレタンは強化部分にのみ。帯というか、バンド的な使用がいいかなと思う。マジックテープというか、全体の補強というか、そんな感じでいい感じになればなと想像してみる。


 そんなわけで、まず頭をもたげる問題は、絶対高い!!
 すべてのカスタマイズが手作業だっつーのに、いきなりそんな高コストな素材ばっかし使うわけにはいかない。ましてや、技術的な面でも仕様対効果の面でも、なんのノウハウもない。
 そんな状態でイジくりまわしても、ただお金のムダ遣いになってしまうのは火を見るより火の車。


 というわけで、まず第一段階のカスタマイズは、これ。
YUBI_SUCK 今現在、俺様が使ってるやつで、ごくごく一般的に市販されてるゴムの指サック也。
 とりあえず、締まりすぎる根本部分の節になってる部分を切除。
 それだけ。
 しかし侮るなかれ。これだけでもかなり違うぞ?
 指の根本についてた凹みリング的なゴムの跡がつかなくなりました。
 でもグリップが多少悪くなりました。ちょっと力を入れると、指を中心に指サックだけまわります。
 俺様の“至極の指サック”へと続く道のりは、まだまだ長そうだ……


 ちなみに、指サックの“サック”は、たぶん“袋”とか“袋に入れる”とか、あるいは“靴下”っていう意味のほうだと思います。俺様は、常時“指サッキング”と呼んでいますが、それは意味合い的にも間違いです。
 気をつけましょう。

  • May 13, 2007 2:26 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

≪美乃屋≫さんにて“焙煎味噌ラーメン”の、さらに“生姜仕立てを喰らう。

MINOYA_SIGN 早速ですが、うめぇじゃん!!
 メチャうめぇ!!


 ん~ ── いや。違うな。
 実際音としてはそこまで熱くないな。ニュアンス的には“これ、うまいじゃ~ん?”ぐらいだ。


 俺様、単なる生姜好き。
 とりあえず、なにかと生姜を入れて早4、5年と余月。
 あれはそう …… “生姜は、体が芯からあったまる”とかなんとか言ってたのをテレビで見たとき。
 まま、かつおとかマグロとか、もともと刺身に生姜つけて食べるのが好きだったっつーのもあり。


 余談はいいよ。
 今後は、そういう余計なこと書くのやめた。
 長くなる。そして、テーマが絞られなくなる。
 話がまったくまとまらねぇ。限りなく広がるばかり。どこに収束するのか自分でもわからねぇ。際限ねぇ。
 というより、書き出しと締めが全然関係ない空気をかもしだしてることが、ちょっとあまりにしばしばすぎる。
 文才とは、長く書けることではなく、すっきりと引き締まった文章を書けることである。


 そんなわけで、写真はあとだ。
 とりあえず書いとく。とはいっても、食べたのは、ちょい先日だ。
 でもまずはイメージ。それから見る。
 先にヴィジュアルとして見ると、イメージしなくなっちまう。開けた目を閉じなくなる。
 イメージすることは重要だ。


 ネギは白髪ネギ。しかし辛くない。あたかもその旨みが立ち昇っているかのような湯気のなかで、かすかな香りがたゆたっている。甘味すらそのなかににじんでいるようだ。
 焙煎味噌というだけあり、ほのかな香ばしさが加わった味噌の絶妙な濃厚かつしつこくない香りと、箸でつかもうとすれば、今にも崩れてしまいそうな繊細なチャーシューはさらに食欲をそそった。
 そして生姜は、その目立ちすぎない香りでラーメンという油の泥沼を、爽やかに全体を引き締めながら、そのギラついた水面すら照りと魅せるのだ。まさに最高の脇役。
 焙煎とは、珈琲だけの特許ではないのだー!!


 ハイ、ドーン!!


MINOYA_BAISEN_MISO_RA-MEN ぜってぇ俺様、お料理雑誌の編集者さんにはなれねぇな。


 とまいえ、旨いよ。
 旨い旨い。旨いのよぉ~。
 ここは、あえて“旨”だ。美味ではない。そんな小ジャれた感じじゃない。
 胃袋を乗り越えたそのスペシャルな味は、ズシーンと膀胱あたりにくる。
 あ、言いすぎだ。ちゃんとおなかに美味しいです。


 まあね、最初は“焙煎”ってことだし、前にいただいた≪麺屋 chichi≫さんの“焼味噌”と同じ感じかなぁ~とも思ってた。
 が、違った。
 焙煎だ。こちらは焙煎。あっちは焼き。
 その違いはわからんが、味は違う。
 とはいえ、どっちがうまいってことはなく、どっちも旨かった。


 メニューにも書いてたけど、今なんだか流行りな呼び名なのか、“こっさり”って感じか?
 しつこくない。それでいて、バチっと味わい深いっての?
 まあ、個人的には“あってり”でも別に悪くないと思うんだが?


 ネギがいいな。この細いやつ。なんか巷では“白髪ネギ”と呼ぶんだそうだ。失敬だな。
 あとは、ひと口目で飲んだスープがゲロうま。あれでやられたな。
 麺は、なんだかあまりスープがからんでないような気がした。ちぢれk、いや、麺じゃないのだよ。麺がラーメンって感じじゃない。
 なんか細いごんぶと平麺って感じ。艶がすごい。
 あれはなんだ?
 たしかカップラーメンの“麺の達人”? 略して“麺達”って呼ばれてたやつ?
 あの麺の艶と質感がそのまま使われてるって感じ。
 とにかく美しい。
 で、さっきは褒めた感じの文章書いてみたけど、チャーシューはあまり好きじゃないので食べてない。あくまでイメージでの話。いや、肉か。いや、肉は嫌いじゃないけど、あまり食べないようにしてるだけ。
 そんなわけでこちら、焙煎味噌ラーメン(生姜仕立て)、断じて旨い!!


MINOYA_BMR_POP おっと、生姜褒めるの忘れてた。
 こちら、焙煎味噌ラーメンさんは、ニンニクがけっこう強いかと思われる。
 それが生姜仕立てだと、そのニンニクの匂いを消すとまではいかないまでも、かなりの按配で緩和してくれる。ニンニクフィルターの役割として、きっとお店の人もそれを知っての調合なんだろうさ。
 帰り、自転車にまたがったときぐらいでニンニクの後味に気づく。消えはしねぇさ。そりゃラーメンだもの。
 でも、個人的には生姜仕立てのほうがオススメな感じかなぁ~。


 俺様、“定番”ってのと、その“応用”があったら、とりあえず“応用”から食べてみる。
 たとえば、ただの“味噌ラーメン”と“ネギ味噌ラーメン” ── もち、ネギ味噌っしょ。
 ただ、“辛味噌”とか“辛味噌キムチ”とか、辛い応用は×。それはなぜなら、辛いから。
 でも“辛味噌”は、けっこう食べたがる傾向にあるらしい。
 まあ、応用っつーことは、そこに基礎も入ってるっつーこったろ?
 まさに一石二鳥だ。
 ってか、たぶんお店的には“上位モデル”的なポジションでそっちの応用のほう出してんじゃないの?
 なら応用からでしょう。基本は、応用が旨いと感じたら、食べればいい。うしろが良ければ前もいいってとこにも相通ずるものがある。


 で、こちらでの“定番”が“焙煎ラーメン”なんだそうだ。
 お店の名前の前にも“株式会社”みたいな感じでついてるっぽい。


 あ、そうそう。
 このたびお邪魔さしてもらった≪美乃屋≫さんは、豊平区。
 前は別のラーメン屋さん ─── たしか ─── ばり? むつみ? 違った?
 気のせいかもしれんけど、向かいに日本食器だかなんだかっていう調理器具だか食器だかの専門店があったとこ。今もあんのか?
 そういや話によるとだな、この≪美乃屋≫さん、もともとは中央区にしかなかったんだそうだ。
 で、そちら中央区のお店は、たいへんな人気ぶりらしい。いや、人気が出てきたのか? いや、今や定着してるのか?
 しかしこちら豊平区さんは、そうでもない。俺様が入ったとき、すぐにドアの前で出迎えてくれた。
 けど旨い。
 穴だ。
 こいつは見っけたぞ。けっこう遅くまでやってるみたいだし、こりゃ助かる。
 食べさしてもらったことだし、一応お世話になりましたってことで住所とか書かしてもらおうか。


  • 焙煎ラーメン ≪美乃家≫

    • 札幌市豊平区美園3条7丁目第3坂本ビル1階

    • 11時~25時




 あぁ~っと、ただ!!
 お車で行かれる方は、駐車スペースがなんとも不可思議なので要注意が必要。
 畳1枚分ぐらいのスペースが隙間なく6つ並んでて、3台ずつ2列に並ぶ。あとから入った人は、出られねぇ。しかもビルちっくなので、なにかの拍子で上から持ち上げようとしても、それは不可能ときたもんだ。
 車で行けなくもないけど、混みそうな時間帯は避けたほうがよさそうだ。
 夜がいい。


 ドゥワーッとぉ~!! あとさらに忘れるとこだった!!
 ラーメンを待ってるとき、ふと目についたチラシ。


MINOYA_ARAIMESHI “洗い飯”


 ─── “笑い飯”? なんか聞いたことあっぞ? なんかひっかかってんの?


 とか思いつつ、これはなにかと問われたならば、それは、ラーメンの残ったおつゆにご飯を投下して食べるっつーもの。
 昔、実家でインスタントラーメン食べたあとはよくやったもんだ。そしてなぜか、しこたまきん怒られた。あれはいまだに理由わからず……理不尽すぎやしませんか?


MINOYA_ARAIMESHI2 とそれはまあ置いといて。
 目に止まりまくるそのチラシ …… まじ!やばい!止められない!
 だいたいの味は想像できそうなもんでしょ?
 でもやってみたさ。
 そしたら想像どおりなもんさ。
 マズいわけもないよ。
 でも、1回食べたら止められそうだよ。


 ってなわけで、今度また行ったら、そんときゃ“定番”だろうな。
 イカすぜ、≪美乃屋≫さん!!
 またお世話になります!!
 あざーっす!!

  • May 12, 2007 2:25 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

“日記で攻める”を、改めてここに決意。

 攻めてねぇ……


 “日記で攻める”


 そのはずが、全然攻めてねぇ……


 まあ、自分でもその“攻める”って言葉の意味まで考えて、どこでどこをどう攻めていこうとかの戦略もあったわけじゃ~ない。
 ただ攻める。
 攻めたい。攻めていきたい。


 というのもさ?
 いやぁ~、なんかやっぱインターネットじゃん。
 インターネットってさ?
 どうしても引っ込み思案になっちゃうじゃん。


 “ネチケット”だの“不特定多数”だの、なんかそっちばっかり言われて自分の言いたいことって、実際には言えてないと思うのよ。匿名性が高くてそれは問題になってて、そこが利点だって言われてるのにだ。
 問題にはなってても、結局はそれって自分の意識でどうとでもなることでしょ。


 でもそれが問題になってそこを突かれると、匿名だから言っていいことと言っちゃいけないことを意識しすぎると思うわけ。
 匿名な上に、さらに自分のことも隠してるみたいな?
 つまり、自分はそこに存在してないも一緒だと思うわけ。


 日常のなかだとさ、けっこういろんな理想論が飛び交ってるし、人によってはそれを実行できてる人もいるかもしれんから、言葉なんてって“言葉”ってのを軽く受け止められるもんでしょ。
 面と向かっていると、言葉はある程度、しぐさだとか表情とかで補えるわけだ。


 でもインターネットだと、そうもいかないわけじゃん。
 写真とか、今じゃ動画なんてものも使えるけど、なんだかんだで言葉がすべてだなと思うのよ。
 その言葉に含めた意味合いなんて、さらには真意とか裏側に潜ませた意味まで考えると、実際には本人にしか通用しないわけだ。
 文章の句読点がいちいち顔文字とか絵文字とかにするわけにもいかず、実際んなことしたら読みづらくて仕方ねぇ。


 ブログって、結局ほとんどが日記だと思ってる。
 でも、日記なら日記なりに、どこどこ行って、なにを見て、なにを買って、帰ってきてご飯を食べたとか、事実だけ書いても、日記といえど日記にすらなってないと思っちゃうんだな。
 それに対して自分がどう感じたかとか、なにを思ったかっていうほうが大事だと思うのよ。


 ん?
 大事?
 なにが大事かって?


 おっと、いけねぇ。
 なにが大事かはその人によって違うか。
 ん~、じゃあ ── 読み手側にとってとでもしとこうか。


 知り合いがブログを作りました。
 なんか書きました。たとえばその日に行った外食のことにしとこうか。


“今日はこのお店に行った。いつも行くお店とはちょっと気分を変えて、ちょっと調べて出てきたお店。日本橋の≪常口≫を右に曲がって、少し行ったところにあるらしい。で、入ってみたら、内装はすごくシンプル。でも落ち着く感じで、大人の隠れ家的な雰囲気。食べたのは、シーフード盛りだくさんなパスタ。行列ができるほどのお店っていうだけあってすごく美味しかった!!”


 多少省いてみたものの、実際にはもっと読みごたえのある長文だ。
 って言っても、架空の知人で架空のブログです。


 なんだ?
 また読みたいとは思わないな。
 自分がそのお店のこととか美味しいパスタのお店を調べてて出てきたレビューとかなら、また行こうとか、ほかのお店のことも読みたくなるだろうと思う。


 そう、“レビュー”ならな。
 やっぱ知人としては違うのよ。


 で、おまえはどう感じたのよ?


 それに尽きる。


 だれが読んでるかわからないから書いていいことといけないことっていう基準は、やっぱメチャメチャ難しい。
 まあ、そこまで規模のデカいこと書ける自信はないけど、人種や国が違えば、考え方も物事のとらえ方は違って
当然だからな。
 でもだからって、そこにとらわれすぎると、結局始めたはいいけど、なにも書けないっていう事態に陥っちゃうと思うのよ。


 自分のことは書かないってなると、やっぱりネタ? 自分が見られたくない部分でのおもしろこと?
 それがなきゃ、なにも書けない。書かない。それでそのまま書かなくなる。
 多いだろうなぁ~。
 友達とかに、そんなに暇ならブログとかやってみたらって言うと、たいがい決まって返ってくるのは、こうだ。


 “書くことない”


 秘密主義?
 そんなに秘密にしたい? そこまでの秘密主義なの?
 ってか、自分のことなんて書いても、なんもおもしろくないって思ってる?
 自分のことなんて、だれも知りたくないでしょうとか思ってる? っていうか、知ったところでどうもしないでしょうって?
 別に人に公開するほどのこと起こらないし、誰かに読んでほしいとも思わないし、そんなにおもしろいこと書けないしってか?


 まま、実際そうだろうな。


 普段でも、その日あったこととか事実しか話さない人ってのがいる。
 たとえばメール。


 “今日ラーメン食べてきた。こないだ言ってたお店。葛飾区の美味しいっていうお店。ねぎ味噌チャーシューメン。すごいボリュームで食べきれなかった”


 俺様としては“ふぅ~ん”だ。なんて返事したらいいか困る。
 自分の手帳に書いたりする日記ならいいさ。
 でもメールだ。書き手と読み手が一緒っていうわけじゃねぇ。読み手が自分以外にもいるわけだ。というより、読んでくれって送ってるわけよ。
 で、返事が欲しいわけだ。
 まあ、ただ聞いてほしいっていう場合もあれど、なにかしらのアクションが欲しいから送るわけだ。


 なら、もうひと展開。そこで読み手としては、もうひと展開欲しい。“美味しかった”とかっていうひと言が添えてあれば、それだけで全然違うだろうと思うのだな。
 まあね、そこは“じゃあ今度連れてって”とか、読み手の腕ってこともあるんだろうけどな。
 “だから何?”ってことになってしまうわけだ。


 で、ブログとか公開してるもんだと、それがさらに重要になると思うわけ。
 “また読んでみたい” ── そう感じない。
 それがやっぱ公開してるもんとしては、致命的だと思うのよ。
 なもんだから、コメントもつかないし、なんもアクションもなく、やってて自分でもつまんなくなって、そのまま……みたいな?
 悪循環とはちょっと違えど、“退屈”すら月別アーカイブに連なんない。


 って俺様、自分でなに言っちゃってんの?
 毎回毎回こんな長文書いてるわりに、コメントだって、立川談笑さんしかもらってないじゃん。
 んじゃ、俺様は今、退屈?
 いや、そうでもないさ。


 でもよ?
 逆に、おもしろくなきゃ公開しちゃいけないってこともないじゃない。
 普段の生活でだって、おもしろくなきゃ友達になれねぇってこともない。


 って、別にブログとか書けってオススメしてるわけでもない。
 いいよいいよ。
 あとからあとから沸いてくること書いてたらキリねぇわ。


 ひとりの人が書いたものを、たくさんの人が読むわけだから、読み手側も、逆にいろんなこと考えて読んでると思うわけ。
 ましてや、実際に知ってる人もいるわけだ。
 実際にその人のことを知ってる人、実際には知らないけどインターネット上では知ってる人、実際にもインターネット上でも知らないけど、そのブログは読んでるって人、さらにはたまたま見て一度きりって人。
 いろんな人が混在してるわけだ。


 書き手が匿名なら、やっぱ読み手側も匿名なわけだからな。
 どちらも隠れてんだから、隠れてるってことを自覚してると思うわけ。
 かくれんぼでも、鬼は鬼、隠れてるほうは隠れてるほうで、どっちもその立場が織り成すドキドキを感じてる。


 もしなんか読んでて違和感があったり、傷ついたりしたんなら、やっぱお互い書いたのも読んだのも人だしさ。コメントとかあるわけで、さらにはインターネット上なんだからメールもできるわけだ。


 ってか、言葉で傷ついたんだから、言葉でわかり合えばいいじゃん。


 実際にはそう簡単にはいかないかもしれないけど、それができるのが人間だと思うのよ。
 だから書くんであって、それを公開するんであって、どう感じたかとかを人は読み取るんじゃねぇのかな?
 で、そこに自分はどう感じて、どう思ったかを重ねるわけだ。


 自分のこと言わないからダメとか、なに考えてるかわからないからダメとか言うつもりはないけども、少なくとも日記とかブログとか、なんか公開してるんなら読んでもらいたいさ、そりゃ。
 でも、そこで腰引けてたんじゃ、やってても仕方ねぇのかなと思うわけよ。


 あら?
 結局これってなんなのよ?


 攻めたい。
 攻めたいのさ。
 読んでくれた人のなかに、なにかしらの感情を起こしたいのよ。ムーヴメントっつの?
 すっげぇちっちゃくても、なんか物議をかもすようなこと書きたいのよ。
 あれは良くてこれはダメとか、んなことにとらわれてないでさ、自分の思ったことを書きたいわけ。ドバーッとぶちまけたいのさ。
 だからあえて、悪い言葉を選んでみたりする。必要な言葉を1つ2つ抜いてみたり、繊細でデリケートな部分に突っ込んでみたり。


 でも実際そうもいかねぇな。
 やっぱ俺様もビビッてんだよな。
 いちいち“俺様”って書くあたりが小さな反抗なのかな。
 たとえば、“結局、女なんて、みんな一緒なんだよ”なんてタイトルで書いてみてぇわ。


 え?
 書いてみる? 書いちゃう?
 書いてみちゃう?


 “俺様論”


 まあいいや。
 これまた長くなりそうだ。やめとこ。
 いや、いつか改めて書いてみよう。


 まあ、隠すこともさらすこともできるのが言葉だからな。
 “あいつはなに考えてるかわからねぇ”って思ったところで、別に人間関係築けないわけでもないし、そういうやつをダメとも言わない。
 それはそれでいいさ。


 でもさ。
 攻めたいのよ。
 読んでくれる人を攻めたいのよ。
 もし自分でブログとかやってる人なら、そのブログで“自分ならこう思う”みたいに書いてくれるようなこと書きたいわけ。


 よし。
 俺様、攻めるよ。
 攻めてくよ。
 どんどん攻めてくよ、おれ。

  • May 11, 2007 2:24 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

仕事と趣味しかしない人。

 バイトの人のふとした言葉をピックアップ。


「仕事と趣味だけやってる人ってダメだと思うんだよね」


 まあ、前後関係は面倒なので割愛。


「なんで?」
「もっと自分を高めるようなこともしてないとダメだと思う」
「たとえば?」
「資格とるために勉強するとか、習い事するとか」
「そこにはダイエットとかも含まれるのか?」
「うん。だって高まってるしょ」
「まあねまあね。モテたいとかもあるだろうけど、ダイエットたって結局は自分のためだもんな。病気とかもあるし」
「うん」
「でもさ? 趣味もダメなの?」
「だって、あんなの遊びじゃん、遊び遊び。それやってたってなんにもならないじゃん。時間のムダムダ」
「あぁ~、遊びねぇ~……」
「なんも自分高まってないじゃん。好きでやってるだけでしょ?」
「まあねぇ~。趣味は遊びかぁ~……へぇ~」


 ん~、なんか考えた。
 趣味ったって、いろんなとらえ方あるんだろうけどなぁ~。
 趣味が高じて仕事になる人だって多いわけだし、いつの間にかスペシャリストになってたりするわけだ。“好きこそモノの誉れなれ”だったか“上手なれ”だかって言葉もあるしな。
 好きじゃなきゃ続けるってこと自体が苦痛になる。続かなきゃ、なんの積み重ねにもならない。それこそ時間の無駄遣いって気もする。


 まあ、ムダって言い切っちまうのはちょっとおかしな気もするけどさ、続けてるとなんかかんか自分のためになってる。いつの間にか。
 いつの間にかムダじゃなかったって気づくわけだ。
 積み重ねることが偉いとかすごいとかは思わないけど、それはそれでけっこう自分のなかで重要な位置を占めるようになってるわけだ。


 結局なにが言いたかったのかって考えると、なんか自分がやったことに対する“見返り”というか“報酬”的なものがないと意味がないってことなのか?
 そうなるとよぉ~ ── 俺様が今やり始めた“Movable Type”もその人からしたらムダって言われそうなもんだ。
 実際、んなことは言われないだろうし、“いや、それは高めてる”とか言われるだろうけど、自分的にはそうでもねぇ。
 ズバリ、楽しいだけだ。


 ただな?
 その人の口ぶりだと、そう聞こえたわけだ。
 なにごとも“自己満足”の範疇じゃ、結局“趣味”と変わらないみたいなニュアンスにさ。
 頼まれてサイト作って報酬もそれなりにもらってはいるものの、始まりのきっかけは、あくまで趣味だ。
 HTMLもCSSもMTも、趣味の程度から始まった。
 最初はそう、これ。


 “それならもう自分で作ろうや”


 そこに尽きる。
 やっぱ個人発信なら、インターネットっつーのは素晴らしいツールだと思う。これ以上のものなんて、今んとこほかにないんじゃない?
 自費出版なんて、お金がなきゃ現実としては、そのためにお金を貯めてたりとかしない限り、不可能に近い。前にけっこう調べてみたりもしたけども、現実的な値段じゃなかった。あれって20部とか50部とか少なけりゃ少ない安いってもんじゃないらしいのよ。
 その時点でもう俺様かなりの勘違い。


 とはいえ、どうこう言っても、なんだかんだでこうだ。
 解き放つ。
 俺様、言い放つ。


 “なにごとも、きっかけなんて、120%、どうでもいい”


 そこにこだわってると、結局いつまで経ってもそこから抜けだせないでいる。なにも始めれない。
 それを始めるためのきっかけなんて、あとになればいらなねぇのと一緒。ちょっと前向きになると、インタビューのときの話の種になるかなぐらいなもん。それは人との出逢いに関しても一緒だと思う。
 これは自分じゃなきゃ、当事者になってみなきゃ、それを非難する側になるかもしれん。それは否応なくつきまとうし、しょうがないとは思う。
 でも当事者にしてみれば、“今こうして幸せに暮らせてんだからいいの”ってなってるはず。


 きっかけとかその理由が必要で、こだわるようになるのは、それが壊れるときでしかない。人間関係でいえば、別れのとき。それだけ。
 で、それはまた“しょせん趣味で始めたことだからね”っていう逃げ道にもなるわけだ。
 便利だねぇ~、趣味って。


 しかしながら、きっとその人が言いたかったのも、そんなことじゃ~ねぇんだろうな。
 物事、損得だけで勘定するのってダメじゃないとか、まずは自分だよとか……
 きっとこう、もっとさ、なんつーの?
 もっとシンプルで優しいことなんだろうな。


 “ちょっとがんばりすぎじゃね?”


 そんな感じかな。


 とはいえ、この話が出たのは、その前提として“そんな男はダメ”ってことなのよ。
 勝手に話を広げたのは俺様だ。
 なので、俺様のとらえ方もかなり広い。


 なんでこう俺様っつーのは、もっと具体的で絞り込んだ話ができないのかね。
 自分にできるイメージが抽象的すぎんのかね。
 もやもやしてることは、結局、もやもやしてるもんでしかないのかな。


 いや。


 俺様、気づいた。
 俺様ってばきっと、なにかと人の無意識のほうに働きかけようとしてるんじゃないか。
 意識してできることは、結局その人の意識次第でしかない。人がどうこう言えるもんでもないし、言ったところでその人の意識が変わらないと、なにも変わらない。


 でも、無意識っつーのは、人から言われて初めて気づくことが多い。いや、きっとそのほうが多いと思う。
 本や映画を観て、そのとき初めて自分のなかにあったものに気づくことってことも少なくなかろうて。
 その本の文章で、初めて自分のなかの言葉が出たとか、その映画のなかの誰かの言葉で初めて、自分の言いたかった言葉を聞いたとか。
 自分でも気づいてないことを見つけさせられる。見せつけられる。


 ソクラテスの“産婆術”か?
 いや、それとはちょっと違うか。
 「は?」とか「全然」とか、突然ムキになられたりとか、けっこうそういうことがあるのは、きっとそのせいだ。
 うん、そうだ。


 いやぁ~、俺様って前向きだな。
 めでたし、めでたし。

  • May 10, 2007 2:21 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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