みんなはどうなんだろうか?
買物してる最中、ぶらぶらしてる最中、公園のベンチに座ってるとき。
そこへ昔の恋人が ───
いや、ちょっとニュアンス的に違うな。
“昔の恋人を見たとき”
だな。
けっこう歌で歌詞としても出てくるこのシチュエーション。
“つい隠れてしまった”とか“他人のフリをした”とか、“気づかぬ素振りですれ違ったあと、ひとり振り返った”とか“その背中を見送った”とか、とにかく細かい部分まで入れれば、同じ対応なんて1つもないんじゃないかってぐらいいろいろ聞く。
友達から聞いても、同じようなアクションが返ってくる。わりと恋多き友人知人たち。
そんななか、“普通に話しかけた”っていうのはあまり ─── いや、めったに聞かない。
と同時に、こんなことも耳にする。
“別れたらなんか急に話すことなくなる”
感覚的なものなのか、それこそが自分のなかでの気持ちの変化を表す最大の指標なのか。
高校のときに聞いた言葉だけど、これ、かなりの明言だと思います。
なんか余計な理由とか説明とかがないあたり、さらにその深みを増してる感じ?
たしかに。それ、かなりわかる。
でも、なんでかはわからない。
気持ちがその人に向いてないからか?
どうなんだ?
こっから先はもう、テーマなんてあったもんじゃねぇっす。
でも、思いきって言ってみよう。
“好き=知ってほしい+知りたい”
それが自分のなかから消えたからか?
それならわかる。質問もないし、答えもない。報告もなければ、疑問もなくなる。
話の種になるものが一切消えちまってるっつーこった。
これは友達としての“好き”じゃない。恋愛対象としてのそれ。
友達なら、別にただの近況報告みたいのでも、答えも求めてなければ相槌すらいらないっていうことで話もできる。話題なんてなんでもいい。
でも、恋人となると、けっこうこれ気づいてなかったりする。
必ずどっかで“反応を欲しがってる”という心情。
くっついてるレッテルが、友達と恋人っていうだけで、こんなにも違うのかと感じる場面だ。
同じ言葉でも、友達からと恋人からでは、同じ反応じゃいけないらしい。恋人には、恋人という関係を維持させるための“反応”っつーものが必要になる……いや、必要ではないか。“望ましい”って感じか?
いわゆる“食いつき”ってやつだな。
友達には「ふ~ん」でいいものも、恋人にもそれじゃ、言葉では言わないまでも、たいがい表情に出る。一瞬気づかれない程度にムッとするか、最近巷でよく見受けられる表現で言えば、そう ─── “しゅんとなる” ─── それだ。
言葉で言われたら、そりゃもうよっぽどだな。
とはいえだ。
きっとその別れ方にもよるんだろうな。
どっちが別れを切り出したのか ─── それによって受ける印象は、恐ろしく違う。
“昔、好きだった人”と見るか、“あの人”と見るか。“前の恋人”と見るか。よもや“あいつ”と感じるか。
歌詞でもけっこうそこが重要視されてるような気がする。
で、さらには、自分と相手で、その立場が違ってるということもしばしばあるかと……二人して自分はフラレたと思い込んでたりしてな。
なんかどっかのコントのネタとしてもありそうな気もするけど、当事者としては笑えねぇやな。
というのはさ?
そのまんまなのよ。
昔の恋人に会ったのさ。それも2回ときたもんだ。
最初は、バイトに行く途中。チャリンコでいつもの≪セブン・イレブン≫に向かう信号待ち。
ウォークメンでテレサ・テンさんの『つぐない』がかかっててルンルンだったためか、気づけばサクッともうすぐ目の前にいた。
微笑んでた。
「あら」
俺様の第一声。なんとも話しやすい娘っ子だ。
「いやぁ~、ホントあちこち大きくなって」
「もう23歳になりました」
「あらぁ~ ─── もう28歳になりました」
「あぁ~、もうけっこうオッサンだね」
そう覗きこむように上体を前に傾けて、アハハって笑ってた。
「あ、ほいじゃ」
俺様、発車。
“オッサン”と言われたことに居たたまれなくなったわけじゃねぇ。別れたときより大人びて可愛くなってたことが悔しいんでもねぇ。もうほかの誰かが待ってるのかなぁ~なんて親心というか、お兄さん風が吹いたわけでもねぇ。
んなありがちな言い訳はありゃしない。
そこで信号待ち終了。もうすでに多少遅れてたわけだ。
しかし……アハハじゃねぇ。まあねまあね、とっさに“あちこち”ってついちゃうあたりがもうオッサンな発言ではあるけどもさ。
かるく凹んだ第1回。
そして第2回。
そこは≪ダイソー≫ ─── ほぼ、なんでも100円なお店だ。あくまで“ほぼ”だ。最近は200円のものも増えてきて、300円や400円のものもあると思う。
その日俺様は、なにかと使うゴム手袋を探してた。しかしながらいつものごとく、100円ショップでは、とりあえず全部を見てまわる習性も身についてしまったため、それにならってた。
ホント一瞬だった。ホントにホントのすれ違い。そんだけだった。
しかもそのとき、俺様は急に突然おたまが気になって、そっちに曲がろうとしたときだったのだよ。まさにサブリミナル効果ってやつか ─── いや、一体そこになんの効果がありましょうぞ。
でも人間、これ不思議なもんで、そんな横目でチラッとすら見てもいないホントの一瞬でも、昔の恋人とかって存在に限っては、一切の見間違いってことがないらしい。
<あ………>
そして、うしろ姿だけで充分だった。わざわざ前にまわって顔を見ないととか、それ以上に確認する必要はないらしい。
でもきっと、彼女のほうは気づいてないと思われる。
それはなぜかと問われたならば、なんとなくだ。
これもまた認識の感覚と一緒で、現在進行中だろうが過去形だろうが、そういう“なんとなく”はけっこう重要だ。
でまあ、特に話すこともなく、そのまま俺様はノート一冊と手袋を買って帰った。
恋人どうしにあっては、“昔の恋人に会う”っていうのが、一番のタブーとされてる。というより、相手としてもっともイヤがるもんだと思う。
けど俺様は思う。
きっと“昔の恋人”っていう関係こそ、今現在において、一番“恋人”にはなりえない。
お互いに一度“別れた”っていう事実というか、がっつりとした記憶があるために、楽しいだけじゃない記憶が、またさらにいろんな記憶が甦ってくから、そこでまた“もう一度”っていうことに発展しにくいんじゃないかな。
まあ、それもまた別れ方とか理由がすっげぇ重要なんだろうけどさ。
つまり、甦ってくる記憶にいちいち“だった”っていう過去形がくっつくわけだ。それって人間の記憶として感情に影響を及ぼすこととしては、かなり重要だと思うわけ。
なにもかもが過去形……これを今の現状に戻すのって、わりと難しいと思うのよ。
恋人でも友達でも、今も昔も関係なく話のなかで、けっこう“ああ、そんなこともあったね”って相手の人が言ったことを、今のことに置き換えるってけっこう苦労する。
その人にとっては“過去のこと”ってことでもう片付いてるものを、それは今にも関係してると考える人が引っ張りだそうとしても、それはかなり難しい。というより、その時点でもう話し合いは成立しないと思われる。
整理がついちゃってる人にとってそれが面倒だと感じはじめたら、そのことについては“もう過去のことなんだから関係ない”とか“もういいでしょ”って強行手段に出るだろうと思うから。
たぶんさ?
前に恋人になれたんだから、今だってまた ─── ってな展開になるんだと思う。
でもさ?
理由はどうあれ、過去を過去として現実から完全に切り離して受け入れられなくなる、または見れなくなってしまうのが、恋人になるってことなんじゃねぇかなと。
嫉妬はしない。束縛はしない。
そんなこと頭ではわかってても、なんだかんだでいつも“したくない”って感じだと思うわけ。
束縛なんざ、しようとしてる人こそが、その人っていう存在に束縛されてるのと同じこったろうよ。
んまぁ~、それはそれとしてだ。
やっぱりプライドっつーことだろうな……俺様が話しだすと、なにかと出てくるそれ。
というのは、フッた人がもう一度フッた相手に付き合ってくれって言うのは、プライドが許さない。
それだけじゃない。
フッた側にもプライドがあるように、きっとフラれた側にもフラれた側のプライドがあると思うのよ。
だから、それぐらい“昔の恋人”っていうのは、その存在自体がデカいだけに、けっこう現実としてまた受け入れるのは難しい。
でもこんな統計もある。
結婚へとたどり着くカップルは、いわゆる“元鞘”が一番多い。
by 俺様統計学
別れたあとも“いい関係”を続けられるってのは、きれいごととかなんだとか言われるけど、実際やっぱ理想だと思う。
でもやっぱし、感情っていうものがある以上、いろいろな要素が複雑かつシンプル、ものの見事に絡み合ってそれは難しい。
そういえば、また最初に掲げたテーマがどっかいった。
“昔の恋人に会ったとき、さてどうするか?”
結局それも自分次第なんじぇね?
“いい関係でいたい”と思ってれば、無理してでも話しかけるだろうし、別にそれっきりでいいとか思ってるなら、それっきりだろうし。
で、そっからまた恋人に戻りたいとか思ってるなら、それをきっかけにしてまたなんやかんや口実作ろうだろうしさ。
まあ、さらに掘り下げるのはまた今度にしよう。
はて、あなたはどうしたか?
- May 15, 2007 2:28 AM
- [ ゲロ古 ]