ゴリカテ “ ゲロ古 ” の列挙
ここにいきつくまでのサイト『 Dear 』シリーズとか『 Matsudiary 』とか、かなり遡る日記たち。分類すんのも面倒なので、ここに集約。
“日記で攻める”を、改めてここに決意。
攻めてねぇ……
“日記で攻める”
そのはずが、全然攻めてねぇ……
まあ、自分でもその“攻める”って言葉の意味まで考えて、どこでどこをどう攻めていこうとかの戦略もあったわけじゃ~ない。
ただ攻める。
攻めたい。攻めていきたい。
というのもさ?
いやぁ~、なんかやっぱインターネットじゃん。
インターネットってさ?
どうしても引っ込み思案になっちゃうじゃん。
“ネチケット”だの“不特定多数”だの、なんかそっちばっかり言われて自分の言いたいことって、実際には言えてないと思うのよ。匿名性が高くてそれは問題になってて、そこが利点だって言われてるのにだ。
問題にはなってても、結局はそれって自分の意識でどうとでもなることでしょ。
でもそれが問題になってそこを突かれると、匿名だから言っていいことと言っちゃいけないことを意識しすぎると思うわけ。
匿名な上に、さらに自分のことも隠してるみたいな?
つまり、自分はそこに存在してないも一緒だと思うわけ。
日常のなかだとさ、けっこういろんな理想論が飛び交ってるし、人によってはそれを実行できてる人もいるかもしれんから、言葉なんてって“言葉”ってのを軽く受け止められるもんでしょ。
面と向かっていると、言葉はある程度、しぐさだとか表情とかで補えるわけだ。
でもインターネットだと、そうもいかないわけじゃん。
写真とか、今じゃ動画なんてものも使えるけど、なんだかんだで言葉がすべてだなと思うのよ。
その言葉に含めた意味合いなんて、さらには真意とか裏側に潜ませた意味まで考えると、実際には本人にしか通用しないわけだ。
文章の句読点がいちいち顔文字とか絵文字とかにするわけにもいかず、実際んなことしたら読みづらくて仕方ねぇ。
ブログって、結局ほとんどが日記だと思ってる。
でも、日記なら日記なりに、どこどこ行って、なにを見て、なにを買って、帰ってきてご飯を食べたとか、事実だけ書いても、日記といえど日記にすらなってないと思っちゃうんだな。
それに対して自分がどう感じたかとか、なにを思ったかっていうほうが大事だと思うのよ。
ん?
大事?
なにが大事かって?
おっと、いけねぇ。
なにが大事かはその人によって違うか。
ん~、じゃあ ── 読み手側にとってとでもしとこうか。
知り合いがブログを作りました。
なんか書きました。たとえばその日に行った外食のことにしとこうか。
“今日はこのお店に行った。いつも行くお店とはちょっと気分を変えて、ちょっと調べて出てきたお店。日本橋の≪常口≫を右に曲がって、少し行ったところにあるらしい。で、入ってみたら、内装はすごくシンプル。でも落ち着く感じで、大人の隠れ家的な雰囲気。食べたのは、シーフード盛りだくさんなパスタ。行列ができるほどのお店っていうだけあってすごく美味しかった!!”
多少省いてみたものの、実際にはもっと読みごたえのある長文だ。
って言っても、架空の知人で架空のブログです。
なんだ?
また読みたいとは思わないな。
自分がそのお店のこととか美味しいパスタのお店を調べてて出てきたレビューとかなら、また行こうとか、ほかのお店のことも読みたくなるだろうと思う。
そう、“レビュー”ならな。
やっぱ知人としては違うのよ。
で、おまえはどう感じたのよ?
それに尽きる。
だれが読んでるかわからないから書いていいことといけないことっていう基準は、やっぱメチャメチャ難しい。
まあ、そこまで規模のデカいこと書ける自信はないけど、人種や国が違えば、考え方も物事のとらえ方は違って
当然だからな。
でもだからって、そこにとらわれすぎると、結局始めたはいいけど、なにも書けないっていう事態に陥っちゃうと思うのよ。
自分のことは書かないってなると、やっぱりネタ? 自分が見られたくない部分でのおもしろこと?
それがなきゃ、なにも書けない。書かない。それでそのまま書かなくなる。
多いだろうなぁ~。
友達とかに、そんなに暇ならブログとかやってみたらって言うと、たいがい決まって返ってくるのは、こうだ。
“書くことない”
秘密主義?
そんなに秘密にしたい? そこまでの秘密主義なの?
ってか、自分のことなんて書いても、なんもおもしろくないって思ってる?
自分のことなんて、だれも知りたくないでしょうとか思ってる? っていうか、知ったところでどうもしないでしょうって?
別に人に公開するほどのこと起こらないし、誰かに読んでほしいとも思わないし、そんなにおもしろいこと書けないしってか?
まま、実際そうだろうな。
普段でも、その日あったこととか事実しか話さない人ってのがいる。
たとえばメール。
“今日ラーメン食べてきた。こないだ言ってたお店。葛飾区の美味しいっていうお店。ねぎ味噌チャーシューメン。すごいボリュームで食べきれなかった”
俺様としては“ふぅ~ん”だ。なんて返事したらいいか困る。
自分の手帳に書いたりする日記ならいいさ。
でもメールだ。書き手と読み手が一緒っていうわけじゃねぇ。読み手が自分以外にもいるわけだ。というより、読んでくれって送ってるわけよ。
で、返事が欲しいわけだ。
まあ、ただ聞いてほしいっていう場合もあれど、なにかしらのアクションが欲しいから送るわけだ。
なら、もうひと展開。そこで読み手としては、もうひと展開欲しい。“美味しかった”とかっていうひと言が添えてあれば、それだけで全然違うだろうと思うのだな。
まあね、そこは“じゃあ今度連れてって”とか、読み手の腕ってこともあるんだろうけどな。
“だから何?”ってことになってしまうわけだ。
で、ブログとか公開してるもんだと、それがさらに重要になると思うわけ。
“また読んでみたい” ── そう感じない。
それがやっぱ公開してるもんとしては、致命的だと思うのよ。
なもんだから、コメントもつかないし、なんもアクションもなく、やってて自分でもつまんなくなって、そのまま……みたいな?
悪循環とはちょっと違えど、“退屈”すら月別アーカイブに連なんない。
って俺様、自分でなに言っちゃってんの?
毎回毎回こんな長文書いてるわりに、コメントだって、立川談笑さんしかもらってないじゃん。
んじゃ、俺様は今、退屈?
いや、そうでもないさ。
でもよ?
逆に、おもしろくなきゃ公開しちゃいけないってこともないじゃない。
普段の生活でだって、おもしろくなきゃ友達になれねぇってこともない。
って、別にブログとか書けってオススメしてるわけでもない。
いいよいいよ。
あとからあとから沸いてくること書いてたらキリねぇわ。
ひとりの人が書いたものを、たくさんの人が読むわけだから、読み手側も、逆にいろんなこと考えて読んでると思うわけ。
ましてや、実際に知ってる人もいるわけだ。
実際にその人のことを知ってる人、実際には知らないけどインターネット上では知ってる人、実際にもインターネット上でも知らないけど、そのブログは読んでるって人、さらにはたまたま見て一度きりって人。
いろんな人が混在してるわけだ。
書き手が匿名なら、やっぱ読み手側も匿名なわけだからな。
どちらも隠れてんだから、隠れてるってことを自覚してると思うわけ。
かくれんぼでも、鬼は鬼、隠れてるほうは隠れてるほうで、どっちもその立場が織り成すドキドキを感じてる。
もしなんか読んでて違和感があったり、傷ついたりしたんなら、やっぱお互い書いたのも読んだのも人だしさ。コメントとかあるわけで、さらにはインターネット上なんだからメールもできるわけだ。
ってか、言葉で傷ついたんだから、言葉でわかり合えばいいじゃん。
実際にはそう簡単にはいかないかもしれないけど、それができるのが人間だと思うのよ。
だから書くんであって、それを公開するんであって、どう感じたかとかを人は読み取るんじゃねぇのかな?
で、そこに自分はどう感じて、どう思ったかを重ねるわけだ。
自分のこと言わないからダメとか、なに考えてるかわからないからダメとか言うつもりはないけども、少なくとも日記とかブログとか、なんか公開してるんなら読んでもらいたいさ、そりゃ。
でも、そこで腰引けてたんじゃ、やってても仕方ねぇのかなと思うわけよ。
あら?
結局これってなんなのよ?
攻めたい。
攻めたいのさ。
読んでくれた人のなかに、なにかしらの感情を起こしたいのよ。ムーヴメントっつの?
すっげぇちっちゃくても、なんか物議をかもすようなこと書きたいのよ。
あれは良くてこれはダメとか、んなことにとらわれてないでさ、自分の思ったことを書きたいわけ。ドバーッとぶちまけたいのさ。
だからあえて、悪い言葉を選んでみたりする。必要な言葉を1つ2つ抜いてみたり、繊細でデリケートな部分に突っ込んでみたり。
でも実際そうもいかねぇな。
やっぱ俺様もビビッてんだよな。
いちいち“俺様”って書くあたりが小さな反抗なのかな。
たとえば、“結局、女なんて、みんな一緒なんだよ”なんてタイトルで書いてみてぇわ。
え?
書いてみる? 書いちゃう?
書いてみちゃう?
“俺様論”
まあいいや。
これまた長くなりそうだ。やめとこ。
いや、いつか改めて書いてみよう。
まあ、隠すこともさらすこともできるのが言葉だからな。
“あいつはなに考えてるかわからねぇ”って思ったところで、別に人間関係築けないわけでもないし、そういうやつをダメとも言わない。
それはそれでいいさ。
でもさ。
攻めたいのよ。
読んでくれる人を攻めたいのよ。
もし自分でブログとかやってる人なら、そのブログで“自分ならこう思う”みたいに書いてくれるようなこと書きたいわけ。
よし。
俺様、攻めるよ。
攻めてくよ。
どんどん攻めてくよ、おれ。
- May 11, 2007 2:24 AM
- [ ゲロ古 ]
仕事と趣味しかしない人。
バイトの人のふとした言葉をピックアップ。
「仕事と趣味だけやってる人ってダメだと思うんだよね」
まあ、前後関係は面倒なので割愛。
「なんで?」
「もっと自分を高めるようなこともしてないとダメだと思う」
「たとえば?」
「資格とるために勉強するとか、習い事するとか」
「そこにはダイエットとかも含まれるのか?」
「うん。だって高まってるしょ」
「まあねまあね。モテたいとかもあるだろうけど、ダイエットたって結局は自分のためだもんな。病気とかもあるし」
「うん」
「でもさ? 趣味もダメなの?」
「だって、あんなの遊びじゃん、遊び遊び。それやってたってなんにもならないじゃん。時間のムダムダ」
「あぁ~、遊びねぇ~……」
「なんも自分高まってないじゃん。好きでやってるだけでしょ?」
「まあねぇ~。趣味は遊びかぁ~……へぇ~」
ん~、なんか考えた。
趣味ったって、いろんなとらえ方あるんだろうけどなぁ~。
趣味が高じて仕事になる人だって多いわけだし、いつの間にかスペシャリストになってたりするわけだ。“好きこそモノの誉れなれ”だったか“上手なれ”だかって言葉もあるしな。
好きじゃなきゃ続けるってこと自体が苦痛になる。続かなきゃ、なんの積み重ねにもならない。それこそ時間の無駄遣いって気もする。
まあ、ムダって言い切っちまうのはちょっとおかしな気もするけどさ、続けてるとなんかかんか自分のためになってる。いつの間にか。
いつの間にかムダじゃなかったって気づくわけだ。
積み重ねることが偉いとかすごいとかは思わないけど、それはそれでけっこう自分のなかで重要な位置を占めるようになってるわけだ。
結局なにが言いたかったのかって考えると、なんか自分がやったことに対する“見返り”というか“報酬”的なものがないと意味がないってことなのか?
そうなるとよぉ~ ── 俺様が今やり始めた“Movable Type”もその人からしたらムダって言われそうなもんだ。
実際、んなことは言われないだろうし、“いや、それは高めてる”とか言われるだろうけど、自分的にはそうでもねぇ。
ズバリ、楽しいだけだ。
ただな?
その人の口ぶりだと、そう聞こえたわけだ。
なにごとも“自己満足”の範疇じゃ、結局“趣味”と変わらないみたいなニュアンスにさ。
頼まれてサイト作って報酬もそれなりにもらってはいるものの、始まりのきっかけは、あくまで趣味だ。
HTMLもCSSもMTも、趣味の程度から始まった。
最初はそう、これ。
“それならもう自分で作ろうや”
そこに尽きる。
やっぱ個人発信なら、インターネットっつーのは素晴らしいツールだと思う。これ以上のものなんて、今んとこほかにないんじゃない?
自費出版なんて、お金がなきゃ現実としては、そのためにお金を貯めてたりとかしない限り、不可能に近い。前にけっこう調べてみたりもしたけども、現実的な値段じゃなかった。あれって20部とか50部とか少なけりゃ少ない安いってもんじゃないらしいのよ。
その時点でもう俺様かなりの勘違い。
とはいえ、どうこう言っても、なんだかんだでこうだ。
解き放つ。
俺様、言い放つ。
“なにごとも、きっかけなんて、120%、どうでもいい”
そこにこだわってると、結局いつまで経ってもそこから抜けだせないでいる。なにも始めれない。
それを始めるためのきっかけなんて、あとになればいらなねぇのと一緒。ちょっと前向きになると、インタビューのときの話の種になるかなぐらいなもん。それは人との出逢いに関しても一緒だと思う。
これは自分じゃなきゃ、当事者になってみなきゃ、それを非難する側になるかもしれん。それは否応なくつきまとうし、しょうがないとは思う。
でも当事者にしてみれば、“今こうして幸せに暮らせてんだからいいの”ってなってるはず。
きっかけとかその理由が必要で、こだわるようになるのは、それが壊れるときでしかない。人間関係でいえば、別れのとき。それだけ。
で、それはまた“しょせん趣味で始めたことだからね”っていう逃げ道にもなるわけだ。
便利だねぇ~、趣味って。
しかしながら、きっとその人が言いたかったのも、そんなことじゃ~ねぇんだろうな。
物事、損得だけで勘定するのってダメじゃないとか、まずは自分だよとか……
きっとこう、もっとさ、なんつーの?
もっとシンプルで優しいことなんだろうな。
“ちょっとがんばりすぎじゃね?”
そんな感じかな。
とはいえ、この話が出たのは、その前提として“そんな男はダメ”ってことなのよ。
勝手に話を広げたのは俺様だ。
なので、俺様のとらえ方もかなり広い。
なんでこう俺様っつーのは、もっと具体的で絞り込んだ話ができないのかね。
自分にできるイメージが抽象的すぎんのかね。
もやもやしてることは、結局、もやもやしてるもんでしかないのかな。
いや。
俺様、気づいた。
俺様ってばきっと、なにかと人の無意識のほうに働きかけようとしてるんじゃないか。
意識してできることは、結局その人の意識次第でしかない。人がどうこう言えるもんでもないし、言ったところでその人の意識が変わらないと、なにも変わらない。
でも、無意識っつーのは、人から言われて初めて気づくことが多い。いや、きっとそのほうが多いと思う。
本や映画を観て、そのとき初めて自分のなかにあったものに気づくことってことも少なくなかろうて。
その本の文章で、初めて自分のなかの言葉が出たとか、その映画のなかの誰かの言葉で初めて、自分の言いたかった言葉を聞いたとか。
自分でも気づいてないことを見つけさせられる。見せつけられる。
ソクラテスの“産婆術”か?
いや、それとはちょっと違うか。
「は?」とか「全然」とか、突然ムキになられたりとか、けっこうそういうことがあるのは、きっとそのせいだ。
うん、そうだ。
いやぁ~、俺様って前向きだな。
めでたし、めでたし。
- May 10, 2007 2:21 AM
- [ ゲロ古 ]
≪ほっかほっか亭≫の“ラムマヨ丼”におふくろの味が重なる日。
ひっさびさにジンギスカン食った。
うまいな、ジンギスカンて!!
もぉ~、そうだなぁ~……10年ぶりぐらいか?
んまあ、それは多少嘘が含まれるだろうけど、たぶん、少なくとも5、6年ぐらいは食ってなかったと思われる。実家出てからは食ってなかったはず。
ひっさびさに食ったけど、やっぱうまいわ。
でも本州の人には“クサい”ってことで不評らしい。すっげぇクサいらしい。
牛乳と同じ気がするな。嫌いな人はすっげぇダメだけど、好きな人とかにはたいして気になるもんじゃない。
で、なんかダイエットに効果があるとかなんとかで一時的なブームになってたらしいじゃん?
もともと普通に食ってた道民としては、ホントかよって気もしないでもないけど、本当らしい。とはいえ、捏造ってのも否めない流れもあるしな。
意外にも、最近じゃもうテレビよりインターネットのほうが情報としての信憑性は高いのかなと思えてくる。んまあ、インターネットの場合、ただただ情報量が半端じゃないっていうだけのことだし。嘘ばっかっていうわけじゃ~ないもんな。情報が多いだけに、ただ信頼の高い情報をいかに見つけてくるかってだけのこと。
それがテレビの場合は、やっぱし時間で区切ってるわけで、番組っていう単位だから情報のソースそのものが少ないからさ。1つが捏造ってなったら、全体の信頼度も一気に落ちるってわけだ。
でさ?
韓流ブームの流れなのか、美食志向の浸透なのか、“プルコギ”って焼肉あんじゃん。
あれ、実はさ、≪アサヒビール園≫とかで食べてたジンギスカンと区別ついてなかったのよ、俺様。むしろ、実家にいたときに出てきてたのとも一緒だった。
食べてみたら、味も一緒。
作り方が違うのか? たぶん材料なんて一緒だろうし、“プルコギ”だって、韓国に行けばいろんなバリエーションあるんでしょ?
“それは本場のプルコギ食べたことないだけ”なんて、つまんないツッコミはやめて。
そういやたしか、実家ではフライパンでやってたけど? 見た目は肉じゃがみたいになってたけど?
それに入れる調味料の呼び方が、日本と韓国で違うってだけだったり?
あ、でも、≪pizza hut≫で前に、期間限定だかでメニューにあった“韓国風プルコギ”だと、全然味が違ったな。
なんか甘辛っつーのか? あと、海藻なのか、ドラゴンのヒゲみたいなのが乗ってたな。
あれ好きだ。
うぬ。それはそれは美味かった!!
あ、そうそう。そうだ。
なんで急にジンギスカンなんて食ったかっつーとだな。
最近だとなんかテレビでCMもされてるみたいだけど、今≪ほっかほっか亭≫で“ラムマヨ丼”っつーのが出たのだ!!
期間限定+北海道限定なんだそうだ。
で、買いに行ったとき、たまたま見つけて食ってみたっつーわけだ。
480円の新発売です。
そのときはCMも見たことなかった状態だったし、ひさびさの“ジンギスカン”っていう響きに、とにかく気になった。
「これもメチャうまかった」という噂を聞いてた“とり肉と根菜のきんぴら炒め弁当”っていう390円の安さにも揺れた。
ほかのとカロリーで見比べてみても、この“ラムマヨ丼”が低かった。
で、決定。
そして、正解。
これがうめぇの!!
ひさびさのジンギスカンってのも相まって、とにかくうまかった。
そういえば考えてみるとさ、けっこうジンギスカンって実家でしか食べないと思うわけ。一人暮らしとか始めて焼肉にすっかなって思ったら、やっぱカルビとか牛タンになっちゃうんじゃないのかなって。
食べに行くっつーってもさ、ジンギスカンのお店ってなかなか行かなくね?
不思議だねぇ~。
っつーことでジンギスカンてさ、けっこう道産子にとっては“おふくろの味”ってジャンルに入るかもな。
なんか買ったあとで、店内のチラシみたいのに“「えぇ~?」と思われるでしょうが、意外にマヨネーズがジンギスカンによく合う!!”ってことだったけど、そのへんはノー・コメント。
よく合うとか意外とか言われても、実家ではけっこうそやって食べてたから。
ってコレ、けっこう道産子の家庭じゃ日常的にやられてるジンギスカンの食べ方なんじゃね?
そんなわけで、特に目新しいこともないかとは思うが、北海道民の方、≪ほっかほっか亭≫に足を運ばれた際は、カロリーが低い上に、ダイエット効果もあるらしい“ラムマヨ丼”、ぜひお試しあれ!!
あと、実家で食べてた懐かしいジンギスカンの味を思い出したくなった人、オススメ。
意外にうまいか、普通にうまいから。
とはいえ、まあ捏造だろうがなんだろうが、焼肉ってことで結局同じだろうが、道民の食卓にジンギスカンが上がる頻度は変わらないな。
んで、道産子がみんな痩せてるかったら、実際そうでもねぇぞ?
あ、そうだ。
俺様ずっと“ほっかほか亭”だと思ってた。
≪ほっかほっか亭≫って、なんか言いづらくね?
もっと音に忠実にいこうよ。
ってか、“ホカホカ”なのを強調すんなら、“ほっっかほか亭”のほうがいいんじゃね?
- May 9, 2007 2:16 AM
- [ ゲロ古 ]
人に優しい詩を書きたい。でもそれには、そういう想いが必要だ。
正直、涙が出そうだった。
でも正直、涙なんて出そうもなかった。
それはなぜなら、めっちゃ優しい感じだったから。
でぇ~もさぁ~ ── 人間、年とってくっとさぁ~。
なんだかんだで人の優しさに触れたときが一番涙でそうになんじゃねぇかなぁ~って思うのよ。
たぶん、人に同情しながら生きてくことに疲れてんじゃねぇかなってよ。
高校とか中学んときってのはさ、きっとかわいそうとかで泣いてたと思うわけ。映画で言えば、まあ王道として『タイタニック』?
最後にジャックが「愛してる。君は生きて幸せになってくれ」みたいな感じで沈んでくとことかさ。
自己犠牲っつの?
それってつまり、要は、自己憐憫が強いってことだと思うわけ。同情ってさ、自分にもそれだけの思いを抱いてるってことの裏返しなんじゃね?
それで自分の愛を示すっつーか、自分を示すっつーかさ。
人のことをちゃんと愛せる人って、きっと自分のこともちゃんと愛せてる人だと思うのさ。
自分のことも愛せないやつが人のことまで愛せるなんて思えねぇ。それこそただの投影で、そこにすがりつきたいとか、むしろその人のことなんて実際にはどうでもよくて、そんな自分に酔ってるだけなじゃないかと思う。
人に自分のこと伝えるとき、「どうせ自分なんて……」なんて、これタブーだな。
んまあ、それは人によっちゃ悪いほうに響くかもしれんけどさ。
「ナルナル? ナルなの? ねぇ、ナルなの? って、実はけっこうナルなんでしょ?」
ちょ~っとそれ、違うんじゃね?
もうちょっと深く吟味してからそういうことは言ったほうがいいと思うぞ、俺様としてはさ?
しかしまあ、“自己愛”ってことで広くとらえりゃ一緒かもしれんが、まあ聞こえが悪いってのも大いに関係してるってのも否定はできないけど、とりあえず陶酔はしないんじゃないかな?
愛も、やっぱしどんどん多様化していってるような雰囲気あるけど、人によってさまざまとらえ方が違ったっていいけどさ、人に尽くすだけが愛じゃないって。時に厳しくなれないんじゃ、ただの甘やかしだったり、甘えだったりするだけだと思うのよ。
“然るべきときに然るべき態度で叱れる人が本当の愛”とかって誰だかの言葉があるらしい。
そのとおりだと思う。
怒れない。厳しくなれない。強く出れない。
つまりそれは、嫌われたくないってだけのこと。
それは“好き”ってのと違う。別モンだ。
それがどうかね。
年をとるとさ、悪く言えば“諦め”だったり“開きなおり”だったりするかもしらんけど、実際なんか日々、心が豊かになってく気がしないか?
ある程度人が感じてる痛みを自分も味わってみてだ。いいことも悪いことも責任っつーものを抱えてみてだ。
なんか全部イヤになったりするときもあったけど、けっこう悪くないとか思えてこないかい。
んでさ?
そんななかで、なぁ~んかさ。
ふとさ。
人の優しさに触れるのよ。
すっげぇ嬉しくね?
なんでだか、なぁ~んか泣けちゃわね?
それがまた嬉しくね?
“こんな些細なことでも自分って泣くんだ ── ちょっとびっくり”みたいなさ?
そんなときってさぁ~ぁ?
なんか普段はそうたいして使ってなかったスタンドの明かりとかつけてみたくなんね?
いいじゃんいいじゃ~ん、そういうの。
しかしなぁ~、こうも思うのだな、このごろはさ。
年をとるのと同じだけプライドも重なってくもんでこれ、けっこう人のことを無意識のうちに見下してたりするんじゃねぇかなと。
この人と一緒にいると落ち着くって感覚?
でもそこ、今一度思い描きなおしてみて。
どっかでその人のこと、自分より劣ってるとか思ってないか?
んまあ、“劣ってる”ってのはちょっと語弊があるか。変な優越感? 見下してるわけじゃないけど、見上げられてる感っていうの?
あ、一緒か。
って、歪んでるか、俺様?
“尊敬”っていう感情がもっとも恋愛に発展しやすいっていうけど、そういうことだと思うわけ。
だから恋愛を邪魔する感情も、いつもそのプライドってやつ?
年齢を重ねるごとに恋愛が難しくなるってって言うし、やっぱそりゃ人を見る目っていうのもそれまでの人生で培われて、それまた自分の色眼鏡なわけだからな。
自分のプライドを超えるものと、自分のプライドを邪魔しないもの。
それが、見上げられてるっていう感覚。
けっこう人って、ほかの人のこと見上げるの好きなんじゃね?
で、見上げられるってのも、謙遜するだけ嬉しいもんだ。
自分のなかの大切な部分を人に話す……難しいやな。あぁ~、難しい。
それは少なからず自分のプライドを崩すってことにもつながると思うわけ。
んなもんだから強がって、いつの間にかエエカッコしぃになってたりしちゃってさ。人の優しさにも素直になれなくなってたりしてな。すべてのことをうまくやろうとか、スマートでなきゃいけないとかな。
そんな自分は“みっともない”ってな。
でもさでもさ?
友達だとか恋人だとか親友だとか家族だとか、特別な人に特別な優しさなんて思わないの。そんなのないと思うの。
みんなに優しくなりたい。そうありたい。
僕も、こんな詩を書けるようになりたいんです。
[rakuten:ebisu:10087314:detail]
- May 8, 2007 2:14 AM
- [ ゲロ古 ]
“Google AdSense”の固定幅は迷惑です。
あらあら、なんか“Google AdSense”の幅デッカくしたら、やっぱ不具合出てたわね。
ディスプレイの解像度を低く設定してっと、“AdSense”の幅はバッコリ固定なもんだから、それに画面ば占有されて左っ側のメニューが下に落っこちちまってた。
うちじゃ普通に表示されてたもんだからって、どうもみんな一緒だっていまだ勝手に思いこんじまう。俺様もまだまだよのぉ~ぅ……
まあ、テンプレートのパーツを固定幅に設定して横スクロール出るよりはマシかなとは思うけどもさ。
横スクロールって、やっぱ好きになれねぇな。
機能としてついてるとはいえ、まだまだマウスでの横スクロールはとっさに使えない。で、慣れてないもんだから、使おうと思ってもうまく動かせない。さらには俺様、そのスクロール・ボタンのクリックに“閉じる”を設定してるもんで、横スクロールさせようとしたら、その画面が消えるっていうこともしばしば。
ソフトなら一応終了すっとき“保存しないで終了しますか?”とかメッセージ出してくれるからいいとしても、電脳波乗りを楽しんでて、片っ端からリンクたどってやっとこさ見つけたお宝サイトが消えたとあらばもうもうもうもう……
4に入れようとしたらバックに入れちゃったみたいな? RにしようとしたらNみたいな? 勢いだけはスゴいぞみたいな?
「ブンブンブブン」
「緑の野菜」
「ブンブン」
「サイバイマン」
みたいな?
とりあえず、それに対しては特に意味ないけど、サイト作ってて横スクロールってのは、やっぱいまだに致命的だなと感じる。
なので、また戻してみた。
ほーら、きれいすっぱりだ。左のメニューも復活だよ。
みんなも幅を固定で設定するときは気をつけろよ?
自分ちではちゃんと見えてても、ほかの人も同じとは限らないぞ?
あと、写真の解像度な。リストとかのマークでちっちゃい素材ならあるはずもないとは思うけど、テーブルの背景にデッカいの使ってるとかさ。
自分のパソコンのディスプレイではちゃんと全部が表示されてても、ほかの人のパソコンだと、その写真の左上しか表示されてないってこともよくあるらしい。
もしそれをやるのなら、どうしてもその画像をそのまま使いたいのなら、テーブルの大きさもその画像に合わせて“ピクセル単位”で設定しておこう。そうすれば、そのままの大きさで表示されるよ。って、その前に、あまりのデカさでテーブルの大きさを変更する必要性に気づくと思ふ。
まあ、たくさんの失敗を重ねて、少しずつうまくなればいいのさ。最初はやっぱりみんな ── 最初っからうまいやつもいるけどな。
あぁ、そういえば、“Google AdSense”ってクリックするだけでも報酬が発生するんだってね。知らんかったわ。
オイオイ、『Google』さんよ、あんたら一体どこまで大きくなるんだよ。
とはいえ、やっぱり検索でも何でも、日本じゃまだまだ『Yahoo!』さんが幅をきかせてるらしい。
これって日本人の悪いクセ?
“パイオニアが一番”? “流行最高”? “最先端はいつまで経っても結局は元祖”なの?
一躍“時の人”みたいにドデカい流行になったら、やっぱりなんだかんだで後発でもっと素晴らしいの出てきても、最初の元祖の流行発信源に固執する?
なんかもう日本の文化っつーか、日本人の精神文化っつーか、精神的な構造の特徴として、それあんじゃねぇかなと思う。
“恥”とか“羞恥心”とか、もうそういうのなくね?
“伝統”とか“文化”だってさ、結局は流行に負けてるっぽいし、人種とか民族の歴史たってそんなこと言えるほど歴史ねぇしな。
なんだかんだで“歴史”っつったら、“中国四千年の歴史”でしょ?
なんかもう日本人の文化って“固執”とか“しつこさ”なんじゃねぇかなって思うな、最近。ってか、今。明日には違うかもしらん。
よく言えば“粘り強さ”だな。
よし、やっぱこっちでまとめとこう。
おっとー、話がデケぇ。
デケデケでけぇよ、デカすぎだよ。
って、そういえば思いだした。ってゆーか、忘れてた。わけじゃないけど、やってなかった。
先日まで苦悩していた左側の“最新タイトル”のこと。
なんで今、カテゴリーが表示されてないかっつーとだな、そりゃ分けてないからってだけのこと。
やっぱ、ここ『はてな』さんのシステムの仕様なのか、どうあがいても“日記”とか“日記以外”とか、カテゴリーのそこの部分だけを非表示にするってのは無理っぽいんだな、これが。
で、このたび、やっぱ面倒だからってのもさらに加わったわけだ。
ホント、タイトルだけ表示してくれりゃいいのによぉ~。カテゴリーなんて、“カテゴリー”ってとこあんだから、一緒に表示させる必要ねっぺよぉ~。ムダよムダ。
それにやっぱ、美しくないしさ。
そうだっぺ?
って言いたいこと言い放ってみたものの、実際には、そこまで確認したわけじゃ~ない。
すまん、近藤さん。
まあねまあね、ここ『はてな』さんにおんぶにだっこなくせにな。
超便利な感じで実際そうでもなさそうな“はてなモジュール”ってやつに頼らなければ、それもまた可能そうな気もしないでもない。
でもそこまで必要なカスタマイズでもない気も同時にする。
ので、やめることにする。
改めて確認してみて、できそうなら、そのやり方をここに載せてみようと思いまっつん。
そんなわけで、もしここの日記を楽しみに読んでくれてる方、なにも欲張りしないから、ここに限らず“Google AdSense”を見かけたら、とりあえず1回クリックお願いします。
昨日の分の日記は、一緒に載せたい写真をアップしとくの忘れたんで、あとから書く。
小さなことからブツブツと。
- May 7, 2007 2:10 AM
- [ ゲロ古 ]
Mr.Childrenの桜井さんが歌う“彩り”に、ふと思い知らされる。
そんなわけで、ゴールデンウィークもほぼすべていつもどおりに出勤したわけだ。
巷じゃ9連休だの5連休だの騒ぎたてておったもんだ。
だがしかし、俺様としては特にうらやましがったりはしない。
“よそはよそ、うちはうち”
次長課長の河本さんじゃないほうの井上さんが言ってた。たしか『ごきげんよう』かなんかで出たとき、お母さんから言われた印象に残ってる言葉なんだそうだ。
── たしかに。
こいつは俺様が選んだ道だ。んなもん、よそをうらやましがってたんじゃ~、わざわざ選んだ甲斐もないっつー話よのぅ。
なんも就職して安定したお給料もらう暮らしに憧れるさな。ボーナスもらったらパーッと旅行にでも行って、パクられない程度にwinnyやなんかでエロ動画でも溜めこんでさ。
って言ってもさ……
そーゆーのしてぇーーーーーー。俺様もそういうことしてぇ~なぁ~。
パスポートで旅行とかしちゃったりィ~、“Premiere Pro”とか“Final Cut Studio 2”とか高いソフト使ってるのにエロい動画とか編集してみたりィ~、ムダに天体望遠鏡とか買ってみたりしてみてぇ~……
おっと、いけねぇ。ついつい本音が出てしまった。
それはなぜかと問われたならばだ。
ゴールデンウィークで、なおかつ国民の休日であるSundayにだ。
突然の腹痛にやられたのよ。それも激痛さ。
明日っからまた平常営業の日常に戻るんだっていう予兆的なストレスからなのか。って言っても、むしろいつも以上にちゃんとバイト出た気ィするぞ?
なんか変なもん食ったか?
いやいや、んなはずは……あっ。あぁ~、なるほど。ガムの食いすぎか?
なんか最近のガムってさ?
パッケージの裏側に“食べ過ぎるとおなかがゆるくなることがあります”とか書いてんのよ。それ?
ゆるくなるのと痛くなるのって同じ? 違う? 似たり寄ったり? 症状的には微妙に一緒?
そういうことにしておこうか。
しかしこのゴールデンウィーク、体調に恵まれなかったなぁ~。
ダルいし、ハライタだし、アタマイタ ── それは頭痛でいいか。
って、それもまた突然だったっけな。しかもこれまた激痛。
あ、そういや、前に観た『ロード・オブ・ドッグタウン(Lords of Dogtown)』って映画のなかで、すぐコケるボーイが1人いた。
昔、世界的なスケボー・ブームを巻き起こした実在の青少年たちを描いた映画。実際には役者さんだけど、長編ドキュメンタリーって言ってもいいぐらいかな。ゲロカッコイイんだ、これがまた。
で、そのボーイの話だけど、最初は、みんなすれ違いざまに大声だしてからかったりしてたわけだけど、あとからその少年、脳腫瘍だってことがわかったわけだ。それで平衡感覚がおかしかったっつーことだ。
で、それ? おれそれ?
オイオイ、脳腫瘍か、俺様?
なんか『たけしの本当は怖い家庭の医学』とかでも“立ちくらみを侮ってはいけません”みたいなこと言ってなかった?
俺様、立ちくらみすごいよ? お店でちょっとしゃがんで物色したあと立ち上がったぐらいでくらむけど?
1日寝た次の日、一発目の煙草でクラッとするけど?
あ、それは単にひさびさの有害物質ってだけだな。
ってな?
けっこうこうやって自分のこととなると大げさに言いたがるやついるよなぁ~。
『バンディッツ』ってケイト・ブランシェットとブルース・ウィリスが出てる映画のもう1人、ビリー・ボブ・ソーントンの役どころの性格、わかる。あそこまで神経質ではないけど、わかりますよ。いや、もしかしたらあれぐらい神経質かもしれねぇな、俺様。
日常的に飲んでる薬とかサプリメントがなくなったら、それだけでもうなんか不安になっちゃうのな。別にそれが直接病気とかに効果示してるってるわけでもないのに、それがなくなったっていうことからくる不安がまた追い込むって感じ?
わかっちゃいるけど、やめられねぇってやつか。
野菜がないと買いに行き、水がないと足しに行き、マルチビタミンのサプリメントがなくなったら、毎日飲んでるってわけでもないのにコンビニへ走る ── って、マルチビタミンなんぞ飲んでねぇ。
いつもあるものがないっていう不安は、ホント不安にさせるわな。自分のなかの“あたり前”がなくなるっていう不安と、なくなったっていう不安と、そこから派生して自分に影響を及ぼすかもしれない不安と、そんな自分への不安。そして、いざその“あたり前”がなくなってみても、なんら変わらないんじゃないかっていう不安と、期待。
ってか、たいがい完全になくなる前に買い足しに行っちゃってるよな、実際。
そんなわけで、そんなゴールデンウィークを過ごすなかで、バイト帰りにふと写真を撮ってみた。
ひさびさだ。ホントひさびさ。しかもチャリンコこいでるのに、わざわざ止まって撮影なんざ、いまだかつてなかったぐらいの体験だ。
それがこれ。
Mr.Childrenの桜井さんが歌ってる“彩り”って、きっとこういうことなんだなって思った。
その美しさを外から眺めるんじゃなくて、そんなかに入ってみること。そして、そこから見えるものを見て、感じることを素直に受け入れること。
バイト帰りの道に、あたり前のようにそこに咲いてた花。
あたり前のように色づいてる景色。
そしてこの写真を撮って初めて、このなかで一枚だけ枯れたような色をした葉っぱがあるってことに気づいた。
そんな景色 ── “彩り”に気づいていくんだなぁ~。
あぁ~、世の中、バラ色と言い切れるのもまたいいかもしれんが、枯れゆく色もまた素敵だ。
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- May 6, 2007 2:07 AM
- [ ゲロ古 ]
≪らーめん 矢吉≫さんで、キャベツ盛りのトッピングのねぎラーメン食った。
≪らーめん 矢吉≫さんに行ってきた。
夜だったけど、ライトアップされた看板が、なんともエキゾチックで素敵だった。
以前から、話には聞いてた。
行きつけの美容室の店員さん、髪はあまり切ってもらってないけど、お話相手で大変お世話になってるヨッシー。けっこうなラーメン通だ。
よく女性の口から漏れ聞こえてくる“一人じゃちょっとねぇ~”ってことで、実際にはあまり入らないみたいだけど、いろんなお店を知ってるっぽい。Podcastingしてる『Oneのふたり言』のほうでは動画で紹介した“麺屋 chichi”さんも彼女に教えてもらったお店だ。
というか、気になるお店はけっこう自分で調べるらしい。
そういえば、彼女にはわりといろんなお店を教えてもらってる。美味しいそば屋さんも教えてもらったし……美味しいそば屋さんも教えてもらったし……憶えてねぇ。いや、憶えきれないぐらい教えてもらってるっつーことだ。
んなわけで、ここ≪らーめん 矢吉≫さん。
まあ、お店の名前のとおり、なんだか矢沢さんが好きなんだそうだ。矢沢さんだ。矢沢永吉さん。
とはいうものの、出てくるラーメンは、特に矢沢さんとは関係ない。“SOMEBODY'S NIGHT ラーメン”とか“ラーメンよ永遠に(味噌)”とか“ラーメンよさらば(トッピングに<アリ>できます)”とか、んなもんはメニューにない。“チャイナタウン”なんてサブ店名なんてのもない……と思う。そのへんは店主さんに聞いてみないとわからん。
いざ食った。
食ったラーメン。
“ねぎラーメン”+キャベツ盛りのトッピング”
それがこれ。
俺様、輪切りのネギって嫌いなのよ。この写真にも映されてるように、このなんつーの? 細切りっつの?
これが好き。このネギ大好き。
ネギ好き大好き ── NSD。
でもさぁ~、この切り方すっとさぁ~、辛くね?
気のせい?
切り方のせいじゃねぇのか?
辛いのは嫌いだ。
寿司はサビ抜き当たり前。からしも嫌い。それに連なってるわけでもないけど、だから、おでんも嫌い。冷やし中華も好きじゃ~ない。
そのくせピリ辛ラーメンとかは食べたがる。キムチも好きだ。
で、このラーメンのネギも、なまら辛ぇの。
食ったけど。
やっぱこれ、切り方なんじゃねぇの? なまら辛ぇよ? マジで。
まあ、輪切りでもさ、たまぁ~に納豆に入れたやつ辛かったこともあったけど、やっぱ輪切りのやつだとほとんどねぇ。
気のせいかもしれんけど、この細く切ったやつってよ。なんか輪切りにしたやつより、ネギから滴ってる汁が多いように思うんだが?
あれが辛さの元なのか? あれって辛い汁なの?
ひょっとして、あれが喉に効くのか?
でもあれ、喉に貼ったら、そのうち腫れてきそうな感じするけどな。痛そう。
なにはともあれ、美味かった。可もなく不可もなく。
近くにそこしかなかったら、また行こうと思う。いや、営業時間内だったら、また行こう。
あ、そうそう。
たぶん……たぶんだけど、ここ≪らーめん 矢吉≫さんの店内でかかってる歌は、ひっきりなしにずっと“YAZAWA”さんのだと思われます。
- May 5, 2007 2:04 AM
- [ ゲロ古 ]
キャベツ丸ごと野菜スープを作ってみたら、ゲロうまだったことにビビる。
野菜スープ作ってみた。
これがなかなかのデキ ── っつーか、ゲロうま。
我ながらビビッた。
先日行った美容室。
髪切りも終わり、いつもどおり、いつもお世話になってる美容師さんとしゃべってた。
専売特許ってわけでもないし、その娘さん自身、しゃべりはあまり得意ではないって前に言ってたような言ってなかったような気もするけど、やっぱ男よりは女の子なのでただのおしゃべりに話題も特に尽きないわけですが、そこのお店に置いてあった“おかずの本”をたまたま見だした。
なんだったかなぁ~?
“鍋に入れたらあとは放置”だったかなぁ~? “お鍋に入れるだけ!!”だったっけなぁ~?
なんかそんなような“おかず本”だった。
ほかにも“おかず365日”だったかってのと、“お弁当365日”だったかっての。それらはシリーズで出てるらしい。
その美容師の女の子は、なにやら毎日お弁当を作ってるらしいってこともあり、このシリーズがいいとオススメしてくれた。
が、俺様は作らねぇ。お弁当なんざそんなの作ってる時間あったら、たまりにたまった依頼作業を終わらせたい!! ってか、寝たい!!
だったらこんな日記なんて書いてねぇで、やりゃ~いいんだっつー話だ。
しかしそうもいかねぇ。
俺様も一応はニッポン国民なわけで、それなりに Made In Japan を嬉しく思ってる。誇るまではいかずとも、そんなわけで、一応は非国民ではない。
さて、改めてその本のページをめくろうじゃないか ── “お弁当”のほうじゃねぇ。
これがまたメッチャ載ってんねやんか。
- ロールキャベツ ── ゲロ好き。
……あと忘れた。
で、そんななか、この野菜スープを発見したわけだ。
“これ美味そうじゃーん!!”
ってことで、“今日の晩ご飯はこれで決定だな”と、とりあえず場当たり的な口約束を置き土産にした帰り、やっぱ作って食ってみようってことになり、材料を買って帰った。
が、案の定さ。
作るわけもねぇ。その日帰ったところで、作れるわけがねぇ。
作ろうっていう気はあったさ。ちゃんとあったさ。
しかしだねぇ~……
やる気が起きねんだな、これが。結局帰ると、そのままやらねばならぬことを始めて、そのままそっちに没頭しちゃうわけだ。で、そうこうしてるうちに時間が経ってだな、ご飯は次の日起きてから、たらふく食えればいんじゃね? ── そんなおざなりなお献立になっちゃうわけさ。
男が作って食べるご飯つーのはよ?
それを自分で作って食べる場合、作ってるうちに食べたくなるか、そのときの状況で作れるもので食べたいものを作るかしかないわけよ。
料理は嫌いなほうじゃないけども、そこまで時間割いて作りたいっていうほど好きでもないんだな。残念ながら……ホント残念。
しかし作ったさ。
そして初の圧力鍋登場!! ── 神田川俊郎さんがオススメなんだか監修なんだか、とにかく神田川俊郎さんの写真のついた圧力鍋だ。
これは、以前にうちの人がくれたもの。それより以前に“最近、圧力鍋欲しいべや”とこぼしていたのを憶えててくれたらしい。
ほら、俺様ったら手羽元をこよなく愛するもんだから、めんみと酢と生姜でよく煮るじゃん? あと、カレーとかごくごくたまぁ~に作るじゃん。
それでさ、圧力鍋だったらもっと早くできちゃうかなぁ~とか思ってて、けっこうよく愚痴のように垂れ流してたのよ。
そしたらアータ、うちの人が持ってきてくれたの!! クリスマス・プレゼントだったかお年玉だったかは忘れたけど、その“神田川俊郎さんにまつわる圧力鍋”をさ、持ってきてくれたのよ!!
みなさんも、こういう亭主を持つとホント幸せになれるよ?
っつーことで、この“野菜スープ”なんですが、名前は特になし。
材料も、“おかずの本”に載ってたやつプラスしてる。一応書いとこう。
- キャベツ
- ベーコン
- 椎茸
- たまねぎ
- 塩
- ペッパー
- チキンコンソメ
つまりは、名前も材料も“そのとき食べたかったものを入れたスープ”となる。
そして、一応“スープ”と呼べそうな味になりそうな味付け。
ただのコショウを、あえて“ペッパー”と書いたのは、単にちょっと調子こいただけ。
【作り方】
- 圧力お鍋セット。
- キャベツを4つに割る。
- キャベツのケツに生えてるカッテぇとこをはずす。
- ドリフで志村さんが食べるような形にできあがったキャベツを、できれば、そのままのスタイルで圧力お鍋にセット。このとき、どうしても圧力お鍋の深さからはみだす場合は、うまいことおさまるように下のカッテぇ部分をカット。上のやっこい部分で調整すると、完成時の美しさが欠如します。
- いい感じに水を入れる。
- 火ィつける。
- “あっ、せっかくの圧力お鍋が焦げつくじゃん!!”と思い、油を少々。さらに“おっ、ただの油は焦げつき防止だから、それだけじゃ意味がねぇ。ここはやっぱ……”ってことで、ごま油も少々 ── これは手順ミス。煮てんのに焦げるはずもない。
- 椎茸入れる。でも、最初に入れたほうがいいかもしれん。
- あとで入れるための、たまねぎを切る。なぜか2通りの切り方 ── 細かいやつと、スイカ型。
- 圧力お鍋がピーピー鳴りだす。すかさず弱火。
- たまねぎ投下 ── の予定が、なんだか圧力お鍋のフタが開かなかった。火を消してフタが開くのを待ってから、たまねぎ投入。
- なんとなくコンソメ投下。
- フタ閉める。
- ……グツグツ……
- “そろそろ完成してもよくね?”ってとこで火を消す。
- 圧力お鍋が冷えてフタを開けれるようになったら、塩コショウあたりでいい感じにする。
- 完成。
で、これが盛った画。
本来は、お鍋のなかで蓮のような美しさをかもしてたまんま盛りつけたかったんだけども、それは無理。んなデカい皿はないし、汁がまかれる。
でもこやって見ると、わりと美味そうな感じだな。ビビッた。
んま、実際ゲロうま。
あ、あと、バジルとパセリを散らしてみた。
あ、そういえば、別にこのお野菜スープは、特に圧力お鍋じゃなくてもいいのです。さらには、“神田川 俊郎”さんにもまつわってなくても結構です。
普通のお鍋でも十二分に作れる。ってか、普通のお鍋のほうがいいかと思ふ。
なにはともあれ、なんだか、“大人の女”の味がした。
- May 4, 2007 2:02 AM
- [ ゲロ古 ]
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