俺様が “ あ、この人、たぶん天才だな ” と感じる芸能人さんは、Mr.children の桜井さんと爆笑問題の太田さんと、ゆずの岩沢さん。さんまさん。そして、ビートさん。
桜井さんにはもう、神そのものっていうぐらいの守護天使がいるんじゃないかと思う。
太田光さんは、なんか、なんとなく感じる。
ゆずの岩沢さんは、たぶん。
ビートさんは、映画監督としては抜きにして、テレビでしゃべってるときのビートさんにそれを感じる。
と、つい先日までは、ここに島田紳助さんもいたわけだ。
でも、前に見た『深イイ話』を聞いてたとき、なんか抜けた。
なんだか北海道にも梅雨前線がきてるみたい。
最近ずっと雨が降る。
超素敵。
俺様、毎日、ルンルンだ。おかげで毎日眠いけど。
島田紳助さんには、 “ 自分 ” っつーのがない。
島田さんに、おもしろいって感じるのは “ だれかのこと ” を話してるときなんだなって感じたの。こないだ。ふと。
だから『深イイ話』って、おもしろくないの。ホント。
で、あの番組自体もあくまで “ だれかの話 ” だし。
逆に、島田さんが “ 自分のこと ” を話すときって、その全部が涙を誘うようないい話。
まわりを泣かそうとするような話しかしない。そして、自分も泣く。
というより、まずだれより先に自分が泣く。
あれ、もうただのいい人だ。
なんか “ テレビで嘘つかない ” っていうのが信条みたいなこと言ってたし、それ以外で人を感動させるっつったら、やっぱりいい話ぐらいしかないのかなと思う。
さんまさんみたいに笑いで感動したっていう記憶はない。最近じゃもう司会者っていう感じだし、さんまさんと比較すること自体、もう土俵が違いすぎるような気もするけど、お笑い芸人としての大御所というイメージがある以上、してしまう。
さんまさんはホントまわりを楽しくさせる。そういう雰囲気が全身からにじみ出まくってる。そして自分も楽しんでるような空気。
でも島田さんは、島田さんのまわりが楽しい。島田さん本人は、笑いをとったら、そのとき持ち出した人を立ち位置に戻ったあとすごくチラ見してる。
でもまあ、天才っちゃー天才なのかな。やっぱ。
それもまた一つの才能かなと。
たぶん島田さん、 “ ゼロから作る ” っていうのはできないんじゃないかと思ってしまう。
島田さんの一番の才能って、アレンジ力じゃないか。
いいものを見る目は持ってる。でも、それを自分で作り出せるかって言ったら、できないんじゃないか。
ないものは作れない。ないものは探すことすらできない。あるものを見つける力じゃないか。
自分だけじゃ笑いは起こせないんだと思うの。テレビで島田さんを見てて感じる。
決定的だったのが、 “ 理由なんかいらないねん。そのときたまたまそこにあったからやねん。ただそれだけやねん。 ” って言葉。
まあ、それもまたどっかで見た抽斗の一つなんだろうけど、島田さんがそれを言うと、本当にそれだけやねん。 “ ふぅ~ん ” やねん。
天才って、たぶん、そこになくても作れるんだと思うのよ。俺様のイメージ。
絵を描けって言われたら、そこらへんで自分にとって一番きれいと映った景色を描くと思うし、たぶんすごい上手だと思う。
で、その自分の描いた絵に自分が一番満足してるんじゃないかなと。だから、すっごい入念なチェックをしたあと、自信満々で人にも見せると思う。
でも、そこに景色がなきゃ描けない人でもあるんじゃないかと思うわけ。
すっげぇ勉強したんだと思うなぁ~、島田さん……
すっげぇホントめっちゃめちゃいろんな本読んでると思う。新聞も読んで、雑誌も読んで、ニュースも見て、いろんな人といろんな話したんだろうなぁ~……
『深イイ話』とかですらすらしゃべれるのも、そういうとっからたくさん吸収して、自分なりに理解して、租借してきてるんだと思う。
だから、常に人が知らないような古い人の言葉ばっかりだ。
まあ、それも “ 自分 ” だよな。
寄せ集めてきたもののつぎはぎだらけだとしても、それが自分なら自分なのである。
でも、そっから外に出てないような気がするわけ。
なんか “ おれは自分に自信ないから、いっつもネガティブだし、調子に乗るっていうことが理解できひんねん ” って言ってた。
すっげぇ違和感を覚えたな、俺様は。その島田さんの言葉。
たぶん島田さん、人一倍自分に自信持ってると思うし、しゃべりとか司会とかの技術とか、自分のことすごいと思ってると思うのよ。
だらかこそ、それが逆に自分への自信をなくしてるだけで、収入とかテレビ番組の数とかじゃないところでの根拠のない自信はすごい強いと思う。
ネガティブになってるのって、そういうものを失うかもしれないっていう恐怖心とか不安だけだと思うの。
でも、島田さんのテレビで嘘つかないっていう言葉は、嘘にならない。
番組内で里田さんに “ だからおまえらにはホント感謝してんねん ” っていう言葉 ──── あれがすべてを物語ってる。
島田さんの番組って、ほとんど出演者が一緒のような気がするのよ。
里田さんとかスザンヌさんとか、羞恥心さんとかチュートリアルさんとか、その人たちだけでも十二分におもしろい人だったり、すっごい勢いあって人気のある人たち。そして、磯野さん。
つまり、島田さんにとって、 “ 自分が一番おもしろくなれる人 ” たちに囲まれてるっていう状況に自分を置いてるわけだ。
島田さんの自信のなさとか不安って、もしかしたら自分だけになって、共演者がみんないなくなっちゃうことなんじゃないかな。
島田さんが笑いを取ってるときって、常にだれかのことを持ち出したり、だれかのことを誇張してマネてるとき。
だから、人が話してるときっていうのは、一切口を挟まないで黙って聞いてる。そのときの表情がテレビに映ったら、眉間にしわ寄せてすっごい考えてるような顔してる。それか、本当にただの一観覧者みたいに、 “ おまえら、おもろいなぁ~ ” とか思ってるような、うらやましいのか嫉妬なのか、そんなような顔してる。
それがテレビのなかでの話し方だったり、掛け合いなのかもしれんけどさ。
で、自分から話を切り出したと思ったら、そういうときはだいたい、それまで話してた人を本で読むような言葉で褒めたり、説き伏せるようなことを言いだしたり、それにいずれにおいても上乗せするようないい話をする。
島田さん自身がおもしろいんじゃなく、まわりの人がおもしろいんだと思うのよ。そして、まわりの人が本当にいい人たちばかりなんだなと。
自分じゃやらない。
東野さんにもトライアスロンを提案。
そのあいだ毎日マラソンしたらしいけど、自分はあくまで影の存在。
……ん?
そうやってまわりの人を立ててる?
自分じゃなく、人を感動させるのは、あくまで人? 自分はあくまで影から支える存在?
これって実は、すごいこと?
むしろ、天才には、だからこそできないことだったりしないか?
病気の子とかに手を差し伸べたりとか、ホントいろんなことしてるんだって。
なかなかできないでしょ。
知ってるだけで、なにもできないでいたり、そうやって知ってるだけの自分に満足したり、許したり、そういう人がほとんどだ。
だれか、特に困ってるような人に手を差し伸べるって、逆にこっちのほうに勇気がいることだったり、エネルギーが必要だったりする。
そして、いろんなことを考えてしまうもんだ。相手にしたら逆に迷惑なのかもしれないとか、出しゃばるような気がするとか、自分に対して他人が言うように “ 偽善者 ” っていうレッテルを貼るような感じがしたり。
今困ってる人より、困るかもしれないいつかの自分を見てしまう。
島田さんってのは、上乗せ上手なんだなと。
そこが俺様のなかでの、ビートさんとの決定的な違いなんだな。
島田さんは、人が引いた線を延ばすのがうまい。
ビートさんは、だれかが引いた線に、もう一本自分の線を書き足すような感じ。
話の切り口が似てるようで、まったく違うんだな。
だからビートさんのやってるニュース番組はおもしろい。もし島田さんがビートさんがやってるようなニュース番組持ったら、たぶんすっげぇつまんない。紳助さんの『 TV タックル』なんて最低だろうなと。
実際にはわからんけど、娯楽としてのおもしろさは別として、もし島田さんが映画作ったとしたら、すっげぇ退屈だと思う。それこそ自分が過去に見たもの、読んだものの寄せ集めでしかないんじゃないかな。なんの余韻もなくただのお涙ちょうだいして、見て涙を流すだけの映画になるのかなと。
で、歌詞 ──── 『我が敵は我にあり』
“ こういうのがおれが本当に作りたかった詞に近い ” とか島田さんが言ってたんだな。すっげぇ作詞家みたいな雰囲気だしてさ。
それ聞いたとき、一気に冷めたな ──── なんだそれ、と。
羞恥心さんたちが売れたのって、歌がいいからじゃないでしょ。まず。本人さんたちの人気であり、歌なら曲のテンポとノリ。少なくとも、あの歌詞じゃない。
寄せ集めというか、使い古しの美辞麗句を並べただけな感じ。言葉も固い。文学か。
それって、頭で考えてることとしゃべることは完全に区別されてるってことなんだろうな。
それこそ “ 自分 ” っていうのが、ミジンコも感じられないのよ。
“ 自分が本当に書きたかった歌詞 ” なんてこと言わなきゃ感じなかったかもしらんけど、その割にはなんかの小説とか戯曲とかの一節をとってつけたみたいな雰囲気しかない。
歌詞の規模はすっげぇ小さいくせに、すっげぇデカいこと言ってるみたいな言葉の言いまわしなんだよな。
重たい。聴いてて疲れんだよ。
“ 喜び ” 分かち合ってねぇじゃん。全然。分かち合おうともしてねぇじゃん。
すっげぇいいこと言ってるようで、すっげぇちぐはぐな感じだから、聴き終わったら “ ん? ” ってなっちゃうのさ。むしろ、シンフォニックな曲しか頭に残らないんだな。それでスケールの大きな歌なのかなとか感じたりする。
むしろ、歌詞いらねぇ。
そこらへん、桜井さん、岩沢さん、 “ 自分 ” っつーのを感じるんだよなぁ~。
そして、すっごい日常的なことで、だれもが “ あたり前 ” のことみたいに過ごしてることを、さらっと壮大なスケールで伝えてくれる。
島田さんの言う “ そんなのあたり前やろ ” っていうあの言葉、すっげぇケツの穴がムズムズする。
あたり前じゃねぇんだよ。
そう、この “ 伝える ” っていうこと。
まあ、自身が歌ってるからっていうのもあるんだろうけど、やっぱり違う。
たぶん岩沢さんの歌詞は、岩沢さんじゃなきゃ書けねぇ。
桜井さんは、桜井さんじゃなきゃ歌いきれねぇ。伝わり方がもう、桜井さんなのだ。
なんだろうなぁ~……
島田さんって、言うなれば、ものまね、いや、模写の天才なのかなと。
それはつまり、俺様のなかじゃ “ 天才じゃない ” ってことなのだよ。
島田さんって、ホントかまないじゃん。
どんなにいいことでも、すっげぇすらすら出てくるじゃん。
話す前、いや、もうずぅ~っと前から準備されてた言葉としか感じないのよ。マジで。
本にある文章を目で読んでる感じ。
島田さんの言葉って、そのときの情景にあった感情が出てるだけで、その言葉に対する感情というか、その起伏が全然ないんだよな。
で、こういうことをもし言われたら、それに対してまた “ いい話 ” になるような言いまわしで話すんだよ。
自分に自信が持てないんじゃなくて、自分以外の人に対して自信が持てないだけなんじゃない?
っつーわけで、前にテレビで北斗さんが使ってた “ 高野豆腐 ” っつーのを、カレーに入れてみた。
超うめぇ……
すこぶる体にゴキゲンらしいし、今後は手羽元に次いで必須材料に認定。
そして、長ネギの細さにビックリ!!
日照が足りないのか、普通に “ 長ネギ ” って書いてるのに、あれじゃもう完全に隣で並んでる軟弱ネギと変わらんとです。
- July 18, 2009 4:00 AM
- [ 天才 ]