また気づいた。
プレゼントっつーのはたぶん、その人にとって、欲しさもそこまで優先順位の高いものじゃないものがベスト。
一番欲しいものなんざたぶん、自分でも高くてなかなか手が出せないものだと思うわけ。結局。
で、それを除外して、そのとき一番欲しいものなんつーのは、必要なものだったり衝動的にでも自分で買っちゃうと思うわけ。いつも。
そこでだ。そこでだよ。
その次の次あたりにランクインしてるものが、贈り物としてベストかなと思うわけ。たいがい。
次はたぶん、“そこまで必要じゃないけど、別に今じゃなくてもいいかな”ぐらいのものだと思うわけ。それでいて安い。だから衝動すら起こらないぐらい。
そしてその次に、“自分がお金出してまで欲しいわけじゃないけど、だれかが買ってくれるんなら欲しい”程度に欲しいものがくると思うわけ。それってきっと、なかなかのお値段。
つまり、自分にとっても相手にとっても“お手ごろ”といったところ。
自分がお金を出すなら“ちょっと高いかな?”って感じるけど、だれかのお金なら“ありがとう”って純粋に喜べる範囲。
「いいの? 本当にいいの?」とか言いつつも手から離さず、にんまりって感じ。
あまりに高すぎると、人間っつーのは、気が引けて素直に受け取れなくなったりしてしまう。負い目すら感じるかもしらんな。
かといって、あまりにも安すぎると、プレゼントだって嬉しい反面、無意識にも自覚はあっても“こんなもん?”とか秤を持ち出してしまいがちだ。というより、計るより先に、“こんなもんか……”って悲しくなってるかもしらん。
むかぁ~し昔、当時のお小遣いの残り全額はたいて、その娘っこの誕生日に“チロルチョコ6個”買ってプレゼントしたことがあったけど、しばし俺様と手のひらの上のチロルチョコを見比べたあと、プイッと立ち去られたもんさ。
人間なんてそんなもんだ。
特に女な。その相手が、自分も好きな人ならなおさらだろうな。
男なんつーのはもう、それ以前に、そんな天秤は持ち合わせちゃいねぇ。高価だろうが安かろうが、いらねぇもんはいらねぇとなる。ゴミはゴミ。いるもんは取っておく。そんだけだ。
むかぁ~し昔、「これ、私の気持ち」っつってCDもらったことあったけど、聴いたことあって好きな歌じゃないから、とりあえず受け取った帰りに捨てたことあった。
おっとー、こういう話聞いたら、ほぼ9割9分の女に「ひどーーい!! サイッテー!!」とか言われんだろうなと。
百も承知。
とまあ、そういうわけで、プレゼントっつーのは常にアンテナ張りめぐらしておかんといかんな。
というより、うまいこと引き出す腕を磨かにゃならんわな。
と、そんなわけで、俺様は今、iMacがとっても欲しいです。
- December 15, 2007 7:11 AM
- [ ゲロ古 ]