なんか最近、ちょいとばかり片手ほどの人様のブログを覗いてみた。
……どんなに誰かの言葉を借りてようと、たとえ使い古しのことだろうと、誰かの影響を大きく受けていようとも、そこに自分の言葉や気持ちが少しでも存在してれば、それはもう自分自身の言葉なんだと感じた。
自分の気持ちで、自分の思いで、自分の想い出。
ホントにまっさらなんて、もうないと思えてくる。
きっと、たくさんの数限りない誰かの軌跡と、そこをたどるほんの少しの自分なんだろう。
それがきっと“オリジナル”なんだ。
そうやっていろんな人の支えのなかで自分ができあがっていくように……
誰かが先に行き着いた場所と、自分の行きたい場所。
誰かが先に見つけてくれた道と、自分が選んだ1つの道。
きっと誰もがオリジナルで、一番最初はただの道。
きっと同じ思いを抱えた人たちが一緒に歩き、誰かがそこに座ったとき、ほかよりここが居心地いいと感じただけだろう。
誰も1人ぼっちじゃ新たな道は拓いていけない。
自分だけのものだというなら、それはただの“孤独”なんだ。
音楽でも詩でも小説でも、作り手は1人だったとしても、読み手や聴き手は1人じゃない。
受け取る側の思いが重なって、初めてそれが意味を持つんじゃないかな。
万人に受け入れてもらえるなんて思ってない。
だけど、たとえば誰かがイヤだと言ったら、僕とその人とのオリジナルが欲しいと思う。
“それなら見なくていい。聴かなくていい”だなんて言えない。
だったら僕は、そんなものは作らない。
それなら独り言で充分なんだ。
……気持ち。
生きてくことや自分の存在に、もう意味や理由なんて求めちゃいない。
今こうして生きてることに感謝できれば、そのほかのこと、いろんなことに感謝できると気づいたから。
感謝もしていない。
あたり前とも思ってない。
そして自分に、支えてくれるみんなに、誰かに想いを馳せる。それだけだ。
それは独り言じゃいけないから。
“ありがとう”が感謝の気持ちの証なら、僕はただ、沈黙のなかにでもいれればいい。
- July 12, 2005 4:27 PM
- [ ゲロ古 ]