- BASHING -

 結論 : 思いのほか、痛くなくね??






 さぁ~て、どっから書いたもんか……
 書きたいエピソードはたくさんある。
 が、それを全部書いてたら、すこぶる長くなりそな感謝デー。
 そんな短編集にでもしてみようか……どうか。






 予約時間は、9:45……“少なくとも、9時半までには待合室にいらっしゃるようにしてください”
 到着時刻、9:29……すべてにおいてハナマルだぜ、俺様よ!!
 この病院では、対人で受付するするのは外来でも、きっと入院でも初診のときだけらしい。
 再来院の際には、玄関ドアのすぐそばに、それ専用の機械があって、そこにクレジットカードみたいな診察カードを突っ込むだけで受付手続きが完了する。あとは目的の科に赴いて、待ってるのみ。
 ただ、そこに立ってる一人のおばさんがいる。
 白衣でもない。いや、白衣なのかもしれないけれども、そうじゃないかもしれない。紺色のVネックなのか、そんなインナーをそのなかに着てた。いや、着てたっていうより、ハメこんでたっていう印象のほうが強かった。
 ということで、以下、思い出したら“おばさんV”としよう。
 ズボンも同色っぽく、小学校の男性教諭が仕事着として穿いてそうなものだった。ピッチピチではないんだけど、ストレッチ素材で、それには、淡いスカイブルーのものを小学校のとき三浦先生が穿いていたのを憶えてる。だからきっと鮮明だ。
 で、そのおばさんVは、ホントそのためだけに、そこにいるようなのだよ。
 それ以外の動き、それ以外の場所、それ以外の表情を見たことがない。
 患者として行ったのは今回が初めてだけど、病院内に足を踏み入れたのは、これまでにも何回かあった。
 そして、そのたびにいた。
 俺様が慌てた様子でそこへ行くと、そのおばさんVが丁寧にもカードの差込口に水平チョップの静止バージョンの手を差し添えてくれた。
 まるで≪石炭の歴史村≫で見学に来た子供たちを泣かすこともあるという、あの遠くから見ると妙にリアルな小芝居人形みたいだった。
 まあいいさ。
 俺様はあらかじめ出しておいた財布から自分の診察カードを、そこに挿入。
 画面が切り替わって、“確認”というボタンのところへまた水平チョップ静止バージョン。
「あ、はい」
 押した。
 もう1つある同じ装置のほうにも人が来た。おばさんVがそちらの応対へ。
 カード差込口の左側にある装置から、ゆっくりと紙が吐き出されてくる。
 俺様はそれを眺めながらカードを財布にしまっていた。
 全部出たところで、その紙が落ちた。俺様も取ればいいのに。
「ああ、どうもどうも」
 おばさんVが、快く拾って俺様に手渡してくれた。
 “受付票 120番 歯科・歯科口腔外科”




 “中央点滴室”
 口腔外科の待合室という感じのロビーへ行く途中、廊下で見かけたプレート。
<ああ、あとでここに来るんだな>
 それを横目に察知しながらも、僕の視線は、その隣で柱の影から半分だけ体を覗かせる白衣の天使を素通りすることもしなかった。
 髪はたぶん、アッシュを含んだ茶色。ポニーテール崩れみたいな感じで、全部が黒目なんじゃないかと思えるほど目もとの印象的な人だった。でも、その小麦色も目立つせいか、肌の凹凸も浮き彫りになっていた。
 まばゆいはずの白昼カラー蛍光灯も、なんだか安い緑茶でも混じってるんじゃないかという感覚にさせるような、生々しい生死のどよむ空気のなかを歩を進めて行った。




 待つ……待つ……待つ……待って待って、待ちまくること43分。
 やっと俺様の番号がカウンターのお姉さんから呼ばれた。いそいそとそこへ向かう。
「では、保険証と2枚のカードをお願いします」
「え?? 2枚のカードですか??」
「ええ、これと、このカードです」
「ああ」
 俺様はまず、財布から2枚のカードを、それからリュックのデカいところから保険証を取り出して渡した。
「保険証はすぐにお返ししますから」
 そのまま待ってろってことですね??
「はい」
「はい、よろしいですよ」
「どうも」
「では、お掛けになってお待ちください」
「はい、待ってます」
 笑いやしねぇ~。チクリとも笑いやしない。
 それからさらに、お掛けになってお待ちした時間は、正味24分。
 手袋をリュックにしまったり、ウォ~クメンのイヤホンコードをなおしてみたり、リュックの向きを変えてみたりした。
 リュックのなかにあった紙切れを取り出して読んでみた。それで知ったのは、冷やしちゃダメだってこと。
 テレビとか家庭では、とりあえず歯痛は冷やすというのが掟ってなぐらいに冷やす。家庭にはアイスノンがあり、氷があり、湿布がある。テレビじゃ頭に白い包帯巻いてたりする。
 でも病院からもらった紙には、こうある。


“熱っぽくなったり、はれたりした場合に気持ち良いからと、氷やアイスノンなどで冷やすことはやめて下さい。どうしても冷やしたい時には、ぬれタオルで冷やす程度にして下さい”


 『手術後の注意』





「受付番号120番の方、歯科口腔外科の診察室へお入りください」
 今じゃ機械の合成音さ。
 不安でいっぱいな僕の心はぬくもらない。
 さらには、囚人じゃあるまいに、番号でしかない。これぞ大病院って感じで、個人情報保護とかもあるとは思うが、そっちのほうがラクってことだろうさ。結局、何回呼んでも来ない人に対しては、探しに行くわけでもなく、マイクで番号と名前呼んでるし。
 そして僕がなかへ入って行くと、診察室の入口そばには、お世辞にも天使とは呼べない看護婦さんが一人立っていた。
 まずは名前の確認。それから本題。
「今日は静脈の麻酔で歯を抜くということなんですが、体調のほうはどうですか?」
 最悪です。
「あ、はい。きっとだいじょうぶだと思います」
「5時間前からお食事はとってらっしゃいませんか?」
「はい」
「では、2時間前から飲み物も飲……」
「はい、そのへんはもうバッチリです。しっかり守ってましたから」
 たくさんうがいしたとき、ちょっとずつ飲んでたとは思うけどね。
「今日、お車で来てませんか?」
「はい」
 自転車ですから。
「そうですか。では、まずは点滴を打っていただくので、ここの“中央点滴室”へ行ってきてください」




 やっぱり来た。でも、天使はもういなかった。
 手渡されて持っていった基本票を、それ受けのカゴに入れ、その向かいの壁面にもたれかかって腕を組むという、ちょっと余裕なんぞ見せたぐらいの格好で待機。
 4人ほどの女医さんには、まるで興味なし。
 紺色のカーディガンを羽織った看護婦さんに呼ばれ、なかに入ると、ベッドへ先導された。
「では点滴打ちますんで、寝ててもらってもよろしいですか?」
「はいィ~」
 もうため息だった。“いィ~”より“ひィ~”のほうが、より的確な表現かもしれぬ。
 ベッドで横になる。
 もうどうにでもなれだ。なるようになるさ。なるようにしかならないさ。もうここまできたら手術してもらって回復を待つしか能がない。能なしだ。形なしだ。
 もう普通に眠かった感じもあるので、そのまま寝てやろうと試みた。腕で目を覆ってみたり、いつもの寝ポーズを真似て死人のように胸の上で両手を組んでみたりした。
 が、ダメだった。全然ダメ……心臓ドキドキしすぎ。
 やがて、看護婦さんが来たらしい。
 目を開けると、点滴セットの下にかがむ看護婦さん。
「あの、痛くないですよね??」
「ああ、痛いよ? そりゃちょっとは痛いよ?」
 その看護婦さんは、なんとも素敵な口調でそう答えた。まさにフレンドリー。
 待ってましたよ、こういう人を!!
 しかもマスクをしてて顔の全体は見れずとも、かわいい感じは一目瞭然。目元が優しくあり、かつ刺々しい。
「まあ、そんないきなり脅してどうすんだって話だけどね。でもそんな、最初、針刺すときだけ、チクッとだよ? ちょっとだけ。痛いの嫌い?」
「ええ、とっても。注射も嫌い。もう帰りたいです。今日ももうバックレようかと思ってましたから」
「バックレるって……」
 また目を腕で覆ってみるものの、看護婦さんは手際よく準備を整えていくのがわかりすぎるほど、よくわかった。
「……でももうそれつけちゃってるし、帰れないんだけどねぇ~」
「それはそうなんですけどね」
 なんかその看護婦さんの言葉にゾクゾクするようなものを感じたのを憶えている。
 なんだかわからない。
 この看護婦さんには、人と人との距離を感じさせない魔力があるように思えた。親近感とでもいいましょうか。安心とでもいいましょうか。
 近所であんまり逢うことはないんだけど、逢ったら気さくに話してくれるキレイなお姉さんみたいな感じだ。
 看護婦さんてスゲェ~……でも看護婦さんはこうでなくちゃな。
 というか、この病院でこんなにも気さくに話してくれた看護婦さんをほかに知らないだけかもしれないが。
「あ、でも、ちゃんと痛み止めとかもらえるはずだから、だいじょぶだと思うよ?」
「そうですの?? あ、そういえば」
「ん?」
「痛み止めで一番効くのって、坐薬だって今日、聞いたんですけど、坐薬ってありますか??」
「ああ、だったらそやって言ってみてもいいかもねぇ。くれると思うよ?」
「じゃあ言ってみます」
「うん、わたしも一応そやって言っといてあげるから。はい、手のひらグーにして力入れてねぇ」
 そしてキツくゴムの管を巻かれた腕がビシバシたたかれる。ちょっと止まって、また角度を変えてさらにたたかれる。
 なんのお仕置きだ??
 イテッつの!! そんなに注射打ちづらい腕じゃないぞ?? けっこう褒められたぞ?? 血管星人だぞ??
「じゃあ、痛くないように、子供にするみたいにおまじないする?」
「ぜひ。うん。してください」
 “痛いの痛いの飛んでいけぇ~”とか、そこに“人”とか書いてくれたりとか、そんなおまじないを心から期待していた。
「じゃあ、アルコールで消毒しますからねぇ~」
「はいィ~」
「今おまじない中だから」
 ……無言じゃねぇ~かよ。子供騙しにもなってやしねぇ~。単なる儀式でしょうが!! 大人の義務でしょうに。
 腕がスースーする。
「はい。じゃあ、いくよ?」
「……はい」
 ついに来る……
 痛っ!!
 チクっじゃねぇ~よ、それ!! 小学生のとき打って普通に我慢できた血管注射より痛ぇ~よ!!
「どう? 痛かった?」
 いや、“痛かった”っていうより、地味に今もチクチク痛むんですけど……
「……ひさびさに“痛さ”っていうのを感じた気がします」
「そう? でもちょっとだけでしょ? あ、手ぇもうラクにしていいよぉ」
「あ、つい力入っちゃって」
 たぶん俺様の掌は真っ青だったに違いない。かるく痛かったくらいだ。
「じゃあ、衛生士の人迎えに来てくれるから」
 と、その人は去って行った。
 そして誰もいなくなった。
 腕から登る管をたどれば、その途中で点滴の雫が1滴、また1滴と落ちる。
 まずは、なぜか腹あたりの体温が急激に下がったような気がした。それから全身の血の気が引いていくような感覚があって、さらに視界が色味を失っていくかのように青白くなってくような……点滴してるほうの腕も、かるく痺れはじめていた。
 そんななかではもう、僕の鼓動よりも静かで悠長なカウントダウンを数えることしかやることがなくなった。
 だからしばらくは、それしかしなかった。




 そのまま寝たかった。
 本当は昨日徹夜して、グロッキーなまま行こうかとも思ったぐらいだ。麻酔なしでも普通に寝れるぐらいにしておけば、なんら問題ないような気がしたからである。
 でも先刻同様、動揺がさらにふくらんでムリの骨頂。
 なにもすることがない暇人ほど妄想の虜になる。
 隣は“中央処置室”だ。
 もしかしたらこのまま寝るのを待っていて、ここで手術が行われるんじゃないか??
 そして衛生士の人が迎えに来るっていうのも、気づいたら“お大事にぃ~”って送り出してくれるんじゃないか??
 はたまた、あまりに寝ないからまた点滴打たれるんじゃないのか??
「……はい、では口腔外科のほうに戻りますんで」
「あ、え??」
 看護婦さんがベッド脇にやって来た。さっき言ってた衛生士さんだろうさ。島田さんの“まさか!?”っていう番組でアシスタントを務める女子アナさんに似てなくもない。
「あ、戻るんですか??」
「はい。だいじょうぶですか?」
「ええ、だいじょうぶです」
 僕はベッドから立ち上がった。点滴を吊るす棒を自分で支えながら、出口へと向かう。
「ありがとうございましたぁ~」
 だれに言ってるのかわからない衛生士さんのお礼に、僕もなぜか倣った。こういうことは多い。
「あ、どうもありがとうございましたぁ~」
 いろんな人の声にかき消され、ない交ぜになって相殺され、ほぼ無音のなかを漂っただけのように感じた。
 人込みはむなしすぎる。




「あ、自分で持ってくださいね?」
「あ、はい」
「ああ、ここを右手で支えて」
「ほほう」
「あ、いや、左手ですね」
「なるほど。そうみたいですね」
 “中央点滴室”を出るまでも出たあとも、僕は殊更点滴を気にしていた。
 衛生士さんもそれに気づいてくれたらしい。
「そんなに気にしなくてもだいじょうぶですよ? けっこう丈夫ですし、そんな簡単にはずれないですから」
「あ、ええ……」
 僕はそこで立ち止まった。
 そこで衛生士さんは、僕の隣に、僕と同じく点滴をぶら下げたじいさんとばあさんが2人いたのを知って、ちょっと脇に寄りながらこちらを振り返った。
「いや、あのですね?? 実はちょっと、地味に痛いんですが」
「え??」
 すると、きちんと手入れされてそうな衛生士さんの指先が2本、クロスにテープで貼られた点滴の針の部分に触れた。
 そして、なにを思ったか、テープの中央に盛り上がったそこの部分を押っつけやがった。そこ、針だろうが!!
「ここですか?」
「………」
 なんもしてない状態で痛いっつってんだから、押したら痛いに決まってんだろうさ。
「こっちですか?」
「あ、いや、なんかこう、全体的に」
 衛生士さんは指を引っ込めると、うーんと首を傾げ、“集中処置室”の受付の近くにいた別の看護婦さんに近寄った。なにやら話したあと、別の看護婦さんがこちらにやって来た。
 その看護婦さんも衛生士さんのように指先をまず針の部分に添えた。そして、案の定、押した。
「ここですか?」
「いえ」
「こっちですか?」
「いえ」
「じゃあ、針が刺さってるところですね。こっちが痛いっていうことであれば、なにかしらあるかもしれませんけど。だいじょうぶですよ。でも、もしなにかあったらやりなおしますし」
「あ、はい。どうもです」
「じゃ、行きましょうか」
 なんか思いっきり腕のなかで針が蠢いて、血管の表面を内側からチクチクやってるとしか思えないんですが、そうですね。それは良しとしましょうか。
「はい」
 しばらく廊下を歩いたところで、衛生士さんに言った。
「あの、痛くないですよね??」
「ああ、痛みとかってやっぱり個人差ありますから。一概には言えませんけど、でも麻酔打ちますし、寝てるあいだに終わりますから、だいじょうぶですよ」
「ああ、まあそうなんですがね?? 問題なのはその、麻酔が切れたあとです。やっぱ痛いんでしょうか??」
「それも個人差ありますけど、やっぱり少しは痛みもあると思いますよ? 苦手ですか?」
「はい、大嫌いです。逃げ出してもいいですか??」
 衛生士さんが笑った。さっきの看護婦さんに続いて、笑顔を知る女性2人目発見。
「でもだいじょうぶですよ、きっと」
 俺様はこうして、徐々に気分も上向きになりつつあるなかで、口腔外科へと戻っていくのであった。




 衛生士さんのあとをついて診察室の奥、僕にとっての“トワイライト・ゾーン”へ……と、さらに奥だった。ミステリーだ。完全なる未知の領域へと足を踏み入れようとしていた。
 今までの人生で行った歯医者さんでは一度も相まみえたことのない場所だった。
 カーテンで仕切られたなかには、テレビでしか見たことのない小さな心電図まであった。電源が入っていたわけじゃないけど、僕の本能がそう告げていた。
 もう衛生士さんも見えちゃいない。
 自然と僕の足は、その中央に設えられた拷問チェアへと吸い寄せられていた。
「では、そこに座ってください」
「はい」
 と、なにがそうさせたのか、衛生士さんの声音が微妙に揺れたのか、僕はそちらを振り返った。
 発見だ。
 ついに発見だ。
 僕がここへ通うための理由……ボロカス可愛い看護婦さんだ。しかも最初っから笑顔との遭遇だ。
 もし有名人さんを投影するのならば、仲間さんと浜崎さん、新山千春さんと奥菜恵さんを連立方程式で解き、そこに専門学校で知り合ったエミさんを足した感じだ。漢字で書くと、一般的には読めなそうなのでカタカナにしとく。
 以下、“仲浜千恵美”さんとする。
 そんな彼女が、入口の縁に両手を添えて寄りかかるように、なにやら小さな声で衛生士さんと話していた。
 僕は椅子に座るのも忘れ、そこに突っ立ったままだった。
 視線がかち合った。
「あの……」
「はい?」
 衛生士さんがこちらを振り返った。
「……なにをお二人でヒソヒソ話でお話になっておられるのでしょうか。なんか僕、マズいんですの??」
 いやいや、その看護婦さんも衛生士さんも笑っていたから、わかっちゃいたさ。でも、このチャンスを逃す手はないでしょう。
「あ、いや、シフトのことで早出だったのを聞いてたんですよ。それでわた……」
 仲浜千恵美さんが答えてくれた。同じ笑顔だ。素晴らしい。
 と、そのとき、背後でカーテンがズバッと開けられ、野太い声が遮った。
「おい。今診察中なんだよ」
「あ、はい。すいません」
 衛生士さんは準備を再開し、仲浜千恵美さんは去って行った。
「では、そこにお掛けになってお待ちください」
「はい」




 てめぇ~……声の主はわかってる。
 俺様の担当のやつだ。
 小さくまとまったやくみつるさんみたいな顔しやがって……なにを偉そうに。
 ドクターは先生じゃねぇ~。
 病気を治せる術を教科書で習ったってだけの、いわば“教科書ガイド”を販売する業者さんみたいなもんだろう。
 僕らを癒してくれるのは、看護婦さんなんだよ。
 初診のときだって、2本あるうち今回の親知らずのほうを抜くっていう選択の理由が“なんか起こってそうだから”ってなんだよ。
 “なんか”ってメチャメチャ気になるじゃん。怖いじゃん。心細いじゃん。
 大病院でなんかすごい肩書きあるかもしれんし、受付の人がいくら無愛想で仮面接待してようが患者さんは来るだろうけども、さすがにそれはないだろう……心のケアはどうしたんだ??
 せっかく、どんだけ待たされても痛くても、大嫌いな歯医者でも、ここに通ってもいいって感じさせてくれたひとときを、それをおまえってやつは……
 やくさんには悪いけども、どんなに髪の毛を染めたところで、将来あんなふうに染めたところも風になびいちゃうようになっちゃうんだよ!!
 “チェンジ!!”って本気で叫びたかった。
 まあいい。
 俺様も治してもらう身だ。そのへんはもういい大人なんだし、やりすぎも良くないさ。
 病院ってところは、芸能人さんよりもスキャンダルが命取りで、評判第一だろうし……
 まあ、そのへんは後述することにしよう。




 で、衛生士さんともう一人、新しい人が入ってきた。
 血圧計を腕に巻き、ポッチを胸に、腹に、“すいません”と言いながらつけてもらった。
 以下、“血圧K”さんとする。
「緊張してます?」
「ええ、すごく」
「こういうの初めてなんですか?」
「はい、初体験です」
「初体験て……でもだいじょうぶですよ。寝てるあいだに終わりますから」
 ここまでの会話だけなら、もうそういうお店での会話って感じだな。でもそれなら寝てるあいだに全部終わっちゃうのは惜しすぎる。ちゃんと目を開けて、最初から最後までの一部始終をしっかりと記憶と肉体に焼きつけておきたいもんだ。
 ってか、生きてるあいだに1回ぐらいは、そういうお店のお世話になってみたいと思ふ。
 でもいまだ、行こうという気になったことすらない。
「ええ。ホント、寝てるあいだに全部終わらせちゃってください。よろしくお願いします」
「はい」
 この人も親しみやすい人だった。アハハと大きく笑う。とっても嬉しい。
 空気が和むと、心も和むというやつだ。
 また新しい人が来た。
 今度はピンク色の服を着たボーイッシュな感じの人で、手袋をはめていた。左手の先端や中腹部が、かすかに赤かった。明らかに血だった。鮮血のレディ・ジョーカーだ。
 まわりを見渡すと、言った。
「ちょっと手ぇ洗ってきていい?」
「はい、どうぞ」
 衛生士さんが気軽に答えた。
 点滴の減り具合を眺めていた僕だったけど、なんとかその人を呼び止めた。
「あ、あの」
「はい?」
「もう始めるんですか?」
「いえ、まだですよ?」
「そうですか」
 とそれだけ答えると、その人はどこかへ行った。
 没。話せない人は論外。




 どんどん人が入ってくる。それにともなって、どんどん僕の不安も加速していった。
 でもそんななか、血圧Kさんをなぜかすごく近くに感じていた。
 最初に入ってきたとき、うがい薬でうがいしてくださいと言われて、うがいしようとしたら、“あ、ごめんなさい。点滴、邪魔でしたね”と微笑みながらどけてくれたのが血圧Kさんだった。
 まあ、もしここに仲浜千恵美さんがいてくれさえすれば、どんなに遠くたってそう距離は感じないはずだ。いやそれは、僕が近くに感じようとするからだろう。
「この血圧計、5分置きにかるく収縮しますんで」
「はい」
 1回目……キツッ!!
 そりゃもう左腕はビッチビチだ。僕の血管が張り裂けそうになる。
 そして2回目……早くね??




「じゃあ、よろしくお願いします」
 カーテンで仕切られた向こう側から、老いた声が聞こえてきた。
 それからすぐにカーテンが開けられ、ヤツがこちらにやって来た。
 ホッと胸が安堵したのと、また仲浜千恵美さんのことを思いだしたのとで複雑すぎた。
 さっきは“チェンジ!!”アゲインするとこだった。
 オイオイ、さっきは俺様の楽しいひとときを邪魔した挙げ句、しまいには担当医みたいなことをぬかしておきながら、手術は別の人に任せる気かよと……
 やつが僕の隣のスツールに腰を下ろす。
「あ、もしかして、すごい緊張してる?」
「はい。すごく緊張してます」
「そっかぁ~。でもだいじょうぶだよ、緊張しなくても……って、正直だねぇ」
「はい。もうイヤです」
「イヤって……じゃあ、眠たくなる薬入れますよぉ~?」
 え?? まだだったの??
 じゃあ、この点滴とあの点滴はなんなのよ……そりゃ眠くもならんわな。
 きっとあのときの錯覚は、本当に錯覚だったんだな。きっと針を見たのと、痛みのせいだったんだろうさ。
「はい、お願いします。って、あの」
「はい?」
「本当にすぐ眠くなるんでしょうか?? あの、全然眠くないんですけど」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。すぐ眠くなるから……はい、入ったよ」
「はい」
「あ、それに」
 血圧Kさんがあとを引き継いだ。
「お顔の上に口のところ以外シートかぶせますんで、もしあれだったら寝ててもいいですよ?」
「はい」
「薬入れたらもう動けなくなるんで、なにかあったら声かけてくださいね?」
「はい」
 そう言われると、みるみるうちにまた全身の血の気が引いてくような感覚に覆われていった。すぐに唇の感覚がなくなった。右半身が痺れたようで、頬も引きつるような心地悪さだった。かるいHeavenが見えた気もした。
 俺様は身のまわりで動きまわる人たちの影を追うようにして、自分の存在の曖昧さのなかに漂いはじめた。




「じゃ、シートかぶせますねぇ~」
「はいィ~」
 そして顔にシートがかぶせられた。
 口のところだけが、たぶん台形に穴のあいたシートだった。競技場でトラックに敷いてあるようなやつだった。ゴムと砂の感触だ。
 準備が万端整ったらしい。
 ふと、体にかかる点滴の管が邪魔だったので、左手で払おうとした。
 そしたらすぐに、女の人の手に優しく制された。ホントにすぐだった。
 邪魔なんです。うとましいんです。気になるんです。管が僕の腕の上をプラプラするんです。
 でもあきらめた。
 シートがズリ落ちてきていた。
 気持ち悪かったので、それを口だけ動かして元に戻そうとがんばった。
 誰かがすぐに手で戻してくれた。
 寝心地も悪いので、体の位置をズラそうとした。
 そしたら今度は声が聞こえた。
「動かないでくださいねぇ~」
 衛生士さんの声だった。僕も返事をした。
「はい。すいません」
 もうなにもできなくなった。




 やがて、気がつくと周囲からなんの物音もしなくなった。
 不安が脳裏をよぎった。
 ………。




 ……心配すぎる。




 オイ、患者一人で置き去りかよ!!
 俺様は、なんとか口もとの隙間から見える範囲で覗いてみた。
 だれもいない??
「あのぉ~……」
「………」
「すいませぇ~ん??」
「………」
「ひょっとして、だれもいないんです……」
「あ、はい?」
 血圧Kさんが答えてくれた。
「あのですね??」
「はい、どうしました?」
「全然眠くならないんですけど、だいじょぶなんでしょうかぁ」
「ええ、だいじょぶですよ? さっきお薬入れましたし、もう効いてきますから」
 たしかに、口のなかも唇も、さっきまでは右半身だけだったのが、もうほとんど全身の感覚がなくなっていた。かるく吐きそうでもあった。
 野郎がさらに言った。
「だいじょうぶ。すぐ眠くなるから」
 そう言われると、眠らないわけにはいかない。
 僕は大きなまぶたの裏で静かに目を閉じた。




「じゃあ、口開ける器具入れますからねぇ~」
「……はい」
 俺様は口を大きく開けた。
 なんかゴッツい金属が俺様の口のなかに入ってきて、両脇をしっかりと固めた。
 寝てるあいだに突然口が閉じたりするのを防ぐためらしい。術前に説明を受けた。
「もちょっと口開いてぇ~」
「はい」
 俺様はより大きく口を開けた。
「はい、入ったよぉ~」
 ん??
 なぜ俺様は律儀にも答えてんだ??
 寝てんじゃないのか??
 寝てる間に終わるんじゃなかったのか??
 待て……待て待て待て!!
「ンガ、ンガゴ、ガゴ……バダデデダイングゲスゲド」
 んが、んあの、あの……まだ寝てないんですけど。
「ん? なに?」
「ンガ、あ、あの、まだ寝てないんですけど……だいじょうぶなんですか??」
「うん、だいじょぶだいじょぶ。麻酔は効いてるから全然痛くないよ?」
「え?? 寝てる間にって……」
「じゃ、始めますよぉ~……あ、じゃあ、20c足して?」
<寝てねぇ~だろうが!! オイこら!! やく崩れが!!>
 こうして俺様の口は、しなやかさも繊細さのかけらもない指を押し込まれ、それから先ずっと閉まることはなかった。
 無論、それから先のことはすべて、俺様の意識のなかに届いてきた。たぶん器具がぶつかり合う金属音のその1つ1つでさえも……
 途中、やつの声を聞いた。
「ちょっとガツンてするかもしれないけど、いいかな?」
 よくねぇ~よ、ボケが!!
「だいじょぶだからね」
 俺様は寝てんだろうが!! そんないちいち断りなんて入れなくてもいいじゃないのさ!!
 そしてガツンとやられた。ありゃ絶対トンカチだ。パンチがきいてるねぇ~。思いっきり振り下ろしやがったよ、あのやろう……しかも3発。
 ガツン。ガツン。ガツン。
 っていうか、そのとき俺様、さすがに声出たわ。
「ッツっ!! あの!! あのぉ!! なんか痛いんですけど……」
 麻酔なんぞ効いてやしねえ……このときも麻酔足してやがったな。
 看護婦さんたちの笑い声でさえ聞こえた……“平井賢がどうのこうの”……“この人けっこう好きかも”だのなんだの……
 そして僕が最後に聞いた言葉はこれだ。
「はい!! 終わりましたよぉ~」




 ……おまえらバカだろ。
 その終了の言葉を聞いたあとで、僕はきっと眠りに落ちた。
 起きてみればすぐに、その拷問チェアから、向かいの薄暗い専用休養ベッドへ移った。
 まあ、けっこう悪くないベッドだったんだけどもさ。
 さんざん聞かせてくれた“僕が寝てる間に”っていう言葉は、単なる気休めだったのかと思えて仕方ない。
 さすがにビビりすぎてたか、俺様……
 始まっちゃえばもう、あとは回復を待つだけだから、とにかく手術を受けることが先決か……それも一理ある。
 いや、それこそが医者の務めか。その人のためを思ったからこそ、心を鬼にして嘘も方便てやつか。




 やがてベッドの上ではたと目を覚ました僕は、ひとりぼっちだった。
 なんとも落ち着いた……
 とりあえず、頬に手を触れてみる。
 腫れてない!!
 麻酔がまだ効いてるとはいえ、まるで腫れてないじゃないですか!!
 上体をベッドの上で起こしてみた。
 すぐに看護婦さんが気づいて、駆け寄ってきてくれた。衛生士さんだった。
「だいじょぶですか?」
「あ、ええ……はい。たぶん」
「あ、でも、もうちょっと休まれたほうがいいですよ?」
「あ、そうですか? でも、いえ」
「もうすぐに帰られますか?」
「ええ、そうですね」
「そうですか? だいじょうぶですか?」
「はい」
 僕はいったんベッドの端に座る格好でしばらくいたが、すぐに立ち上がろうとした。
「あぁ~ぁ~~~~」
 恐ろしい……麻酔の力は侮れねぇ。テレビで見る場面を、身をもって経験した。
「だいじょうぶですか?」
「あ、いや、だいじょうぶです」
「もう少し休まれたほうが……」
 ハタから見れば、そんなふうには絶対見えない状態だったんだろうな。自分でもそう思う。
「いえ。帰ります」
 なんでこんなに意固地になったのかは、自分でもわからない。
 とにかく家で、自分の部屋で休みたかったんだろうな。自室最高な人間には、やっぱりそこが一番いい。
 しっかし危ねぇ~……
 視界がまわったりはしなかったけども、まっすぐ立てないわ、3秒以上立ってられないわ、歩こうにもちゃんと歩けないわで、看護婦さんも何度も手を貸してくれようと身をかがめてた。
 やっとこさ、診察室を出て自分のジャンバーとかを身にまとったけども、それすら危うい感じだったように見えたんだろう。
 とにかく親知らず1本とおさらばした僕としては、精神的には気分も上々で、待合室のロビーに出るまで「はぁ~ぁ~」とか雄叫びを上げたぐらいだった。
 ただ肉体的には、千鳥足もいいとこで、かなりふらついていた。
 たぶんロビーで自分の番を待ってた人には、“なかで何やってきたんだ、こいつ??”みたいに映ったことだろう。それぐらいひどかったと思う。
 でも看護婦さんはずっとそこを出るまで付き添ってくれて、僕が座るまで見守ってくれていたらしい。
 椅子に座ってそちらを見たら、こっちを見て微笑んでくれた。
 これが看護婦さんだよ!!
 これが看護婦さんなんだよ!!
 それをあの野郎は……




 いやぁ~まあ、腕はいい。きっとそれは確かだ。
 麻酔が切れたころには、本当に出してくれた坐薬をソフトに挿入しようかとも思った。
 でも、なんもしなけりゃ、さほど痛くないというのがわかった。いや、まったく痛くなかった。
 そのとき俺様は、淹れたての緑茶を啜っていた。
 なんつったって、律儀に2時間半前からなにも飲んでなかったのだよ……そりゃ喉も渇きますって。
 人間、渇きに弱い。
 とにかく水分が欲しかった。
 でもって、腹も減ってたし、自分で作った熱々のおかゆを食べようともしていた。キムチまで入れてやがった。
 ひと口流しこんで、もうムリとあきらめた。
 とりあえずは、冷ましてからにしよう。そうしよう。
 と、そんなこんなで今にいたる。煙草も吸ってる。
 出がけ、とりあえず衛生士さんにこう訊いてみた。
「あの、もう帰ったら煙草は吸ってもいいんですか??」
「ああ、煙草ですかぁ~」
 衛生士さんは困ったような表情を浮かべてから、言った。
「できるだけ今日1日ぐらいは我慢していただいたほうが」
「そうですか」
 しかぁ~し!!
 “家に着いたら電話するように”ということが紙に書いてあったので、お茶を飲みながら電話してみた。だれが相手なのかはわからない。
 そのときにもう一度、ダメもとで訊いてみることにした。
「あの、煙草って吸ってもだいじょうぶなんでしょうか??」
「ああ、煙草ならだいじょうぶだと思いますよ?」
「ホントですか!? ああ、そうですかそうですか!! そりゃ良かった。ありがとうございます」
「それで、痛みとか体調が悪いとかは特にありませんか?」
「ああ、痛いです」
 嘘です。ちょっと人に心配してほしいだけなんです。
「じゃあ、とりあえず痛み止めを飲んでみてください。それでもダメなら、もう一度ご連絡ください。あるいは、どうしてもダメなら、もう一度こちらまでお越しください」
「はい」
「それではお大事にぃ~」
「どうもぉ~」




 まあ、なにはともあれ、イヤな場所に咲く花っていうのは重要な要素だな。
 しかしながら、途中“早出”がどうのこうのという話題も聞けたってことは、仲浜千恵美さんもあの場にいたってことか??
 寝てるあいだにいびきなんてかいてないかが、今となっては一番の不安だ……







 ……にしても、おかゆ冷ましすぎだよ。

  • November 15, 2005 8:39 PM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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