Mr.Childrenの桜井さん、ホントすげぇ。
俺様も詞は書くけど、やっぱすげぇよ、あの人……言葉もねぇ。それ以外、桜井の作詞を表現できねぇ。
マジすげぇ。
男性、いや、僕のなかでは、日本の全ミュージシャンで作詞作曲どっちもするするベストな人だと思う。
なまら陳腐だけど、まさに、音に言葉を乗せる天才だ。
とはいえ、前に脳梗塞で倒れて、復帰した以前の歌はほとんど聴いたことなかった。うちの人が大好きなので、カラオケとか車とかでかかってるCDを耳にしてたぐらいだった。
そうなの。復帰してから出た歌、『掌 / くるみ』でやられたの。
で、個人的には、特に『掌』!! ってか、掌!!
普段は、借りても買っても歌詞カードなんて見ないけど、この曲は思わず見て、しかもじっくり読んじまった。いやぁ~、感動したね、マジで。
歌だから、当然メロディーあっての言葉だけど、ホントこの歌は、その歌詞にやられたって言ってもいい。“なんなの、この人?”って感じだった。すげぇとかうまいとか思うより、その人そのものに対する疑問を感じるのが先だった。
ホント衝撃的だった。
強さ、弱さ、優しさ、愛 ── 人間ってものを駆り立てる感情はさまざまあるけれど、この歌には、そのすべてがあって、そのどれもないって感じだった。そのくせ、ただ漠然とだけど、すごい“愛”っていうのを感じた。
見えもしない。触れもしない。自分から触れようとしなきゃ、それを信じて初めてそこに手が届く不確かな確固たるもの。気持ち。
それが気持ち。その気持ち。
だからなのかねぇ~……
これ不思議なもんで、すごさとか自分との絶対に埋まらない差とかじゃなく、なんでか妙に肩を並べられた気がした。
ごくありふれた言葉で、ごくあたり前みたいなことを歌ってて、それがすんなり自分のなかに満ちてったからかなぁ~。
すごいって感じたのは、そのあとだった。
“愛”ってのを伝えるのは、ひどく難しい。で、そこに共感させるのはさらに難しい。
だからこそ、世の中にゃ吐き気するほどラブソングってのが出てんだろうな。
シチュエーションとか状況とかに自分の経験が重なるってのはけっこうあるだろうさ。
でも、その“愛”そのものに共感というか、シンクロというか、それをそのまま感じ取って受け入れるっていうのは、そうそうできるもんじゃねぇ。“そんな愛の歌”とか“ある愛の歌”とか、未来のそれに対する憧れだったり理想だったり、今ある愛への期待だったり、過去への追憶だったりってのとは違う。全然違う。
明日でも昨日でも今日でもなく、自分のなかにあるただ漠然とした“愛”ってやつに手が届くような気になれんだよ。
これってすっげぇこと。もしかしたら、すげぇとすら感じられないかもしれない。あまりに自然すぎて、人に言われなくても、もともと自分でもわかってたようなことだから。
いやぁ~、桜井さんて、ホント天才。
いや、ちょっと待ってみよう。
ん?
もしかしたら天才じゃないんじゃない?
もしかしたら桜井さんて、逆に、ものすごい凡人なんじゃない? しかも、なまらすげぇ凡人。
いや、なんかこれだとニュアンスが伝わらなそうだな。
超凡人。
いや、これも違うな。
格式高い凡人? 大庶民? ん? あら? 文章だと、どれも同じような響きになっちゃうな。
凡人のなかでもすげぇ人? 段違いの凡人?
まあ、そんな感じでいいでしょう。
天才って、ホントたぶん天才だからな。
俺様って凡人にもなんかそうやって浸透しちゃうような言葉で表現できるって、天才じゃ無理だと思うわけ。
まあ、そのへんの調節も簡単にできちゃうのが天才かもしれんけど、やっぱ言葉だからね。言葉ってやっぱし、その人が出ると思うわけ。感じてなきゃ、思いがなきゃ言葉って出てこないもんだと思うわけ。
結局さ、『DEATH NOTE』も、やっぱ凡人が楽しめる“凡人が描いた天才”っていうことなんだろうって感じるように、“IQ300以上の天才”っつったらもう、その領域にいる人にしかわからないと思うのよ。その思いも景色もなんもかも。たぶん考える前にいろんなもんがそこにある世界だと思うわけよ。
だから、誰もが思い描けるように暮らしてる人が思ったり感じたりすることを、そのまま、しかもすごく広く心を寄せられるように表現できるのって、同じように暮らしたり感じたりしてる人じゃなきゃできないと思うのさ。
外国に行っても日本人は日本人でかたまってしまうように、初対面なら自然と女は女どうし、男は男どうしでまずは寄り添い合っていくように、桜井さんも僕も、きっと同じなんだなって感じるわけ。きっと桜井さんも、みんなと同じ目線なのかなと。
……グホッ!!
しかし、そりゃさすがに厚かましいんじゃないか、おれ?
いやいや、でもやっぱ、いくら僕にもわかるような、それでいてすげぇ詞を書けるからって、桜井さんをそっからはじくのはどうかなと。はじくっつーか、一段も二段も上の人みたいに感じるこたぁ~ねぇんじゃねぇか?
目線も感じ方も特別で、人とモノの見え方が違うとか、別世界に生きてるみたいなことはねぇだろう。
もしかしたら、実際に会ったら普通に肩組んでバカ話で笑い合えたり、たいして気負いもすることなく、肩並べて歩けるんじゃないか?
いや、そんな一緒に歩くぐらいは別にたいしたことじゃないし、もし天才って人とだってできるよな。
まま、“天才”っつったって、才能っつったっていろいろあるだろうからな。
桜井さんは、そういう気持ちを音に乗せる言葉で表現するのがすこぶるうまいっていうことか。同じ目線や景色のなかで、その表現っつーのか、ごくごくありふれた素敵なことを、人に聴かせる歌なはずなのに、まるで友達だとかとしゃべるようにさらっと言えちゃうのかなって思う。ありふれててもいいじゃないとか、月並みだっていいじゃないとか、普通もいいじゃんとか、なんか謙遜もしないし、出しゃばりもしないで、ありのままをズバッとすぅ~っとそういう感じ。
すごくたくさんの人目に触れるもので、しかも仕事としてのことなのに、飾らないとか作らないとか、そんなふうに感じるって計り知れない。その裏には想像もできないような努力だとか試行錯誤があるんだろうけど、やっぱすげぇ。
あ……
そしたらやっぱ、そういうことで桜井さんて、“天才”っちゃー“天才”なんじゃん。
おれ。しっかりすれ。
しかし、テレビの音楽番組で画面の下のほうに字幕で歌詞でてくるのあるけど、あれの効果もまたあると思う。
字幕で出てくると、やっぱしそこに意識が集中しちゃうし、文字として、文章として出てきたら、どうしても読んじゃう。
そのへんがやっぱ歌だなとも思う。
メロディーがあって、さらにそこに文章としての意味もくっつくんだから。
もし、桜井さんがミュージシャンじゃなくて、桜井さんの歌詞が、ただ詩集とか本として発売されても、そういうのが好きな人のあいだでっていうだけの広がりで、あんまり、CDと同じくそこまで200万部とかまで売れはしないんじゃないかと思うのよ。どんなに“ミスチルLOVE”で歌詞が好きって言ってる人も、その歌詞との初対面がただその詩集みたいな感じの本として発売されてたら買うかなとちょっと疑問。
テレビで流れてたのを聴いたとか、その本もまたCMとかで見たりしてれば別かなとも思うけど。
音に乗った言葉だからこその歌詞なんじゃないかな。
そのメロディーに合った言葉で、気持ちで、初めてそれを“いい歌だ”って自分のなかで満ちてく。
それでちょっと+αしてみると、ある程度は自分でも歌えなきゃダメなのかなぁ~とも思う。歌詞が文章としてだけ優れてもよくても、メロディーが旋律としてよくても、人のなかには浸透しないんじゃないかな。
うわっ、つまんねぇ歌の聴き方だな、おい。
感じようぜ、やっぱ歌ってやつは。
まあまあまあまあ、桜井さんのなにがすげぇって、そんな“ラブソング”ってのを歌ってないけど、なんか、なんとなく“愛”ってのをすごく感じられるってとこ。
ラブソングをそれらしく歌えばラブソングなんだろうけど、それだけじゃないって感じ。“愛してる”だの“君さえいれば”だの“永遠”だの、約束もヘッタクレもなく、全体としてのラブソングだって伝わってくるのがすげぇ。
涙もない愛。
涙も出ねぇ。今さらなんて言葉でもねぇ。なにを大切にするかとか、どれが真実の愛なのかとか、んなことも感じねぇ。
傷や痛み、楽しさや嬉しさ、笑顔も涙も区別もなんもない。いつも泣き笑いで愛してきたみたいな、泣いても笑っても、前向きな「愛してる」を進まず下がらず、伝えて感じて受け入れるってことを感じる。“なんとなく”ってホントこういうこと言うのかなって。
なにかを狙うことも装うことも、特に深く考えさせることもなく、ありのままを受け入れることの素晴らしさを感じる。
で、なんかそういう気持ちっていうか表現ってやつが、言葉とか歌とか声とか、そういうんだけじゃなく、全身で、体で、全部から伝わってくること。
なにか核心めいたものがあって、でもそれだけの投げっぱなしでもなく、それに対して心地よく考えさせてくれて、頭と心を連動して導きつつも進まない。かといって下がらせもしない。
優しく、それでいて一生懸命に“時には立ち止まってもいいんだよ”って言ってくれてるみたいな感じ。ちょっと調子こいて言えば、“疲れたんなら、この歌聴いてるあいだだけでも休んでいきなよ。やみくもに「がんばれ」なんて言わないから”みたいな?
桜井さんが歌ってるその姿を見てるだけで泣けてきそうになる。
なんか笑顔増えた。歌ってる最中に笑ってる表情が増えた。なんかすげぇ嬉しそう。
一生懸命なだけじゃない。必死にやればいいってだけじゃない。
時には遊びみたいな表情があって、ゆとりみたいのもあって、今、歌ってるのがすごい嬉しいって感じ。
なんかおれも嬉しくなった。
歌い方とかもあるんだろうけど、全身からそういうのを感じる。
それからだなぁ~。あ、うん、そうだな。それからだ。
好きな歌手さんとかはそれなりにいるけど、コンサートとかライブにはあんまり興味ない俺様が、Mr.childrenだけは実際に見てみたいって感じた。
今日あの『彩り』って歌聴いたけど、ホント、感じる。
でも、こないだの脳梗塞のとき、そのまま死んでくれたらよかったのにとも思う。
本気でそれぐらいの嫉妬を感じるほど、桜井さんの歌詞はやられる。
桜井さんがいる限り、前に出ていけない。もうそろそろ隠居してもいんじゃね?
いや、こんなこと押しつけようとすること自体、桜井さんの歌詞うんぬんじゃねぇよな。桜井さんがいなくなったところで、桜井さんの歌詞は残るわけだ。
なに言ってんの、おれ?
なんつーの?
桜井さんの歌詞って結局、“愛”とかなんだかんだ言ったけど、そこにものすごい“生”を感じてるのかね。俺様が今の時点でなんか、なんとなくたどり着いた究極的な結論、“愛=命”なのかなってところか。桜井さんの歌詞を全部分析したわけじゃないし、なんか桜井さんの本とか読んだわけでもないけど、それが自分のなかのなにかに重なってく部分なのかなって気がする。
桜井さん、まだまだ死なれちゃ困るよ。俺様の夢でも希望でも神様でも憧れでも特にないけど、僕が生きてるうちに、1度は実際に見てみたいの。桜井さん、あなたからなにかを学びたい。たぶんなんか学べる。
って、あんた、ホントあたしのなんなのさ。
すごい見上げた感じに書いてるけど、実際には上からの物言いチックだな、おれ。まいったな。
こういうのうまくできねぇや。
でも、本当に桜井さんの歌、もっと聴きたい。もっともっと聴いてたい。
桜井さんと同じ時代に生き、同じような気持ちを抱けるし、そして自分もその同じ目線を持ってるんだって思えることがとても嬉しい。
これからももっともっと生きていたい。
- April 7, 2007 11:20 AM
- [ ゲロ古 ]