世の中の人を見かけで判断する基準が、“だらしない”から“ダサい”に変わった。

 ああ、そういえば髪を切ったんだった。
 けっこう短くなった。
 ひさかたに写真でも撮って載っけてみようかとも思ったけど、わりと面倒なので断念。
 自分で自分を撮るってのはホント面倒だし、好きな作業じゃない。かといって、他人に撮られるのも嫌いだ。
 人が撮ると、なにかとブツクサ文句たれるし、あれやこれやと非難される。“イマイチ”だの“ちょっと角度が悪い”だの、それでいてそこに頼ってる自分がイヤになる。


 しかしねぇ~……だからって自分で撮るとぉ~、やっぱさ、ほら。
 いいの撮りたいじゃん? いい感じに見えるやつで保存したいじゃん?
 するってーと、そのうち気づけば何十枚と撮ってんだな。
 それを考えるとだな、たいして使い道もない写真に何十分も費やしてらんねぇって、ありもしねぇ先を先に見越したとらえ方になっちゃうんだな。


 人に言わせりゃ“暇だな”って言われそうなことなんだな、そういうのって。で、それを人に言われると、けっこうカチーンとくるわけよ。たしかに暇じゃなきゃ、んなことできねぇっちゃーそうかもしれんけど、そんなこといちいち言われなくたって自分でもわかってらー。それでいて、自分でもわかってるもんだから、“そんなに暇でもねぇ”とも言い返せない。


 かといって、そこで“おまえだって……”なんて言い返そうもんなら、そりゃただの棚卸だろっつー話だ。
 まあ、自分か暇かどうか、他人が暇かどうかなんざ、本人さえわかってればいいことだし、それを他人に指摘されたからったって、どうってこたぁ~ないんだけどもさ。
 簡単に平たく言っちゃうと、ただ“うぜぇ”っつーこったな。


 人様から自分の悪いとこの指摘を受けて、そこをその人様にも“あんただって”とか“あんたに言われたくない”なんて指摘返しみたいなことしてるうちは、自分の悪いとこなんてまったく改善されないって思う。
 それは子供のやることだとか、器が小せぇとか、そんなことじゃなくて、それは単に自分が指摘されたことを相手のなかに投影してるにすぎないと思うんだな。
 指摘されたその自分の悪いことが、さもその人も持ってるような錯覚に陥ってる。


 まあ、実際持ってたとしても、それを指摘したところで、自分の欠点にはなんの影響もないわけだ。
 むしろ、お互いに欠点を助長し合ってるだけっぽい。
 まるで意味がない。
 いらねぇ。そんな人間関係。


 とはいえ、自分にとってプラスになる人間関係のみを築いていこうなんて思ってたら、そんなもんはきっとハナッから築けねぇ。
 マイナスになるようなところにわざわざ飛び込もうとするのはちょっとどうかと思うけど、イーヴン・パーでもOKじゃん。±ゼロでいい。ゼロがいい。
 きっとそっちのほうが気が楽だ。


 向上心は大事だろうけど、それは人間関係に求めるもんじゃないだろうし、求めたところで、それを人が与えてくれるわけでもねぇ。そうすると、きっとむしろ他人に期待するばかりになっちまう。
 期待したってなにもくれねぇ。きっと、それが他人だ。
 っつーか、プラスになるかどうかなんて、それ自体が自分次第だろうなと思う。人間関係に偏らず、モノにしろ思考にしろ、あるいは、なんもないことにしろだ。
 まま、いいんだ。いんだ、んなことは。


 “欠点”なんて、結局は人から見た自分の一部分でしかないんだから。欠点なんてさ、その人にとっての欠点でしかないんだから。その人が自分を見たときにそう感じたものでしかないのよね、しょせん。本人がどう思ってるかなんて二の次よ、二の次。つまりは、その人にとってのイヤな部分ってこと。そして、社会的な欠点だったりとかさ。


 それに、それは自分にとっての欠点とも思ってないことだってあるわけだし、気づいてないことのほうが多いんだからさ。
 それよか、人の欠点ばっか見てたってさ、自分にはなんらプラスにならんもんでしょ、実際。
 人の振り見て我が振り直せなんてさ、そんな俯瞰した目線で人や物事なんて見てらんねっつの。自分すら見つめらんねって。
 “そんなもんでしょ”なんて、んなこと言えるほどまだまだ世の中のいろんなこと知ってねぇもんな、俺様。


 そうそう、簡単にひと言で言ってしまえばさ。
 “俺様”ったって、それを欠点と言う人もいれば、そうは言わない人もいるっつーことだ。


 さて、本題に戻ろうか。
 自分としてはわりと長めってのが好きになる傾向がある。いろいろ遊べるからだ。
 短いとこれ、ワックスつけようが熱風あてようが、やっぱり動きに限界がある。あまりに長いと、それを持続させるのに限界がある。


 俺様はスプレーが大嫌いなもんで、あれでカチコチにバキッと決めるってことをしない。だから、風の強い日には、家を出る前、いや、鏡の前から移動するまでで俺様セットはすぐに崩れる。
 とはいえ、どんなにセットしてみても、たいがい“寝ぐせ?”と言われる頭だ。
 まあねまあね、否定できない毛先のニュアンスはかもしてるけどもさ。
 
 そういやさ、毎日まいにち同じ髪型の人がいる。
 何回会っても、いっつも同じ髪型しかしてこないって人がいた。
 で、訊いてみた ── 毎日まいにち同じ髪型で飽きないの?
 その人曰く、“まったく同じっていうわけじゃないよ? 分け目とかは微妙に変えてるの”
 あそう……わかんねぇ。


 まあ、これもその人にとっちゃ“欠点”というか“悪いとこの指摘”と映ったのか、その後少しだけムキになってた。おもしろかった。
 ただ訊いただけだ。そんな気は毛頭ねぇ。
 でまあ、その人が言ったのはこうだ。
「アレンジとかほかの髪型って言ったって、どうやって変えたらわかんないもん。じゃあ、やってよ」
 おっとー、きたきた。これだよ、これ。
 最終的には、矛先が変わる ── これ、俺様にとっての最大級。


 なんでなんだ?
 別に説教たれる気も、欠点として言ったわけでもないのに、なぜかフテる。怒る。嘆く。そして投げだす。
 別になんかを押しつけようとか、提案してるってわけでもねぇ。聞かれてないから聞かないとか、質問がないから答えないとか、んな子供じみた言い訳すらねぇ。
 俺様と話してると、なぜか自分が責められてるように感じるんだそうだ。
 ウケる ── ウケねぇ。ウケてねぇ。


 いやぁ~、まあ。
 しかし、飽きないのか?
 他人どうこうじゃない ── 自分がさ。
 微妙に分け目ば1センチとか5ミリとか変えようが、セットのしかたは一緒だろうと思う。右に8ミリ変えるときと、左に3センチ変えるときで、ドライヤーを上から当てるとか下から巻き上げるように当てるとか、ワックスをつけたりつけなかったりするわけでもなかろう?
 まあ、んなこたぁ~元よりどうでもいいことで、たいして気にならないことなのか? ってゆーか、気にしてない?


 でも俺様、思うのよねぇ~。
 やっぱ人間の第一印象って、けっこう“髪型”なんじゃねぇのかなって。
 これどうしても、そこにいる万人が理解できるニックネームで一番わかりやすいのって、悲しいかな“ハゲ”だと思うわけ。
 まあ、ハゲがたくさんいれば、“どのハゲ?”ってことになるかとは思うけど、それは否応なくあるんじゃないかと。


 俺様、自他ともに認める“白髪”なんだけど、やっぱりだいたいそこを言われる。ひさびさに会っても、初対面でちょっと時間が経っても、俺様の場合、ほぼ“白髪から入ってくる”って言っても否定できないだろう。
 なので、人と人とが面と向かったとき、一番目に入るのがきっと髪の毛なんだろうな。


 自分で眉毛をイジるようになってからというもの、髪の毛はもちろんそうだけど、やっぱその大前提として“毛”ってのが最低限かつ初歩的な身だしなみというか、自分自身へのお手入れなのかなと思うようになった。
 人に敬遠されたきゃ、髪の毛をボッサボサにすれば一発だ。間違いない。2、3日シャワーも浴びないで、天然ポマードみたいに艶やかな髪の毛で、さらにはフケも2、3つけとけば、もう言うことないだろう。


 たぶん、自分をきれいに見せるも汚く見せるも、髪の毛って、かなり重要なポジションにあると思うわけよ。
 化粧品でも眉毛でもファッションでも、自分を飾るものはいろいろあれど、流行でなにを一番真似るかっつったら、やっぱ“ヘアースタイル”なんじゃねぇかな。
 真似しやすいってのもあるし、顔とかスタイルはもうどうにもならんってのもあるかもしれんけど、人間の視覚的な認識の要素としてそういう部分あんじゃねぇかなぁ~。


 あ、そういえば先日、バイトの人からこんなことを聞いた。


「恋人どうしに“笑い”はいらないんだって」


 そうなんだって……そうなの? え? そうなの?
 笑いは必要ないの?
 なんだか“一緒にいるだけで幸せ”だとか“キスしたり抱きしめ合ったりすることが幸せ”だとか感じるようになるんだか、そうなれるのが本当の恋人どうしなんだかで、“笑いは必要ない”って言われたらしい。
 で、俺様はそう言われたのをそう言われた。


 “笑い” ── なんーーーーまら必要じゃないの?
 まあね、たしかにそう感じれるのはまた幸せなんだろうし、そう感じれるのも幸せの1つだとは思うけどさ。
 一緒に笑えない人となんて一緒にいたくない。


 そういうのってただ単に、俗に言う“倦怠期”ってやつに着せる隠れ蓑なんじゃね? そやって気づかないフリしようとしてんじゃねーのって思う。
 そんなふうに感じてそれがすべてだなんて、そんなのただの理想論じゃねぇか? 理想も理想、むしろ、いないも一緒じゃないかと思う。


 まあ、そりゃさ、いっつもかっつもバラエティのテレビ見てるぐらい笑いつづける恋人どうしなんてのもどうかと思うけどさ。
 っつーかまあ、そこだけ拾うと、こんなふうにいろいろ難癖つけようとする天野ジャックがいたりするので、きっとその人も“笑い? いや、それだけじゃないんだぞ?”っていう大人の恋心を示したかったんだろうなと思うことにしようと思う。


 とまあ、そんな感じで、よく“楽しいだけが恋じゃない”とか“人間、中身よ”って言うように、きっと“髪型だけじゃないでしょ”って俺様に教えてくれたのかな。
 って、もいいや。


 要は何が言いたいかっつーと、最近の見た目の良し悪しの判断基準が変わってきたっつーことだ。


 “だらしない”から“ダサい”に。

  • May 2, 2007 1:59 AM
  • 松田拓弥
  • [ ゲロ古 ]

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