さて、4日は何をしくさっていただろう?
いつもどおり。
その日の記録となれば、なんもしてねぇのと同じぐらいのことしかしてねぇ。
……日記ねぇ~。
日記なようで日記じゃねぇんだよなぁ~、いっつもかっつも。
ってか、日記なんて書けません。
日記なんて書こうもんなら、たいがい決まりきったことしかしてないもの。
バイト行って、帰ってきてまた仕事して、また仕事に行って、帰ってきて寝れたら寝て、起きれたら起きてまたバイト。
俺様日記は、常に1つの単語で事足りる。
“バイト”か“爆裂”か。
しかしながら、その日思ったこととかその日感じたことまで書くことを許されるなら、そら恐ろしいほどの長文になる。
その日その日で思うことが違う。
さらには、バイトのことを細かく書いたところでなんのおもしろみもないわけだ。ましてや、寝てるときのことは細かくなんてわからない。
じゃあ、いってみよう。
よく“言ってることとやってることが違う”っていう非難を耳にするけど、そりゃアータ、あたりきしゃりきだ。
言うことは言うことで、やることはやることだ。
そして、人によって言うことも違う。
この人にはこれは言っていいけど、あの人にはこれは言っちゃいけないっていうのが必ずある。言いたいことと言いたくないことっていうのもある。
人は変わる。
変わらない人なんていねぇ。
それはつまり、自分が変わってるっていうことに過ぎない。
自分がその人に対する見方が変わったっていうこと。
女がよく言う“昔はもっと優しかったのに……”っていうこれは、結局のところそういうことだろうと思う。
自分がその人のことを好きになっていく過程と、その人のことを実際に好きになっている現実。そして、これからも好きでいるだろう未来と。
まま、よく言われる“優しさ”になってしもたけども、実際にはもっといろいろあるだろうて。
でもたぶん、それが一番よく口から出てくる言葉だろうと思われる。
そこでだ。
“自分はどうか?”ってことになるわけよ。
それだけ自分も変わったっていうことにならないか。
相手が優しくないって感じてる今、その分自分も優しくなってないんじゃないか?
結局のところ、変わったのは自分じゃないのか?
つまり、今はもう好きになってるんだな。
で、そこから生まれてきたのが“このまま好きでいていいんだろうか?”っていうそこなんじゃないかなと。
好きになる前と、好きになってる今。
この違いは大きいだろう。
きっと、相手が優しくなくなったから自分も優しくしたくないっていうことじゃないと思うんだよ。
人間関係は、仕事と違う。
仕事なら、きっと“ほかの人が仕事してないのに、自分だけ仕事するのはバカらしい”なんて考えることもあるだろうて。
きっとそれは一緒で、そうやって自分が思ってるとき、それを誰かに垂れ流してるときの自分っつーのは、文句垂れてるだけで仕事はしてないっつーわけだ。
まあね、人間関係じゃ自分が思ってるからって必ずそれが叶うとは限らんさ。
自分がこんなにもその人のことを好きだとして、その人も自分を好きっていうわけにはいかない。
そりゃそうだ。泣きそうなぐらいそりゃそう。
そうなりゃ世の中、ストーカーが一番よりどりみどりのラブリーライフを送れる。
たぶんお互いが変わってく。
“昔はもっと優しかったのに……”
そんなふうに感じたら、それはきっと自分も同じこと思われてるっつーことだ。
女の恋愛における比較対象とは、常に自分の“期待”である。
そして、男のそれは、自分のなかに抱いている“理想”である。
よぉ~し……
- June 4, 2007 1:04 AM
- [ ゲロ古 ]