いやはや、なんだかんだで週刊になってるな。
でもって、日刊。
なぜそこまで無理して全部埋めようとするのだ?
そんな無理やりひねり出してまで続ける必要はあるのか?
……なきにしもあらず。
別にやらなくてもいいさ、こんなもん。
楽しみに読んでくれる人がいたとて、しょせんは自分の気分次第。
書けることしか書かないし、別に出し惜しみするようなこともないけど、それで表が出れば書くだけのこと。
公開するってそういうこった。
公開できないこと、したくないことは書かない。
“公開”っていうのは、逆に言えば、“公開してないこともある”っつーこったな。
やめようと思えばいつでもやめれんだな。
でもさ?
やめるのが簡単な分、やめちゃうわけにはいかないわけ。
全部埋める必要まではないにしろ、必要ないことでも今さらながら、そしてこの年になって一生懸命やってみようかなと思ったのが、また日記を書いてみようと始めたきっかけ。
ムダなことは嫌いだ。
自分では、極力自分がムダだと思うこと、人から見てもそう思えることは、やらない。
とりあえずやってみても、そう感じた瞬間、全部削除する。
なにも残さない。そんなときは残したくない。
どんなに些細なことでも、その一つでムダと感じてしまったら、もうその全部がムダに思えてしまうのだな。
“合理的”
それがキーワード。
でもそのキーワードも、なんとなくイヤになった。
たぶん、今までのすべてに少なからずムダなことはあった。むしろ、すべてがそうだったかもしれん。
小学生でいとこの兄ちゃんの真似をしてカッコつけてたことも、親が離婚するとき強がってたことも、詩やエッセイを書いてきたことも、小学校からずっと続けてきたバスケも、なにもかも。
でも、それらすべてのムダが今の俺様を作り上げたわけだと思うんだわ。
で、それらムダなことほど一生懸命だったと振り返ったわけ。
やらなきゃいけないこと、やりたいこと、やったほうがいいこと、自分のなかで最優先になるはずのことが、なあなあだったかもしれないと思い起こしてみたわけだ。
それはどういうことか?
やらなきゃいけないこととか自分がやりたいことってのは、自分がそやって人に言ったり伝えたりすること、それだけで満足感にひたってただけなのかなと。
ぬるい。
俺様の今まではぬるい。
そんなのわかってるでしょうとか、自分でわかっててそうしてきたんでしょうとか、それが自分の限界なんだとか、しょせんその程度なんだよとか、人は言うかもしれない。
むしろ、そんなことしてる場合じゃないとか、そこまで詰めきってやったって、なるようにしかならないと言う人もいるかもしれない。
おっ? なんか厳しいか?
ちょっと厳しすぎるか?
でもそんなことを思ってしまった。
全部実践できるほど、そんなマジメな人間じゃないかもしれない。
自信なんてない。
でも、その努力はできる。
人は、他人のこととなると、どうしても結果がすべてだ。
なにをどう励まそうが、過程だとか、がんばれば報われるとか言ったところで、結局は目に見える形。姿かたち。
自分なりじゃダメ。
結果が見えないことには、説得力がないとか口だけでしょとかって見向きもしない。
でも、自分なりにいこうと思う。
- August 23, 2007 4:26 AM
- [ ゲロ古 ]