──── セックスは、好きな人とじゃないとあり得ない。
っていう、それがあり得ない。
“あり得ない”んじゃなくて、“あろうとしてない”ってだけだと思うわけ。
そりゃただの“食わず嫌い”と変わらねぇ。
んなもん一回ヤッてみりゃ~いいんだよ。
ベッドの上では、たいがいのことは通る。
“恋人間での無理難題はベッドに持ち込め”なんてな言葉もあるくらいだ。
人はなぜセックスするか?
それは気持ちィからだ。
それ以外になにがあろうぞ?
好きな人、または恋人とめくるめく気持ちいい時間を共有するわけだ。ただそういう理由づけが欲しいのか。
恋人であるっていう肩書きを守る期間だとか、そばにいるとか一緒にいるとか逢うための理由だとか、そういうのを含めて、“引き伸ばす”と言ってもいい。
セックスで愛の再確認するんだろ?
なのに相性だの過去だのなんだの持ち出すんだよ。
なんだかんだでその場、今このとき気持ちよければそれでいいってことだ。
時にはその過去がさらなる快楽を引き寄せるってことだってあるかもしらんな。
快楽によって満たされたそれを、それは愛ゆえだと思う。セックスによって生まれる快楽が愛を助長するわけだ。
恋人とはセックスできるが、それ以外とはできないという。
確認できることなのに、それから生まれることはあり得ないと言う。
逆算はできるのに、証明はできないという。
そう考えるとだなぁ~……
セックスと愛、どっちがオプションなんだと。
そもそも、セックスと愛、どっちを大事にしてるんだいと。
セックスと愛、欲しがってるのはどっちなんだいと。
“快楽の奴隷”なんて言葉がある。
が、それは違う。
“奴隷にするための快楽”なのだ。
かといって、そういう人がみんな“今まで好きな人としかセックスしたことない”なんていう人でもない。
そうそう。
つまり、むしろそういう経験のある人が言う言葉だったりするわけだ。
言外に“ああいう思いはもう二度としたくない”って気持ちが見え隠れしてたりする。
そそ。
つまり、どっちもだ。
相互補助ってやつ?
まるで理想の恋人って感じだな。
- October 10, 2007 9:41 AM
- [ ゲロ古 ]