“癒し”とは、“安心”である。
悪く言えば“優越感” ──── 犬。
自分より弱いものであり、自分より劣っているものであり、自分を見上げてくれるものである。
しかしながら、自分が見上げるっていうのも、特に問題はない。尊敬や敬意、憧れという感情は、むしろ、どこかしらに求める傾向がある。
それがないと、退屈というか、刺激というか、自分にすら張り合いがないと感じてしまうようにさえなる。
それはなぜか?
“目標”みたいなものがなく、自身の人生というものの“ゴール”みたいなものを見失ってしまうからである。終わりがないと、ダラダラする。なあなあだ。堕落や怠惰。グータラ。
それはもっとも嫌悪感を沸かせる生活態度であると同時に、もっとも理想的な暮らしでもある。
どうだろう?
恋人にしろ友達にしろ、少なからず自分が尊敬できる部分、あるいは憧れやすげぇと思える部分がないと、友達や恋人にはなれないという言葉を口にしたことはないだろうか。
それとも、「世間的には“ダメ男”って呼ばれちゃうような人に惹かれちゃうんだよねー」とか「やっぱりオレがいなきゃダメなんだよ、あいつは」みたいなことを相談風情に話したことはないだろうか。
如実。
つまり、人間にとって一番ストレスと感じるのは、“対等”なのである。
きっとこれは間違いない。
- October 31, 2007 5:17 AM
- [ ゲロ古 ]