そして風邪、第4日目。
バランスが多少崩れ、咳が出るようになった。
そういえば、かれこれ3日目からもう何年かぶり ──── いや、生まれて初かもしれまいに。
マスクを装着してみた。
隠れてコソコソならしたことあったかもしれんけど、マスク装着状態で人前に出たのはたぶん初。
家を出るときにはつけてたかもしれんが、1つ目の角を曲がったときにはすでに捨ててたはず。
小学生の男の子に、あんなカッコ悪いものつけろっていうほうが間違いなんだよ。
バイト先で、行く途中に買ってったマスクを一日中つけてた。
まあ、まわりに移すのがイヤっていうのもあったけど、他人から、しかも他人の菌をもらうのだけはもう二度とごめんだ。
それなりにそれなりのそれなりなおざなりの女はいれど、大半以上がおっさんばっかだ。
汚ぇ……
結局は自分のためだ。
コンビニではあったけど、しっかしいろんな種類のマスクがあるもんだ……サプライズで、実にアーメイズィング。
正式名≪セブンイレブン・ジャパン≫はそれなりに豊富。後日うかがった“セイコーマンコ”は、やっぱりマンコだった。
この日はとりあえず、3Dジーンズみたいな立体カットなやつを買った。
それでいて、引っかけるやつがゴムじゃない。細いゴムのやつだと、長時間かけてると耳が痛そうだ。
おまけに俺様は眼鏡等なため、耳に二重の負担がかかるのは避けたい。
マスクっていいな。あれ、いいな。
なんとなくそんな雰囲気かもしだしてるやつが、いちいちしつこかったので、“懐かしいか、こういうの?”って言ったら、「おれはそういうんじゃない。純情少年だ」って月並みな返しをよこした。
つまんねぇ……実につまんねぇやつだ。
おっと、そうじゃねぇ。
マスクっていいのだよ。とても助かった。
空気がいつもよりきれいに感じた。
“空気がうまい”とは、こういうことを言うのか……
とは思わなかったけど、鼻の通りがよくなった気さえした。
ただ!!
メガネが曇るのだ。
外は寒い。ものの1分と満たない短時間だったとしても、がっつり凍てつく。
そんななかで鼻息がマスクの上から漏れると、思いっきりメガネが曇りやがるんだよ。
なので、立体カットで、なおかつノーズパッドつきのマスクを買ってみた。
鼻のところに、鼻の形をしたスポンジ搭載のタイプ。
吐息が漏れない仕掛けで、しかもぴったりフィットする。
すこぶる快調。本当に曇らない。
たしかにかけかたがズレてたりすると漏れたりするときはあるけども、どんなに荒く呼吸してみたところで、ちゃんとぴったりつけてれば曇らない。
恐れ入った!!
ということで、あの職場なら、マスクは今後もずっと常備な気がしてきた。
汚ぇし、おっさんばっかだし、ハタから見りゃ風邪だと思って話しかけてもこなくなるだろうし、余計にしゃべる必要もなくなりそうだし、ヒゲも隠せるし、いざとなりゃ煙草のフィルターもプラスされることにもなる。
まさかこんなにいいもんだとは思わなかった。
でまあ、あとは、潤いをプラスした“潤いマスク”なる就寝用のマスクがあったので、今度試してみようと思う。濡れてるらしい。
寝てる人間に濡れたティッシュをかぶせると死ぬっていう話だけど、マスクならなんでもないだろう。っつーか、死ぬようなもん売らねぇだろうしな。
マフラーも最初は最悪だったけど、きっとマスクして寝るのも結局慣れだろうと期待してる。
それでチリとかホコリとか菌が防げて、しかも潤った睡眠が約束されるんなら、ホント願ったり叶ったりだ。
うん、絶対試そう……
………
……あ、そうだ。
先にタイトル書いたくせに、内容まちげーた。
別に無理してもいいのは、マスクじゃねぇの。
映画。
映画だ。
さらに言えば、DVD。
この週末、≪GEO≫さんが“旧作80円”というキャンペーンをやってたわけ。
そりゃ行くだろう。映画の虫がそれを逃してどうすんだっつー話。
たしかに具合はかんばしくなかったさ。雪も降りやがって、むしろよくなかった気もしないでもない。自転車だし、行く気も失せかけた。鼻水も止まらねぇ。
でも風邪なんていっときのもんだ。
でもそれはそうじゃねぇ。
俺様は、我が人生において、たいがいのなにごとにも無理はしない。友達にしろ恋愛にしろ家族にしろ他人の冠婚葬祭にしろ、無理なもんは無理だ。
でも映画だけはそうじゃない。
まあ、何度も言うようだけど、DVDな。
映画館は大嫌いだ。
人が邪魔だ。音もムダにデカすぎるし、音響効果なんてあそこまでいらねぇ。
映画の迫力なんて、出てる俳優さんの演技とかセリフとか空気感で決まるもんで、まるで音じゃねぇ。
むしろ、サラウンドとかホームシアター程度でも、BGMとか効果音ばっかがデッカくなって、声が小さくなりすぎて好きじゃない。会話を聞こうと大きくしても、一緒にBGMとか効果音も大きくなるから意味がねぇ。
爆発音があっちのほうから聞こえようが、小さな足音が背後から迫ってこようが、小鳥のさえずりが天井突き破ったところから聴こえてこようが、映画のおもしろさには変わりねぇ。
音響ならステレオが一番ぐらいにすら感じる。
なにがどうしても観たいもんは観たい。
現実のほうが複雑になりすぎた。
あまりにも情報が多すぎてメッセージなんて何一つねぇ。
なにも感じれなくなる。
ただ時間を消化してくだけになりがちになってしまう。
時間でいろんなものを区切って整理して、いろんなもの、いたるところにあるメッセージを見落としてしまう。
複雑になりすぎると、余計なものまで取り込んでしまうようになる。
なにも捨てられなくなってしまう。
“モノが豊かになると心が乏しくなる” ──── そうじゃねぇ。
きっと、心も豊かになりすぎてしまうんだと思うわけ。
でも映画やフィクションは違う。
現実だっていつもそうだ。
実は長くつづく人生のワンシーンが心に刻まれるだけにすぎない。
そこからいろんな場面が派生してたり、時には枝分かれしてたり、また一つの場面と結びついてたりする。
それが映画だ。
ワンシーン。
そしてそれらの結びつき。
求めるんだな。
心が豊かになりすぎてしまうと、なにも求めなくなってしまうわけだ。そして、それが美徳とされがちになる。美しいことみたいに言われる。
“清貧”なんて言葉もあるけど、そんなもん本当に望んでる人いねぇだろ?
リッチになる前の段階で、そのあと美談になるってだけだよな。
現実には無感動なのに、とある映画では大泣きして、またある映画では爆笑してな。
たぶん豊かになると、ちょっとだけ貧相な部分が欲しくなるんだろうな。ただし、垣間見るだけ。
求めんだ。
心がな。
求めることをやめないこと。
現実には、“事実”しかない。
でも、フィクションには、“真実”がある。
おれは、それが好き。
──── だから君となら、してみてもいいと思ふ。 By Matsuda(Utada)
- December 1, 2007 9:02 AM
- [ ゲロ古 ]