ず~っと前から自分でも気づいていながら、どうも自分では認めたがらなかったらしいことを、どうやら俺様、認めるにいたったらしい。
たとえたったの一歩、いや、半歩でもこの家から出るとするならば、それは、すでに俺様にとって“遠距離恋愛”に等しいらしい。
ん?
それはさすがに度がすぎたか。ちょっと言いすぎだな。
実際に遠距離恋愛してる人たちより、そこには果てしのない距離があるのと変わらない。
うん、それだ。きっとそっちのほうがうなずいてくれる人、いと多いことだろうて。
いや、知ってた。
そんなの知ってた。前からずっと知ってた。
しかも、認めてもいた。
ただ、公の場、あるいは、それをオープンに表現することがはばかられる状況においては、とりあえず否定してきたってだけのこった。
まあ、具体的には……言わずもがなだ。
もうな、同棲でもしない限り、それは遠距離恋愛、いや、物理的にじゃない。いや、それも含め、So Far な恋愛してる状態に限りなく等しくなる。
相手にとっては。
そう、あくまで相手にとってはだ。ごくごく一般的かつ女性的な感受性を持ち合わせてる女において。
いや、ジャスト・ア・モーメント……おまえ。
本当にそうか?
もう一度胸に手をあてて思い返してみなさいよ。
はい、また多少の脚色を加えたよ。ええカッコしぃな感じの方向に。
きっと一緒に住んでてても、そうたいして変わらねぇと思われる。
実際、同じ屋根の下に暮らすウメくんとだって、一ヶ月しゃべらないこと、それはなんら珍しくもない。
で、それも特に鬱憤がたまるわけでも、フラストレーションが募るわけでも、心配も不安も、ましてや淋しがることもない。
まるで平気。いつもどおり、ペニぶら。
なんだ?
俺様って、どっかおかしいのか?
いや、そんなにおかしいか?
俺様の感覚って、そんなにおかしいか?
よくありがちで陳腐なことぬかすか?
達観か? わかったような口きくか?
自分にはそんな経験もないくせに、さもあるような口ぶりで説教たれるか?
というより、自分と違うってだけで、そうしてほしいっていう期待をぶつけてくるだけかい?
「それはホントに好きじゃないからだって」
聞き飽きた。もう聞き飽きたよ、そういうの。
好きって気持ちに“ホント”も“ウソ”もねぇんだって。
クリトリスほどの気持ちも感じられねぇな。
まま、一般的には認められないだろうさ。
こういう恋愛とか気持ちのことに “ 普通 ” はさとか持ち出してくること自体が Kiss my dick 極まりないけども、こんなこと女に相談しようもんなら、9割以上が「あんたが悪い」って一掃されるだろうさ。実際経験もある。
今流行りの「あり得ない」なんてのは100パーセンテージのアベレージ出すだろうて。
あ、そうだ。
俺様がなんか言うと、たいがいその返事には「いいんじゃない?」っていうものが返ってくる。いや、「いんじゃない?」か?
どうやら俺様にその良し悪しを尋ねられてると感じるんだろうか?
亀頭ほどの脳みそも感じられねぇ。
いや、たぶんどうでもいいんだろうな。
というより、俺様も特に意見なんて聞いてないっていうのをわかってての返答なんだろうて。
俺様の言動っつーのは、どうやら、人に、人を小バカにしたようなものと映るらしい。
これも前に書いたっけな。
まあいい。
なにかの返答としての「いいんじゃない?」ってのは、これはきっとヒャクパーだ。
たいして気にとめてないときのもんだ。
いい悪いの問題じゃねぇ。
どうも俺様には、“この人にはなにを言ってもムダ”というイメージが完成するようだ。まあ、それがエスカレーター式なのはよくわかってる。
俺様は“おまえの意見なんて聞いてねぇ”とか“おまえに意見なんて求めてねぇ”とか“おまえの意見なんて聞いたところでねぇ~……っていう印象が、まるでろうそくの炎のようににじみ出てて、それが他人のなかのプリズムに乱反射するんだろうと思われる。
でもって、そういうときには、“自分の意見”っつーのを出してこない。その「いいんじゃない?」っていうひと言で片付けようとするわけだ。
そうだ。俺様はそういう人間なんだっていう印象、むしろ人様のほうがそこに執着するほどのイメージっつーのができるようだ。
そしてそれは、俺様のほうがそう仕向けているという。
「でも、それはそれでいいんじゃない?」
そう。
そうなんだ。
そのたった一歩、いや、半歩、いやいや、四分の一歩でも、それを踏み出せるかどうかに“恋愛”のすべてが凝縮されてるのだな。
まあな。わかる。わかるよ?
好きになっちゃったら連絡ほしいじゃん? メールきたら嬉しいじゃん? 電話で生の声聞けたら安心するじゃん?
「そんなの淋しいじゃん」とか「ホントは好きじゃないんでしょ?」とか言いたくもなるさな。
そんなの百歩譲るまでもねぇよ。むしろ一歩も百歩も前進したっていい。
でもその揚げ足とってみちゃうと、そういうこったろってこった。それだけのこったな。
自分の淋しさだったり不安だったりを押しつけてるだけに過ぎねぇわけ。期待したとおりの、あるいは自分の気持ちと同じだけの気持ちで返してほしいとか、向き合ってほしいってやつだ。
まま、そうだな。あとはそうだ。
“ 昔は…… ” だな。
恋愛における驚異のアンチエイジングといったところか。
または、アウチなプッシングか。
そんな気持ちでゴリ押しされてもな。
そんなんワンマン社長のパワー・プレイと一緒だ。するってーと、その下で働く社員さんたちはどうなるか?
離散だ。
んな言葉が出てくるころには、もうたいがいが破滅に向かってるころだと思うよ。
まま、それでもその“昔は”っていうころの想い出にすがりつく人のほうが多いだろうし、それだから我慢できるっていう部分も少なくて、そこに期待もするわけだ。
変わったのは全部相手。自分はなにも変わってない。
違うだろうさ。
その“昔は”っていう当時、自分はきっとその人への感心がまだ薄かったころなんじゃねぇか?
自分の気持ちがそこからなにも変わってねぇのは、自分の思いどおり、期待どおりに運んでねぇっていう不満からきてるっていうことを見失ってる。
いや、わかってる。
わかってるけど、自分のなにかしら ────── プライド? 経験? 過去? 今までの時間? お互いに築いてきたはずの信頼? ──── なんかそのへんのなにかが、それを認めたがらないってだけの壁。
そう、自分のなかにとっても軟弱な壁ができちゃってるわけだ。“フィルター”でもいいかな。
まあ、俺様に言わせりゃよ?
連絡の頻度とか会ってる回数とか時間とか、なんかそういうことでその人の気持ちの深さだとか大きさだとか計るほうがおかしいっつーこったな。
おかしいっつーか、なんも計れねぇ。おもり違い。
これは100円玉、何枚と同じ重さかっていうのに、もう片方の皿には500円玉乗せまくっちゃってる感じだな。それか、なんもなしでエンピツ転がしてみたり、目盛りだけに目を奪われてみたり、ホントは500円玉何枚かなのにね、みたいな。
たとえて言うなら、“更新頻度の少ないサイトはダメ”って言ってる感じ。
ん~、なんかそれもたしかに一理あるな。
まま、「ホントは好きじゃないんだよ」とか「ホントに好きじゃないんだよ」とか、あ、その違いはとても大きい。まあいい。
その期待っつーのは、相手の気持ちを完全に無視してるだけ。相手の気持ちより、自分の不安や淋しさのほうが勝ってるときの報復ミサイルだ。
安心と不安の天秤で、安心が勝るのは当然。
黙って俺様についてこいなんてのはもう時代錯誤も甚だしいし、それについてくのも少数派。というより、実際には昔っからそうだったでしょうよ。
連絡の頻度、会う回数、口数。そして、それらすべての付き合った当初。
これ、恋の比較三原則。
とはいえ、こういうことをバビーンと言い放つだけってのは、これまたひとつの“ヤリ逃げ”に近いな。
- February 15, 2008 4:44 AM
- [ 恋の洟 ]