おれにとっての「恋人」。

 最近、自分にとっての “ 恋人 ” について考える。
 その存在について。そう、その存在意義について。
 理由とは違う。意味だな、意味。
 これまではそんなこと、たいして考えなかった。んなことあえて考える必要もないし、そんなもの自体ないと思ってたから。

 歌の王道、ラヴソング。
 それならいくらでも書ける。なぜなら、自分も恋をしてきたし、まわりの人も恋をしてる。話も聞けるし、映画も観れる。

 一緒にいるあいだは、その相手に対してたいして “ 考える ” なんてことはしない。
 気を遣ったり、自分なりの思いやりをもって接したり、言葉をかけたり、分析したりと、まあそんなぐらいだ。
 “ 考える ” っていうことはしなかった。

 そう、恋人に対する “ 言葉 ” ってやつの重要性だ。
 言葉は、絶対的に重要で必要不可欠だ。だれがなんと言おうと、それは間違いない。
 人は言葉に恋心を抱き、それに恋をして、それを受け止める。

 けれども、それについてあえて考えるっていうことまではしてなかった。いや、避けてきたっていうほうが近い。
 それはなぜなら、恋愛や愛、気持ちを語る上では、理由や意味はつけないまま “ 言葉は重要だ ” って言い切ったほうがラクだし、なんか変に説得力があるような気がするから。
 それに理由や意味をつけ加えると、なんとなくうすっぺらく感じられてしまう。
 世の中の人たち、強いて言うなら、俺様世代の大半は “ 愛や絆に言葉なんて必要ない ” と思い込んでる。
 口では、その逆を声高に叫ぶけども、実際に自分がそうしてるかっていうと、そうじゃないんだな。重要なことほどできてないってのが現実だからこそ、その逆を叫び、押しつけようとしてしまうわけだ。
 そこには自分にそうしてほしいとか、自分がそうしたいっていう期待や考え、それとは逆に、そうできていないっていう不安が絶対的に入ってる。
 受け入れるより、それを否定するほうがずっとずっと簡単で、ラクなんだよな。

 手をつなぐ。
 膝枕で耳掃除をしてもらう。
 肩を抱く。
 文句を言う。
 否定もする。
 抱きしめる。
 ダメだと思うところを指摘できる。
 セックスをする。
 キスをする。
 少しくらいの無理ならいくらでもできる。
 そして、なにもなくても「好きだよ」っていう気持ちからの言葉を重ねてみる。
 それらはすべて、恋人にだけ、恋人だからこそできることだ。

 でも考えてみると、実際にはそうでもないってことがわかってきた。
 突き詰めていくと、耳掃除してくれる人がいれば、ぶっちゃけ実際には恋人なんていらねぇんじゃねぇか?
 俺様にとっては、それぐらいでしかないような気がしてきた。

 なにが困るって、耳掃除してくれる人がいないっていうのが一番困る。いや、実際困った。
 セックスは別にどうでもいい。いや、よかぁ~ないけど、なんとなく俺様にとってはオプション程度でしかないんじゃないか?
 セックスなんぞ何年もできなくたって、そうそうたいして困るもんでもない。手なんかつながなくたって桜並木は美しいし、キスはなくても唇は潤う。

 いや、違うな。
 恋人がいればこそできなくなることのほうが多いんだな。
 恋人なんてしょせんは肩書きだ。“ 恋人います ” って胸に名札つけてるだけにすぎない。自分の意識の問題だ。
 “ 一人は気楽でいい ” なんて言葉をよく聞くけども、それはそれで、単に気楽っていう言葉が実にそのときの自分の環境を表現してるからっていうだけにすぎず、無理がないっていうだけのこと。
 そう、“ 恋人 ” のよさっていうのは、気楽さがないっていうことだ。その気楽さを代償に、いろんなものへの理由や口実、言い訳ができるっていう不自由さを手に入れる。
 もしも自分自身にタイトルをつけるようなことがあれば、“ 恋人あり ” っていうひと言が加わる程度でしかない。

 実際には、恋人としかセックスできないんじゃなくて、恋人とのセックスがより良いって感じるだけのこと。
 手をつなぐと気持ちがいいのも恋人で、キスをして愛を感じるのも、否定のし甲斐があるのも、すべて恋人だからこそなんだな。
 そしてそれらは、すべて幻想。期待と不安と固定観念と強迫観念と経験と一般論と先入観が見せる答え。誤解だ。
 『ハリー・ポッターと私の意思』

 淋しいだけでセックスもできれば、欲求やストレスを解消するだけのセックスもある。手もつなぐし、キスですべてに目を閉じることもできれば、抱きしめてもらうだけで慰めてもらえることもある。
 自分の今このときが満足かつ充実してれば、恋人がほしいなんて思いもしないもんだ。
 事実、忙しいときほど恋人がほしくなる。いろんなことに手一杯なときほど恋人という存在に依存してしまいたくなる。

 恋人の存在意義なんてもんは、実際には、ない。
 そう、これこそ、恋人の存在意義。
 なければこそ、そこに存在意義が生まれてくる。

 考えれば考えるだけいくらでも理由や口実をつけられて、意味だって見つけられる。
 恋人を思い描けば、一緒にいたいとかキスしたいとかセックスしたいとか抱きしめてほしいとか、欲求や気持ちもあふれだす。
 恋人とは、自分のなかの欲望と期待と夢と不安と安らぎとを、幻想をもって果てしなく沸きあがらせてくれる際限のない泉なのだ。
 そう、それらはすべて、悲しいかな、喜ばしいかな、人間の原動力になり得るものばっかりなんだな。

 一緒にいるための口実。自分にはないものを持ってたり補い合ってるという欠如の意味。花がより色鮮やかに、通い慣れた道がより楽しいものに、笑顔の写真がより楽しげに、いろんなものがより良く映ってみえるための理由。
 そう、いくらでもあらゆるすべてを見つけていけるのが恋人の存在意義ってやつなんだな。巷にラヴソングが絶えないのも、そういうところからきてるんだろう。この世に人がいる限り、ラヴソングは売れつづける。

 夢を現実に、現実を夢に変えてくれる存在、それが恋人。

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