そして今日は、『ミルク・マネー』の視聴者でした。
騒ぎました。またもや心のなかがざわめきまして、月が潮をひくような潮騒を胸の奥で聞きました。
これを書くにあたって、海外/国内のどちらのレビューも見てまわった。
なんかいろいろ書いてあった。専門的な感じのもあれば、ごくありふれた言葉で素直に書いてるものまで、さまざまだった。脚本に文句たれる人から、監督の力量だとか、子役がどうのこうの、キャストの年代で良し悪しをくむ人、役どころでその女優さんや俳優さんの性格まで分析しちゃう人、すべてを丸呑みしちゃう人
いつも、どこでも見られたのが、話の展開が強引、ということだった。
んなこたぁ~ない。
人の愛に、恋心に、恋愛に、強引なんてことはない。自然ななりゆきで恋をして、愛する人をお互いに感じ合って、初めてでも痛くないように……
出逢い方にはいろいろあるし、奇跡と呼べるほどのことだと誰もが思うことであっても、やっぱりそれは自然であって、それを力ずくで引っ張ってきたってわけじゃない。
裏でなにが起こっていようと、2人の出逢いに変わりはない。
とまあ、ほかの人がどう感じたのかを見ようとしたのじゃなく、どうしてもあの文章の原文が読みたかった。
でも載ってなかった。というわけで、諦めた。
とはいえ、あれは響きがいい。
メラニー・グリフィス、このとき37歳だったんだってね!!
やっぱり俺は熟女ファンらしい……全然OKです。ダンスパーティーがあったなら、まっさきに誘うことでしょう。
エド・ハリス氏、イイですな!! カッコイイっていうか、イイのだな。ベリ・ナイスです。
全体的に、会話のうまさというかおもしろさが際立ちます。やっぱり、自分の年代じゃないと、会話っていうものが自然なかたちで表現できなくなるわけで
子供たちの会話の難しいこと、じいちゃん、ばあちゃんの言葉の想像のつかないこと!!
「じゃ」とか「わし」とか使うと、どうもいかにもって感じで、まるで自然じゃない。わかりやすくてイイのかもしれないけど、女の人が自分のことを「俺」って呼ぶのと同じことだ。
英語じゃそんなことあり得ないわけで……女の人が「I」って言えば、「私」になる。その人の発した言葉が意味になる。
日本人ってのは、どうも普段の会話からでも男女差別をしたがるようで
意味もなにもあったもんじゃない。言葉そのものが意味になるんだからさ。
しかしながら、やっぱり俺の胸のなかには、共通の女性像があるらしいことが、はっきりした。
スマート……髪が長い……素直さ……一生懸命さ……(文字化けにより不明)……パーマは、あってもなくてもいいらしい……で、結局、結婚したい。
でもやっぱり、男のほうも、それなりのユーモアが必要なんでしょう。『ノッティングヒルの恋人』でもそうだけど、あのおもしろい会話には、相手側のユーモアも不可欠。これは間違いない。
おもしろい相手が欲しいなら、自分にもユーモアが必要になる。相手がいくらおもしろいことを言っても、それに応えられなきゃ、会話が成立しない。
これが、スマートさ。
いろんな要素がこんがらがって、それになる。ただ細くて華奢でスリムっていうのとは、わけが違う。「小太り」と「オッサン体型」の違いに似てる。
まあいい。
2days連続で長ったらしい日記はやめにしとこう。
メラニー・グリフィスさんが好きであることに変わりはなく、『ミルク・マネー』のあの言葉にハートが揺れたことも忘れはしない。
風のようなさりげなさで
あなたは私にキスをした
そう、ハートに触れた瞬間に
ほら、私たちが風になる
- September 21, 2003 8:41 AM
- [ 映画 ]