以前、目覚ましのことについて書いた。
スーパー雷電が役立たずなため、ラジオの砂嵐にしていると。
が、それでも起きなくなってしまったので、さらにボリュームを上げてみた。
するとどうだろう……
“豪雨”になった。
それなりの音量なら、たしかにサーッて感じで“砂嵐”だ。窓の外と相まれば、刹那の“時雨”とさえ感じられる。
しかし、数字を出して“ボリューム35”ともなると、ズドーって感じ。
夕立とか台風ばりの音になりやがった。
それでもそれが鳴りだしてから一時間後まで起きなかった俺様は、きっと雨に打たれて死ぬんだろう。
自分が死ぬときの姿ってのを想像してみることがある。
わりと楽しい。
非現実的なことを、無理やり現実的に起こしてみるってのは、これがなかなか労力を使う。
実感のない脳ミソの思考ってやつと、実感のともなう感覚ってやつを、同時にフル稼働させないといけない。
このとき、ガムを噛みながらやってみると、なかなかどうしてうまくいく。
意識だけ自分から離れさせようとしてはみるけど、とりあえずガムだけは噛みつづけるという実感は途切れないためだろうか?
全然集中してない感じが実にいい。
テレビを見ながら一生懸命かつ無心に鼻毛を抜きつづけてる自分に似てる。
だからなんなんだろう?
砂と雨は、なんとなく似てるってことだ。
- August 30, 2007 1:59 AM
- [ ゲロ古 ]