うちの人は、さすが“ご飯派”というだけあって、本当にご飯のおかずになるもののセンスが高い。
 スーパーで売られてるお惣菜とかじゃんくて、ふりかけとかのご飯にかけて食べるほうのやつ。
 その先陣きったのが、彼のブログのほうでも紹介されてる賞味期限のない“手作り味噌”だ。
 こないだは非売品のピリ辛タイプをもらったらしいが、そうじゃないのもすっげぇうまい。
 しそ好きな俺様としては、最強のご飯乗っけ味噌也。
 ありゃ旨い。超うまい。
 ゲロうま。
 先日、どっかから帰ってきてビニール袋を携えていたわけだけど、その中身は、なめこだった。
 基本的に俺様は、あれが嫌いだ。
 うまくねぇ。
 実にうまくねぇ。
 あの後味なんとかしてくれ……しょっぱいんだか甘いんだか、中途半端なベロへの刺激がイヤ。
 しかぁ~~~~~し!!
 明太子なめこ。
 それがデッカい瓶に詰まってた。
 そしてさらに、よくよく見れば、“四川風”だの“焼きにんにく”だのがあるらしい。
「いろいろ買ってきたから……」
 そう居間に入ってきたのも、まんざら嘘じゃなかったらしい。
 なめこだけでこんだけの種類を買い込んでくるやつは、きっとうちの人以外にいないだろう。
 あと、いっつもどこで見つけてくるのか、どっから情報引っ張ってきてんのか謎は深まるばかりだけども、そしてこれ ──── 
“しその実入りの鮭フレーク” ──── もそうなんだけども、これはホントどこにも売ってねぇ!!
 もうあれはなくなるのがイヤなので、今のうちから補充しておこうと思うわけなんだけど、マジでどこにもないのだよ!!
 んじゃ、ウメくん本人に訊けばいいじゃんって思うでしょ?
 一緒に住んでんだから、そっちのほうが早ぇじゃんとか思っちゃったでしょ?
 そう思うでしょ?
 甘ァーーーーーーーーーい!!
 そう、なにをかくそう彼はもはや、サーキット関係者なわけ。今やプロレーサーですら電話一本で飲み会に呼べるらしい、そこまできてるらしいのだな。
 週末ともなれば超多忙を極める。
 たぶん、彼以外のだれより顔を合わせないことこの上ない人。
 人間てホント不思議な生きモンだなと思うのは、“安心”っていう感情がものすごく作用するってこと。
 一緒に住むまでは、ホント毎日のように会ってた。休みなんて、特に連絡もせず、あたり前のように会ってた。というより、すでに家の前に着いてからひと言 ──── “た” ──── ってメールが来たぐらいにしてた。
 ところが、こうして一つ屋根の下にいるようになってみると、ほとんど顔を合わせない。
 いや、ちょっと待て。
 違うな。
 それは違う。
 一緒にいる時間はたしかに多かった。
 でも、それだけだった。
 たしかに泊まったり、四六時中そばにいて起きてたけど、そこまで干渉してたってわけでもなかった。
 ここで重要なのは、“会う”っていう行為を認識するっていう状況だな。
 それがお互いの意識として、自分のなかで新たな状況を生み出してるってだけだ。だから身構えるし、そこへ対応しようとするわけだ。
 だから会ったら「おう」って言う。
 それがない。ただそれだけの話だ。
 “会う”っていうより、“いる”っていう認識のほうが強くなっただけのこと。
 “待つ”こともなければ、“行く”こともない。
 お互いが帰ってくるだけのこと。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 だから夫婦間で“うちの人”っていう呼び方をするのも、そのへんが関係してるんだと思う。
 まあ、それも“安心”って気持ちのなせる業なんだろうけどな。
 “いなくなるはずもない” ──── いや、“いなくなるなんて考えられない”っていうほどの安心かな。
 ただ、その感情がぶち壊すこともある。
 ASKAの歌に素晴らしい一節がある。
──── チョコレートの箱にしみついた 匂いのように / いついつまでも勝手に甘いつもりじゃ / つづかないね
 ずっと不安ばかりじゃつぶれちゃうけど、危機感もそれなりに持ってないと、同時に淋しさを生み出すわけだ。
 この歌はホントに名曲だと思う。
 男前。
- October 18, 2007 10:03 AM
- [ ゲロ古 ]










