それは、腹が減るからである。
当然?
そんなのあたり前?
なんでわざわざそんなあたり前なタイトルをつけたかって?
言われなくてもわかってるって?
そう、そこなのだよ、今世紀最大の問題は。
きっと、“ 食べる ” という行為についてどこぞの偉い人、あるいはお父さんでもお母さんでもいいけど、なんとなくそういうだれかよりは知識のありそうな人が言うと、“ 生きるため ” とか “ 食べないと栄養がとれない ” とか “ 大きくなれない ” とかなんとか言うだろうと思う。
だがしかし、たいがいの人は、食べるときにそんなこと考えてるだろうか?
否。
おなかが空いたから食べるんだろうし、それでしかないと思うのよ。
今食べないと死ぬとか、これを食べないと大きくなれないなんてまで頭にある人いないでしょ。
きっとそのことを突き詰めていったり、いろいろああでもないこうでも考えていくと、単にそうなるっていうだけであって、たいがいの人ってそこまで考えてないと思うのよ。
ちょっと小腹がすいたからポテトチップ食べようかなっつって、食べる。喉が渇いたからジュースを飲み、ちょっと酔いたい気分だからお酒に手を伸ばす。
ただそれだけでしょう。
たったそれだけのことに理屈をつけたり、はたまた根本というか根源というか、そういうところまで煮詰めたぶっかけ汁を頭からかぶせたところで、人様に理解されるわけもないし、むしろそういうあたり前のことこそ受け入れがたいのだと思う。
言われなくてもわかってることを言われると “ そんなの言われなくたってわかってる ” っていう返事がくる。
でも、そういう返事を返す必要があったっていうことは、そういうあたり前のことができてなかったり、忘れていたりしたから、そこを指摘されたんだっていうことまで忘れてるんだよな。
たいがいの人は、そういう “ あたり前のこと ” を忘れがちだ。
そして、忘れたことも忘れる。
俺様の言うことは、いちいちイッチョ前なのかもしれない。
それこそ言われなくてもわかってることなのかもしれない。
でも、もう一度そこらへんを見なおしてみる必要があるんだと思ふ。
“ 人の振り見て、我が振りなおせ ” とはよく言ったもんだが、人の振りを見ても、なにが問題なのかわからないような人間が多いのではないか?
食べ物がない子供を見て、顔色も変えずポケットのなかの小銭をばらまくような人間は、残酷で冷徹なのだろうか。“ そういう環境に産まれてしまったんだからしょうがないんじゃないか ” というのは、恵まれた環境にいて痛みのわからない人間なのだろうか。
そういうテレビのドキュメンタリーを観て、“ かわいそうだね ” と涙を流すだけの人、同情することがまず大事で、前述のような人たちを頭から批判するような人よりは、ずっとマシなんじゃないかと思う。
同情して涙を流し、それを自分のまわりの人に言い振らすだけなら、小学生でもできる。
自分以外の人には、その人にとっての生活や環境、文化、習慣とかいろんなことがあるんだという根本的なことが見えなくなる。そして、どうして自分だけの定規で物事をはかってしまい、はかりたがる。
きっと、一番いい例はこれだろう。
自分以外の人が、自分のいる場所以外で生活しているというのは確実な事実で、言われなくてもわかってることなんだろうが、きっとそれは、ただ “ そういうもんなんだ ” って頭のなかに描いてるだけなんじゃないだろうか。
想像すらしないし、そんなことする必要もないと考え、知ろうともしない。
そういうドキュメンタリーを観て涙を流せるというだけでは、偉くも優しくもなんともない。
そう、そうなのだよ。
こうして理屈っぽくいろんなことを吐き出したり、深く考えられることは、これっぽっちもすごくないし、偉くもなんともないことなんだな。
なぜ人はメシを食うのか。
それは、空腹感を覚えたとき、たまたまそこに食べられるものがあったからということに過ぎない。
だからたいがいの人は、俺様に “ おまえはバカだ ” と言われるのだ。
- December 15, 2008 10:03 AM
- [ 思うこと ]