2008年を振り返って。

A : 100%
B : 100%
O : 100%
AB : 0

 今年1年を改めて今、ちょいとばかり振り返ってみると、ホントいろんな人に出逢ったなと思う。

 いやはや、ここ最近の疲弊度ったらなかった。
 “ 疲労 ” なんて生やさしいもんじゃない。あえて小難しい単語のほうが脳裏に浮かんでくるほど、心身ともに疲弊困憊だった。
 四字熟語のセオリーを覆すほどだ。
 運送会社の年末とは、そして、職場においてたった一人の脳なしのために、ここまで労力を強いられるのかということを痛感させられた。
 能なし、役立たずというのは、世のなかに必要ない。
 世のなかに横行する “ リストラ ” の対象が、中堅幹部が多いというのも納得。
 さっさと始末されてしかるべきである。


 と、もうそんな過ぎたことはどうでもいい。
 新たな一歩を踏みだすのだ。
 また。

 なぁ~んか今年は、ケータイの待受画面と、ホワイトバンドに左右されてたような気がす。
 今年1年の大半、ホントつい最近までずっと『24』のクロエ・オブラアンだったはず。
 俺様、ホント大好きなのよ、あの小学生の女の子みたいなふくれっ面が。初めてテレビで観たとき、ホント衝撃だった。
 んでもって、それから毎日のように変えよう変えようと思ってて、忘れてた俺様のケータイの壁紙。

 いつからかふと俺様をとりまく日々が、どうにもこうにも悪い方向に転がっていってるような気がしてならなくなった。
 自分以外の人、仕事、俺様のなかに渦巻くすべての環境への意識の向き方が変わってってた。
 だから、いつも左腕につけてた “ ホワイトバンド ” を、なんとなく右腕のほうにつけ変えてみた。
 いつもの習慣、いつもやってること、自分のなにかをちょっとだけ変更してみたら、なんかちょっとだけ変わるかなと ────

 そしたらやっぱ、なんか変わったな。
 自分でも不思議だけど、なんとなく、なにかが自分のなかで変わったんだと思ふ。
 最初はもう、すぐ腕からぶっちぎって床に投げつけてやろうかっていうぐらいあまりにも違和感があった。
 でもそのうちそれにも慣れてきて、居心地の悪さも少しずつ薄れてった。
 完全に右腕の違和感が消えることはなかったんだけど、それでも続けてみることにした。
 ケータイの壁紙と同じぐらい、自分のなかのなんかが変わらないと、なにかを変えないといけないと思ってたから。

 人間っちゅーのはやっぱり絶対に慣れるもんらしくて、どうしたって居心地のいいところを “ 自分の居場所 ” だと思いこんでしまう。
 自分の意思なんて関係なくなって、自分はそこにいたいとかいたくないとか、いちゃいけないとか、そんなことは二の次、三の次にまで成り下がる。
 居心地のよさが、自分の感情までも鈍らせる。ぬるいところってのはは、どんなに長く居座ろうが汗も出ないし、かといって寒くもないんだな。
 自分の気持ちより、まわりの態度による。受け入れてくれるかどうかにすべて埋もれてしまうんだな。
 気持ちよさのともなう誘惑には、なかなか人間、勝てないもんだ。
 それがダメなんだ。
 それこそが俺様のダメなとこなんだ。


 今年、2008年という1年を頭のなかで振り返ってみると、ホントいろんな人に出逢ったんだなぁ~。
 前の恋人と別れて何年も経って、新しい恋人ができて、別れて、新しい恋人ができそうになって、なんなんくて、“ 運命の人 ” らしい人にめぐり逢って、いろんな友人も増えた。
 よくも悪くも、いろんな人と知り合った。

 しばらくのあいだ語り合っていたバイトの人が、ふと漏らした言葉を思いだす。

“ 運命の人 ” って、彼氏とか彼女とか関係なくて、その人の生活とか人生に、大なり小なり少なからず影響を与える人のことなんだと思うの。

 まさにそのとおりだと俺様も思う。
 今年、ホントいろんな人と知り合って、その言葉のとおりだと感じる。
 その人がにじませてた言葉の裏側にある意味も、その言葉そのものから伝わってくる意味も全部ひっくるめて、その言葉の放つ意味は大きい。

 人生とは、人と人との関わり合いの上に成り立っていて、その全体像の影響と、その小さな断片を “ 想い出 ” と呼んでいけるものだと思うから、すべての人をそう呼べるのかもしれない。
 でも、俺様は人の影響というものをほとんど受けない。まず受けない。影響されるほどの人と出逢うことがない。
 無意識のところで受けててそれが俺様っていう人間の言動に反映されてるのかもしれんけど、だいたい人から受けたものっていうのがない。
 “ おれはおれ ” なんていうしょうもない言い訳とかじゃなく、むしろ、俺様には “ 自分自身 ” っていうものがないんだと思う。
 そう、自分以外の人といるときってのは、その自分自身っていうのが完全に消え去ってしまう。そうなってしまっては、もう自分でも見つけられない。
 無意識のうちに自分っていうのが、どっかへいってしまう。
 むしろ、俺様が無意識の状態になってしまってるわけ。

 “ でも ” というべきか、だからなのか、人にはけっこう大きな影響を与える側にいるんじゃないだろうか。
 “ 忘れられてしまう人 ” っていうのがいるけど、俺様はたぶん、そこに属してない。
 たいがい忘れられない。いつまでも憶えててもらえる。
 連絡はいつの間にか途絶えてしまったとて、あるとき突然連絡しても、名前を言えばすぐに思いだしてもらえる。
 恋人たちにいたっては、俺様のことを忘れたなんていう人は一人もいないんじゃないか。
 きっと、それまで、そしてそれからの恋のなかで、もっとも傷ついたかもしれないけど、かなり楽しかった恋だったんじゃないか。
 本気だして、そして真剣に俺様のことを好きになってくれただろうと思う。

 自分でそんなこと言うなんて、“ こいつ、かなりイタイな ” と感じる人も多くいるだろうし、それが一般的な理解なんだろうと思う。
 でも、事実もそこにあると思う。

 自分以外の人が、自分と一緒にいるときは、絶対に楽しんでもらいたい。
 楽しんでもらってナンボだし、楽しんでもらえて、初めてそこで俺様の自分っつーのを感じられるようになるんだと思うの。
 自分と一緒にいても、もし楽しんでもらえないなら、いつ終わるのかもわからないだれもが限られた時間の外側で生きてるのに、そんななかわざわざ俺様と一緒にいる意味すらない。
 時間の共有ってのは、それだけデカい。
 だから、これは俺様にとって、なにをさしおいても “ 絶対 ” のことなんだな。

 だから、たいした人生経験もなく、知識も技術もなにもない俺様っていう自我を、無理やり自分以外の人に押しつけてしまうのは、その人に対して申し訳ない。
 もし、俺様のことが知りたい、もっともっと俺様のことを知りたいと言ってくれるのなら、もっともっと自分自身のことを知ってもらいたい。

 俺様は、詰問に近く、あわよくば責めるように、問いただすように話してしまう。
 自分以外の人と話してて、不思議で無根拠な説得力を自分の言葉に持たせたいときは、突然いつもの口調からガラッと不意に変えるだけでいい。
 説得しようとすると、人は必ず反抗しようとする。諭されるとなれば、どんなにいわれのない事柄だとしても、人には必ず経験というものがあるから、それを否定しようとする。
 そこから、だれしも自分が間違ってるなんて思いながら生きてないよな。
 だけど、だれかに責められるとなると、少なくとも “ なんで責められるんだろう? ” と自分自身に質問を投げかける。
 その指摘を避けるための言い訳を自分のなかに探す。

 素直な人間なんて世のなかには一人もいない。
 素直になれない人間ってのも、世のなかには一人もいない。
 その人に対して、自分が素直になりたいか、素直でありたいかどうかでしかないんだな。


 そう、でも、そういう自分の気持ちが最優先であるはずの出逢いなのに、居心地のいいぬるま湯に浸かっていると、心のなかまで鈍ってきてしまうわけだ。
 だから俺様は、なんか変えないといけないとか、ただ漠然と思い始めてたんだな。ほとんど強迫観念に近かった。きっと。

 ほっとけば、まるまる2日でも寝てた俺様が、何時に寝ようが目覚ましなしでも16時とか17時には目が覚めるようになってしまってたわけ。
 これは、間違いなく病んでる証拠。
 ちなみに、それはバイトの時間でもある。
 かなりの精神的なプレッシャーになってたんだろうな。

 バイト先の人間関係のことも少なからずあるとは思うけど、俺様はこれまで、人間関係という問題に頭を悩ませるということが一度も経験したことがなかったので、間違いなくそれだけじゃない。
 人間関係なんて、単に好き嫌いで簡単に切り貼りしていい問題だと思ってるし、それ以外に人を判断する必要もない。
 嫌いなやつは切り捨てればいいし、好きなやつとは、とことん付き合えばいいだけのことだ。
 中途半端にしようとするから、余計にこじれて、しまいにはなんで自分ばっかり面倒な思いしなきゃいけないんだとか、自分かわいさにふさぎこむのがオチなんだな。

 まま、その俺様の目覚めに関しては、これまでの恋人たちなら、きっとうなずいてくれるはずだ。ウメくんにいたっては “ とりあえず病院行ってこい ” とか心配してくれそうな気さえする。
 恋人との約束に16時間寝過ごし、学校の卒業がかかったテストにも、平気で24時間遅れる男だ。どんなにか素敵な魅力のにおいを感じたなんかのお誘いがあっても、 “ 起きてればね ” がたいていの返答だし、寝起きの俺様を動かそうなんざ、 “ 降龍十八掌 ” でもなかなか。
 そして、寝ている俺様を起こすのは、そうとうな労力を要するらしい。

 で、こないだ、やっとケータイの壁紙を変えた。

「目の見えない人に、この空の青さを伝えられないなんて、おれ、芸人失格だよ!」とドーン!な江頭2:50さん それがこれ。
 そう、どうしても江頭2:50さんにしたかったの!!
 なんか著作権の問題とかで警告とかきそうだけど、せっかくだから残しておくかも。
 まあ、江頭2:50さん側から訴えようとか、なんか問題があれば、召喚状を託す前にご一報いただけると、おれ幸い。

 今の俺様の壁紙を飾れる人なんて、江頭2:50さん以外に、だれがいるっつんだよ。
 江頭2:50さんは、俺様のケータイにおける壁紙のルール ──── エロくなきゃいけない ──── を根底から覆したわけ。

 とはいえ、俺様にとっての “ エロス ” とは、 “ 優しさ ” や “ 想い ” の造形でもあるわけで、その表現としては頂上にあるもんだ。
 むしろ、“ 美しくなければいけない ” という一番根っこの部分では、これ以上ないぐらい太くつながってる壁紙なのである。
 こんなにも美しい言葉がほかにあるか?
 ──── いや、ないよ。

 俺様も声を大にして言いたいね。

 自分のことも知らない人に、俺様自身のことをわかってもらおうなんて、おれ、人間失格だよ。


 とまあ、そんなこんなで、“ ホワイトバンド ” は、また自分自身の左腕に戻した2008年は大晦日の昼下がり。

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