もう、ヒトは、頼りにしません。
この雪のなか、どうしても欲しいCDのために、わざわざ地下鉄の駅まで自転車で行き、3時間ほどずっとウロウロしてました。
試聴したり、タバコ吸ったりしてるうち、汗をかいてきたので機械の前で、おもむろにワラジ虫ジャンバーを脱ぎました。すかさず背後に店員さんが寄ってきたのを、わたしは知っています。
なぜ人は、ヒトゴトになると、どうしても手を抜こうとするのか?
自分のことには手を抜くなんて考えもしないくせに
そのくせ、「他人事だと思って
」なんぞとぬかします。
困るのは自分だから?
あとで困るのは、自分と他人じゃ、その重さは違うのか?
たしかに。
明らかに、自分じゃないほうが重い。
これは何度も何度も書いてることだけど、他人事だからこそ、手は抜けない。
なんでわからないんだ?
他人なんてどうでもいいなんて思ってるのは、それは、自分も同じように思われてるってことだと思う。
そんな考え方で、なにが人のためか。なにが創れるか。なにができるか。
人の心は動かない。
それが自分らしさ?
笑わせるな。
そこに2度目はないだろう。
いやいや、そもそもそんな大それたこと自分にゃ期待してないか?
できるはずもないか?
1人は無力か?
それもそうか?
そんな大それた人間じゃないか?
人にどう思われようと関係ないか?
そんなこと気にしてたら身がもたないか?
同じように人から思われたって構やしないか?
ヒトに頼られるほどの器じゃないか?
そんなにデッカい人間じゃないか?
そんなもんか?
たった1度の値段の高さで価値が決まるものなら、いくらでも高価な嘘でいい。
安くても、2度目、3度目のあるもの。
たった1度だけ足を運べば手に入るだけより、2度、3度と足を運んでもらえるもの。
それが価値だと思う。
自分が人に頼むより、いつまでも頼まれるような人でいたい。期待される人間でありたい。
それは重荷じゃなくて、僕にとっては力になる。
不安にもなる。
でも不安は大事なもんだ。自分のどこかで原動力にもなってるはずだ。
不安にならなきゃ、ホッと胸を撫で下ろせる安心なんてどこにもありゃしない。
ヒトを頼ることはもう2度とない。
そんなことは言わないさ。
破れた靴下を縫ってまた履けるようにして、また履くように、また次へとつなげてくのさ。
ただ、この雪のなか、自転車で出かけていくのは、自分でもバカだと思う。
でも、それこそが、今日買ってきた2枚のCDじゃなく、そのアーティストさんたちの力になってくれることを願うばかりです。
嘘を欲しがる大勢よりも、たった1人をバカにさせてしまうほどの、力に。
- December 18, 2003 6:48 AM
- [ 感じること ]