いやはや、この時期の室温40度超えと相まって毎年恒例となっております江戸川乱歩賞受賞作の購入。
しかしながら今年は、エルニーニョが気まぐれにエルニーナスとの交尾中なのか、室温もかなり穏やか。
外はそれなりの暑さ。むしろ、ちょっと涼しいぐらい。夜にはちょっと肌寒い。
素敵。
というより、今ぐらいの季節のミッドナイトが一年を通して一番過ごしやすい。
街灯に群がるクサレ害虫どもが雨上がりに騒がなければ。
とまあ、そんな納涼はさておき、ここは北国。
町ゆく人みな、“ んだんだ、んだべや ” とか心温まる会話をひとりぼっちでも交わしてそうだというイメージを持たれつづける北海道。
んなわけねぇだろ。
札幌の人間は標準語だ。
俺様とて、“ 全然訛ってないよね ” とよく褒められる。
──── うむ、そこには触れるな。
本州のほうでは、連日のように36度とか38度とか騒いでおるようじゃが、こちら北海道は札幌にあると、クソ暑いとまではいまだ特に感じたことなし。この夏。
っつーか、巷ではただいま夏なんだよね? そういう暦の読まれ方してんだよね? そういうシーズンなんでしょ? チューブやサザンオールスターズが日本に夏を告げる季節なんだよね?
シーズン・イン・ザ・サンですか?
今夏? おま夏? おまんこナーツ?
とまあ、そんな脳凌もさておき、このたびやっと本が買えたのだよ、マスキートー女史。
聞いてくれよ。
──── 見てくれ、オラの稲!!
by 廣川 T
すっげぇ身内話。
それは小学校のときの学芸会にて、俺様がなぜか殿様の役で出演した劇中で友人が放った台詞。
ティーチャーではない。
当初、俺様は声のみによる出演だった。
しかし、それがまたたく間にまくれにまくれて、ついぞオンステージ。
ちょっと小高い平均台の上に乗り、その両脇にはすすき、そこから紙で作ったちょんまげのヅラをつけた俺様が、たっぷり3分はあるだろうぐらいの長ゼリフを中途半端な抑揚をつけて吐きだす。
そんな想い出。なんとなく有名。
それもこれも、すべてあのクサレ天パのせいである。
そう。
ホント、ここまでくるのには、本当にファンタジックなおとぎ話があったのじゃ。
俺様はどうやら、あまりにもまとまりのない文章を書くために、普段から本を読まない人間だと思われてるらしい。
高校のとき、同い年の人間に “ 文章が幼稚 ” と指摘されたことがあった。当時の彼は “ 稚拙 ” という言葉を知らなかったらしい。
文章の構成力の欠如。文章における言葉の選び方。頻出する思いつきで極めて気まぐれな造語。テーマの散乱。
単語の露骨さ。曖昧さ。
文章におけるムダの多さ。
余談ばかりでダラダラと続く長文。
数え上げれば手を変え品を変え、表現いかんでは、いくらでも挙がってきそうな俺様の文章。
二十歳ぐらいのとき、そのときやってたなんかのテレビを数人で見ていたとき、白黒画面のなかで頭に鉢巻をしたおっさんが、やったら咆えまくったあと、自殺した。
「この人、だれですか? 頭おかしいんですか?」
「え? おまえ、三島由紀夫も知らないの?」
「三島由紀夫? 知りませんけど。だれですか、それ? そんなに有名な人なんですか?」
その場にいた数名のうちの数名が笑った。
「よくそれで “ 作家になる ” とか言ってるよね」
そんなことはもう聞き慣れた言葉である。
あれはたしか、もう何日か前のこと。
読んでいたシドニィ・シェルダン氏による小説をすべて読んでしまったわけ。
『異常気象売ります』は、待ちに待ったシドニィ・シェルダン氏の長編。
『億万ドルの舞台』と『リベンジは頭脳で』は、なにやらいつも本のうしろのほうで “ シドニィ・シェルダン氏の全盛期に執筆された中編が、アカデミー出版の自然な日本語による超訳で続々と登場!! ” みたいなこと書かれていながらも、全然出なかった2冊。
そそ、俺様の文章の構造は、ほぼ 100% アカデミー出版による超訳の書き方が基本。ほぼ小学校で習ったことに基づいている。
習慣とかよく目にしてるものっつーのは、自然と体に染みついてしまうもんだな。
『億万ドルの舞台』に関して言うと、絶対にハードカバーの小説しか買わないというこだわりを持ってここまできた俺様だったのだけども、シドニィ・シェルダン氏は、例外なのである。
ほかにもまだいろいろ書いてあるけど、そちらもまだ刊行される見込みなしの気配。
天馬氏、がんばって!!
『天使のナイフ』は、第51回の江戸川乱歩賞受賞作。
江戸川乱歩賞は、自分の勉強のため。
どうしても欲しい賞なのである。
だから読むのである。
とまあ、一気にズバーッと読んでしまって、それ以上になんとなく淋しい限りになってしまった俺様のベッドまわり。
山と積まれていた頭上には、今や “ 柑気楼 ” の『育毛読本』しかない有様。
一回も開いてねぇ。
そしてすぐさま、なにかしらの強迫観念にも似た焦りと期待でもって、≪ TSUTAYA ≫へゴー・ゴー!! 『サウナへ GO!! GO!!』 Inspired by ゆず
しかァ ──────── し!!!!
お金が足りず……
ひっさびさだよ、あんなの。
んな、親のすねかじってるわけでもないいい年した大人なのに、いざ買い物ってときに “ お金足りない ” なんて、あっか?
ねぇだろう。
ドキーンってなんぜ、けっこうあれ?
最近じゃ高校生だって経験しないだろうさ。
ルンルンで本を選びつつ、決まったと思って財布を見たら、お札はなくて 34円と 1セント。
嗚呼、なんてファンタジックなんでしょう。
しばし、お財布のなかで揺らめく一面のすすきが見えてた。
その 1cent は、むかぁ~し昔、≪ゾーン≫ 北郷店で『ゲットバッカーズ』の18巻ぐらいを買ったとき、なぜかレジの横に垂れ下がっていた海外の硬貨コレクションみたいののなかから俺様が呼ばれたコイン。
“ ヴァージニア諸島 ” とあったはず。そう、ヴァージニア。
ちなみに、そのとき手にとった小説は、東野圭吾氏著による『流星の絆』という本。
なんか東野圭吾さんて、最近すっげぇ有名な人みたいで、すっげぇ売れに売れまくってる作家さんらしいので。
チラッと見た感じ、文章の書き方が好きではなかった。 “ 」 ” のうしろに文章がつづいて、また “ 「 ” が続いてる。
“ 「」 ” を使うときは改行!!
小学校で習ったろうに……
これもまた世論調査と勉強も兼ねて。
まま、今日買った『誘拐児』と『訣別の森』を読み終えたら、次には買ってみようと思っておる。
で、そんな SF ──── サッキング・ファンタジーを経てからというもの、本屋さんへ行く時間なんてものもなく、先日まで『リカ』という本を読んでいた。
これは前に一度読んだ小説。
読むものがなくなると、けっこう俺様はこういうことをする。
しかし、そのたびにお金が足りなかったというわけではない。そこはまあ、別に誤解されたところでなんら害はないんだけども、一応書いてみた。
“ 第2回ホラーサスペンス大賞受賞作 ” と、帯にある。幻冬社。
五十嵐貴久氏の著作による小説。
うん、さすがだ。
やっぱ小説ってよ?
一回読んだらもういいじゃん?
何回も読み返したくなる本って、実際そうそうあるもんじゃないじゃん?
っていうより、一回読んだら、なんだかんだで中だるみがあったり、途中で飽きてるでしょう。
一回読んじゃうとさ、脳みそのなかの記憶だけでもう本読めちゃってんだよね、これがまた。
たしかにホラー。
たぶん、日本独特のホラーなんだと思う。
ホラーな “ 雰囲気 ” というやつなんだろうな。
見て “ ギャッ!! ” っていう怖さじゃなくて、じわじわと迫ってくるわけでもなく、ただジーッと “ いる ” っていうやつか。
大沢在昌氏からのコメントとして、帯にはこうある。
“ 怪物 ” と化したヒロインの迫力。
物語を畳みこむ筆力。戦慄した。
俺様としては、なんかイマイチっす。
あ、いや、おもしろいよ? おもしろかったし、読み終わったあと “ これ手に取ってよかった ” って感じた。
話の途中は、本当に主人公とヒロイン、そのまわりの脇役さんたちのやりとりに引き込まれる。どんどん引き込まれていく。
“ インターネット ” という俺様的には、出会い方とかそういう設定においては反則っていうイメージでしかなかった要素を、まんま主軸に取り入れて逆手にとってしまったところはすごい。
人間がいればゴミは出るっていうのはわかってるんだけど、どうしてとか、いかにしてとか云々は省いて、“ そういうもんだ ” っていう設定にしてしまってる。
エンディングも、あれは素晴らしいと思う。あれ以外にはない終わり方ですらあると思った。
ただ、物語の途中から、むしろ怪物の背景のほうが気になりだしてしまうんだな。
こういう精神的な怪物はもう見慣れてはいるけども、そういう思考回路というか、状況とか環境とか動向とか、その他もろもろの背景にたいへん興味のある俺様としては、物語が進んでいくに連れて、いかにして “ 怪物 ” なのかっていう部分が知りたくなってしまった。
というより、筆者の方のなかで、どういうふうにして思い描いていった怪物なのかだな。
筆者の五十嵐貴久氏のなかで、どういうステップを踏んで、この “ リカ ” っていう女神が生を受けていったのか。産まれ、生き、一人歩きし、旅立たせたのか。
人物像のエグさとかグロさとか、そういったあくまでも外っ面の域を出ない描写じゃなく、もっともっと内面をえぐってほしかったかなと。
──── あ、違う。なんか違う。
そうでねぇの。
なんとなく、今後は俺様が読んでみた本の感想も日記のテーマの一つとして書いてみようと思い立っただけで、『リカ』の感想を今ここに書こうとしてたわけじゃ~ないのだよ。
ヘイ、モス。
俺様のバイト先には、この『リカ』っていう本の “ リカ ” っていうのが、実際にいるということを書きたかったの。
まま、いわゆる常軌を逸したストーカーだな。
いやいや、ただ、ここでは違うのだな。
恋愛感情としてのそれじゃなくて、職場。さらには “ 仕事 ” っていう状況にまでここにある心理が広がってしまってる人間がいるのだよ。
本のなかでのリカは、あくまで恋愛関係における怪物。
よくある話だし、実際、恋愛関係ともなれば、だれもが少なからず持ってる一面だ。
しかし、違うのだな。俺様のバイト先にいるリカちゃんは。
それはそれは恐ろしい。
読めばわかる。
バケモノだ。モンスターだ。
塊だ。
おっとー、俺様のほうがモンスターだなんて言ってくれるな?
俺様は、悪魔だ。
一緒にしないでいただきたい。
あっちのリカちゃんが繰り広げる恋愛感情の “ 森 ” が、こっちのリカちゃんは、職場にそれを広げてしまってるわけだ。
ホント、そのまんまだ。
しかも針葉樹。
ちょっと例えを変えると、牙のない犬っころだ。
まま、ほかにも感情の見え方は違えど、攻撃的なのもいれば、極めて保守的なのもいる。
だれもが持ってる感情の側面とはいえ、実にバラエティーに富んだ人材ともいえようか。
そんな職場なのである。
クサレまんこが実に多い。
俺様はここに、それを “ リカ ” と名づけることにした。
人は見た目と、自分に見える範囲で、そして、自分が見たいと思っている姿に騙されるものなのだ。
いやはや、そんなことより、江戸川乱歩賞受賞作の2冊が楽しみだ。
- August 12, 2008 5:06 PM
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